2
「だから女の子になったの」
「…………ん? すまん。もう一回、言ってくれるか?」
「だから女の子になったの」
「い、いやいやいやいや! 女の子になるって、そんな思うだけでなれるやつだったか?」
店主の言葉に片眉が上がる。これは言ってやらねば。
「なっとるやろがい! 目の前にいるのが見えないの!?」
胸を軽く二度叩いて主張をする。誤解がないよう言っておくが、この場合の胸は物理的な胸という意味の主張ではなく、胸を張る方の主張である。
「正直、見えな…………あ、あぁ~! いやッ! 見た目で判断するのは良くないな。俺が知らない世界ってもんがあるのかもしれねぇしな。うんうん。……あ~けどよぉあんたなんで女の子になったんだ?」
「さっき言ったでしょう!」
「いや、聞いてねぇが!?」
「聞いてない!? あたしの話を聞いてなかったって言うの!?」
「ちげぇよ! あんたが喋ってねぇんだよ!」
「もぉ~! さてはあなた!人の話を聞いてるように見えて聞いてないタイプなのね!」
「そういうあんたは人の話を聞かないタイプだな!?」
「仕方がないからもう一度教えてあげる。今度はちゃんと聞いてよ?」
「いや、だから…………あぁ。はい。もう好きにしてくれ」
遠い目をする店主がひらひらと手を振る。
そんな店主にあたしは少しお尻を浮かす勢いて両手をテーブルにバンッと叩きつけた。
「いいッ?」
中腰の体制で店主に指を差す。その苛烈さに押された店主が「うぉっ」っと仰け反った。
「こんなに『女の子みたい女の子みたい』って言われてたってことは、つまりあたしは女の子の方が合ってるんじゃない? って気づいたのよ! そう思わない!?」
「ん、んん? んんんん~? そ、そうかぁ? そうなる……のかぁ?」
店主の戸惑う声が聞こえても、昼間から酔っぱらってだる絡みをするような人間の耳には入ってこなかった。
お酒というものは力を与えてくれる。だが時として醜態を晒さないために自制をするのに必要になってくる「恥」というものまでなくしてしまうみたいだった。
お酒のちゃんぽんは頭のちゃらんぽらんの始まり。お酒に酔って記憶をなくす人や人格が変わる人。そんな人たちを見てきてなんであんなになるまで呑むのだろうと思うこともあったが、自分で体験してみるとなかなかどうして、お酒とは思っていたよりも厄介な物な飲み物なのかもしれないとぼんやりと思った。
だけどその気づきも記憶に残らなければ、それにさえも気づかないまま同じことを繰り返してしまうのだろう。
事実、それをあたしはまだ知らないままでいた。
お酒の力と、あの人たちは聞いてくれなかったくだらない会話。違うと一蹴しないで聞く姿勢を取ってくれた店主。ただの付き合いだとしても、面倒だと思われていても話しを聞いてくれた優しさがこんなにも嬉しい。
その高揚感のまま両手を上げながらつい叫んだ。
「だからあたし、今日からお姉ちゃん!」
勢いよく座りそのまま背もたれに寄りかかると、反動で椅子の前足が少し浮いた。
「――わっ」
? 今、子供の声がした?
椅子が地面に着地するのと同時にあたしは反射的に振り向いた。
腕を伸ばしたままの体制で小さな声が聞こえた方へ視線を向けると、そこにはあたしが幼い頃に好きだった人形にそっくりの可愛い少女が一歩二歩と下がって近くにあった椅子にぶつかった。
椅子に足が取られて足同士が縺れ合うと少女はそのまま後ろに倒れこんで尻餅をつく。
「いてっ」
どん、と小さな衝撃音が店内に響き、あたしはゆっくりパチパチと2度瞬いて驚く。
「やだ! ごめんなさい!」
どうやら少女はあたしが頭の後ろを超えるほど伸ばしてしまった腕に驚いて転んでしまったらしい。
一体、いつの間にお客さんが入って来ていたのだろうか。
このお店に入ったときにはいなかった少女は、あたしが呑んだくれている間にお客として入って来たのだろうか。それもこんなすぐそばまで来ていたのに気づかなかったなんて。
そう疑問に思いながら「怪我は無い?」と聞こうとして椅子から立ち上がった瞬間――目眩がした。
「うッぇぷ」
少女の隣に四つん這いになって項垂れる。気持ち悪い……。
酔っ払っているのに急に立ち上がったことによって、頭がふらつき酔いが一気に襲ってきたみたいだった。
咄嗟に胃から込み上げてくるものを押さえようと手を口に当てて抑える。出てきそうになる吐瀉物を生唾を飲んで無理やり飲み込む。ゲロを無理やり押し込めるのかと想像するだけでも最悪だが、それが誰の視界にも入らないで入れくれる方がずっとマシだと思えた。
