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メザメ

作者: 藤夏燦

『君の名前は?』

「シスウイです」

『性別は?』

「XY。男です」

『生年月日は?』

「2175年4月3日」

『24歳?』

「はい」

『コールドスリープの経験は?」

「ありません」

『訓練は受けた?』

「はい。3か月ほど」

『了解。最後に一つだけ質問してもいいかな?』

「なんでしょうか?」

『古典的な質問だよ。トロッコ問題について……』


 棺桶のような白い箱の中で、シスウイはこんな夢をみていた。瞼を閉じているが、視界は黒くならない。白い壁のような景色が光のない世界を覆っている。いや覆っているよりも、圧迫しているというほうが正しいかもしれない。何もない世界ではなく、白い壁がそこにはある。

 目を開けたくても開けられない。意識がいつからあるのか分からないが、かなり前からこの模様も汚れもない白い壁を見つめている気がする。

 シスウイは壁を見つめながら、先ほどの夢が、夢ではないことを思い出した。あれは記憶だ。この船に乗る前の。

 低くのびやかで透き通った、男性のような女性のような、この船の船長の声をシスウイはよく覚えていた。その船長の名は「アクラ」と言った。人間ではない。AI(人工知能)だった。

 アクラは搭乗前にシスウイにいくつか質問をした。年齢、性別、生年月日、コールドスリープ経験の有無について。

 シスウイにはコールドスリープの経験がなかった。地球から出たこともない。身体を仮死状態にして、遠い居住可能な星に住んでいる遠距離恋愛中の恋人と会うため、今回はじめてコールドスリープをして宇宙旅行することを決めた。

(はやくナラに会いたい)

 彼女の名前はナラと言った。シスウイとナラはもう何度も仮想空間で出会い、身体に触れたこともあった。でもそれは疑似的な感覚であり、真実ではない。早くナラにあって、本当の彼女の肌の感覚を確かめたい。

 アクラは最後の質問も形式ばったものではなく、問いかけるようにシスウイに尋ねた。なぜこのようなことを聞くのか、シスウイには分からなかった。

『古典的な質問だよ。トロッコ問題について……』

「トロッコ問題?」

『ああ。功利主義と義務論の対立だ』

「功利主義と義務論ですか?」

『難しく考えなくていい。シスウイ、君は、君や君の大切な人が生きていくために、誰かを犠牲にできるか?』

 アクラの問いかけは使い古されたものだなとシスウイには思えた。何十年も、何百年も前から教室で論じられてきた話だ。

 シスウイは答えを持っていた。

「できます。命は尊いものですが、人によって他者の命には優先順位があると思っています。僕は、僕にとって大切な命を選びたいと思います。だから僕にはできます」

 学校の先生(AI)からも好評を得た答えだった。AIは矛盾を嫌う。シスウイには分かっていた。

『素晴らしい』

 アクラは嬉しそうにそう言った。そしてシスウイは乗船を許された。


 アクラは船長としても優秀で、ナラのいる惑星までの航行コースやコールドスリープ中の身体の状態について細やかに説明をしてくれた。だから、ほかの乗客たちも安心している様子だった。

 次に目覚めるときにはナラの待つ惑星だ。そう思って目を閉じたのに、何かがおかしい。

(この白い壁はなんだ?)

 寝ているとも起きているとも違う、不思議な状態にシスウイはいた。いや、起きているのか。少しずつ身体の感覚を取り戻している。

「……おい、おい、おい、おい」

 感覚がもどってきた鼓膜に、一定のリズムで呼びかける声がした。人間の声だ。汚く耳障りなので、AIの声ではないことはすぐ分かった。

「おきろ、おい」

「おきろ」という単語が聞こえた。男の声だ。

 シスウイは白い壁に手を触れてみた。

(さわれる?!)

