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3. 〜昔の話〜

「君を愛することはない」


 初夜に臨むべき部屋で、竜人国国王ウィルバートは告げた。


「僕には(つがい)がいる。顔も正確な名前も忘れてしまったけれど、僕が愛するのは彼女だけだ」


 妃となったオフィーリアは、その美しい顔に薄っすらと笑みを浮かべた。


「それは素晴らしいことね」


 彼女の黒髪がさらりと流れて、右耳につけた耳飾りがしゃらりと音を立てた。


「相手を不幸にしかしない竜人の愛なんていらないわ。愛がないなら、閨に籠るなんて無駄な時間を費やすことなく、国造りに邁進できるわね」


 皮肉げに笑いながら言うオフィーリアに、ウィルバートは眉を顰めた。


「なにを言っているんだ?」


 ウィルバートの問いなどなかったかのように、オフィーリアは枕元に置いた紙束を差し出した。


「さっそくだけど、国王陛下、こちらが各国からの要望を取り入れた、貴方たちの国の仕組みよ。貴方たちの意見は必要ないから、そのつもりで」


 眉を顰めたまま、その紙束にざっと目を通したウィルバートの顔が怒りに染まる。

 そこには、竜人の番を得ることに対しての規制が、事細かに書かれている。なにより、王族が番を持つことを禁止されるなど、とうてい受け入れられるものではない。

 オフィーリアは、竜人の番への執着を危ぶんだ各国の圧力で押し付けられた妃だ。いったん圧力に屈したとはいえ、竜人でも番でもない女に、この国で好きにさせるつもりはない。


「死にたいか」


 怒りのあまり、すらりと抜いた剣をつきつけたウィルバートに、オフィーリアは怯えるでもなく、淡々と告げる。


「私を殺してもいいけど、その時は竜人は滅ぶと思って。私が死ぬときは、周囲一帯を巻き込んで焦土にするし、生き残りの竜人も各国から狙われて狩られるわ」


 その言葉にウィルバートは息をのむ。

 それはこの仕組みを受け入れないなら、各国の威信にかけて、竜人を滅ぼすということだ。


「……なぜ、そこまで」


 ウィルバートのうめくような言葉に、オフィーリアは首をかしげる。


「それほどのことをやらかしている自覚がないのが、一番の問題かしら。やっぱり教育にもテコ入れが必要ね」


「いったい僕たちがなにをした?」


 オフィーリアの視線が、冷たく鋭いものに変わる。


「番だからって、本人の了承もえず、さらってくるんじゃないわよ。このドグサレ外道どもが」


 その言い草にウィルバートは思わず目を見張った。

 竜人にとって、番は絶対だ。会ってしまえば理性など溶けてなくなる。番を得ることしか考えられなくなる。ウィルバートにも覚えのある感覚だ。ウィルバートの隣に今番がいないのは、彼が記憶の一部を失い、番の顔も正確な名前も思い出せないからだ。


 王位をめぐる壮絶な殺し合いの末に、ウィルバートは王となった。玉座を再び血で染めることを厭う気持ちがなければ、とっくに番を探しに飛び出している。

 それでも執務の合間を見つけては、彼女を探してあちこちに出向いているが、いまだに見つからない。


 竜人が番に出会ったあとは有無を言わさず連れ去ってきてしまうため、あちこちから苦情が届いているのは、もちろん知っている。それが各国が手を組み、竜人を滅ぼそうとするほど問題視されているとは、想像もしていなかった。


「竜人は独立不羈(ふき)。王にも頭を下げないことを知っているわ。それでも、貴方は王なのだから、各国の要請にきちんと誠実に対応するべきだったわね」


 オフィーリアの言葉が耳に痛い。竜人にとっては当たり前だからと、対処することなく、そのままにしていたツケが、この結婚であり、さらに番に関する仕組みの押し付けということだ。


