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#86

「ふあぁ……ぁ……」


 ベッド上で目覚めたエイイチは、大きく伸びをした。

 どうやらぐっすりと眠っていたらしい。

 あれほどホラーゲーム世界に転生したことを危惧していたというのに、不思議と実家のような寝心地の良さがあった。


「……枕のへこみ具合が、妙に頭にフィットするんだよなぁ」


 新品ではなく、あえてエイイチが以前使用していた枕と同じものを用意したのは、これもツキハの細やかな戦略のひとつである。


『――エイイチ様、おはようございます』


 ノックと共に、扉の向こうからアヤメの声が聞こえた。エイイチはベッドを降りると、適当に寝癖を撫でつけて服のしわを払う。ドアノブを捻り、隙間へと顔を覗かせる。

 頭を下げていたアヤメは姿勢を正すと、仏頂面を決め込むエイイチなどにも微笑んでみせる。見る限り、今日はゴムボールを仕込んだ虚乳姿ではない。


「朝食の準備が出来ています。ぜひ皆様とご一緒に」

「おはようございます、アヤメさん。朝メシは遠慮しときます。地質調査が俺の仕事なんでしょう? だったら今から働きますよ」

「フ……そうおっしゃるかとも思いまして」


 意味深に目を伏せ、アヤメはメイド服の胸もとより竹皮を取り出した。何かを包んでいるらしい。


「おむすびをご用意いたしました。これでしたら外での作業でも邪魔になりません」


 不敵な笑顔のアヤメに、エイイチは思わず一歩後ずさる。どうせ外になんて出られるわけがない、なんだかんだ理由をつけて館へ軟禁するに決まっている。と、高を括っていたからだ。

 なぜなら【豺狼の宴】の主人公がそうだった。ひとたび足を踏み入れたが最後、生還してエンディングを迎える以外にこの魔窟から逃れる術はなかったはずだ。


「そ、外? 本当に?」

「地質を見るのですから、フィールドワークが基本なのでは? 僭越ながら、私がご案内させていただきます」


 エイイチの疑惑の眼差しも意に介さず、さっさと背を向けて歩きはじめるアヤメ。

 思考する時間も返答する間も与えられなかったエイイチは、慌ててメイドのあとを追う。無論、エイイチもアヤメの言葉を信じたわけではなかったのだが。


 地質調査のために外出を匂わせればきっと狼狽するに違いないと、揺さぶりをかけるつもりだったエイイチの当ては完全に外れた。

 それどころか安全圏に引きこもるエイイチを易々と連れ出す手腕を見事に発揮され、駆け引きにおいてアヤメが一枚上回った場面だった。


 こうなっては、エイイチも苦し紛れの捨て台詞を放つことしかできない。


「へぇ……なかなか、やるじゃないですか。たった一晩で成長しましたね」

「お褒めにあずかり光栄です。ですが私の成長速度など、まだまだ遠く及びません」


 まさか比較の対象が自分のことを指しているとは夢にも思わず、エイイチは歯噛みして悔しがる。流されてはだめだ。常にイニシアチブを握り続けなければ、ホラーに呑まれてしまう。