変な汗が出てくる。
ハッ! ……そうか。これが大人の階段というやつね。大人になる試練ってこういうことを言うのね。
大人としての矜持があたしを試してくる。ここで吐く訳にはいかないと、隣から刺さる視線があたしを強くしてくれる。そう。あたしはシンデレラ。シンデレラはこんな醜態を晒す? いいえ晒さない。
余計なものを見ないように目を閉じて吐き気を無理やり落ち着かせる。なんとか治まってきたところで、あたしはゆっくり立ち上がる。
そして何事も無かったかのように腰を曲げて手を少女に差し出す。
「……だ、大丈夫? 怪我はないかしら?」
少女がぱちぱちと瞬きをしてあたしとあたしの手を交互に見つめて、きょとんとした。
「私、へーきだよ」
「怪我をしていないのならよかった。立てるかしら?」
こくんと頷く少女だが、あたしの手を見つめたままで立つ気配がない。
「あの、どうしたの? やっぱりどこか痛み出した?」
「へーきだから痛くないよ」
「本当?」
「うん」
「えっと、その……痛みもなくて平気なら自分で立つか手をとってくれるかしてくれるとあたしが助かるなぁなんて思っているのだけれど」
差し伸べたままの手は少女に取ってもらえないまま不自然に中を浮いている。
見つめられるだけだと少し気恥ずかしさが生まれてきて逆の手で頬を掻く。
「へーきじゃない人にへーきの私が手をにぎってもいいの?」
「うっ……さっきはその、見せられたものじゃなかったけれど、でももう落ち着いたから大丈夫よ。安心して」
「でも私、ほんとにへーきだよ? いいの?」
「いいのよ。さっきので信頼がなくなったかもしれないけれど、でもあたしは転んだ子がいたら手を差し伸べる人間でいたいの。だから嫌じゃなければ取ってくれると嬉しいわ」
「そうなの?」
「そうなの。それにダメだったら最初から差し伸べてないわよ」
「そうなの?」
「そうなの」
「そうなの」
わかったとそこで漸く少女はあたしの手の平に手を重ねた。
重なった小さな手に力を入れ過ぎないよう注意しながら優しく握り返す。そして少女の体を起こそうと少しの力を入れ引っ張ろうと途中まで持ち上げた瞬間、――ポロッと少女の肘から先が取れた。
「え?」
しっかり支えようと確りと踏ん張っていた力が失われ体が後ろに傾く。咄嗟に出た防衛反応から少女の手が握られていない方の手を地面について衝撃を逃そうとした。そしてドンッという音を今度はあたしがお店の中に響かせた。
ぶつけたおしりがじんじんと痛む。
だけど痛みよりも自分の中にあるままのそれに意識が向く。
あたしの視線の先には握りしめられたままの少女の手がそこに変わらずある。だけどあるはずのものがなくなっていた。そこには本来なら肘から先にあるはずのものが失われていた。
持っている腕の先にいる少女を恐る恐る見る。支えが消えてしまったことで地面に逆戻りして座っている少女。
視線を少女の肩から肘へと辿っていく。あたしの考えていることが当たっていませんようにと願う。だけど無情にも予想した通りの結果がそこにあった。あたしが手に持っている分が少女の体からなくなって、その部分の服だけがぺらぺらになっていた。
「……………ぎゃーーーー!」
気が付くと叫んでいた。
手を差し伸べて握りしめたのは自分なのに思わずその手を離そうとぶんぶんと必死に腕を上下に振った。
そして――スポッと自分の手からすり抜けて空中を飛んでいく少女の腕。それは綺麗な放物線を描いて少し離れた地面へポタッと落ちた。
はぁはぁと息荒く放心状態でその腕を見つめる。
誰も何も話さない、その場に少しの沈黙が落ちたあと少女が呟いた。
「とれちった」
少女は腕が取れて片腕になったにも関わらず痛みに悲鳴を上げることも、驚きに叫ぶこともなくただ腕が無くなった所を見たあと離れた先に落ちている自分の腕を眺めて淡々と呟いた。
あたしが何も言えず、呆然としている間に少女が立ち上がり地面に落ちた腕を拾いに行く。
地面に落ちた腕を腰を曲げてもう片方の手を伸ばしていたが、バランスを崩してごちっと頭から地面にぶつかっていった。
「あう」
膝をついて少女は二度ほどさすさすと頭を摩り、座ったまま取れた腕を掴んで立ち上がる。
そして拾った腕の肘側と欠けてしまっている肘を交互に見つめて一つ頷いた。
――ガッ!