「とりあえず、近日中に有力な竜人たちを集めてもらえるかしら? そこで国の新しい仕組みを発表するわ」


 さらりと告げたオフィーリアに、ウィルバートは冷笑を浮かべた。


「集まると思うかい? 集まったとして、押しかけ妃の言葉を誰が聞くと思う?」


 オフィーリアは、にっこりと笑った。


「明日には、新しい法令が国民に届くわ。竜人国以外の国にもね。竜人国王妃の名をもって。みんな、そんな真似をした私の顔が見たいんじゃないかしら?」


 すでに手を打たれていることに愕然とし、ウィルバートは小さく歯がみした。



 ◇◇◇



 オフィーリアは、集まった竜人たちを前にしても臆することなく、用意した椅子にゆったりと座ると、足を組んだ。

 ウィルバートの開会の宣言を聞くと、さっさと自分から自己紹介をし、今日の本題に入った。


「番だからといって、勝手にさらってくるのは、今後認めないわ。本人の了承が必ず必要よ。番が、その国の成人に達していないなら、家長の了承を得てちょうだい」


 ざわりと集まった竜人たちが騒めく。それに頓着することなく、オフィーリアはつづける。


「もし了承を得ずに連れてきたら、番は王族が保護するわ。あとは番の意志しだいね。家に帰りたいなら帰すし、さらってきた人を誘拐犯として罰してほしいなら、罰するわ」


「誘拐犯……」


 ぽつりと誰かが呟いた言葉に、オフィーリアは目を細めた。


「本人の意志すら無視して連れ去るのは、誘拐という犯罪なの。貴方たちの常識では、違うようだけど」


 しんと静まりかえる一同には構わず、オフィーリアはウィルバートに振り返る。


「王族はいちばん力の強いものが勤めてきたのでしょう? 番を保護するのも、罰を与えるのも、物理的に可能よね、ウィルバート」


 ウィルバートはオフィーリアをじっと見つめてから、息をついた。


「力で可能だからって、心情的に可能だとは限らないんだよ」

「あら? 私もつい先日王族になったのよ?」

「君が、それを成すというのかい?」

「なぜ、私がここに送られたと思うの? 竜人を制圧できる力があるからよ」


 オフィーリアが上げた右手から、パチリと小さな雷が弾けるような音がした。ぶわりと彼女を取り巻いた魔力に、ウィルバートをはじめとした竜人たちが瞠目する。

 すっとその魔力を解いてから、オフィーリアはつづけた。


「そのかわりといってはなんだけど、王族は番を得ないわ。番を得る機会自体を放棄する。竜人にとって、番を得るのは最高の幸福なのよね? その至福を王族が得ることはない。だから、王族は、なりたい者がなればいいわ。今までだって、力で奪い合ってきたんだもの。さほど変わらないでしょう?」


 オフィーリアの頬に冷たい笑みが浮かぶ。


「番を得たいものは、王族から降りればいいのよ。だいたい番を見つけたとたん、数ヶ月も閨にこもる王族など、ものの役に立たないわ。公務を捨て、国より番を優先するものが、王族である必要はないわよね?」


