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#88

「はぁーあ。ほんっと、なさけない」


 自室のベッドに腰かけて足を組み、マリは醤油煎餅をかじった。きちんとソックスに収めた足先をぷらんぷらん揺らしながら、口もとはパリパリと忙しく動かしている。


「大口叩いて、なに? あの失態は。妹がこんなだと、わたしまで変な目でみられちゃうでしょ」


 テーブルに肘をついて漫画を読むセンジュは当初マリを無視していたのだが、これだけなじられ続けるとイライラも募る。


「ち。るっせーな、文句ばっか言いやがって。つーかおまえだって、まだ何もしてないだろ」

「そんなことない。わたしはわたしで、考えながら水面下で計画を遂行してる」

「あ? うそつけ! じゃあ何やったのか言ってみろよ!」


 マリはニヤリと笑んで、壁を指さす。そこには大きな蛾が止まっていた。ウグイスに似た色をしている。

 率直な疑問を口にするセンジュ。


「あの蛾が、どした?」

「ふふ、オオスカシバ。最近、監視にあの子を使ってるの」

「あ、ああ…………それで?」

「鷹みたいな目で、かわいいでしょ。虫嫌いのエイイチくんが怖がらないよう、気を利かせてるってわけ」


 オオスカシバはたしかに透き通った翅を持つ美しい蛾で、鱗粉も出ない。ホバリングしながら花の蜜を吸う様子をかわいいと思う者もいるだろう。しかし、あくまで虫に抵抗が少ない者に限った話である。虫嫌いにとっては、ハチドリほどにも大きな蛾など恐怖の対象でしかない。


「カイコガと悩んだけど、あの子は機動力がないから」

「…………」


 いずれにしろエイイチは悲鳴をあげるに違いない。否定も突っ込みもせず、センジュは息を吐いて漫画に目を落とした。やはりマリはずれている。ツキハが計画からなんとかマリを遠ざけようとするのも頷ける。


 静かになったセンジュを見て、ぐうの音も出ないのだと勘違いしたマリは、緑茶を飲み干すと空気を読まず宣言する。


「わたし、動くよ。あなたの不手際は、姉であるわたしが帳消しにしてあげる。安心して」

「いやいや、やめとけって。勝手なことするとまた怒られるぞ」

「だって、聞いてよこれ」


 マリが再びオオスカシバを指さした。マリの自室にいるこの蛾はいわば受信機であり、狼戻館の内外に放っている無数の蛾が諜報活動を担っている。たったいま拾っている音声は、どうやらツキハの書斎での会話らしい。


『――アヤメさん、今夜は水煮牛肉なんてどうかしら』

『水煮牛肉といえば、激辛の』

『ええ。発汗作用は抜群。エイイチさんに濡れ透けを見せつけるには、最適だと思うわ』

『……こだわられているのですね』

『当然よ、わたくしの進行に狂いはない。それでね、次はこのような下着の着用を考えているのだけど』

『そ、その穴の用途はいったい……?』


 オオスカシバに耳を寄せていたマリとセンジュは、眉をひそめて互いに顔を見合わせた。


「……ひでーな」

「ね? こんな人達に任せておけない。だからもう、ここはぜったいにわたしの出番」

「いやでも、マリが行ったって状況は好転しねーから!」

「大丈夫。秘策がある」


 自信満々の笑みがツキハそっくりだな、とセンジュの不安は増すばかりだった。



◇◇◇



「ふああぁぁぁ……」


 朝食で腹を満たしたエイイチは客室で支度をし、一階のエントランスホールへ下りていく。

 気は乗らないが、請け負った以上は地質調査の仕事をしなければならない。クロユリと共に過ごした日々を忘れていても、働かざる者食うべからずの教えは染み込んでいるようだ。


