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#8

 無駄に外で体力を消費したせいか、夕食がとてもおいしく感じられた。もちろん初日の毒盛りスープではなく鹿肉を使ったジビエ。下処理も丁寧にローストされた肉は柔らかく、臭みを覚えることもなくエイイチはいたく感激する。存分に腕を振るったアヤメもご満悦だった。


 朝と同じくセンジュだけは途中で離席したのだが、エイイチに仕事の成果をたずねる者もなく終始和やかなムードで夕食は進んだ。

 ナプキンで口元を拭ったツキハが、エイイチに微笑みかける。


「本当に楽しい方。ねぇ……エーイチさん。わたくし、あなたに一つお願いがあるの」

「なんですか? ツキハさんのお願いならなんでも聞いちゃいますよ俺」


 行儀良い姿勢を崩し、おもむろにダイニングテーブルへと両肘をつくツキハ。胸の開いたドレスでそんなポーズを取れば、狼戻館唯一の豊かな双丘がこれでもかと強調される。つまりツキハは見せつけるようにあえて寄せたおっぱいで谷間を作り出した。


 エイイチがそんな魔力に抗えるはずもなく、デレデレとされるがままにツキハから手を握られる。アヤメだけがじっとその手元を見つめ、何事かを囁くツキハの唇に注視していた。


「――じゃあ、よろしくね。……エーイチさん、ところでおかわりはいかがかしら? まだまだお肉はあるんですよ」

「いやもう腹いっぱいで。ツキハさんてけっこう食べるんですね」

「恥ずかしいけれど……そうね。お仕事(・・・)のあとは、どうしても」

「わかります、それ!」


 エイイチに労働の何がわかるのだろう。日がな一日土いじりをしていた男は、ツキハがどんな仕事に従事していたのか疑問すら抱かずに上機嫌で笑う。ホラーゲームの主人公としては堂々の失格だった。




 豪華な食事に舌鼓を打ったあとは鉄泉の湯で疲れを癒やす。今宵も星が綺麗で、野犬の遠吠えまでも天を称えているかのように思うエイイチ。一生をここで過ごすのも悪くないなどと考える。


 無理もない。狼戻館に滞在し二日目を終えようとしている今、ここまでエイイチは一度も最凶ホラーゲームの洗礼を浴びていないのだから。

 ではこのままぬるま湯に浸かるかのごとく、数多の霊障をそれと気づかず面白可笑しく暮らしていけるのだろうか。


 否。

 狼戻館は恐怖の片鱗も見せてはいない。おびただしい数の死体に根を張り、古血と脳漿を糧に打ち建ったかのような狼戻館が本格化するのは本来まだ先の話である。

 ただしあらゆる手順を踏み越え、初日の重要イベントさえ飛ばしてしまったエイイチには当てはまらない。二日目の夜はまだ終わらない。


【豺狼の宴】主人公が狼戻館滞在15日目に直面する“BAD END33”という死の影が、エイイチのすぐ目前で大鎌を振りかざしていた。



◇◇◇



 すっかり整ったエイイチが血行の良い顔でゲストルームへ戻ると、直後に備え付けのコードレスフォンが鳴り響いた。


「はい。もしも――」

『ヒツジィ! キサマドウイウツモリダッ!?』

「マ、マリちゃんどうしたの? ヒマしてるの?」

『マリデハナイ! ジブンノヤクワリヲホウキシテ、ドウイウツモリナノカトキイテイルッ!!』


 謎の声の怒りは鬼気迫るものがあり、思わずエイイチは受話器を耳から遠ざける。そしてしばし考える。自分に課せられた役割、すなわち使命とは。それは当然エロゲーなのだからヒロインの攻略に他ならない。


 ここでようやくエイイチは失策に気づいた。たしかに今日は充実した一日だった。仕事をこなしてうまい飯を食い、風呂で労働の汗を流す。二日目にしてこれ以上ない充足感に浸っていた。

 楽しくて仕方なかったのだ。


 しかしそこにヒロインはいない。一部眼福ではあったが、エロゲーの攻略として進捗は良好と言えない。原作のエロゲーでもヒロインと二人三脚で地質調査に励み、ピュアな愛を育んでいったのだ。


「……そうだね、ごめん。俺が間違ってたよ」

『……ム……ホウ。イガイトシュショウナヒツジダナ。ダガドウスル? シャザイシタトテカンタンニユルセルハナシデハ――』

「明日は一緒に裏庭へ行こう!」


 エイイチは確信する。原作のように自然豊かな野山を駆け回ることは叶わないが、本質はそこではないと。共に作業をする。共に苦難を乗り越えることこそ必要なフラグなのだとエロゲーマーの勘が告げていた。


『ハ……? エ……ナン……マルデイミガワカランガ……ソノ、マリトイウムスメハ、ソトニデルコトハデキナイゾ』

「おにぎりを二人分握ってもらうよ。マリちゃんは俺が仕事するところを後ろで眺めてればいいさ。それだけできっと楽しい」

『ア、ウン、ソウイウコトデハナクテネ? ソモソモヘヤカラデラレ――……イヤ、マテ』


 謎の声が沈黙する。通話で呟いた通り意味がまるで理解できないエイイチの提案だったが、それはそれで利用できると考え直したようだ。


『ヒトツダケ、アル。マリトイウムスメヲ、トキハナツホウホウガ。ヨクキケ、マズ――』

「よし! とりあえず今から部屋に行くよ」

『エ……。ハ? イマカラ!?』


 アヤメとの約束がエイイチの頭をよぎるも、例によって攻略対象との進展がかかっているなら話は別。アヤメも外出を“極力”控えるようにと言っていた。見つからなければ問題ないのだ。


