4. ちょっと未来の話
「ちゃんと会いにきたわよ」
ウィルバートの前で、黒髪に青い瞳の少女が胸をはった。
他国から番をさらってきた竜人がいると聞き、ユリアーナがウィルバートと訪れた屋敷の中だった。
少女を連れてきたらしい黒髪の竜人は、つまらなそうにソファに座ったまま、頬杖をついている。
「フィー?」
ウィルバートが目を丸くして、目の前の少女を見つめる。
「ほんとに僕のフィー?」
少女は嫌そうに顔にしかめる。
「貴方のじゃないけど、オフィーリアよ。今はフィリオーネね」
「フィー!」
がばりと抱きついたウィルバートの背を、嫌そうな顔は変えないまま、オフィーリアを名乗った少女は、ぽんぽんと叩く。
「オフィーリア様、なのですか?」
どこか呆然としたまま尋ねたユリアーナを青い瞳で見つめてから、少女はコテンと首をかしげる。
「ウィルバートの奥様?」
「いえ! 違います!」
「違うから!」
ユリアーナとウィルバートの声が重なった。
「遠慮すること、ないのよ? 私は番ではないんだし」
「姪です!」
「姪だから!」
また声が重なった。
ウィルバートは身体を離すと、黒髪の少女の顔を覗きこむ。その琥珀の瞳が動揺に揺れている。
元オフィーリア、今はフィリオーネである少女は、さらに首をかしげた。
「姪でも気にしないのが、番というもので」
「番じゃありませんから!」
「ユリアーナは番じゃないから!」
フィリオーネは、顔色を失くして言い募る二人を真顔で見比べる。
「そもそも王族は番を得ないって決めたのは、君だろう!?」
必死に告げるウィルバートに、フィリオーネはふっと笑みを浮かべると、ウィルバートから腕を離し、ドレスの裾を両手で持ち上げると、優雅に頭を下げた。
「王太女ユリアーナ様にご挨拶申し上げます。フィリオーネ・ロッティでございます。お会いできて光栄ですわ」
ユリアーナは頭を抱えたくなった。女傑とは聞いていた。だけど、こんな性格だとは知らなかった。彼女を連れてきた竜人の気のない態度を見るに、フィリオーネは番ではないのだろう。おそらく、番と称してこの竜人に連れてこさせ、ウィルバートを呼び寄せたのだ。
さすがに一国の王であるウィルバートに、他国の少女が気軽に会えるわけがない。だけど、他国の少女を番として連れ去ってきたとなれば、ウィルバートが必ず出向く。オフィーリアが作り上げた国の仕組みが機能しているならば、必ず最強の竜たる国王がその場に現れる。
ユリアーナが王太女であることも知っている。
すべては計算されたもの。ユリアーナをウィルバートの番とみなすことも、竜人にしては丁寧な挨拶も、すべてわかってやっているのだ。
ユリアーナは背筋を伸ばすと、礼を返した。やられ放しでいるわけにはいかない。だいたい、竜人はプライドが高く、総じて負けず嫌いだ。
「丁寧なご挨拶をありがとうございます、ロッティ嬢。王太女ユリアーナです。以後、どうかお見知りおきを」
慇懃無礼にきちんとした礼を返したユリアーナに、あどけない笑みをフィリオーネは浮かべる。
「私のことは、どうか、フィリオーネと」
「では、わたくしのこともユリアーナとお呼びくださいな、フィリオーネ様」
すっとフィリオーネの顔から笑みが消え、うかがうような上目遣いでユリアーナを見た。
「なぜ、私に敬語を?」
「フィリオーネ様は、国王陛下の妃でいらっしゃいますから」
「待って」
フィリオーネに再び、がしりとしがみついているウィルバートに、彼女はじとっとした目を向ける。
「うん? なに、フィー?」
「私、これと結婚した覚えはないわよ?」」
「オフィーリア様なのでしょう?」
「……フィリオーネよ。この体はオフィーリアじゃないわ」
「体など。瑣末な違いです」
「いや、大違いだから」
「ところで、フィー。彼の番って、どういうこと?」
フィリオーネにひっついたまま、おとなしくユリアーナたちのやり取りを聞いていたウィルバートが問いかける。
「番じゃない」
ソファに座ったままの黒髪の竜人が、口を開いた。
「王と会えたら、俺の番の居場所を教えてくれると言ったから、連れてきただけだ。もういいだろう。早く教えろ」
「いいけど。無理やりはだめよ?」
「わかっている」
「それなら、いいけど」
ウィルバートをひっつけたまま、とことこと伯父と呼んだ竜人に近づくと、フィリオーネは彼の耳元でささやく。それを物騒な目つきでウィルバートが見つめている。
「感謝する」
黒髪の竜人は一言だけ告げると、すぐに部屋を出ていった。