 アヤメと共にエントランスホールまで下りてきたエイイチは、ここでようやくメイドの欺瞞に気づいて口角をあげた。


「なるほど……外、ね。アヤメさん、たしかにあなたは嘘は言ってない。でも俺を謀るには少しばかり甘かったようだ」


 エイイチは勝者の笑みを浮かべながら、ハンドポケットで裏庭へ向かう。

 そう、狼戻館の敷地内とはいえ裏庭だって屋外なのだ。簡単に外へ出られると淡い期待を抱かせ、絶望する“ヒツジ”を嘲笑うつもりなのだろう。


「どちらへ行かれるのです? 正面玄関はこちらですよ」

「え?」


 間抜け面をさらしたエイイチは、アヤメに導かれて正面の扉から普通に外へ出た。見上げれば、燦々と輝く太陽が目に突き刺さる。


「……俺からの忠告です。これで勝ったなんて、思わない方がいい」

「いついかなる時も油断をするなと。エイイチ様の金言、心に留めました」

「くっ……!」


 うんうんと頷くアヤメを尻目に、エイイチは顔を地へ落とす。これは決して敗北ではない。日差しが眩しかっただけだと自身に言い聞かせる。


 とはいえ、いともあっさりと館の外へ出ることができた。【豺狼の宴】には無かった展開だが、ゲームと現実でここまで差異が出るものだろうか。


「さあ、まいりましょう。私についてきてください」


 木々に囲まれた山道は最初こそ涼しさを感じたが、歩みを進めるうちに背中へ汗がにじむ。姿勢も速度も一定のまま先を行くアヤメを見ながら、独り言のようにエイイチは呟く。


「ふぅ……けっこう暑いな」

「もう春ですので。あ。ご覧になってください、あそこにヤマネがいますよ」


 アヤメが指をさす方へ目を向けると、リスのような外見の小動物が花に頭を突っ込んでもぞもぞしている。


「ドウダンツツジの蜜を吸っているのでしょうね」

「ふぅん。かわいいですね。――……ていうか、春? 春か……」

「なにか疑問が?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど」


 愛らしいヤマネから、名残惜しくもエイイチは視線を外した。あらためて周囲を見渡せば、樹木や草が青々と茂り、色とりどりに花を咲かせている。春の到来。アヤメの言う通りなのだろう。

 ただ。


 狼戻館を囲む山林に、はたして季節(・・)など存在しただろうか。

 日本に四季はあって当然だ。ゲーム【豺狼の宴】でも周辺の自然に関して特筆するような言及や描写はない。


 けれどエイイチには拭いきれない違和感が残る。暑さも寒さもなく、森の生態は季節に左右されない混沌が常。真っ当な環境とかけ離れた特異な山は、世間から隔絶されたまるで封印地で――。


「大丈夫ですか、エイイチ様。ご休憩なさいますか?」

「へ、平気です。ちょっとデジャヴっていうか、そんな感じになっただけなんで」

「少し先で食事にいたしましょう」


 ホラーゲームの敵役に情けをかけられる始末だった。


 道すらない藪へと先んじるアヤメに不安を覚えつつ、黙ってついていくエイイチ。すぐに開けた場所に出たため、ひとまず安堵の息を吐く。


「いかがですか、こちらの景観は。私はここが好きでよく訪れるのです」


 涼風がアヤメの髪を揺らし、細められた瞳をあらわにする。

 二人が見下ろす先に、広がる町並み。遠景の霞がかった山から伸びる川は町を分断し、陽光を反射してキラキラ輝いている。日が落ちれば、きっと夜景も綺麗なことだろう。


 アヤメがリピートするのも頷ける。景色は感嘆に値するものだ。しかし、ここでもエイイチは自分でも訳がわからない不自然さを感じずにいられない。


 見渡す限りの果てない森林が広がっているのではなかったか。とても日本とは――いや現世とは考えられないような景色が、と。


「……なにか、思い出しそうなことがあるのですか?」


 アヤメに問われ、エイイチは静かに首を振る。


「べつに。デジャヴはデジャヴです。そんな大層なものじゃない」

「そう、ですか」


 しつこく追及はせず、アヤメはまた町並みへ視線を落とした。エイイチの思い込みが頑なであることは、よく知っている。強引に詰めても逆効果だ。


「エイイチ様。では、私は一足先に狼戻館へ戻らせていただきます」

「え!? いいんですか、俺ひとり残して」

「良いも悪いも、私にも仕事がありますので」


 竹皮に包まれたおむすびをエイイチへ手渡すと、アヤメは踵を返す。本当に帰るつもりらしい。

 眼下には町があるのだ。このまま山を下れば容易に脱出できるのではないか。エイイチは町とアヤメの背を交互に見比べ、降って湧いた好機にだが困惑している様子。こんなイージーなホラーゲームがあるだろうか。


「そうそう、もし遭難などされたときは」

「不吉なこと言わないでくださいよ!」

「“助けて~アヤメさ~ん”とでも呼んでいただければ、すぐに馳せ参じますので」

「…………」


 振り向くアヤメの横顔はいたって真面目なもので、冗談を言っているわけではないようだ。

 相手は超常の存在。多少の距離は苦もなく駆けつけるぞという警告であり、逃げ出すことは不可能。結局は監視下にあるということだろう。


「そんなうまい話があるわけないよな」


 ひとりになったエイイチは切り株に腰を落とし、絶景をおかずに握り飯を食う。あまりに気持ちのいい晴天を見上げると、気を抜けばバッドエンド直行なホラーゲームの世界だと忘れそうになる。

