#84
狼戻館、エントランスホール。
エイイチはやたらと気難しい顔で、だだっ広いエントランスホールをあちこち眺め回している。見れば見るほど、ゲーム【豺狼の宴】の舞台となった館で間違いないと目を細める。
「どうされました? エイイチ様」
足を止め、振り返るアヤメ。
エイイチはまっすぐにアヤメを見返すと、いきなり核心へと触れていく。
「アヤメさん、俺は騙されませんよ」
「騙す、とは?」
「ここは、本当はホラーゲームの世界! そしてあなたもホラーの住人だ! 俺のことを影では“ヒツジ”と称し、命を狙っている!」
エイイチは、真実と同時に人差し指を突きつけた。
たしかに紛れもなく事実なのだが、思い切ったものである。例えるなら物語冒頭で、二人きりの殺人犯相手に“おまえが犯人だ”と指摘するようなものだ。命が惜しくないのだろうか。
「何をおっしゃるのです。狼戻館はやすらぎと美女を提供する紳士の社交場。エイイチ様にはこれからめくるめく官能の――」
「じゃあ、証拠をみせてくださいよ」
「証拠……」
綺麗事を並べ立てようと、エイイチの疑心暗鬼は簡単に晴れそうにない。大恩あるエイイチが納得してくれるのなら、身などいくらでも差し出す覚悟でアヤメは頷く。
「わかりました、何でもおっしゃってください。どんなことでも、エイイチ様の信頼が得られるのであれば私に迷いはありません」
「そこまで言うなら、アレやってくださいよアレ。さっき玄関でやってたやつ」
「え?」
「ほら、ジャンプしながら胸を揺するやつ」
「で、ですが……ゴムボールが……」
ゴムボールは投げ捨ててしまった。揺すりたくともアヤメには揺するものがない。
しかしエイイチは頑として引き下がらない。
「アレしてくれれば納得するんだけどなぁ。だってそうでしょう? 罠に嵌めるためとはいえ、ホラーな人物が何度もあんな羞恥に耐えられるとは思えない。ホラー強度が下がってしまう」
何を言っているのだろうか、この男は。そもそもホラー云々は関係なく、一般人だとてあのような羞恥は普通に拒否反応が起こる。
文句をぐっと堪えて、だがアヤメは飛び跳ねたのである。エアーで下乳を支える振りをしながら、要望通りぴょんぴょんジャンプした。
「これでご満足いただけますかぁ~? この大きくて柔らかいお胸に、優しく抱かれる包容感。ぜひご堪能くださ~い」
連続でのジャンプはこれで中々疲れる行為だ。けれどアヤメが無表情ながら耳まで赤く染めているのは、運動により心拍数が上がっているからでは決してない。
メイド服が、カサ、カサと衣擦れるだけの空しい垂直運動。空想の胸を持ち上げるという馬鹿げた虚無。そんな馬鹿な己を、値踏みするように見つめてくるエイイチ。
アヤメが受ける辱めは、先ほどの比ではなかった。
いったい私は何をやっているのだろう。アヤメの自問は尽きない。振り返れば数ヶ月も前に、ツキハが今回の計画を立案した時からアヤメは疑問を呈していた――。
◇◇◇
「――本当の意味でエイイチさんに帰ってきていただくには、皆さんの協力が不可欠。首尾よくいきましょう」
「……あの、ツキハ様」
狼戻館住人の全員が、ツキハがメインで制作したという、ホラーゲームとアダルトゲームを立て続けにプレイさせられた後の話だ。
資金繰りのため、ツキハが何かやっているらしいことはアヤメも知っていた。けれどまさかこんな、反応に困るジャンルのゲームを作っていたとは思いもよらなかった。
しかもアダルトゲームに関しては、世間でも一定の評価を受けているとのこと。もはや何がなんだかわからない。アヤメにとって、青天の霹靂とはこの日を指すのだ。
「聞きたいことがあれば、いつでも応じるわ。シナリオや台詞の意図を勘繰ったり、くだらない感想を交えた質問は控えてちょうだい。だって必要ないですもの。わたくしはあくまでフラットな視点で作ったのであって、制作の裏側を知ることに意味はない。あなた方が自ら成り切る人物にフォーカスした演技プラン、行動指針等の質疑応答に限定するのはとても理に適っているはずよ。建設的な話し合いを期待するわ」
「ツキハ様」
真面目くさった顔で、めちゃくちゃ早口で語るツキハは現在どんな心境でいるのだろうか。気にはなるが、制作環境に触れる問いかけはNGとのこと。マリもセンジュも俯いてダイニングテーブルを見つめている。
「ツキハ様!」
アヤメはまさに自身をモチーフにしたというキャラクター、アダルトゲームの“アヤセ”なる人物への疑問がある。なので先ほどから呼びかけているのだが、ツキハに無視されるのでついには挙手をした。
「……何かしら? アヤメさん」
何でも答えると宣言しておきながら、ツキハはため息混じりに仕方なく目を向ける。
「その、なぜ私だけ体型が違うのでしょうか」
「え?」
「こちらのゲームです。私以外を模した登場人物は、概ね実際の体型と差異がありません。ですが私だけ……具体的には、なぜ胸部が肥大化しているのですか?」
アヤメは掲げた【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】のパッケージを指さした。