「おはよう先生」


 エントランスホールの玄関扉前にはエイイチを待ち構えるように、ひとりの女の子が後ろ手を組んで立っていた。

 やや赤みがかった、黒くて長い髪。白のワンピースにサンダル履き。服装は質素でいて清楚な印象。とびきりの美少女といって過言はなく、エイイチは一目見てピンとくる。


「なるほど、君がマリちゃんだね?」

「ご名答。さすがエイイチくん」


 初対面を思わせるエイイチの言葉にも動じることなく、マリはミステリアスな赤い瞳を瞬かせる。


「病弱で、あまり部屋から出ないって話だけど」

「今日は気分がいいの。外に出るなら、わたしのお散歩に付き合って」

「あいにくだけど、俺は仕事なんだ。散歩を共にするほどヒマじゃない」

「ふぅん。なら、いいよ。わたしは勝手に歩くから」


 病弱設定だからといって、ここで咳などの演技は挟まない。かえって嘘っぽさを助長してしまう。マリにしては慧眼な、実に堂々たる所作でエイイチを外へ促す。


「ほら。行こう、先生」

「…………」


 エイイチは渋々と頷くしかなかった。

 なぜマリはこれほど自信に満ちているのか。元からといえばそうなのだが、先にセンジュへ語った通り秘策があった。


「うおっ!?」


 外へ出たエイイチは、さっそく仰天することになる。鉄門扉まで続くアプローチのど真ん中に、真っ黒な毛むくじゃらの巨体が寝そべっていたからである。

 驚くエイイチの声に反応した巨獣は、むくりを頭を起こした。「クアッ」と欠伸をする獣の口は大きく、氷柱(つらら)のごとき鋭い牙が覗く。鼻の頭を舌で舐める獣と目が合い、エイイチはおののいた。


「な……なな、なんだよこの……お、狼?」

「ガンピールだよ」


 マリの秘策とは、まさにこの黒狼。ガンピールのことだ。

 かねてエイイチとガンピールは心を通わせているように思えたし、何より動物は人の本質を見抜く。行動に嘘や偽りがなく、猜疑心に囚われたエイイチの拠り所となるに違いないとマリは考えたのだ。


「それに、狼なんているわけないでしょ。ガンピールはちょっと大きいだけの、ただの柴犬」

「柴犬なわけないだろこれが!?」


 四つ足でのっそりと立ち上がれば、ガンピールの巨体がさらに際立つ。マリは平然と近づき、ガンピールの眉を指さした。


「みて、ここ。眉の辺りの色が抜けてるでしょ? 麻呂眉は柴犬の特徴。ガンピールは黒柴なの」

「む。……う~ん。たしかに」


 以前、エイイチがマリを説得したときと同じ解説がなされた。これで納得してしまう辺り、エイイチもマリと同レベルと言えよう。そもそもマリは誤魔化しているつもりもなく、いまだにガンピールを柴犬と信じきっているわけだが。


 ホラーゲーム【豺狼の宴】では、神皮の痕跡からその存在を考察することはできる。しかし神皮本体が登場することはない。ホラーゲームに登場しない、イコール超常の存在ではないという図式がエイイチの中で成り立つのだ。


「そ、そっか。じゃあ……よろしくな? ガンピール」


 エイイチがおずおずと手を差し出せば、ガンピールは「ガウッ!」と腕に噛みつく振りをする。


「おわっ!? お、おいおいビックリさせるなよこいつぅ! ははは」


 わしゃわしゃと体を撫でられながら、ガンピールは思うところがあるのか、尻尾でエイイチの顔面をベチンベチン叩いていた。ある意味で微笑ましい。めずらしく、マリの秘策は功を奏したようだ。


「それじゃ、ガンピールの散歩も兼ねて出発しよう」


 普段は自由気ままに館を出て、山を練り歩くガンピール。だがタイミングが合えば狼戻館の住人とこうして散歩することもある。




 一行は、昨日エイイチとアヤメが辿った道とは異なるルートを進んだ。けれど山道はいつもと同じく穏やかで、ホラー的な異変は本日も鳴りをひそめているようだ。あえていえば巨大な狼と歩いていること自体、十二分にホラーなのだがエイイチの表情は晴れやかだった。


「エイイチくん」

「ん? なに?」

「えいっ」

「うわ冷た! やったなマリちゃん!」


 湧き水で喉を潤しつつ水を掛け合い、木漏れ日のような明るい笑い声を響かせる。マリが濡れたワンピースの裾を捲って絞る仕草に、エイイチはドキドキする。ガンピールはいい感じの木の棒をアガアガ咥えて振り回す。

 青春だった。意外なことに狼戻館住人の中で、マリはぶっちぎりでエイイチの緊張をほぐしていた。対エイイチにおいてマリは抜群の距離感を発揮し、わざと白い太ももを見せつけながらほくそ笑んでいた。