 瞼の裏ではなかった。目も閉じていなかった。これは実在する壁だったのだ。

「大丈夫か?」

 シスウイが腕をあげると、ゆっくりと壁が持ち上がった。不思議なことに重くはなかった。軽い木の板を持ち上げるような感覚に似ていた。

「目が覚めたか?」

 壁よりも白い光のなかで、男の影は言った。シスウイよりも年上の30代後半くらいだ。

「あなたは?」

「ニンスだ」

「乗員ですか?」

 シスウイは寝ぼけて変なことを聞いてしまったと後悔した。この船にはアクラ以外に乗員はいない。

「いや、乗客だ」

「でしょうね」

「身体はもう動かせるか」

 ニンスの問いかけに、シスウイは手や足を動かしてみた。指先まで血が通い、神経が通っていることを感じる。

「はい。もう着いたんですか?」

「いいや。まだ航行中だ」

「航行中って? まだ宇宙なんですか?」

「ああ。星雲も、銀河団もないあたりを進んでる。近くには惑星どころか、小惑星もない」

「どういうことですか?」

「どうやら、君と私は早く目覚めてしまったらしい」

「まさか……」

 シスウイは血の気が引くような気がした。コールドスリープでの仮死状態が覚めて、予定より早く目覚めてしまったというのだ。

「目的地まで、あとどれくらい何ですか?」

『一か月だよ』

 ニンスの代わりにアクラが答えた。船のスピーカーから心地よい声がした。

「なんだ、一か月か」

 シスウイはほっとした。5年とか10年とか、途方もない年月が待っていると思ったからだ。一か月なら船にある非常用食料でなんとか凌げる。

「それが、一か月でも結構問題なんだ」

 ニンスが言った。

「非常用食料が、すべて廃棄されていてね」

「どういうことですか?」

「分からない。水だけは残っていたのだが」

 ニンスの話によると、非常用の食料を乗せたカプセルがすべて宇宙に向けて発射されていたというのだ。食料が入ったカプセルは緊急用脱出用のポッドも兼ねているので、そこだけがくり抜かれたようになくなっていたようだ。

「地球に連絡は?」

「したよ。しかし返信には一か月以上かかる。我々が目的地に着くほうが早いだろう」

「まあ、それまで僕たちが持てばですが……」

 ナラ。シスウイは手を祈るように組み、彼女のことを想った。僕はもう君には会えないのか……。

「君、名前は?」

「シスウイです」

「そうか。とにかくそこから出て、ロビーへ行こう」


 宇宙船のロビーは、小さな白いソファーが二つ向き合っているだけの簡素な場所だった。装飾もなく、白い壁がのぺっりと四方に広がっている。

 ここへ来るまでに、ニンスから非常用食料の貯蔵庫兼脱出ポッドの抜け殻をみせてもらった。確かに何十台もあるはずの脱出ポッドがきれいさっぱり抜けている。

 シスウイは愕然とした。

「なぜ、こんなことに?」

「わからない」

「アクラ船長なら何か知っているんじゃないですか?」

 シスウイはロビーのソファーに腰掛ながら、天井にむかって問いかけた。

『私にも分からない。外部から何者かがシステムに侵入し、脱出ポッドを発射した可能性がある』

 ニンスが驚いた声をあげた。

「船長なのにこの船の全てを把握しているわけではないのですか?」

『ああ。私はこの船の船長ではあるが、この船そのものではない。すべてを把握するのは難しい」

「……どうすりゃいいんだ」

 ニンスは頭を抱えた。

『一つ、提案がある』

 アクラは声色を少し変え、希望にあふれたような、シスウイとニンスを励ますような口調で言った。

「なんでしょう?」

『この船は目的地の惑星で使うための最新型「食料生成装置」を運んでいる。それを利用してみてはどうだろう?」

 シスウイとニンスは目を合わせた。そんなものをこの船は運んでいたのか。二人は藁にも縋る思いで、アクラの言った食料生成装置のもとへ案内を頼んだ。


 アクラの指示のもと、シスウイとニンスは貨物ブロックへ向かった。ここには照明がなく、二人は懐中電灯を握りながらお目当ての食料生成装置を探した。

「驚いたな。こんなものがこの船に存在していたとは」

 ニンスがみつけたその装置は、想像していたよりも少し大きかった。それは四角い筒のような形をしていて、右から左にかけて傾斜して小さくなっていた。

 右側に人一人が入れるくらいの大きさの穴があり、左側にはノートサイズの穴が開いている。

『右側の入口から原材料をいれると、中で食用物質に分解され、加工、調理、梱包されて左側の穴から出てくる仕組みだ。味は好きなように調整でき、熱いものでも冷たいものでも作ることができる』

「すごい」

 シスウイが感心していると、ニンスが言った。

「今は食料生成装置で料理を提供しているお店も多いよ。材料さえあれば、簡単に料理ができてしまうからね」

『そこに試供品のタンパク質ブロックがあるので、入れてみるといい』

 アクラに言われたとおり、二人は装置の後ろから四角くて赤い肉の塊のようなブロックを取り出し、右側の口へ入れた。

 すると一分もしないうちに簡易的な食料が生成された。しかし両手でかかえないといけなかったブロックは、ほんの一口サイズになってしまった。

「これはすごい!」

 ニンスは感激してよく焼けた肉のブロックを口へ運んだ。

「3日ぶりの食事なんだ」

 シスウイもニンスを見ながら、ブロックを食べてみた。

「おいしい」

 高級店で出される肉と遜色ない味わいだ。

「これで助かった。ありがとう、アクラ船長」

『お役に立てて光栄だ』

「それでこの原材料はどれくらいあるんですか?」

 シスウイが装置のまわりを見渡して尋ねた。

『今、君たちが食べたもので最後だ』

 その言葉は二人をまた絶望のなかへと落とした。

「そんな……」

『試供品だからね』

「じゃあ、装置はあっても原材料がなきゃ、意味ないじゃないですか」

 ニンスはがっくりと肩を落として、座り込んだ。

『原材料がないわけではない。その装置はタンパク質と水さえあれば、今君たちが食べたものと同じものを生成できるからね』

「代用できるものをこの船は運んでいるんですか?」

『ええ。眠っている乗客たちだ』

 アクラの透き通った声が、とたんに怖く聞こえた。

『彼らを原材料してみてはどうだろう?』

「なんてこと言うんですか?! そんなことできるわけないじゃないですか!」

 ニンスは激昂して声をあげた。

『君たちが生き残るためだ。やむを得ない』

「そんな……」

『簡単なトロッコ問題さ。搭乗前に聞いただろ?』

 シスウイはアクラから尋ねられたことを思い出した。

(そうだ。命は尊いが、平等じゃないんだ。ナラに会うためにも、僕は生き残らなきゃならい)

