『へーき』という少女と『あたし』という人間
あたしは可愛いものが好き。
あたしはお人形が好き。
あたしはあたしの好きな物を好きだと言葉にしているだけ。
だけれど、貴方たちは言う。
『男が人形を好きなんて女の子みたいじゃないか』
『そんなものばかり集めて恥ずかしい』
『どこか病気なんじゃないか』
『あなたもいい歳なのよ』
『お前は私の跡を継いで医者になるんだぞ』
子供の頃から決められていたあたしの将来の夢。将来の夢とは名ばかりのあたしの夢ではなく貴方たちの夢。貴方たちのために描かれたあたしの将来の夢。
物心がついた時には既にそうだった。あたしの意見なんてどこにもない。勝手な決めつけであたしという存在が決められていた。
尤も幼い頃はそれにも気づかないで『これは駄目なことなんだ』なんて純粋に悲しんでいたのだけれど。
もしかしたら、あの人たちは大衆と比べてばかりであたしの事だけをちゃんと見て考えてくれたことなんて一度もなかったのかもしれない。
だってあたしのためになるからと勝手に決められたプレゼントたちもそうだった。プレゼントという言葉で誤魔化しているだけで、みーんな貴方たちのためだった。謂わば、親としてのパフォーマンスのようなもの。
周りの人たちがしているのと同じようにあの人たちからプレゼントが贈られる。その度にそれだけの愛情はあるのだと信じてこのモヤモヤとした気持ちを呑み込んでいたけれど、あたしにとって押し付けられるように渡されるただ飾られただけの豪華なプレゼントたちはいつも中身が空っぽにしか見えなかった。
そんなものを貰うくらいならいっその事いらないと言えたらよかった。そんなの欲しくないと突っぱねられたら楽だった。そんなことが言える環境だったらよかったのに。
優しさに見せた残酷さ。プレゼントの中に爆弾も一緒に詰まっているような、そんな気持ちを抱えながらあたしはこの家の子として恥ずかしいと思われることがないよう言われるがまま必死に勉強をして、少しでも家族として認めてもらえるよう努力をした。
だってあたしが嬉しくなくてもプレゼントに愛情が籠っているのなら飾られたプレゼントもいつかは嬉しく思えるようになるはずだと願っていたから。
だから自分の好きなものややりたいことを興味がないと言わんばかりに見ないふりをして、ずっと我慢して我慢して我慢して大人になるまで親のいう事を面白くもないのににこにこと笑ってご機嫌をとってやってきた。
お互いが笑い合える環境になれば、そうすればきっと分かってくれると信じていたから。
けど違った。
だからあたしは諦めた。
『……はい』
「なんて言うと思ったかばーーーかっ!」
家出してやった。
自分の気持ちを諦めてまであの家で過ごすなんてしたくなかった。だからあの人たちにあたしのことを分かってもらうのを諦めたのだ。
「大人の都合を子供に押し付けんじゃないわよ!」
夜が明けて朝になってしまえばまたあの人たちに管理されてしまう人生の一日が始まる。そうなる前に誰にもばれないようあたしは夜中にこっそりと家を抜け出した。
プレゼントと同じように与えられたお小遣いは『無駄遣いをするな』『これはお前の将来のための投資』と言われ、欲しくもないものを無理やり買っていた。なるべく安くて、長く使えて、あの人たちに文句を言われないようなものを買っていた。余ったお金をいつか自分が好きな物を買うためにと、こつこつと使わずに貯めていたお金だけを全部持ち出して、あとは着の身着のまま。
そして他に持っていくものが何もないこの家の代わりに置いてきた一枚の紙切れ。
こうしようと思ったときには何も思わなかったのに、玄関を開錠して扉を潜り抜けるときや扉を閉めてからの『もし誰かに見られてしまったら』というじわじわと襲い掛かってくる恐怖感。早く家だけでなくここから離れて、誰も自分のことを知らない場所まで遠ざかりたいのに走ることが出来なかった体の震え。夜の静かなこの場所でバクバクと煩く鳴る心臓の音。聞こえているのは自分だけのはずなのに狼の遠吠えみたいにこの町に響いていないかと不安になった。
