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#95

 数日が巡り、マリが無事に初登校を果たした晩のことだった。

 いまだ着替えもせず制服姿のマリは、なにが不満なのか食事に手をつけようとしない。ふてぶてしく足を組み、苛立たしそうにネイビー色のハイソックスをぶらぶら揺らしている。


「学校のやつらが、わたしを舐めてる」


 不機嫌にぽつりと呟いたマリへ一瞬だけ反応を示すも、皆すぐに目を伏せた。口には出さなくても気持ちは全員一致していた。きっと何か醜態をさらしたに違いない。ならば舐められても仕方のないことだ、と。


 黙り込む面々を見渡し、細めた目でマリは一人の男へ狙いをつける。


「どう思う? エイイチくん」


 ふいに名を呼ばれたエイイチは、ビクンと肩を跳ねさせた。面倒そうなので出来れば関わりたくなかった。ビーフカツを刺したままのフォークを置き、しょうがなくマリへ応じる。


「ええと。その、マリちゃんの考えすぎじゃないの? なにか思い当たる節でもあるなら別だけど」

「わたしは完璧なお嬢様だった」


 そう前置きしつつ、マリは通学初日の様子を語りはじめる。ここにその内容を要約して記そう。




 マリが通うことになった高等学校は町に一校のみ、全校生徒百二十名を割る小規模な高校だ。学年毎にクラスは二つ、進級にともなうクラス替えも行われない。

 ただでさえ事情を勘繰られてしまう編入生という立場。二学年からの編入となるマリがクラスへ溶け込むために、慎重な言動が求められることは想像に難くない。


「待雪マリ。これからあなた達の模範となる者。勉強だけじゃなく、生き方? 人生哲学っていうのかな。そういったものも、ぜひ参考にするといいよ」


 信じられるだろうか。クラス担任から自己紹介を促され、初っ端に発したマリの台詞がこれであった。

 そして奇行を重ねていく。


 持参した大きな紙袋から箱を三つも取り出し、マリは優雅に教壇を下りる。三つの箱を最前列中央の席の机へ積み上げた。

 席の主である女生徒はどうしていいかわからず、助けを求めるような視線を周囲へ向ける。


「女。箱を開けて、人数分に切り分けて。均等にね」


 信じられるだろうか。三つの箱の中身は八号のホールケーキだった。さらにこのご時世に同級生を“女”呼ばわりしていた。懐から取り出したケーキナイフは、柄を女生徒へ向けて差し出すという常識を発揮したが、もはやそういった次元の話ではない。


 マリはすぐにクラス担任に腕を引かれ、顔をしかめながら教室を出ていく羽目になった。行為を咎められ、教室に戻ったときには、クラスメイトはだれもマリと目を合わせようとしなかった。




 ――そう、まるで今のダイニングルームにそっくりな空気感だ。マリの座る椅子だけが、貧乏ゆすりに合わせて苛々カタカタと音を出す。


「……通学の下見で一緒に町ブラしたとき、洋菓子店に寄ったのは手土産買うためだったのか」


 エイイチは回想する。大きなホールケーキ三個分だ、決して安い買い物ではなかったろう。あの日、マリから五百円の小遣いしか貰えなかったのも納得だった。


「今日のためにわざわざケーキ予約して、振る舞いもお姉ちゃんを真似したのに納得いかない」

「あなた、わたくしをそんな目で見ていたの……?」


 ショックを隠せない様子のツキハだ。

 実際には、後学のためと近頃マリが読みふけっていた、悪役令嬢もののライトノベルの影響も多分に受けている。

 優れた容姿とミステリアスな雰囲気で浮いた存在になるだろうとエイイチは予想していたのだが、マリはただの“やべー女”として雲の上まで飛んでいったのである。


「はぁ……そうね……」


 ツキハは息を吐きつつも、マリにどうアドバイスするべきか思案する。見捨てることはありえない。恥ずかしいかぎりの愚妹であっても、妹なのだ。放置すれば巡りめぐって、姉である自身にまで実害が及ぶ可能性もある。


「人様に面倒事を押しつけるべきではないわ。その場合、マリがケーキを切り分けるべきだったのではないかしら」

「え?」


 さも当然と言わんばかりのツキハへ、ここで驚いたような視線を向けるのはアヤメだ。

 マリはといえば一理ある、などと頷いてすらいた。


 これまで成り行きを見守っていたセンジュが“やれやれしょーがねぇな”といった体で助言に加わる。


「甘いもんは好みがわかれるじゃん。ホールケーキってのも、なんか身構えちゃうしさ。大人数でもっと手軽につまめる差し入れ……たとえば、たこ焼きとかいいんじゃねーかな?」

「は?」


 衝撃を受けたアヤメは、今度はセンジュへと振り向いた。

 センジュは椅子の上に裏起毛のルームソックスであぐらをかき、あたかも一般常識を熟知しているかのようなドヤっとした笑みをキメている。


「ふぅん……たこ焼き。庶民には合っているのかも」


 自己紹介と共にクラスメイトへたこ焼きを配る編入生。そんな奇特な生徒がこの世に何人存在するだろう。

 二人の意見にマリはあきらかな関心を示しており、アヤメは危機感を募らせる。センジュはともかく、ツキハの感覚がここまで欠落しているとは予想外だった。本当に萌えゲーアワードに輝いたアダルトゲームの制作者なのだろうか。