勢いよく欠けた所同士を乱雑にぶつけ腕を元に戻そうとしていた。だが少女がどれだけガツガツとぶつけてみても腕が戻らない様子に、それなら仕方がないと言わんばかりに拾った腕をぽとりとそのまま地面に落とした。
そして辺りをきょろきょろと見渡し首を傾げる。そして「あ、そうだ」と言うように拳と手の平を合わせようとして、「あっ」と思い出して固まった。それはまるで「そうだ腕がないんだった」と忘れていたかのように。
合わせようとしていた手を降ろして、少女は店の外へと足を向けた。そして店の外に行ったかと思えばすぐに帰ってきた。……手に持った何かを掲げながら。
「ててーん」
自分で効果音を出して見せびらかすように戻ってきた少女の手には、まるで犬が見つけてきた木の枝のような、道中で見つけた倒れた方向へ冒険を進めるときに使う木の枝のような……つまりはそこらへんにどこにでも落ちているような少し大きめの木の枝をまるで宝物を見つけたと言わんばかりに握っていた。
そして唐突に少女はその木の枝を迷いなく欠けた肘の部分へと手にぶっ差した。
「は?」
あたしは思わず声が出る。
片腕に木の枝が生えた格好の少女。その姿に混乱するしかなかった。
そんな様子のあたしに少女は気がつき視線が合わさる。
少女がゆっくりとあたしの所へと歩いてくるが、少女の体に対して少し長めだったらしい木の枝は少女が歩くたびに地面を引っ掻いてはお店の床に線を残していった。
奇怪な少女の一連をただ尻餅をついたまま眺めるだけしかできない。
「ぬぅ」
がりがりと当たる枝がうっとうしいのか、腕に枝を差して満足そうにしていた表情から一変して不満な顔になった少女は枝の生えた腕を顔の所まで持ち上げて一回頷いた。
――ポキッと躊躇いなく枝の半ば辺りを枝が生えていない側の手で掴み無造作にへし折った。
枝を折る衝撃で少女の腕に真っすぐ生えていた木の枝が斜めに歪むが、少女はぐいぐいと木の枝をいじくりまわして腕と並行になるよう調整をする。
「は?」
あたしは思わず声が出る。こんなに短時間で二度も思わず声が出ることあるんだと初めての経験である。
少女が適当に手折ったせいで出来たささくれのような木の枝が生えている腕をぶんぶんと前後左右に振る。
そして地面に当たることがないことを確認した少女は「むふん」と満足げにうんうんと頷いて、あたしの前まで歩いて立ち止まる。
そして木の枝が生えていない方の手で自慢げに真顔で「ぶい」とあたしに向かってピースをしてきた。
「は?」
あたしは思わず声が出る。二度あることは三度ある。そのことわざを身を持って体験した。
さっきまで暑かったのに一気に血の気が引いていく。
「なん、えっ!? ッど、どどどどど、どうッ!?」
慌てて言葉が言葉になっていないあたしの様子に少女は首を傾げた。
「どうしたの?」
「どうしたのもこうしたのもないでしょうッ!?」
あたしが手を引っ張って少女の腕が取れたという理解し難い現実にやっと理解が追い付いてきた。だけど事実は結果として冷静さを失わせていった。
「あたしそんなに強く引っ張った!? 確かにペンを持つときなんかは力を入れ過ぎて手が痛くなって疲れるなんてことはよくあったけれど、流石に人の腕を引きちぎるほどではないと思っていたのだけれどッ! いや、そんなこと言ってる前に病院よ、病院! ……ってこの町の病院ってどこだったかしら!?」
いくら町を散策したからといって、ここは適当に歩いて目について入ったお店。当然ながらあたしにとっては知らない土地でしかない。流石にどこをどう行けばいいのか、どこに何があるのかを覚えているほどの土地勘は持っていないのに病院の場所などわかるはずもない。
「と、とにかく、えぇとまずはそう! 腕が取れた時の対処法よ!」
強く引っ張ってちぎれた腕の対処法なんて知らないけれど、取り合えず傷口に清潔なガーゼをあててその上から包帯で圧迫止血して、取れた腕は濡れたガーゼにくるんでビニールとかに入れて冷やして、と早急にやらなければいけないことを考えながら、あたふたとするあたしの肩を少女は落ち着けと言わんばかりにとんとんと叩いた。
「私、へーきだよ」
「平気って腕が取れたのにそんなわけないでしょう! 腕がとれたってことは血だって流れ……」
あら?
そこで漸く違和感に思い至る。もし本当に人間の腕が取れてしまったのなら、こんなにも平気そうな顔をして立っていられるわけがない。
少女が地面に捨てたままにしている腕を見ても、木の枝を生やしている少女を見てもどこからも血なんて流れていないどころか、少女が辿った地面を追って見渡してもどこにも血らしきものは見当たらない。
「ど、どういうこと?」
「私、へーきだから」
見てと言わんばかりに少女は肘から木の枝が生えている腕を上げて見せてくる。
その断面を見て既視感を覚えた。それはあたしが昔から好きだったものに似ていて、そして先ほどこの少女に対して抱いた感想。これってもしかして、
「……人形?」
「正確には球体間接人形だよ。私は腕が取れてもへーきな人形なの」
えっへんと口に出しているくせに顔は真顔で笑いもしない。棒立ちのままで喋る少女のちぐはぐさにあたしは背筋につぅっと冷たいものが走った。
「そいつが言ってる通り心配なんてもんはただの徒労に終わるだけだぞ」
ちらばっていたジョッキをカウンター越しに片付けていた店主が横目であたしたちを見つめてくる。
「なんていっても人の心があるのかさえわからねぇバケモンさ」
「この子がバケモンってどういうこと……?」
「言葉通りさ。あんたも聞いたことがあるんじゃないか? 人間が生み出した罪――人形兵器ってやつを」
「……人形、兵器」
そう言って話し出した店主に耳を傾ける。その内容は確かにあたしも聞いたことがあるものだった。