それでも自分で自分を叱咤して家から遠ざかって、一度も振り向くことなく足を進めていった。
家から出た直後は恐る恐るという足取りだったのが、街並みが段々と変わっていく度に足も次第に速足となって走り出した。
息がハァハァと開きっぱなしの口から零れていくせいで喉が張り付く。運動を続けて熱くなる体に額から汗が流れ落ちても拭うこともしないまま、ただひたすらにここから離れようという考えだけを持って走り続けて、こんな時間でも動いていた夜行列車に飛び乗った。
空いていた席に座って息も整わないうちに列車の扉が閉まり動き出す列車。汗を袖で拭いながら窓の外を眺める。無言で何かを焼き付けるようにしばらく見つめ見続けて、次第に知っている街並みから知らない景色へと変わっていった。街灯以外は真っ暗で見えなかったはずの景色が夜でも昼間のように明るくて……知らない景色が眩しくて思わず目を細めた。
本当にあの家を出たんだ。
今まであの人たちの傀儡みたいに逃げ出すこともなく生きていたおかげで監視の目がなくて楽に逃げ出せてよかった。
この景色になってからやっと考えることが出来た感想だった。
きっかけがどれだったかなんて知らない。きっとたくさんあったから。だからふとした瞬間に悟ったのだ。愛されることを諦めるために愛することをやめようと。家族だから愛情があるのは当たり前なんじゃない。愛情を探さなければいけない家族は他人だと割り切ることにしようと。
色々なことが思い浮かんでは首を振って、列車に揺られ続けて終点まできた。
それからも特に行く先も決めず時間が合う交通機関を乗り継いでは移動するという行動を何回か繰り返して、とにかくあの人たちが知らない場所を目指した。今まで抱えていた不満が爆発したみたいに、離れた心の分だけあの人たちから遠ざかって行った。
自分で言うのもなんだけど、大人になるまで言う事聞いてきた良い子ちゃんだったのだ。親としてはさぞ手のかからない子供だったことだろう。一度くらい子供の反抗期というものを味わえばいい。家出という我儘ぐらい聞いてくれても文句は言わせない。仮にもしこれで勘当されたのならそれはそれまでの関係だったということ。昨日までがそうだったからといって、明日もそうなるとは限らないことを知ればいい。
思い出される過去の言葉たちに、やっと言い返せる。
そんなに跡取りが大切なら養子でもなんでも手を使って存続させようとすればいい。
誰かを犠牲にしないと続けられない血筋なんて途絶えてしまえばいい!
柔軟も効かない凝り固まった頭でっかちなんて、時代錯誤も甚だしいったらありゃしないわ!
過去に受け入れていた言葉たちに沸々と怒りが今こみ上げてくる。
「あたしはあたしだけの家族を作るんだから!」
――ゴンッと一気に飲み干したジョッキをテーブルに叩きつけると周りに転がるように置いてある空のジョッキたちが振動で揺れてカチャカチャとぶつかり合い音を鳴らした。
ここは適当に交通機関を乗り継いだ末に辿り着いた町。この町がなんて言う名前なのか、そしてここは地図で見るとどこのあたりに位置するのか、何一つわからないままに訪れた町。
初めて知った時間に追われないという生活にのんびりと長閑な町を散策した。所々に植えられている木々を通り抜けながらあちこちと視線をやりながら歩いてみて感じた印象は、治安が良さそうな町だということ。すれ違う人は皆、平和そのものに笑っていた。
もし一番最初に辿り着いた先が、ゴロツキ共の巣窟とかの悪そうな人がたくさん闊歩しているような所だったら気後れしてしまっていたかもしれない。行きついた先がここで良かった。
何も考えないで行動をするとこういう不安も隣り合わせになるのだと初めての体験にわくわくと気持ちが浮き立った。
とはいえ、何も考えないままだといずれはお金が底を尽きてしまう。今更だが、何をしたいからとかの目的が何もないまま、あの人たちから離れたいという衝動だけでここまで来たけれど、これからどうするかを考えなければならない。