 実のところ【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】において、次女や三女が学校に登校するシーンは描かれるものの、校内での描写は徹底的に省かれているのである。淫らな洋館生活と周辺の森でのフィールドワークに集約されたシナリオ、限定的な箱庭はプレイヤーの没入感を高める。ある意味思いきりの良さが評価された結果、受賞に繋がったのだ。


 アヤメは一縷の望みにかけ、エイイチへ目を向ける。

 他人に助言を与えるという行為は、そこはかとない優越感を得られて気持ちがいいものだ。もちろんエイイチも話に乗ってくる。


「女子なんかはさ、歯に青のりが付くのを嫌うんじゃないか? たこ焼きにするなら青のり抜きがベストだと思う。あとソースが濃い。飲み物もセットで配るべきだよ、スポドリとか」


 お話にならなかった。たとえ学校に通ったことがなくとも、数多くの学園エロゲー、ギャルゲーに精通していたはずのエイイチが見る影もなかった。やはり記憶を失った弊害は大きいのだ。


「エイイチくん、冴えてるね。青のり抜きのたこ焼きに、スポーツドリンクか。人数分をさっそく明日――」

「マリ様、鵜呑みにしてはなりません。学園祭や部活動生への差し入れではないのですよ。非常識です」


 話がまとまりそうなところ、たまらずアヤメは割り入った。出過ぎた真似かとも思うが、マリの暴走を許せば狼戻館の沽券に関わる。

 全員の視線を一身に浴びるアヤメ。しかし引くわけにいかない。


「ずいぶんな物言いね、アヤメさん。それなら、他にいい案があって?」

「いえ、案といいますか。そもそも手土産など不要かと……」


 ここでアヤメは口ごもってしまう。この場にいる誰よりも常識的な自負はある。けれど長い年月を人間社会から隔絶され、猟幽會との戦いに明け暮れていたのだ。常識が過去のものと成り果てている懸念が、アヤメの自信を揺らがせる。


「……少し席を外します。あまり借りを作りたくはないのですが、致し方ありませんね」


 散々と悩んだ末に、アヤメはなにか決断したらしい。一礼するとダイニングルームを出ていってしまった。


 常識外れのレッテルを貼られたマリが、自身と同じく常識のなさを露呈した他三人へジトリと視線を巡らせる。

 ツキハもセンジュもエイイチも、素知らぬ顔で食事を続けるのだった。



◇◇◇



「本当にたこ焼きいらない? 通学途中にたい焼き屋もあったけど」

「大丈夫だって、マリちゃん。アヤメさんがいらないって言うんだから。ほら、いってらっしゃい」

「うん」


 エイイチに送り出されたマリは、腰のあたりで小さく手を振ると校門をくぐった。


 一仕事を終え、エイイチは大きく伸びをする。本日も快晴、春の陽気が心地いい。そろそろ地質調査にも本腰を入れないとな、と通学する生徒の波から逆方向へ離れていく。


「――おっと」


 すると、エイイチは何者かに肩を掴まれた。

 振り向けば、見覚えのない男だ。着崩したジャケットにシャツ、ネクタイはしていない。ウルフカットの金髪は、日本人離れした男の端正な顔立ちも相まって、染めているのか地毛なのか判別がつかない。生徒には見えないが、学校の関係者だろうか。


「やあ。ひさしぶりだね、エーイチ君」

「ノーイングリッシュ」

「聴力を失ったのかい? 日本語で話しかけているよ」


 どことなく男が気に入らなかったのでさっさと行こうとするも、エイイチは再び肩を掴まれてしまった。


「……どちら様? あと俺はエイイチだけど、なんで名前知ってるの?」

「おっと失礼。今はエイイチ(・・・・)君、だったね。記憶喪失は事実のようだ。じゃあ、あらためて名乗らせてもらおうかな」

「ノージャパニーズ」

「僕の名前はビーチ。どうだい? どこか脳の琴線に触れないかい」

「変な名前だな」


 ビーチと名乗った男はしつこかった。とりあえず肩に置かれた手を剥がし、エイイチは気乗りしないままビーチと向き合う。

 因縁のある男なのだが、ビーチはホラーゲーム【豺狼の宴】の登場キャラクターではない。いってみればエイイチに近い、イレギュラーな存在の一人であったため、つまり今のエイイチからすればその素性はまっさらだった。


「愛称のようなものだよ。生徒には“ビーチ先生”と慕われているんだ」


 ということは、こんなナリでも教師らしい。ビーチが何者であろうとまるで興味はないはずが、エイイチはなぜか対抗心を燃やす。


「俺だって、センジュちゃんが先生って呼んでくれるけどな、たまに。ていうか、もう行っていい? 仕事が忙しいんだけど」

「忙しいのは僕だって同じさ。けれどそちらのメイドから頼まれてね、待雪マリの件で」

「え? マリちゃんの?」


 話が変わった。踵を返そうとしていたエイイチが足を止める。アヤメがビーチになんらかのお願い事をしたというのだろうか。


「とりあえず、お茶でもどうかな。エイイチ君」


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