「どうやって、番を得るのを防ぐんだい?」


 ウィルバートの問いに、にっこりとオフィーリアは笑った。


「番封じの耳飾りなんて、どうかしら?」

「番封じ」

「魔女の愛し子に手を出したでしょう?」


 オフィーリアが黒髪をかきあげると、右耳の耳飾りがしゃらりと揺れた。


「だから、魔女たちがこの耳飾りを作ったの。人間の国では、いま、身分の高いものから順に、大流行中よ?」


 その言葉に、強さのみを信奉し、他者を顧みない竜人たちも息をのむ。

 魔女。人間とも竜人とも全く違う存在。魔法を失ったこの世界で、唯一その力を残し、行使することができる。

 こちらから手を出さなければ、魔女たちは何もしない。ただ、そこに在るだけだ。

 しかし、いったん敵対すれば、その報復は苛烈で、容赦がないと言われている。

 たしか数ヶ月前に、番を得たと自慢していた竜人が、惨殺されたのではなかったか。


 番封じの耳飾りなど、報復としては可愛いものだ。オフィーリアが魔女に言われたのは、耳飾りをつけてウィルバートに嫁ぎ、番に関する法整備をすることだけ。

 だけど、それがなにを意味するのか、オフィーリアはきちんと理解している。


 会議場に集まった竜人たちの顔を、オフィーリアはゆっくりと見渡す。


「まだ納得がいかないという顔ね。だったら少し、昔話をしましょうか」


 オフィーリアの顔からずっと浮かんでいた笑みが、すっと消えた。


「私の弟は竜人に殺されたの」


 竜人たちが、再びざわめく。


「許嫁の女の子が無理やり連れ去られようとしていたから、弟がかばったの。それを『邪魔だ』の一言で殺されたわ」


 表情を変えずに、オフィーリアはつづける。


「女の子も連れ去られた先(この国)で首を掻き切ったと聞いたわ」


 オフィーリアは嫋やかに首をかしげる。


「竜人は番が死んだら、生きていけないんですってね? その竜人も狂って死んだんだとか」


 竜人たちは、息をつめた。覚えのありすぎる出来事だ。少なからず竜人たちの口にのぼり、あまりの顛末に誰もが口をつぐんだ。


「これだけ悲惨な、誰も救われない悲劇を周囲に振りまきながら、貴方たちは何も学ばない。繰り返さない努力をしない。番の一言で、すべての思考を停止する。自分の幸福だけを追い求めて、番の幸福にはなにひとつ頓着しない。そんな(けだもの)どもには、枷が必要だと考えるのは、そんなに間違ったことかしら?」


 オフィーリアの沸るような怒りを秘めた静かな問いかけに、答える者はいない。国王たるウィルバートすら、その黒い瞳を直視できずに視線を伏せた。


「そもそもこれは提案ではないの。決定事項よ。さあ、わかったのなら、おうちに帰って、家族に友人に、知り合いたちに今の情報を徹底して伝えてちょうだい」


 傲岸に言い切って、オフィーリアが耳飾りを揺らしたとたんだった。


「人間風情がいい気になるな!」


 会議に参加していた竜人のひとり。その竜化した腕がオフィーリアを襲う。

 その瞬間、ウィルバートの肝が冷えた。なにか大切なものが失われるような感覚が彼を貫く。


「オフィーリアッ!」


 伸ばされたウィルバートの手など知らぬ顔で、オフィーリアは魔力を展開した。


「『反射(リフレクト)』」


 竜化した腕が激しくはじかれ、襲った竜人の顔から上半身にかけて、赤い筋がいくつも走った。あたりに血飛沫が舞う。

 伸ばした手を見えないなにかに阻まれたウィルバートは、まじまじとオフィーリアを見つめた。

 