 すべて計画通り、と。


 一行は広い草原で休息をとる。ここも麓の町を見渡せる気持ちのいい場所だ。

 腰を落とすマリを、エイイチが振り返る。

 今さら恥ずかしくもないがあえてぎりぎりパンツが見えないよう膝を抱えて座り込み、マリは清楚さを演出している。ここでも策士だった。


「先生も座ったら?」

「あ、ああ、うん。なんか慣れないな、その先生っていうの」

「じゃあ、エイイチくん」


 エイイチの名を呼び、マリは首をかしげて微笑む。あざとくも、かわいい。

 少し頬を染めてエイイチは、マリの隣へと手をついて座る。


「ね。たまにでいいから、またわたしとこうやって、散歩してほしいな」

「ま、まあ……仕事が忙しくないときなら」


 まるで一切、仕事のしの字もこなしていないにも関わらず、台詞だけは一丁前のエイイチ。

 それでもマリは嬉しそうに目を輝かせて、エイイチの手に自らの手を重ねる。


「ほんと? 約束だよ」

「う、うん」


 エイイチの中ではすでに、八割方ここは【豺狼の宴】の世界ではないと結論が傾きつつあった。だとすればマリは本当に病弱なわけで、命に関わる病気なのだろうかとそんなことが気になりはじめていた。かわいそうな少女に庇護欲が掻き立てられる。

 この期を逃さず、マリはさらに魅力的な提案でエイイチを揺さぶる。


「エイイチくん、このまま町に下りてみない?」

「え? でも、ガンピールはリードもしてないし」

「いらないよ、そんなの。いい子だし」

「いや。あの大きさだから形だけでもつけないと、周りの人が驚いちゃうだろ。変に怖がられたらガンピールもかわいそうだ」


 訳のわからないところで常識人なのがエイイチだ。マリは舌打ちをこらえて、エイイチに肩を擦り寄せた。重ねた手も恋人繋ぎのように指を絡めた。色仕掛けの強硬手段である。


「お願い……。いいでしょ?」


 病弱な少女の願い事。賑やかな場所に行ってみたいのかもしれない。だが、しかし、と。収集のつかない気持ち、困惑からエイイチは視線を周囲へ向けた。


「……あれ? ガンピールは?」


 一方で件の獣。エロゲーのワンシーンを絶賛演出中の二人をよそに、ガンピールはヒマだった。

 いつもなら人体を簡単に真っ二つとする勢いでフリスビーなどするのだが、今日のマリは遊んでくれそうにない。散策していると、大きな瞳が、咥えているものよりも興味深い“棒”を発見する。


「――あ、いたいた。なにしてるんだ?」


 エイイチとマリが合流すると、ガンピールは見せつけるかのごとく顎を振る。


「おわっ危ねえ!? なに咥えてんだよおまえ!」

「なにそれ。……剣?」


 グリップに噛みつき、ガンピールが誇らしげに振り回しているのは紛れもなく()だった。

 鍔が横に長く、刀身は両刃の西洋剣。儀礼用なのか凝った装飾が施されており、柄には宝石のようなものまで埋め込まれている。


「……ねえ。ちょっとそれ、よく見せて」


 マリが手を伸ばすも、ガンピールはそっぽを向いて拒否した。


「ちゃんと返すから。ちょっと貸して」


 詰め寄るマリを、高く上げた前足で押し返すガンピール。ただでさえエイイチとのいちゃラブな雰囲気を壊され苛立っていたマリは、こめかみにピキリと筋を走らせる。


「貸せって言ってるでしょッ!」

「ガウアアアッ!」


 少女と獣は互いに牙を剥いて揉み合った。羆よりもでかい獣の爪と、華奢な病弱少女の拳が幾度も交錯する。

 呆然と見守るエイイチの中で、さっきまで抱いていた“ここはホラゲー世界じゃない”という幻想がガラガラと崩れていく。


「……もう帰ろう」


 夕暮れが迫る山には、カラスの鳴き声がどこか切なく響いていた。



◇◇◇



「……どうして勝手な真似をしたの?」


 夜。狼戻館の書斎で、ツキハから詰問されるマリはふてくされていた。


「お姉ちゃんは、なにもわかってない。エイイチくんは早く、町に行かせて安心させるべき」

「まだその時ではない。何度も説明したでしょう」

「あんないかがわしいゲームの進行に合わせて、なんの意味があるの? とにかく、わたしにも考えがあるから」

「はぁ……。ところでマリ、その傷はなに?」

「べつに」


 顔に無数の引っ掻き傷をこしらえたマリは、ふんと鼻を鳴らして書斎を出ていった。相当な立腹具合のようだ。


 無言に徹していたアヤメが、ツキハの書斎机に置かれた()へ目を向ける。

 紆余曲折の末マリが奪い取った、あるいはガンピールがお情けでくれてやったらしい。


「ツキハ様、そちらは――」

「ええ。はじめて目にする代物ね。宝石も(・・・)金属も(・・・)。何よりこれは、魔力を帯びている(・・・・・・・・)


 ツキハの頭痛の種がまた増えることになるのだろうか。

 ちなみにこのような剣は【豺狼の宴】及び【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】原作双方において、当然ながら登場することはない。


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