 というか地質調査の仕事の件は、頭の隅からも綺麗さっぱり消えていた。いったい何をしに屋外へと出たのか、呑気なものである。


 おにぎりを平らげたエイイチは指を舐め、伸びをする。少し仮眠でも取ろうかと、柔らかそうな原っぱへ移動していたところ。

 木陰の草がカサリ、音を立てる。


「だれだ!?」


 腰が引けながらも、エイイチは声を張り上げた。

 大柄な男だった。立派な口髭を蓄え、ライダースジャケットを着込んだワイルドな男もまた、エイイチを見て驚いているようだ。


 エイイチは男と数秒視線を合わせ、その強面に思わずあっと指をさす。


「知ってる。あんた――“ジェイク”だ。ジェイク・都草(トグサ)!」

「そういうテメェはエ――……小僧」

「いや、小僧は失礼だろ」

「テメェこそいきなり呼び捨てすんじゃねェ。何モンだよ」


 ジェイク・都草。

 この名を覚えている者がいるだろうか。かつて狼戻館で非業の死を遂げ、エイイチに初めて封印部屋の凶悪さを期せずレクチャーすることになった、猟幽會のエージェント“J9”。

 ゲーム【豺狼の宴】では死亡前に主人公と出会い、狼戻館について様々な情報をくれる男である。のちに封印を突破するためのキーアイテム、ハチマキと鉈もジェイクから譲り受けることになる。


