#100
「雑召喚~」
シオンが指輪っかを作り、今度は亜空間が自身の頭上にぽっかり開く。穴から落ちてきた杖のような長柄を、シオンは片手でキャッチした。
「えぇ……? なにこれ、武器? だる、ハズレっぽ」
心底失望した様子のシオンは、儀仗用と思しき杖を軽快に振り回す。紐で結ばれた複数の小物装飾がシャラシャラ音を鳴らし、最後には杖の先端をシャン! とマリとセンジュへ突きつけて一応は構えを取る。
「ま……棒だなぁ。鈍器にはなるかぁ」
呟くシオンを見据えながら、センジュが拳を揉みつつ前へ出た。狼戻館の異形と知って、相手は動揺も逃げる気もないようだ。つまり最初から敵の狙いは自分達なのだ。
「安心しろよ、マリ。こいつだろ? 情報握ってそーなやつ。さっさとケリつけて、呪い解く方法あたしが聞いてやるよ」
でしゃばりな妹に苦言を漏らしそうになるマリだったが、このまま腕を組んで見ていた方が大物っぽい振る舞いなのではないだろうか。そう思い直して、マリはラスボスらしく無表情に徹する。
「だからさぁ……二人まとめておいでって。めんどいから」
「ハ――舐めんなよ。人間」
構えもなく、踏み込む音も予備動作もなかった。水を浸食する一滴の血液のように、じわりと瞬時に間合いを潰されたシオンは、眼前にセンジュが迫るまで迎撃もできなかった。
「どした? 殴られ待ちしてんの?」
「――――っ」
錫杖に似た得物を、シオンは振り上げる。
だが今さら攻撃へ転じるにはあまりにも遅い。センジュはあえてシオンの顔付近、杖の柄を目掛けて上段蹴りを叩き込む。よろけたところへ流れるような拳の殴打。
シオンも顔を歪めてはいるが、間断ないセンジュの連撃を杖で受けきってはいる。
「へぇ。一応は戦えるみたいだな――っと」
シオンにいくら格闘の心得があれど、相手が悪い。猟幽會の先陣として、あるいは狼戻館を守護する異形として、常に戦場に身を置いていたセンジュとは埋まらない差がある。
我流ゆえ荒っぽくも見えるが、センジュの突きや蹴りは以前よりも精密に急所を捉えていた。フェイントで揺さぶりつつ、ついには縦拳がシオンのみぞおちへ刺さる。
「ッ……!」
痛烈なダメージにシオンはたまらず後退した。戦闘前の涼しげだった表情は見る影もなく、額には汗が滲んでいる。
「そんなんじゃ、あたしには勝てないよ。ええと、名前なんてったっけ? ま、いいや。とにかく、呪いについて洗いざらい喋ってもらうから」
実はここまでセンジュは開幕以外でなんら異形の力を使用していない。純粋な身体能力一本で正体不明の相手に立ち向かう様は、揺るぎない自信の現れなのだろう。
うしろで腕を組み、ラスボス面をしているマリも当然センジュが様子見していることは気づいている。拍子抜けだった。自分の出番はなさそうだとあくびを噛み殺す。
「最近はアヤメさんだけじゃなくて、待雪ツキハとも手合わせしてんだ。あたしはもっともっと、強くなる」
「すごいねぇ格好いいねぇ……パンチとキックにこだわるって、格闘漫画の読みすぎな」
「能力使わないなんて、言ってねーけど?」
煽りを鼻で笑い、センジュは駆ける。距離が詰まると、シオンの首を狙って腕を斜めへ走らせる。
ただの手刀だ。錫杖を打ち込めば、腕の方が折れるに決まっている。シオンは手刀を落とす軌道で杖を振り下ろす。
しかし重い手応えと同時に響いたのは、金属同士がぶつかる硬質な衝突音。シオンの手を離れた錫杖が、アスファルトの上をガシャガシャと転がっていく。
センジュの片腕は、湾曲する真っ赤な刃へと変化していた。
「終わりだ。シスター」
空間を引き裂き、姿を消すセンジュ。
無手となったシオンは、周囲へと必死に目まぐるしく視線を移している。開戦のときと同じ奇襲がくる。対処が遅れれば、センジュの宣言通りここで終わってしまう。
かくして、いびつな空間の裂け目はシオンの後方、左斜め上空に出現した。シオンはすかさず、丸く繋げた指をそちらへかざす。裂け目へ連なるように、シオンが作り出したもう一つの空間が重なった。
「――な――っ……!?」
なにも問題はなかったように思えた。センジュはたしかに二つの空間を潜ってしまったが、裂け目からすぐに五体満足な姿で現れたのだ。能力になんらかの干渉を受けたようには見えなかった。
けれどシオンに追撃を加えることなく、センジュは地上へ降り立つ。アスファルトに膝をつき、ひどく疲弊した様子で俯く。
「いまの……なんだ……? 街……人、ここじゃない……どこか」
「へぇぇ。見えたんだぁ……なにか」
シオンはカツカツとブーツを鳴らして近づくと、座り込むセンジュの胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「ね。ね。なにが見えたのかなぁ? どんなところだったぁ? どんな人がいたぁ? 寒い? 暖かい? キミにはなにが見えたのかなぁ? 教えてよぉ? ねぇ? 教えてくれるよね?」
顔では笑っていたが、シオンの瞳からはなんとしても口を割らせるのだという執念を感じる。異形のセンジュをして、少しの戦慄を覚えたほどだ。
さて、マリである。
この場にいるもう一名の異形としてまるで存在感がなかったが、もはや傍観者ですらなかった。前哨戦でセンジュの圧勝を確信したマリは、道路脇の田んぼにめずらしい柄の蝶を見つけて以降、ずっと目で追っていたのである。