しばらくあてもなく旅行をしてもいいかもしれないし、治安がよさそうなこの町に住むというのも悪くないかもしれない。でも決めるのに焦らなくてもいい。これからは気に入りそうな場所を見つけて、自分だけの好きを見つけてやりたいことをやる。そういう楽しみを自分で決断を下して積み重ねていけるんだから。
そんなことぼんやりと考えつつ子供たちが元気にはしゃいでいるのを横目に通り過ぎた先。そこに食事処を兼ねた酒場があるのを見つけて「そういえば、お酒って飲んだことないな」とお腹も空いたしとちょうどいいから試してみようと思い入ったお店。
夜中に家を出てから太陽が昇り、お昼の書き入れ時。そんな時間にお店の扉を潜ったのだが、店の中は客がおらず閑散としていた。繁盛とは程遠いそんな様子の店内にもしかして休業しているのかと不安になったが、カウンターにいた店主の「いらっしゃい」という声にこれで営業中なんだと知った。それはそれで別の不安も抱いてしまったが、今更退店することも出来ずにどうせならこの町のことを聞こうと店主のすぐそばであるカウンター前の席に座った。
それが契機だった。
「おいおい、兄ちゃん。酒はもうこの辺にしとうこうぜ。な? 随分と酔っぱらってるし、宿も取りに行かなきゃだろ?」
「だーれが兄ちゃんよ! あたしのことは今から姉ちゃんって呼びなさい!」
「いやでも、あんたさっきまでそんなこと言ってなっただろ……それに、あんたどう見てもおと、ひぇ……」
その先は言わせないとばかりに睨みを利かせたあたしに、少し歳を重ねた男店主がカウンター越しに怯えて口を噤んだ。
人がいなかったこのお店では店主も暇をしていたのか、この町のことを嬉々として教えてくれた。
色々と話をしていた流れであたしが初めてお酒を飲むことを知って、これはどうだ? あれはどうだ? と絶対初心者に勧める飲ませ方じゃないやり方でおすすめを教えてくれてお酒を次から次に出してくれた。
あれもこれもと店主に渡されたものを全て飲み干すあたしに店主も気分が良くなっていった結果、出来上がったのは必然だったのかもしれない。
「はぁ……」
そんな店主の様子を見て、あたしはため息を吐いた。ジョッキを腕で押しのけるように前へ進んで突っ伏すと、腕に当たる空のジョッキたちが連鎖してぶつかりカツカツンッと音を鳴らしていった。
「……あたし、人形が好きなの」
腕を枕に顔を横にして、空のジョッキ越しに見える店内の壁を眺めながら呟く。
「ん? あ、あぁ?」
店主は酔っ払いのだる絡みに困惑しながらも相槌をうってくれた。酔っ払いの自分語りなんて随分と面倒だろうに。
まぁ原因の一因は店主でもあるから相手をしてくれているのかもしれないが、追い出すことも邪険にすることもなく耳を傾けてくれた。
「でも人形が好きなのは女の子みたいなんですって」
「まぁ人形なんてものは女の子の方が好きになる子が多いだろうな」
「人形なんてって言わないでよ」
「す、すまん」
「分かってくれるのならいいのよ」
あの人たちもそうだった。男の子が人形を好きなんておままごとしてるみたいで恥ずかしいだとか、無邪気に好きなものを好きだと言えていたあの頃に言われたそんな言葉。
幼い頃に言われた言葉たちは、大きくなってからは言えなくなった言葉たちへと変えてしまった。
あの人たちにとっては当たり前だと思っている小さな言葉。それがずっと心に残っている。
好きだと言うことすら出来なかったあの家で、あたしが女の子として生まれていたら人形が好きでも自分という存在をあの人たちは見てくれたのだろうか……後継ぎの駒として育てられなかったのだろうか。
知識と技術が増えても、目指したいと思ったことは一度もなかった。医者として誰かを助ける力になれることは嫌ではなかったけれど、患者に寄り添うには自分の心が死んでいた。
将来の安定よりも心が安定出来る将来を歩みたかった。
「それであたし、可愛いものも好きなの」
「あぁ、それも女の子の方が好きになる子が多いな」
「そうなの」
さっきの教訓から言葉を丁寧な言い回しにしてくれた店主に嬉しくなったあたしは、突っ伏していた体制から猫背になって頬杖をついて店主を見つめた。
「だから女の子になったの」