描かれた四名のヒロインのうち、アヤメの模倣キャラクターである“アヤセ”の胸は、窮屈そうにメイド服へと押し込まれている。推定Hカップ。メイド服の第二、第三ボタンは留めることすら出来ず、谷間が惜しげもなく外に放り出されている。
しばし虚空を見上げるツキハは、苦し紛れにようやく返答を絞り出す。
「その“アヤセ”さんは陽気な女性。いわゆる元気っ子なキャラクターだからよ」
「陽気だと胸が膨らむのですか?」
再び答えに窮したツキハは、神経質に指先でテーブルを叩き始める。
「属性、というものがあるの。元気なキャラクターに世の殿方が望むのは、はち切れんばかりの笑顔と肉体。そういうものと理解していただけるかしら」
「はぁ……。では最初の質問に戻るのですが、なぜ私だけが肉体改造を?」
「それも属性。似たような、後ろ暗いキャラクターばかりでは飽きてしまうでしょう? 一種の清涼剤になりうる存在も必要なのよ」
アヤメは納得できない。“なぜ私が”という問いにツキハは答えていない。清涼剤となるキャラクターが必要ならば、マリやセンジュ、それこそツキハを模したキャラクターでもよかったのではないか。
暗に現状のアヤメそのままではアダルトゲームにおいて需要がない、と言われているようでもあり。悲しむべきなのか、喜ぶべきなのか複雑な感情を抱く羽目になった。
するとそれまでの仏頂面から一変、ツキハは唐突にアヤメへと微笑みかける。
「難しく考えなくていいのよ、アヤメさん。【豺狼の宴】でも、洋館――……“純真な恋愛ゲーム”でも、あなたはエイイチさんが初めて出会う人物。もっとも大切なキャラクターだからこそ、わたくしも盛り過ぎてしまったのかもしれないわ」
それっぽい言葉でまとめようと試みた形だ。効果はあったようで、アヤメは「なるほど……」と頷いてしまう。
「……純真な恋愛ゲームて」
「無理があるよ、なぁ……?」
異を唱えたマリとセンジュは、ツキハの一睨みですぐにまた視線を落とすのだった。
◇◇◇
――うまく丸め込まれた過去を回想しつつ、エアー乳揺らしという苦行を遂行するアヤメ。
ようやくエイイチが片手のひらを突き出し、終了の合図となる。
「もういいですよ、アヤメさん」
「はぁ、はぁ……これで、ご納得いただけましたか?」
「まあいいでしょう。完全に信じるのは無理だけど、一旦はホラーのことを忘れてあげますよ」
肩をすくめながら、エイイチのなんと偉そうなもの言いだろう。
恩義ある人物に違いないが、アヤメは反射的にナイフを抜きそうになってしまう。危うく【豺狼の宴】のBAD ENDを踏むところだ。
と、ここでアヤメにふと天啓が降りる。
もしやエイイチは、すべて知っているのではないかと。
狼戻館で過ごしたことも、起きた出来事も本当はすでに思い出していて。必死にアダルトゲームをなぞろうとするアヤメをからかっているのではないか。
とにかくエイイチという男を高く買っているアヤメである。もしアヤメの想像通りなのだとしたら――。
「エイイチ様も、大変にお人が悪い」
「……ふ。アヤメさんに言われるのは心外ですね。さあ、ダイニングルームに行くんでしょ? こっちですよ」
メイドを差し置いて、先立ってエイイチは歩き出す。
アヤメの背中をゾクゾクと走る寒気は、快感を伴っていた。
ああ、どっちなのだろう。けれど、これだ。これを待っていたのだ、と。聡明なアヤメをもってしても未知なる男。エイイチとのやり取りはいつも刺激的だった。
あれほどの辱めを受けて、エイイチを追うアヤメの足取りは軽やかだ。
エイイチがそうかはまだわからないが、アヤメは築いた日々を確実に思い出したから。
アダルトゲームのキャラクターに縛られる必要はないのだと。なぜならエイイチと共に過ごしたあの頃のアヤメは、飾らない普段の姿のままだった。
属性など盛らなくても、きっと以前のようにエイイチなら笑いかけてくれる。
「ときに、エイイチ様。オニオングラタンスープはお好きですか? よかったらお作りしましょうか? バゲットもお付けします」
ちなみに【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】では、館を訪れた主人公は火鍋でおもてなしされる流れだ。
洋館で火鍋? と微妙な違和感をプレイヤーに抱かせることになる。この和洋折衷なごった煮こそ和洋セックちゅ♡であり、冒頭からインパクトを残す萌ゲーアワードの真骨頂。期待されるアダルトな方向でも、火鍋をつついて汗だくになったヒロイン達を濡れ透けさせる重要な役割がある。
だがアヤメは作りたくなったのだ。あの日のメニューをエイイチに食べてほしくなった。
「お腹ぺこぺこなんで、そりゃ食べたいですけど。……毒とか入れないですよね?」
「まさか。そのようなこと、考えたこともありません」
「本当かなぁ」
多少は形を変えながら、かつてと同様に探り合うかのような会話を廊下で繰り広げる。
待ち望んだ日常が――エイイチが帰ってきたのだとアヤメが心から実感したのは、この瞬間だったかもしれない。




