#66
夜、エイイチは書斎奥のデバッグルームで【豺狼の宴】をプレイしていた。
ゲームとはいえ、ツキハの死亡にはやはり後味の悪さを覚えつつ、現在は四章に入ったところだ。
「――それで。どうしても明日の仕事を休みたい、と? もう一度、理由を聞かせてくださる?」
傍らのツキハに確認され、エイイチはマウスをクリックしながら首を縦に振る。
「だから、くくり罠にかかっていた鹿の解体を手伝ったんですよ。切り分けた肉の量が多くて、持ち帰るの大変そうだなー……なんて考えてたら、急にまたアヤメさんが光りだして!」
そのときの状況を思い出したのか、エイイチはツキハを振り向くと興奮気味に身振り手振りを交える。
「顔にもSFチックな線とか入っちゃってるし、なんか青緑色にペカ~って! ゲーミングですよあれ! ゲーミングアヤメ!」
ゲーミングアヤメなる単語にピンとこないツキハは、口元のほくろに指をそえて視線を斜め上へ向けた。
「そして気がついたら館の焼却炉近辺にいた……と、いうことね?」
「俺、森をどう帰ったのかまったく記憶になくて。ゲーミングアヤメとかも幻覚で、たぶん疲れじゃないかなって。一日ゆっくり休めば治ると思うんです」
日々を館で遊び過ごしているかのような男が、どうして疲労の蓄積など疑えるのだろうか。雇い主として突っ込みたくはあったが、ツキハは別のところに思考を傾けていた。
「エーイチさんなら一日と言わず、一晩眠れば大丈夫よ。それよりも目覚めた状況について、もう少し詳しく聞きたいのだけれど。焼却炉……そう……正確には裏手の藪の中、石塔がある場所ではなかったかしら」
「へえ、よくわかりますね。起きたとき、たしかに近くに石碑みたいなのが建ってましたよ。あれ何なんです?」
「墓石よ。狼戻館、先代の当主のね」
「お墓……」
墓と聞き、ゲーミングアヤメを見たことによって高まった興奮がクールダウンするエイイチ。色々とたずねたい気持ちはあるも、聞いていいものかどうか決めあぐねてツキハを見上げる。
「墓といっても形だけのもので、下に誰かが眠っているわけではないわ。先代の名は“待雪ショウブ”――アヤメさんの弟に当たる人物」
エイイチがパイプ椅子からガタンと腰を浮かせた。
「え!? 待雪って……じゃあアヤメさんも、ツキハさんやマリちゃんの肉親だったんですか!?」
「いいえ。わたくし達に血の繋がりなんてあるはずがない。“待雪”の名をわたくしが引き継いだだけよ」
「ちょっと意味がよくわかんないんですけど……。そういえば、アヤメさん言ってました」
「何と?」
エイイチは再び発言に悩む。いかにも複雑な事情に割り込んでいいものかと。しかしアヤメを攻略するにあたり、きっと避けては通れないイベントなのだ。ハーレム実現の揺るぎない決意を宿す男が臆する姿など、いったい誰が求めようか。
「館のみんなを恨んでる、的なことを」
「そう。けれど少し違うわね。アヤメさんの憎悪の対象は、おそらくわたくし一人に向けられたもの」
「それ、詳しく聞かせてもらっていいですか?」
中腰のままエイイチはツキハの瞳を見つめる。動揺もなく普段通り冷静なツキハの目は、やがて根負けしたかのように伏せられた。
「……あれはまだ、狼戻館に七名の異形が棲んでいた頃――」
「ゲームの話じゃねえかよ!」
エイイチはがっかりとパイプ椅子に腰を落とす。どうやらツキハはまともに過去を語ってはくれないらしい。不貞腐れてモニターに向き合いマウスを握る。
「……怒鳴ってすみません。このゲームに“七名の異形”って出てきますもんね。ツキハさんとマリちゃん以外は昔いたっていう匂わせだけで、立ち絵とかは無いみたいですけど」
「待雪ショウブこそ狼戻館を打ち建てたその人。卓越した能力と思想に共感した異形が集い、狼戻館は完成した」
「へーそりゃすごい。立ち絵が存在したら長髪美形のラスボスみたいな見た目かなー」
「あら、よくわかるわね。容姿ももちろん優れていたわ。アヤメさんの実弟だもの、当然よね。人の生活圏へ溶け込むには有利というだけで、人外に見た目は重要ではないけれど」
不毛だった。現実感のない設定語りを続けるツキハに、エイイチはうんざりと息を吐く。
「……あのですね、何度も言いますけど俺が知りたいのはゲームの話じゃないんです。だいたい、そこからアヤメさんがどうやってツキハさんを恨む展開になるんですか」
もうツキハの方を見向きもせず、エイイチは半目で唯一の光源である液晶ディスプレイを眺めていた。
エイイチの背後から白い手が伸び、首もとをぞわりと刺激する。
「わたくしが、待雪ショウブを殺したから」
エイイチの喉は、声にもならないくぐもった音しか鳴らさなかった。たかがホラーゲームの設定に過ぎないはずなのに、変に誇張しないツキハの低音ボイスはすんなりとエイイチの鼓膜を通り抜ける。
