#101
「――こちらが、エイイチさんの“先生”であり、わたくしがお世話になっている盟友……クロユリ先生よ」
テーブルに頬杖をつくセンジュのみ「へー」と関心を示したが、姿勢よく椅子に座るマリは真顔でクロユリを見据え、アヤメは給仕に勤しんでいる。露骨な歓迎ムードなどない。
床へ寝そべっているガンピールの尻尾を踏まないように、クロユリはそろりそろりと着席した。
「よ、よろしくな」
クロユリの表情は若干こわばっていた。
なにせここは、かの狼戻館。化物の巣である。狼戻館の住人というだけで、クロユリが日頃相手にしている動物霊や幽体とは格が違う異形共だ。この場でクロユリが心を許せる相手はエイイチと、かろうじてツキハくらいのものだろう。
お子さまのように椅子へちょこんと腰かけるクロユリの視線を感じて、エイイチは申し訳なさそうに鼻を掻く。
「すみません。“先生”なのに俺、覚えてなくて。でも無事で本当によかったです!」
「お、おお、うん、そだな。その、気にすることはないぞ! じきに思い出すだろう」
クロユリは忘れられた寂しさよりも、どこか発言に気を遣うようなギクシャクした不自然さを醸し出していた。その後クロユリはツキハに目を向け、なにやらアイコンタクトを交わして互いに頷き合っている。
事の経緯は、先ほど書斎を出る直前の二人を観測すればわかる。
◇◇◇
「――では、ダイニングルームにご案内するわ。クロユリ先生」
「うむ。頼む。なに、エイイチの現状は心配するな。わしの符で、もう一度エロゲーの思い出をぶちこんでやれば一発よ」
クロユリは符術師である。過去にエイイチを狼戻館へ送り出すとき手渡した、飴の包み紙と同様の効果を持つ符を作成できる。符を見せ【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】のプレイ記憶を甦らせれば、狼戻館で過ごした記憶も想起されるに違いない。
書斎の扉を開きかけた姿勢でツキハは止まり、ゆっくりとクロユリを振り返る。
「先生……エイイチさんの記憶の件、今は動きを控えていただけるかしら。いずれわたくし達で、必ず取り戻してみせます」
「あん? いや、大した手間はかからんぞ? さすがに金を請求したりはせんし」
「かつてあの方は自らの危険を省みず、皆に希望と好意を示してくれた。わたくし達にとってかけがえのない存在」
だからこそ、元のエイイチに戻してやろうとクロユリは言っているのだ。それにしてもツキハの物言い。エイイチと狼戻館住人との絆の深さを惚気ているようで、クロユリは軽い嫉妬心が芽生える。
「……けれどエイイチさんの好意は、ここをアダルトゲームの世界だと信じていたからこそ。わたくし達を理想のヒロインになぞらえて、はじめから大きなバイアスがかかった状態だった」
「べつにいいではないか。勝手に勘違いしたのはエイイチだ。アドバンテージを得ているなら利用すればよかろう」
わざわざエイイチの事情を汲む必要はないだろう。欲しいものがあれば奪い取り、気に入らない者は殺す。それが異形のはずだ。上位者としての在り方だ。と、クロユリは思うのだが。
「今、エイイチさんはこの館をホラーゲームの世界だと思い込んでいるわ。それはつまり、本来のわたくし達に近しい姿を見ているということでしょう?」
ようやくツキハの思惑を理解したクロユリ。美化されたエロゲーヒロインとしてではなく、ありのままの姿でエイイチと接しようとしているのだ。好感度はゼロから積み上げていくものだと。狼戻館の異形が、たった一人の男に入れあげたものだ。理解はしたが、やはりどこかクロユリは面白くない。
「情か。ほんっと異形らしくもない」
「きっと、あの方はまた皆に好意を向けてくださるわ。ふふ――ホラーゲームのヒロインだって、アダルトゲームのヒロインに劣らないのよ」
「……どうでもいいが顔が赤いぞ」
「嘘を言うと殺しますよ」
「わしにも情けをかけろよ!」
◇◇◇
――といった具合である。
思い返してもクロユリは不満だ。結局は狼戻館住人の都合優先。記憶を戻せないのなら、クロユリがエイイチと積み上げた日々もリセットだ。
「ところで、先生は普段どんな仕事してるんですか? やっぱり発掘作業とか? 地質や水質を調べるなら研究室にこもりっきりとか?」