 現時点でのジェイクとの遭遇に、エイイチも喜びを隠せない。強力な味方を得た気分だった。


「その、悪かった。訳がわからないよな? うまく説明できないんだけど……俺はあんたがジェイクだってことも、あんたがこれから何をやろうとしているかも知ってるんだ」

「ンだと?」


 ジェイクは戸惑っていることだろう。当然だ。

 エイイチは慎重に言葉を選び、頷く。


「いいかい、よく聞いてくれ。俺なら、あんたの鉈に。確実に獲物の血を吸わせてやれる」


 自信に満ちたエイイチを睨みつけ、その後ジェイクは手に持つ大型のマチェットへ目線を流した。

 再びエイイチへ瞳を戻すと、ジェイクもまた無言で顎をしゃくるのだった。“ついてこい”と。



◇◇◇



「うおりゃあああ!」


 ジェイクが鉈を振り下ろすたび、鮮血が跳ねる。獲物はとうに息絶えている。それでもジェイクは鉈を振るうことをやめなかった。

 辺りに漂う血生臭さに、エイイチは顔をしかめる。


「おらっ、しっかり抱えてろ!」

「あ、ああ」


 エイイチは腹の裂かれた猪を、よっこいせと抱え直した。くくり罠にかかっていた獲物だ。血抜きしたとてものすごい重量だ。


 エイイチとジェイクは、川辺で小一時間も猪の解体作業をしていた。内臓は土へと埋め、切り分けた肉はビニールに包んだうえで川へ沈めて冷やす。

 どうしてこんなことになったのだろうか。エイイチの疑問は尽きない。


「……ふぃぃ。こんなもんか」


 額の汗を拭ってジェイクはでかい枝肉を肩に担ぎ、エイイチにも一本運べと手渡してくる。


「頭いるか? 飾ったりとかよ」

「いいや、いらない」


 エイイチは不満をぐっと押し殺して、川べりを登っていくジェイクへ続く。無警戒に山道を進んでいくが、ルート的に行き先は狼戻館だ。

 これからカチコミを仕掛けるのだろうか。だとしたら猪肉はなんらかの儀式にでも使うのだろうか。

 たずねる間も訪れないまま、エイイチとジェイクは狼戻館の正門にたどり着いてしまった。


「あ」


 正門の奥では、アヤメが剪定鋏を手にショキショキと植木の手入れをしている。

 ここで鉢合わせしてはまずい。ジェイクに隠れるよう目配せをするエイイチだったが、それよりも早くアヤメに気づかれてしまう。


「……おや。ようこそおいで下さいました」


 ハラハラするエイイチをよそに、アヤメは正門を開けジェイクを迎え入れる。

 ジェイクはジェイクで「よお」などと片手をあげる。


「どうだい、今日のは中々の大物だろ」

「まあ、いつもありがとうございます。よろしければ中でお茶でも」

「これから用事があってよ。またの機会にすらァ」


 仇敵同士の遭遇、といった雰囲気はまるでない。アヤメとジェイクのやりとりは、どうみても顔見知りの気安さがある。


 これはいったいどういうことなのか。まさか舞台や人物が同じなだけで、本当にホラーゲーム【豺狼の宴】とは関係のない世界だとでもいうのか。


 アヤメに枝肉をお裾分けしたジェイクは、もう用は済んだとばかりに狼戻館へ背を向ける。隣を通り過ぎる際に、ジェイクはエイイチの肩を叩く。


「あんまりごちゃごちゃと考えんな。テメェも楽しめよ。なァ? 自由ってモンを」

「自由? ちょ、待ってくれ! 帰るんならせめて、あんたの鉈とか譲ってくれないか!?」

「必要ねェだろ。いざとなりゃ、テメェは何だって代用するヤロウだ」


 なんということだろう。味方になるどころか、必須アイテムすら入手できそうにない。


「あ。でも二度とパンツなんか被せんじゃねェぞ! わかったなッ!?」


 一瞬だけすごい剣幕でエイイチへ指を突きつけると、ジェイクは手をひらひら振って去っていった。


「パンツ……?」


 立ち尽くすエイイチを、アヤメが迎える。


「エイイチ様、お帰りなさいませ。お風呂を沸かしております。本日もご入浴はなさいませんか?」


 山道を歩き、猪の解体を手伝った。汗はもちろん、腕を嗅いでみれば血の匂いが鼻をつく。

 考えすぎだったのかもしれない。【豺狼の宴】とはあまりに展開が違い過ぎる。エイイチは顔をあげると、申し訳なさそうに小さく頭を下げる。


「じゃあ……風呂、いただきます」


 盛大な勘違いをしていたとするなら、エイイチはとても居たたまれない。

 アヤメは穏やかに微笑み、エイイチの背を館へそっと促すのだった。


 これにて一件落着――とはいかないのが狼戻館。そしてエイイチという男である。

 とくに狼戻館の“風呂場”は鬼門。エイイチに限らず、様々な事件が引き起こされた現場だ。今度こそ、エイイチは平和に湯船へと浸かることができるだろうか。



◇◇◇



「――……あんな感じでよかったのか?」


 山道を歩きながら、ジェイクはひとり言葉を発している。他に人影はなかったが、しいて言うなら一匹の蛾がジェイクを追従するように飛んでいた。


『ええ、上出来よ。感謝するわ、ジェイクさん』

「しかし、あれがA1とはな。アンタらも、よくあんな男を買ってるモンだ」

『……感謝はしているけれど、あの方を侮辱するなら話は別。また“敵”になるという認識でよろしいかしら』


 ゾッとするほど冷たい声に、ジェイクは慌てて両手を左右に振る。


「よ、よせよせ! そんなつもりはねェんだ! オレらもそれぞれこっちで基盤築いてんだよ、アンタらと敵対するつもりは毛頭ねェって!」

『そう。でしたら、今後ともよろしくお願いするわね』


 蛾が天高く飛び立つのを見届けて、ジェイクは深く息を吐き出すのだった。




 ジェイクとの通話を終えると、ツキハはソファに背を沈める。ダイニングテーブルを挟んで対面に座る、緊張気味の三女へと視線を向ける。


「エイイチさんはシャワールームに向かったわ。ようやく計画が進められるわね。あなたの出番よ、センジュ」


 名を呼ばれた途端、センジュは過剰なまでにビクンと肩を震わせた。すぐさまガタンと直立不動に立ち上がる。


「まっ、ままま任せとけよあたしに! エイイチなんかイチコロだから!」


 センジュの焦点はぐるぐると定まらず、真っ赤な顔で何度も金髪のサイドテールを撫でつけていた。

 ツキハをとても不安にさせる挙動だった。


「落ち着いて、あなたならきっと大丈夫。自信を持ちなさい」

「ったりめーだ! おおお大船に乗ったつもりで、吉報をお待ちになっていろよな!!」


 言葉遣いもおかしければ、センジュは左右同じ手足を前に出しながら、ロボットのごとくダイニングルームを退出する。

 息を吐くツキハ。眼前に蛾が寄ってきて、ジェイクとは別の声が届く。


『お姉ちゃん! わたしは何をすればいい!?』

「あなたは部屋でじっとしてなさい。お願いだから」


 もはやツキハは頭を抱えるしかなかった。


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