「こ、殺したって……なんで? それに、ゲームじゃツキハさんとマリちゃん以外の五人はセンジュちゃんが倒したことになってましたよ、たしか」
後ろから抱きつくような格好のツキハにたずねるも、返答はない。姿勢的にエイイチのすぐ耳もとにツキハの唇があってしかるべきだ。だが気配は感じるのに吐息すら触れない。
たかがゲームの話。そのはずだ。ならばエイイチの背を冷たい汗が流れるのはなぜなのか。
「――……と、いうわけだから。アヤメさんがわたくしを憎むのに理由は十分よ」
肩に乗った重みが消え、金縛りが解けたようにエイイチはようやく振り返った。
ツキハはいつもの柔和な笑みでエイイチを見下ろしている。
「あの、どういうわけなのか、相変わらず俺はぜんぜんわからないんですけど……」
「わたくしは理解しました。アヤメさんがどう館の力を得るに至ったのか」
これ以上の話は不要とばかり、ツキハはドレススカートをひるがえして背を向ける。
「おやすみなさい、エーイチさん。明日も忙しいわよ。引き続きよろしくお願いね」
エイイチの欠勤希望は無情にも却下されてしまったようだ。
エイイチにしてはめずらしく、恐怖に近い感情が芽生えていた。しかし転んでもただでは起きない男である。
暗いデバッグルームに取り残される不安を払拭するためか、エイイチは強がりじみた大声をあえて出す。
「あーあー! やっぱホラーゲームなんてやるもんじゃなかったなー! 今どき流行らないのも頷けるぜー!」
「……なんですって?」
扉の前でツキハが足を止める。
「だって暗いんですよ! 話も雰囲気も! おまけに展開にも救いがないとくれば、そりゃ売れるわけがないっていうか」
「だから改善を続けていると言ったでしょう。エンディングも増やす予定だと。そのためにテストプレイをしていただいているのに、難癖をつけないでもらいたいわ」
ツキハ引きとめ作戦はどうやら功を奏した。別にエイイチも一緒に部屋を出ればいいだけの話なのだが、ゲーミングアヤメを見た興奮が尾を引いて、この男はまだ眠くないのだ。
「なんていうか、もっとお気楽にできないもんですかね。ご褒美的な要素が少なくて達成感も足りないし。俺の信奉するアダルトゲームなんてそりゃ凄いもんですよ」
ホラーとはそういうものである。アダルトゲームと比べるあたり、エイイチは根本がとことんホラーに向いていない。
「……アダルト……ゲーム」
「見識を広げるために、ツキハさんも一回やってみた方がいいですよ。このホラーゲームとめっちゃ似てる洋館が舞台で……そういえば登場人物も似てるな」
「……なん、ですって?」
先ほどとまったく同じ台詞を口にしたツキハだが、今度は怒りよりも動揺がみてとれた。
そしてエイイチも焦る。アダルトゲーム世界の住人に、元となったゲームを紹介するのはメタ的にもよろしくないのではないかと。軽はずみな言葉が、ともすれば世界の崩壊に繋がりかねない。慌てて弁明する。
「べ、別にパクりとか責めてるんじゃないですから! あっちはアヤメさんにあたるメイドも巨乳だし、よく考えたらこの世界とはまったく違いますね! ええ!」
「エーイチさん……あなたは、まさか……」
エイイチはドキドキしながら待つも、ツキハは続きを口にしなかった。ただ顔を俯け、聞き取れないほどの小声を出す。
「いえ、まさか……ね。……失礼するわ」
暗い部屋のおかげで、冷や汗の浮いた顔を見られずに済んだツキハは優雅に、しかし足早にデバッグルームを退出した。
エイイチはエイイチで胸を撫で下ろして安堵し、パイプ椅子へと座り直す。微かに抱いていた恐怖心もすっかり失せている。
「ああ……危なかったな。発言には気をつけないと」
モニターには、黒狼の力を取り込んで変貌を遂げるアヤメの姿が映し出されている。結果として黒狼の依り代だったセンジュも倒れ、ついに狼戻館は【豺狼の宴】主人公とアヤメの一騎討ちの場と化したのだ。
思い返せば【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】にも戯れにメイドが獣耳を装着し、獣のごとく激しく貪り合うシーンがあった。尻尾はなぜか主人公が挿着してしまうのが謎なのだが、色々と引き締まる思いがしたものだ。
「ケモ耳メイドと野性的に盛り合うはずが、ゲーミング仕様のメイドと近未来SFプレイ、か」
エロゲーを現実世界に落とし込むにあたり、表現の差異は仕方ない。けれどそれにしても変更点が大きすぎやしないかと息をもらす。趣味の問題である。
「わりとノーマルがいいんだけどなぁ」
エイイチは件のエロゲーを懐かしみつつ、マウスをぽちぽちクリックするのだった。