それを心配そうに眺めているフィリオーネの頬に手を当てると、ウィルバートは、ぐいと彼女の顔を自分のほうに向けさせた。
「フィー、お願いだから、僕を見て。他の男なんて見ないで」
彼女は青い瞳で、じっとウィルバートを見つめる。
「私、あなたの番じゃないわ」
「番じゃなくていいよ。番じゃなくていいから、僕と一緒にいて」
その言葉にフィリオーネは、目を細めてから、年に見合わぬ艶やかな表情で微笑んだ。
「じゃあ、まずは、私の宿題を貴方がどう解いたのか、見せてちょうだい」
◇◇◇
フィリオーネが最後の判例資料をぱたんと閉じる。
ここまで、たったの五日。その事実に、ユリアーナは戦慄する。
ウィルバートに会って、当然のように連れてこられた王宮での最初の一日で、彼女は何冊もある法令書を読み終えた。
さらにその後の三日間で、王宮の事務方の各所を回り、責任者に執務の現状と問題点を洗いざらい吐かせた。もちろん、彼女ひとりで回ったのではない。その後ろには、必ずウィルバートがついていき、フィリオーネに包み隠さず話すよう指示をしている。
そして、たった今、彼女がいなくなって約百年の間に、いくつか起こった番に関する重大事件の判例を読み終えたところだ。
ウィルバートが、あまりフィリオーネの仕事を見ない方がいいと言っていた理由が、よくわかった。理解力と処理速度が尋常ではない。フィリオーネの仕事ぶりを見れば、嫌でも自分の無能さを思い知らされる。
「だいたいのところは、把握したわ。ずいぶん頑張ったのね、ウィルバート」
「君が戻ってくると言ったから」
ウイルバートが、ぽつりと言葉を落とす。フィリオーネは目を細めた。
「『理』の魔女が約束してくれたの。私が役目を果たしたら、願いをひとつ叶えてくれると。だから、記憶を持ったまま、生まれかわることを願ったの。まさか魔女に生まれるとは思わなかったけど」
「どうして、記憶を持ったままなんて」
「見届けないといけないでしょう?」
フィリオーネは笑う。
それをじっと見つめてから、ウィルバートは絞り出すように言った。
「……フィー。フィリオーネ。君が好きなんだ」
フィリオーネがウィルバートの右耳に手をのばす。じっとされるがままの彼の耳から、耳飾りを外した。外した耳飾りがフィリオーネの手の中で、しゃらりと音を立てる。
「私は、あなたの番じゃないわ。耳飾りがなくても、もう番の音色はしないでしょう?」
「わかってる。君は僕の番じゃない。それでも、愛しているよ」
そっとフィリオーネが、青い瞳を伏せた。
「それは呪いよ、ウィルバート。ただの、呪いなの」
「呪いでもいいよ。君にそばにいてほしいと思うのは、確かだから」
フィリオーネは黙したまま答えない。
「だから、ごめん。ほんとに、ごめん。君に気づかなかった。君を死ぬまで傷つけた。虫のいい願いだとわかってる。だけど、お願いだから、初夜をやり直させて」
驚きに目を見開いてから、フィリオーネは嫌そうに顔をしかめる。
「恋人になってでも、結婚してでもなく、まず、そこなの? ……十歳の幼女に欲情するなんて、さすが竜人ね」
ウィルバートが硬直した。あわてて言葉を継ぐ。
「ご、誤解だよ! あのとき、君を愛することはないって言ったのを、取り消させてほしいんだ!」
フィリオーネは首をかしげる。
「取り消すのは好きにしたら、いいんじゃないかしら。オフィーリアはもういないんだし」
「……君はそういう人だったね」
ウィルバートはまたぽつりと呟いてから、にこっと笑った。その笑みが怖いものに見えて、ユリアーナは首をすくめる。
「いいの?」
「なにが?」
「あの言葉を取り消すことができるなら、僕は君を真剣に口説くけど。絶対に君を諦めない」
フィリオーネは肩をすくめた。
「それも好きにしたら、いいんじゃないかしら。貴方の行動を私が縛る理由はないわ」
「うん、ありがとう。それじゃ遠慮なく」
フィリオーネのまだ幼い体を、ウィルバートはひょいと抱え上げる。
「……やっぱり抱えあげるのね……」
なんだか疲れたようにフィリオーネは、言葉をこぼす。
「うん。また君を抱きあげることができて、嬉しいよ」
ウィルバートは、心の底から嬉しそうに笑った。
「フィリオーネ。番じゃない君の音色を、誰よりも愛しているよ」
彼女をみあげて、うっとりとウィルバートは告げる。
「おろして」
「嫌だな」
「離して」
「君が僕のそばにいると約束するなら」
「しないわよ」
「じゃあ、だめだ」
くしゃりと表情を崩し、小さく「ばかね」とつぶやいたフィリオーネが、ウィルバートの首に抱きつくのを、ユリアーナはじっと見つめていた。