これはエイイチの高度な駆け引きだった。【豺狼の宴】では主人公の設定は家庭教師。もしツキハの言う通りエイイチの立場を見習い地質学者だとするなら、その師であるクロユリは難なく質問に答えられるはずだと。毎日を楽しんでいるくせに、それはそれとしてエイイチはまだここをホラーゲームの世界と疑っている。自身の考えを肯定するためクロユリの口を滑らせようと画策したのだ。
「え、発掘? ……あっ。仕事なんか、ほとんどしとらん、しとらん! わしはいっつもゲームばかりしていてな! こう美少女がたくさん出るやつ――というか、えっちなゲームだ! どうだ? 興味ないかエイイチ?」
クロユリはクロユリで攻勢に出た。エイイチへの符術の行使を禁じられているクロユリは、これ幸いとばかりなんとかエイイチの記憶を呼び起こせないかと刺激的なワードを連発した。
しかし結果、エイイチからは眉をひそめられただけ。褐色ロリな外見で毎日えっちなゲームに興じているなどと告白すれば、エイイチの反応も残念ながら当然だった。
「――コホン。クロユリ先生、年頃の妹達もいますから。此度の経緯をご説明いただけるかしら?」
その年頃の妹達が先ほどエロゲーヒロインを自称し、ギャルシスターを全裸に剥いてやろうと結託していた事実をツキハは知らない。
狼戻館が倫理とは無縁の魔窟だということが、あらためて浮き彫りになったと言えよう。
「そ、そうだな。すまん。アヤメ殿、だったか? まずは助けてくれた礼を言う」
「いえ。仕事ですから。お気になさらず」
立ち止まり頭を下げると、アヤメはすぐに給仕の仕事へ戻る。素っ気ない振る舞いだが、そもそもアヤメは初見の人間をあまり信用しない。たとえそれがツキハの顔馴染みでもだ。
「エイイチさん、ガンピールさんが遊びたそうにしているわ。お相手してあげたら?」
「え、そうなのかガンピール? まったくしょうがないなあ!」
エイイチはやれやれと席を立つも、嬉しそうな顔をしていた。撫で回す気満々だった。
ガンピールは眠いのかあくびをし、寄ってくるエイイチへ“来るな”と威嚇を込めて噛みつく素振りをする。だがエイイチに威嚇は通用しない。こうなってはガンピールも肉球パンチを繰り出すしかないだろう。
やがて無事、定番のプロレスがはじまったようだ。今度はアヤメも注意をしなかった。
「……さ、先生」
「うむ」
ここ数日、クロユリが町を離れていた理由は結界の調査をするためだ。マリが破壊するまで、狼戻館と周辺の山々を現世から切り離していた結界。結界範囲の広さに加えて、現世と幽世を繋ぐ霊道まで塞いだ強力さから考察しても、そんな芸当ができる者は限られている。
目をつけたのは東北にある退魔の一族。新幹線を何度か乗り換え約半日かかった。駅弁を三つ食べた。さらにバスに乗り一時間半、フランクフルトと串団子を食べた。遠野に着いた頃には腹がパンパンになっていた。
そして春でも想像以上に寒かった。クロユリは着物の上に羽織った半纏を握りしめて、目的地へ向かい足を進めた。
すっかり夜も更けて、クロユリはようやく豪邸へたどり着く。歴史ある退魔の家系、界隈で広く知られた名だ。
だが住んでいたのは壮年の夫婦のみであり、聞けば家業は廃業したと言う。跡取りにも恵まれず、近年は霊障の相談もめっきり減ったからとのこと。これは猟幽會が各地の怪異や異形を殲滅したことに起因するものだが、霊障を飯の種にしていたクロユリも同じ悩みを抱いている。
さらに一晩くらい泊めてくれるだろうと高を括っていたクロユリは、ふつうに断られて途方に暮れた。同業に近いとはいえ、赤の他人なのだ。あたりまえである。
しかたなく飛び込みで旅館に泊まることとなり、帰りの新幹線代が足りなくなった。たまたま見かけた低級霊を祓って土地の所有者に金銭を要求し、臨時で猫探しのバイトをこなし、ようやく東北から戻ってきたのだった――。
「九割どうでもいい話じゃねーか」
あきれて半目になるセンジュ。話を聞く限りでは、たしかに何をしに東北まで行ったのかわからない。
けれどクロユリは深刻な表情を崩さず続ける。
「帰りの新幹線、町へ戻ってからも、ずっと尾けられとった」
「尾行されていた? それは、その退魔の家の者に、ということかしら」
