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1. その日の話

「ユリアーナ! (つがい)でもないおまえが、この王太子たる私の婚約者に居座るなど、恥を知れ!」


 ユリアーナは書き終えた書類をそろえると、控えていた事務官に手渡す。侍女がさっと差し出してくれたぬるめの緑茶で喉をうるおすと、ようやく、執務室に怒鳴りこんできた王太子と名乗る青年を見つめた。


「さっさと婚約者を辞退しろ! おまえは私の番ではない!」


(なにを当たり前のことをいまさら)


 ユリアーナは金色の瞳を細めた。


 事務官も侍女も、王太子の手前、黙しているものの、執務室には、氷点下よりも冷たい空気が流れている。

 そもそも、この部屋で執務するべきは、目の前の青年である。

 だというのに、視察と称しては、ふらふらと城下で遊びまわる彼の代わりに、ユリアーナはここで執務を行っている。

 不本意ながらもこの青年の婚約者である今は、準王族であるのに加え、現王弟を父に持つユリアーナは、自身が王位継承権持ちだ。

 この国における王位継承権など意味も価値もないものだが、特例として、現在の国王から、王太子に比する執務の決裁権限を与えられている。


「王太子殿下、今度はどちらのご令嬢ですの?」


 凝り固まった肩を軽く動かしてほぐしながら、王太子のコンラッドに、ユリアーナはたずねる。

 気に入った令嬢を婚約者にすると騒ぐこと、実に五回。理由は、ユリアーナが番ではないから。

 王族の義務をまったく理解していない言い草に、周囲の温度は下がる一方だ。

 ちなみにその五人の令嬢たちからは、自分に王族は務まらないと、全員から婚約者になることを辞退されている。


「セシルは人間の娘だ」

「それは、まあ」


(ずいぶんと思い切りましたわね?)


 ユリアーナはぱちぱちと瞳を瞬いた。その様子を鼻で笑いながら、コンラッドが声をはりあげる。


「セシルこそ私の番だ! 彼女を私の婚約者にする!」


 ユリアーナは、ちらりと周囲の事務官たちと視線を取り交わす。

 そもそも番と出会いながら、その番を伴わず、閨にも連れ込まず、ここにコンラッドひとりでいる時点で、セシルとやらが番でないのは明らかだ。まさか、事後ではあるまい。

 コンラッドの服装が乱れていないのを見て取り、もう一度、事務官たちに視線をやる。

 室内の事務官たち、なんなら、侍女までが全員こっくりとうなずくのを確認し、ユリアーナは内心嘆息しながら、心を決めた。


 椅子からすっと立ち上がると、シンプルなドレスの裾を両手で広げ、ユリアーナは膝を折った。


「竜人にとって番と出逢うのは、至上の喜び。番と出会われましたこと、心よりお祝い申し上げますわ」


 顔をあげ、にっこりと笑ってみせる。


「婚約者交代の件も、もちろん了承いたします」


「ようやく身の程を思い知ったか、ユリアーナ!」


 得意満面で突きつけられるコンラッドの指をへし折りたい思いを押さえつけ、ユリアーナは入口に控えた事務官のひとりに合図を送る。

 頭を下げて退室した優秀な事務官は、国王をはじめ、必要な関係各所に適切に情報を届けてくれることだろう。


 ストンとふたたび椅子に腰掛けたユリアーナは机に肘をつくと、組んだ両手の上に顎をのせた。金色の瞳で、目の前の青年を睨みつける。


「時に、コンラッド様。耳飾りはどうなさいましたの?」


 ギクリとした様子で、コンラッドは右の耳を手で隠そうとするが、もちろん、もう遅い。この部屋に入ってきたときから、その耳に耳飾りがないのは、この部屋にいる全員が認識している。


「何度も申し上げておりますし、国民全員が受ける基礎教育にも含まれておりますので、いまさらではありますが」


 すっと息を吸い込むと、ユリアーナは言葉をつづける。


「竜人国をおさめる、われら王族は番をえないのが決まりです。竜人は独立不羈(ふき)。どれほど強い相手でも頭を下げるをよしとしない種族。それを、番と出会うという竜人にとっての至福の機会を捨て去ることによって、下げない頭を下げさせているのを、お忘れですか?」


「それは……ッ!」


 コンラッドの声など無視して、ユリアーナは視線を強くした。


「もう一度お聞きします、コンラッド。()()()()()()()は、どちらに?」


「セ、セシルが似合わないというから、は、外したんだ」


「まあ、番様が。それでは、仕方ありませんわね」


 微笑んだユリアーナに安心したのか、泳いでいたコンラッドの視線がユリアーナに向く。


「理解したのなら、そこを退け。そこは私の席だ」


 ユリアーナは、ため息をつく。ここにいたっても、なにひとつ理解していない様子に、ついに相手をする気が完全に失せた。


「イーソン卿、グレッグ卿」


 ユリアーナの呼びかけに、室内に待機していた近衛兵の二人が、「はッ!」と敬礼する。


()()、城外に捨ててきてくれないかしら?」


「捨てるだけで、よろしいのですか?」

「門番にも事情を話して、それを城へ入れないように伝えてちょうだい。これ以上、煩わせられたくないわ」

「承知いたしました」


 事務官のアルヴィンが差し出した命令書に素早く目を走らせると、署名と印璽をし、ユリアーナはイーソンに手渡す。

 恭しく受け取ったイーソンは、それを懐にしまうと、コンラッドの片腕を捻りあげて背中で固定する。残りの片腕を、グレッグががしりと掴んだ。


「は、離せ! 私は王太子だぞッ!!」


 コンラッドが喚き声をあげるが、ユリアーナはすでに次の書類の処理に取りかかっており、視線すらあげない。そのまま、淡々と告げる。


「番封じの耳飾りをみずからの意志で外した瞬間に王族ではなくなると、王室典範に明記されております。王族となる際の契約書にもそう記されておりますわ。契約書に署名しておいて、まさか、ご存知ないとおっしゃいませんわよね?」


 ようやく、そこで少しだけ視線をあげると、ユリアーナは唇の端をつりあげる。


「番様と、どうかお幸せに」


 コンラッドが言葉にならない声でなにかを叫んでいるが、ユリアーナは無視した。

 近衛兵二人に引きずるように執務室から出され、その声もすぐに聞こえなくなる。


 アルヴィン事務官が再び差し出した書類を眺める。

 コンラッドが作った借財の数々。積もり積もったその額は、なかなかのものだ。

 公務のために、王太子にはみずからの裁量で使える予算がそれなりに見積もられているのだが、公務に関わらないものに国の金を使うつもりはない。


「あれが王族ではなくなったことを通達して、これらの借財はあれから直接取り立てるように伝えてもらえるかしら?」


「かしこまりました。そのように手配いたします」

「よろしくね」


(無駄なゴミがようやく片付いたわ)


 長年の頭痛の種が片づいたことに、ユリアーナは知らず、心の底からの笑みを浮かべる。

 その笑顔をじっと見つめていたものがいたことに、ユリアーナは最後まで気づかなかった。


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