「……オフィーリア、君は魔女なのかい?」


「いいえ? 私はただの人間()()()わ。この役目を全うするために、魔女と契約を交わしただけよ」


 ウィルバートは息をのむ。

 ひとと違う理で動く魔女との契約など、まともなものであるはずがない。息をすることすら忘れたようなウィルバートを、オフィーリアをじっと見つめた。


「そのひと、手当てしてあげたら?」


 いくつものえぐれた傷から血を流し、うめき声をあげてうずくまる竜人を、オフィーリアは視線で指す。


「あ、ああ。……君は、ケガは?」


 自業自得で傷を負った竜人を連れていくよう衛兵たちに指示しながら問いかけたウィルバートに、オフィーリアは黒い瞳を伏せた。


「ないわ」


「……今更、傷ついたりなんかしない」


 ぽつりと小さく呟かれた言葉は、ウィルバートには届かなかった。



 ◇◇◇



 オフィーリアの後ろで光が踊る。ウィルバートを包み込むように光の結界が展開した。

 とっさに投げつけた結界石が、よい仕事をしてくれたようだ。


 続けて爆風が起こる。

 番の規制法に反対する竜人たちが、ウィルバートを暗殺するために仕掛けた爆弾が、さらに炸裂した。


「『反射(リフレクト)』」


 爆風を散らすようにあげた右手に、朱が走る。衝撃が強すぎて、反射しきれなかったようだ。ドンと音を立てて結界に押し付けられる。


「オフィーリアッ!?」


 ウィルバートが結界をといたのか、ずるりと滑り落ちるように倒れるオフィーリアの体を、彼があわてて受け止めた。


「大丈夫か!?」


 微笑んだつもりだけど、きちんと笑みを浮かべられているのか、よくわからない。ただ、ウィルバートが身を固くするのを感じた。


「……フィー……?」


 右の顔面に激痛がある。きっと右頬から耳にかけて、抉られたのだろう。当然、番封じの耳飾りも吹き飛んでいる。


「懐かしい呼び名ね」

「……フィー、なのか、君が」

「……あのときは助けてくれて、ありがとう」


 信じられないものを見るように、ウィルバートは目を見開いて、まじまじとオフィーリアを見つめた。


「髪の色が。瞳も……」


 ここに来る前のオフィーリアの髪は金色で、瞳は青空を映したような青だった。今は黒い髪に、黒い瞳だ。


「契約の代償よ」


 ウィルバートの琥珀の瞳が動揺にゆれている。

 ぐっと強く抱きしめられる。


「どうして言ってくれなかったんだ!? そうしたら、僕は」

「私は、貴方の番じゃない。そうよね、ウィルバート?」

「……なにを、言って」

「王族は番を得ないのが決まり、でしょう?」


 ウィルバートの体が、ぎゅっと固くなるのがわかった。


「――僕は玉座なんていつでも捨てたのに」

「やめてちょうだい。貴方がいなければ、私の努力はすべて無に帰すじゃない」


 番のことはよくわからなかったけれど、大好きと言われて、心が躍った。弟に家を継がせることに必死だったから、別れてしまったけれど。ウィルバートに「僕の番」と言われて、ほんとうは嬉しかった。

 番があんなに醜悪なものだとは、知らなかったから。

 髪と瞳の色が変わって、耳飾りを付けただけでなくなるような想いが、大切な誰かを殺すなんて思いもしなかった。そんなもののために泣き、命を失う人間が大勢いるだなんて、当事者になるまで想像すらしなかった。


 そんな悲劇をなくすために、オフィーリアはここまでやってきたのだ。


 もうよく見えなくなってきた目で、ウィルバートを睨みつける。腹からも熱いものが抜けていく感覚がする。契約の力を使いすぎた。きっと、オフィーリアの命は持って数日。それ以上は、きっともたない。

 だから、最後に念を押しておく。


「私を追って、死ぬのは許さない。狂うのも、許さない。必ず、弟のような悲劇が起こらない国にして。宿題よ」

「フィー……」

「約束よ、ウィル。今度は、必ず守って。ちゃんと私、戻ってくるから」

「戻る?」

「宿題は、できているか確認しないといけないでしょう?」

「また、いなくなるのかい? やっと君に会えたのに」


 支える腕に力が入る。たぶん怒った表情を浮かべているだろうウィルバートが、愛しくて笑みがこぼれる。その笑みに、ウィルバートが、身を固くする気配がした。


「結界石、返せてよかったわ」

「君に持っていてって言ったのに」

「そうね。でももう、私には必要ないから」

「なにを……」


 そのとき、ふわりと風が舞った。生暖かい、雨が降る前のような湿った風だ。

 ぴたりと周りの音が消えた。時が止まったように、動きを止めている。

 目の前に降り立った黒い影に、オフィーリアは苦笑をもらした。


「魔女様。来るのが早いんじゃありませんか?」

「早くない。誤差の範疇だ」


 その言い方に、オフィーリアは仕方なさそうに視線を伏せた。

 人間とは異なる理で生きる魔女に、誤差の基準を尋ねても意味はない。


「すみません。終わらせられなかった」

「いや、君はよくやった。完璧だ」

「ありがとうございます?」

「君の死で完成する。これは、そういう図式だ」


 どうやら褒められているらしい。オフィーリアの死すら、番という悲劇を止めるために使うというなら、それでいい。

 オフィーリアは体から力を抜いた。流れ出る命を繋ぎ止めることはしなかった。

 心残りがあるとすれば、それは――。


「『理』の魔女の名において、契約の履行を確認。これにより、最後の契約を発動する」


 その言葉を最後に、オフィーリアの視界が暗くなる。周囲の音が戻った。ウィルバートがなにか叫んでいる気がするけれど、もうその意味もわからない。

 魔女が神はいると言っていた。ならば、神様。呪われた竜人だとしても。どうか、ウィルバートが苦しみませんように。番たちの悲劇に、終止符が打たれますように。


 そこまで願ったところで、オフィーリアの意識と記憶は途絶えた。


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