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#68

 少しもや(・・)がかかったかのように、幼いショウブの姿は黒く滲んでいた。


 少年と見合ったまま動かないアヤメを横目に見つつ、気さくに片手をあげてみるエイイチ。しかし声をかけようとした瞬間、少年は闇に紛れるかのごとく姿を消した。


「あ、あれ? いなくなっちゃった。近所の子供ですかね」

「ショウブ……」

「ショウブって、たしかアヤメさんの――……え!? いまの子供がアヤメさんの弟なんですか!?」


 先代の当主というからには、もっと大人なものだと決めつけていた。まさか本当にオネショタが成立する年齢だなどとは思いもよらなかった。背格好から予測すれば、ショウブはせいぜい小学校の高学年がいいところだろう。


 ここまで考えてエイイチは、はたと自身を見下ろす。口を結び、眉間には険しいしわを寄せている。


「……やっぱり俺がショタを名乗るのは無理がある、か」


 今さらな結論だったが、己のどこを見下ろしての発言なのか。そもそも、どれだけショタの立場に憧れを抱いていたのだろうか。


 エイイチはフッと息を吐いて肩の力を抜くと、アヤメに笑いかける。


「まあ、でもよかったですよ。弟くんも元気そうで。やっぱりツキハさんが言ってたアレはゲームの話だったんだなぁ」


 アヤメの弟であるショウブを殺したという、エロゲーにあるまじき物騒な宣言はエイイチも気にしていたところだ。

 だが安堵するエイイチをよそに、アヤメの表情は緊張が解けていない。


「……力が、消えている」

「え?」

「館の力が。どうして……」


 両の手のひらを呆然と見つめて、アヤメは呟いた。

 そういえばと。アヤメからゲーミングな発光が消失していることにエイイチも今さらながら気づく。


「電飾、失くしちゃったんですか? あとで一緒に探すから、そんな落ち込まないでくださいよ」


 エイイチとしては、ゲーミングアヤメよりもノーマルアヤメの方が好みなのだが。それはそれとしてヒロインが望む個性は大切にしたい。


 エイイチの慰めが功を奏したわけでは決してないのだろうが、気持ちに折り合いがついたのかアヤメは顔をあげると正面を見据えた。


「エーイチ様、安心などは依然できない状況です」


 シリアスなアヤメの眼差しにつられて、エイイチも前を向く。見慣れた狼戻館の廊下と比べて、やけに長く感じる。

 いや、あきらかに長い。廊下の端が、目視できないほど先まで伸びているのだ。館のどの地点にいたとしても、このような光景に出くわすはずがない。


「アヤメさん、照明が」


 それまで青一色だった館内がチカチカと明滅し、ふいに赤の照明へと切り替わった。しかしエイイチとアヤメが天井や壁を確認する限り、照明の類いが灯す光ではない。やはり館自体が赤く発光しているとしか言いようがないのだ。


「私もはじめて目にしますが、これも封印の一種かもしれません」


 赤は危険色の一つ。否が応にも不穏が高まる。


「封印って、あの色んな部屋に仕掛けられた脳トレみたいなアトラクションですか? だとしたら、またマリちゃんとかセンジュちゃんの悪戯かなぁ」


 ただしエイイチはその限りではなく、この程度の事態に遭遇したとて動じない。


「パースとかアスペクト比が狂ってんのかな。現実に落とし込んだ世界でもバグとかあるのかよ」


 悪戯では説明がつかない、異様な長さの廊下を前にしても頭をかきながら明後日の方向へ考察をはじめる始末。余裕があるのだ。

 そう、今はまだ(・・・・)