『マテ、マテ! マリトイウムスメモ、イキナリコラレテハメイワクダロウ! ソ、ソウダナ……ジュップン! ジュップンノジカンヲオイテ、アイニイクガヨイ』

「ああうん、わかった。じゃあ10分後に」


 エイイチが返事をすると慌ただしく通話が途切れた。壁掛け時計を見ながら、きっちり10分。音を立てずにゲストルームのドアを開け、エイイチは忍び足で三階へ向かう。


 幸いにもアヤメや館の住人と遭遇することもなく、マリの部屋までたどり着いたエイイチは控えめなノックをする。ほぼ間を置かずに扉が開いた。


「こんばんは。時間通り来たよマリちゃん」

「……なにそれ、知らない。でもせっかく来たんだから、まあ入ってもいいよ」


 俯きがちに、どことなく恨みの籠もった目で見上げてくるマリ。戸惑うエイイチをしかし迎え入れてはくれるようで、踵を返したマリの後へ続いて入室する。


 マリはベッド上のリモコンを拾い、常夜灯から全灯に照明を切り替えた。明るみに出たマリの姿に、エイイチは体内に昇る熱を感じる。


 エイイチが初日に見たパジャマ姿ではなく、今夜のマリは白いセーラーカラーの私服だったのである。JKを意識したであろうプリーツ風のミニスカート。ほどよい肉づきで伸びる足にはクシュクシュの短めソックスが履かれている。


 言わずもがな昼間にエイイチを待っていた時と同様の格好なのだが、すでに寝る体勢になっていたマリは10分の間に着替えたのだ。髪にも櫛を入れた。


「マリちゃん……すっげぇかわいい」


 すべてはエイイチの心を奪うため。マリは計画通りに事を運ぼうとしている。


「いや本当、かわいいよ。服もいいけど、髪なんてさらさらだし、まじでかわいい」

「……エーイチくん、座って」


 エイイチを虜とし、傀儡として動かすためなのだ。能力でうまく操れないのなら、自身の容姿を使うまでの話。


「ああ、俺、頭がどうにかなりそう。だってマリちゃんがめちゃくちゃかわいくって、赤いカラコンも似合ってるしさぁ! そんな清楚な格好してんのに足なんか大胆に出しちゃってそのギャップがまた」

「座って。エーイチくん、お願いだから。そこに座って」


 すべては“ナワバリ”を広げるという計画のためである。マリの服装にそれ以外の他意は無い。


 かわいいヒロインの“お願い”とあっては聞かないわけにもいかず、エイイチは昂りを抑えるかのようにクッションへ膝を落とした。正座をしてマリを見上げる。「みえ――……」という声がもれるほどには、ミニスカートの奥の絶景まで絶妙に届かない。


 鼻息の荒い視線が気になり、マリも仕方なくエイイチの眼前へと膝を折る。真っ直ぐに瞳を覗き込み、やはり術では操れそうにないと息を吐いた。


「ねえエーイチくん。わたしは心からの謝罪がほしい。でも今はいいよ、置いておく。本当は土下座してほしいけど」

「……なんで?」

「今は他を優先する。あとでぜったい謝らせるから。……ね、昼におかしな人とか見なかった?」

「おかしな人?」

「わかりやすく言えば、館の住人じゃない人。はじめて見る人」


 首をひねるエイイチ。朝から日が暮れるまで裏庭で作業に勤しんでいたエイイチには、知る由もない。


「そう。……猟幽會。考え過ぎかな」

「りょうゆうかい?」


 熊でも出没したのだろうか。夜になれば野犬が盛んな土地柄では、めずらしいことではないのかもしれない。などと思考するエイイチに対し、マリは唐突に話題を変える。


「エーイチくん。わたしを守ってくれるって言ったよね?」

「言った。何があっても守るよ絶対」


 即答するエイイチに満足したマリは、小さく頷く。


「わたしのこと好き?」

「好きだよ。めちゃくちゃ好き」


 すぐにでもエッチしたいだの下世話な欲望は吐かなかった。エイイチも空気を読んだ。ピュアラブの果てに性行為が待つのだと。


「じゃあ……わたしの言うことを聞いてくれたら、結婚してあげる」

「…………え?」


 誰のルートにしようか迷っていたはずなのに、いつの間にかマリルートを攻略寸前だった。混乱したエイイチはやがて言葉の意味を飲み込み、わかりやすく歓喜する。


 すべてはマリの思惑通りだった。

 羊を誘惑し、手駒とし、ナワバリを広げる。そうして来たるべき宴の日に、信頼しきった羊を――。


 おいしく食べるのだ(・・・・・・・・・)


 想像して、思わず舌舐めずりしてしまうマリ。

 小さく突き出した舌で唇を舐めるマリを見て、エイイチはディープキスをしていいよのサインなのか真剣に悩んでいた。


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