だから何気なく目線を戻したマリは、形勢逆転した二人の姿にたいそう驚いたものだ。
「まったくもう。わたしがいないと、ほんとダメなんだから」
背の翅を広げて、低空で急加速。突風と化したマリが勢いのままに右ストレートを見舞う。
センジュを離したシオンは、マリの拳を真正面から片手で受け止めた。
瞳を見開いたのはマリの方だ。
激しい衝撃も、大地を揺るがす音もなく。ただパシンと軽く拳を掴まれただけだ。マリが力を込めても、シオンとの均衡は崩れない。
「あ、キミかぁ……魅入られちゃったの。残り、悔いのないようがんばって。アタシは今日、ちょっと顔見に来ただけだからぁ」
マリの拳を握ったまま、シオンの身体が透けるように薄れていく。
即反応したセンジュが駆け寄る。逃がすまいと薙ぎ払った腕のブレードは、すでに消えゆくシオンの胴体を通り抜けた。
「じゃね――」
そうして完全にシオンは消え去った。
センジュは舌を鳴らして悔しがったが、マリは違う。逃げられた歯痒さよりも、自身の握り拳をじっと見下ろしている。
「……おい。マリ」
呼びかけにマリが振り向けば、センジュが片手のひらを掲げる。
「なに?」
「振り抜いてみろ。全力で」
センジュには近しい経験があった。絶苦の襲撃に備えて、どれだけ修練を積んでも失われていく力。精神まで弱々しく蝕まれていった。あのときの自身にマリが重なったのだ。
「やだ。そんなことしたら、粉々になっちゃうでしょ」
「あたしの心配か? ならねーよ」
「ここら一帯が」
「ならねぇよ!」
宇宙船を沈めた際には、大気圏をつらぬく衝撃と閃光を発生させたマリだ。様々な要因がプラスに働いた結果とはいえ、あながち冗談にも聞こえない。
しかし、やはりマリは全力パンチを披露する気がない模様。センジュから視線を外したマリは、緩慢に斜め上の空へと顔を向ける。
「なに見てんだよ?」
「べつに。帰ろっか」
提案しつつも、マリはしばらく同じ姿勢を続けていた。
まるでそこにない山でも見上げるかのような風情に、センジュはマリの身に起きた異常を認識し始めるのだった。
◇◇◇
「おかえりマリちゃん! センジュちゃんも一緒だったのか! 迎えに行けなくてマジでごめん! 今日はほんといろいろあって――」
マリとセンジュがダイニングルームへ入るやいなや、平謝りをはじめるエイイチ。ふと言い訳を止め、マリが持つ鉄製の杖を見やる。
「マリちゃん出家するの?」
「これ、お土産。エイイチくんにあげる」
ずっしりと重量のある錫杖を受け取り、エイイチは目を輝かせる。男はいくつになろうと棒状のものが好きなのだ。
「本当に!? うわーすっげえ嬉しいありがとう! どう使うんだろこれ!?」
シャン、と錫杖を鳴らし、エイイチは棍棒のように振り回した。そばにいたガンピールが剣を咥えたので、互いの得物をキンキンぶつけてチャンバラ遊びがはじまる。テーブルに前菜を並べていたアヤメから「埃が立つのでおやめください!」と盛大に怒られていた。
「アホだな……」
白い目を向けながら、センジュは微笑む。いつもの光景に、張り詰めていた緊張がようやく解けたのだろう。アヤメを手伝って取り皿などをテーブルへ並べていく。
ダイニングルームを見渡し、誰にともなくマリが問いかける。
「ところで、お姉ちゃんは?」
「ツキハ様は書斎です。そのことで、お二人にもご説明しなければなりません」
◇◇◇
同時刻。柔らかいソファベッドで和装の少女は目覚めた。
「――お久しぶりね、クロユリ先生。お身体に不調は?」
クロユリはしばし辺りを見回す。掛けられていた毛布を剥ぎ、ゆっくりと身を起こす。
「待雪ツキハ……ということは、ここは狼戻館か? はぁ……まさか、こんな形で訪れることになるとはなぁ」
「発語も記憶もハッキリしているわね。怪我がないことは、お体を隅々までチェックして確認しているわ。安心なさって」
「す、隅々まで!?」
はしたなく股を割り、はだけた着物を覗き込むクロユリ。褐色の肌にはたしかに傷ひとつなく、下着を引っ張って中を確認するような真似はさすがに控えた。
「……とはいえ、礼を言う。助かったぞ、待雪ツキハ。ありがとう。あ……と、“moon leaf”と呼んだ方がいいのか?」
「その名は絶対に口にしないでいただける? お礼ならエイイチさんを始め、言うべきお相手をあとでご紹介します」
「エイイチかあ! 元気なのか、あいつは?」
「ええ。とても」
エイイチの名を聞いた途端、クロユリは満面の笑みを浮かべる。近況はツキハとのメールのやり取りで知ってはいたが、間もなく直接顔を合わせると思えば感慨もひとしおだ。
「お腹が空いておいででしょう? 先生に何があったのか、お食事の席で聞かせていただけるかしら」
「ああ……そうだな。そういうことなら遠慮なく、ご馳走にあずかることとしよう」
席を立つツキハに続いて、クロユリもソファベッドを下りる。扉に手をかけたところで、ツキハが何か思い出したかのように振り向いた。
「そうそう。大事なことを忘れていました」
「ん? なんだ?」
「狼戻館へようこそ。――クロユリ先生」
わざとなのか、妖艶な笑みを浮かべるツキハを見て。ホラーゲーム【豺狼の宴】の内容を深く知るクロユリは、無意識に頬を引きつらせるのだった。