「間違いなくな。廃業したなど、わしは嘘と睨んでおる。何か不都合を隠しているのは確実だ」
尾行を撒くために山へ分け行ったところ、今度はあの化物に襲われたのだという。
「姿は見えんし、符術も効かん。どうしたもんかと思っていたら、ちょうどガタイの良い男と出くわしてな。協力してもらったんだが……ご覧の有り様というわけだ」
ガタイの良い男というのがジェイクなのだろう。おそらく括り罠を設置ないし整備するため山へ入っていた。そのままクロユリのごたごたに巻き込まれた。災難という他ない。
正体不明の化物については、アヤメも意見を述べる。
「あれは……これまで見たどの化物や異形にも当てはまりません。ガンピール様がいなければ、私達も全滅していた可能性が高いです」
現在はエイイチと戯れている黒狼。ガンピールが大事に咥えている剣のみが、目視不可のうえあらゆる衝撃を無効とする化物に致命傷を与えられたのだ。これはどういった意味を持つのだろうか。
「おかしいと言えばさ、エイイチを誑かしてるシスター。あいつも相当ヤバい。わけのわかんねぇ場所に飛ばしやがって、あたし、あのまま戻れなくなるかもって……」
未知の体験を思い出したらしく、センジュは胸を掴んで俯いた。じわりじわりと得体の知れない何かが迫っている。数多の異形を滅ぼした猟幽會を相手に、圧倒的な暴力と恐怖を見せつけた狼戻館が沈黙する。
重苦しい空気を気にもとめないマリは、ふいにダイニングチェアを引いて立ち上がった。
「くだらない。わたし帰る」
全員が無言でマリを見つめる。とくにセンジュは“おかしいのはおまえもだぞ”と言いたげだったが、マリは構わず踵を返した。
ガンピールのお手々を握って上下に振りながら、エイイチが心配そうにたずねる。
「マリちゃん、部屋に戻るの?」
「うん。お風呂入って寝る。明日もよろしくね、エイイチくん」
今回の件、呪いを受けたマリは一番の当事者だ。ナーバスになるのもわかる。無理に話し合いに参加するより、せっかくの高校生活という日常の中にいる方が大事かもしれない。
マリが退室したダイニングルームで、最初に言葉を発するのはアヤメだ。
「……ツキハ様。個人的に少々気になることがございます。明日から少し、日中のお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「かまわないわ。ただし危険を察知した場合、決して一人で深追いすることがないように。約束してくださる?」
「はい。そのときは恐縮ながら皆様を頼らせていただきます」
アヤメは山氏から聞いた“雅角”の名が引っかかっているようだ。クロユリの話にも思うところがあったのだろう。
「あとはやっぱり、先生が襲われた件についてはビーチさんがお詳しそうね。もう一度、今度は多少強引にでもお話をうかがいたいところだけど……」
「じゃあ俺が聞いてきますよ。ガンピールと遊んでて、よくわかんなかったですけど」
「エイイチさんは、マリのそばにいて欲しいの」
「もちろんそのつもりです。でもどうせ学校行くし、マリちゃんが授業受けてる間ヒマだし」
エイイチの頭の中には、空いた時間を仕事に費やす考えは無いらしい。良くも悪くも状況を掻き回しそうなエイイチという男を、ツキハは不安視しているのだが。
「それなら、わしもエイイチに同行してやろう。こやつは常識を知らんからな、わっはっは! 先方に失礼があってはうまいこと情報を引っぱれんやもしれんぞ」
「はは。毎日えっちなゲームしてる、言葉遣いから姿かたちまで非常識なロリに言われても」
「偉くなったもんだなエイイチィ!! 誰に口きいとんだ貴様ァ!!」
頭にカッと血が昇ったクロユリが、エイイチに飛び蹴りをかました。とっさに錫杖でガードしたものの、エイイチは「うわあ!?」とガンピールの腹に倒れ込む。追加で肉球パンチの雨を全身に浴びた。ボコボコである。
各々の行動指針がだいたい固まったようだ。
センジュは頭上に腕を伸ばし、大胆に腋をさらしつつ肩をほぐす。
「よし。じゃあ、あたしは――」
「センジュは、たまにはお姉ちゃんと遊びましょうか。ガンピールさんも一緒にね」
「え……」
ツキハの視線は、ガンピールの咥えた剣にある。調べるつもりなのだろうと気づきはしたが、センジュはとても嫌そうだった。