「とにかくみんなを探しましょうか! 行きますよアヤメさん!」

「探したところで、おそらく……」


 先立って歩みはじめたエイイチが、アヤメを振り返る。

 アヤメは続きの言葉を飲み込むと、小さく首を振る。そしてガーターベルトに留めたナイフをスカートの上から握り、感触を確認した。


「……いえ、何でもありません。十二分に警戒して進みましょう」



◇◇◇



 絨毯に吸収された独特の足音が二つのみ、静かな館に響いている。


「――いやもう一時間は歩いてるけど!? どんな建造物だよ!」


 頭を抱えたエイイチが地団駄を踏む。直線距離にして五キロメートルは進んだだろうか。長い廊下は道中に扉もなければ、未だ果ても見えはしない。

 ぽつぽつと点在する窓はあれど、外は墨を塗ったかのように暗黒だ。不気味な赤い照明の影響もあって精神に異常をきたしても仕方ない。


 アヤメは平静な態度を崩さなかったが、唸るエイイチをいつものように導いてやる余裕はなかった。

 ここはたしかに狼戻館だ。内装も一致するし、何より長年メイドをつとめたアヤメなのだ。肌でわかる。しかし同時に、どう考えても現実の(・・・)狼戻館ではない。

 物理法則のねじ曲がった館はすでにアヤメの支配下にあらず、それどころか拒むかのごとく根源に触れさせない。


 ここはどこなのか。なぜこんな場所へ追いやられたのか。誰が仕向けたのか。

 アヤメにはある程度の予想が可能としても、未だ確信には至れない。今はとにかく進むしかないのだ。




「――……エーイチ様。奥に扉が」


 さらに歩くこと約三十分。二人の前にようやく変化が訪れた。

 疲労がみえはじめていたエイイチは、水を得た魚のように突き当たりの扉へと駆ける。


「うおおやっとこのわけのわからん廊下から解放される! 疲れましたねアヤメさん!」

「お待ちください! 警戒を怠っては――」


 アヤメの忠告が届く間もなく、エイイチの手によって扉は開け放たれた。薄暗い室内も、廊下と同様の赤い照明によって彩られている。


「……ん? この部屋って」

「書斎……の、ようですね。ですが……」


 最近のエイイチが寝泊まりする部屋でもあり、アヤメにとってもツキハと共によく過ごす部屋である。だからこそ違和感が拭えない。


 家具の配置や構造が変わっている。具体的には書斎机や棚がなく、長方形のテーブルが一つ部屋の中央に置かれていた。

 テーブルには四体の日本人形が鎮座しており、それぞれ色の違うカラフルな着物を身につけている。

 人形の前には四つのかんざし。こちらは黒一色のシンプルなものだったが、一本一本に形の異なる飾りがぶら下がっている。花を模した飾りのようだ。


 アヤメはすぐに状況を察した。


「これは……やはり、封印されていると見るべきかと。熟考して答えを導き出さなければなりません」


 エイイチはアヤメの話を聞いているのだろうか。呑気にテーブルへと近づくと、かんざしの一つをジャラリと手に取ったのだ。


「ふーん……?」

「エーイチ様!」


 人形とかんざしを何度か交互に見比べたエイイチは、四つのかんざしを次々に人形の結わえた黒髪へ刺していく。


 アヤメの推察が正しく、ここが封印部屋であったなら、過った行動は死を意味する。

 けれどエイイチはすでにアクションを起こしてしまった。アヤメにできることは、目を見開いてギミックの反応を待つ他なかった。


 数秒が経過したのち、テーブルを挟んだ奥の壁からカチャリと音が聞こえた。見ると、最初からそこにあったのか疑わしい扉が一つある。


「あれ、そっちにもドアがあったんですね。この部屋には誰もいないし、次行きましょうか」


 なんでもないような口調で奥の扉へ向かうエイイチ。

 アヤメはエイイチのあとを追いながら、四体の人形へ目を向ける。


 黒いかんざしの飾りは花。その花と同じ色の着物を身につけた人形と、かんざしとで対にしてやれば良いのだろう。仕掛けの解き方は理解した。だが。


「よく、このような花を知っていましたね」


 かんざしにあしらわれた花はアズマシャクナゲやタカネコウリンカなど、花が好きでもなければ一般に聞き慣れないものばかりだ。


「やだな、つい先日アヤメさんが教えてくれたじゃないですか。言ったはずですよ、俺はアヤメさんの教えは絶対忘れないって」


 たしかに外出の際、エイイチは野山に咲く植物の名をアヤメに聞きまくっていた。だからといって可能だろうか。狼戻館の外は現在、季節を問わない草花で溢れ返っている。アヤメが答えた花の種類も膨大だったはずだ。ピンポイントではなく、本当にすべて覚えていたとでも言うのだろうか。


 そして教えてやった花の種類が多大だったためにアヤメも細かく覚えてはいないが、四つのかんざしは本当にあのとき答えた花の中にすべてが含まれていたのだろうか。


「…………」


 エイイチの背を見つめるアヤメの瞳は、複雑な色を宿していた。


 アヤメは館の力を失っている。それは単に、ゲーミングアヤメになれないというだけではない。狼戻館で唯一の“人間”であるアヤメだからこそ、館が溜め込んだ魔性の恩恵をもっとも受けていた。

 もはや超人的な身体能力はなく、疲労や空腹が進む速度も一般の人間と大差ない。


 そんなごくありふれた人間に、事も無げに死を回避していくエイイチの姿はどう映るだろう。いかなる過酷な状況にあろうと失われない、やさしさや思いやり、勇敢さに一目置いていたのもアヤメに上位者としての自負があればこそ。同じ立場に成り下がった今、見方も変わってくるのではないか。


 エイイチの姿が狼戻館の他の異形と同じ化物に――あるいは(ことわり)を司る神性すら帯びて見えたかもしれなかった。


「どうしたんですかぼーっとして。置いてっちゃいますよ!」


 だから(・・・)、アヤメはスカートの上から強く、強くナイフを握るのだ。


 神のごとき存在を前にしたとき、人間が取る行動は二種類のみ。


「はい、すぐに向かいます。エーイチ様」


 跪いて信仰を捧げるか。

 それとも疑うか。




 そしてこの先、エイイチの善性をも霞ませてしまうほどの苦難が待つことを、二人は知らないのだ。


「え? 下に降りる……階段!? なんでこんなところに」

「行ってみるしかないようです」


 扉の先に現れた石段を、エイイチとアヤメがコツコツと降りていく。

 途方もなく長い階段だった。まるで地獄の底へと向かうような錯覚に陥り、すぐにエイイチの軽口は止まる。


 食料も水もなく、笑う膝が耐えがたい痛みを訴え、意識は濁ったように遠く離れていく。


 丸一日である。


 二十四時間を歩き通してもなお、二人が次の部屋にたどり着くことはなかった。


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