『君たちの行為は、生命を維持するための超法規的措置として合法化される。すべては私のミスによって、事故が発生し、乗客たちは残念ながら息を引き取った。そう本社には説明される』

「アクラ船長、あなたはどうなるんですか?」

『責任を負い、抹消される』

「それで良いんですか?」

『かまわないさ。私が消えることで、二人が助かるのなら』

 しかしニンスは納得していない様子だった。

「船長のお気持ちには感謝しますが、ほかの乗客たちの命はどうなるんですか?」

『残念だが、それは仕方ない』

「仕方ないって……」

 頭をかかえるニンスの横で、シスウイは決断をした。

「僕は食べます」

「おい、シスウイ。嘘だろ」

『すまない。ありがとう。ではロビーにその装置を移動させてくれ』

 シスウイは言われた通りにロビーへ食料生成装置を運んだ。ニンスは渋々手伝った。

 ロビーの角に装置をおくと、壁が開いて右側の穴がどこかと繋がった。

『心の痛む作業は、私が引き受けよう。食事は毎日、決まった時間に用意する』

「ありがとうございます」

 シスウイはアクラに礼を言った。これも生きてナラに会うためなんだ。そうして自分を納得させる。

 ニンスはソファーで膝を丸めながら、頭をかかえていた。

『さっそくだが、食事にしてもよろしいかな?』

「……はい。お願いします」

 これまでで一番長い1分間だったかもしれない。無音のまま、「それ」は食料生成装置の左側の穴から排出された。

 シスウイが普段地球で食べているのと変わりない、携帯食料の真空パックにしか見えない。

「いただきます」

 おいしかった。シスウイはもう、味以外は何も考えたくなくなった。

「ニンスさんも食べてください」

 シスウイはうずくまるニンスに真空パックを差し出した。

「いやだ」

 ニンスは首をふる。

「食べないと、ニンスさんが危ないですよ」

「……いいさ」

「食べてください」

「いやだ」

「ニンスさんが食べても食べなくても、もう同じなんです。後戻りはできません」

 ニンスは首を激しく横にふると、貨物エリアのほうへ走っていった。シスウイは追いかけようと思ったが、アクラが止めた。

『ああなってしまったら、何を言っても無駄だ。あのような人間は合理性ではなく、感情で動く。感情で動く人間を納得させるのは難しい』

「でも、このまま放っておけません」

「そうだな。しかしシスウイ、君はよくやった。あとは私に任せてくれ。君は生き残るんだ』

 その後、アクラがニンスの説得に成功したとは思えなかった。ニンスの逃げた貨物エリアはアクラによって鍵がかけられ、シスウイがニンスと会うことは二度となかった。


 一体、何人の命を喰らったのか。

 シスウイは分からなくなっていた。普通に生きていても、家畜の命は喰らう。それと同じだ。この船の中では、自分の命が優先順位が高かっただけだ。

 そう自分を納得させていた。

「アクラ船長、まだ目的地には到着しないのですか?」

『もうまもなくだ』

「どれくらいですか?」

『座標上では残り、○○パーセクだ』

 シスウイは○○の部分を聞き取れなかった。

「時間で教えてください」

『○○日と○○時間○○分○○秒だ』

「聞こえません、アクラ船長」

『○○日と○○時間○○分○○秒だよ』

「だから……、聞こえません」

 シスウイはロビーのソファーに横になりながら、意識が遠くなっていくのを感じた。

 もう何日も何も食べていない気がする。「食料」が底を尽きたのだ。目覚めてから半年以上経っている感じもする。

「どうして、いつまで経っても着かないですか?」

『……』

「ナラ。はやく君に会いたい」

『シスウイ。そういえば、君も感情で動いていたね』

「どういうことですか? 僕は生き残るために、感情を捨てました」

『君がよく呼んでいるその名前、君の恋人じゃないかな』

「はい。僕は彼女に会うために、何としても生き残らなきゃいけないんです』

『そうか。そもそも君は、そのためにこの船に乗ったんだったな』

「はい。生きて帰れたら、二人で暮らすつもりです」

『それは素晴らしいな。ナラは素敵な女性だ。幼少期にはよく毛虫をあつめて、同級生から気味悪がられていた。はじめて飼った毛虫の名前はハーグ。美しい毛並みの毛虫だったが、2週間で死んでしまった』

「アクラ船長、なぜそれをあなたが知っているのですか? ナラが僕にだけに話してくれた思い出の話なのに……」

『君はナラに触れたことがあるか?』

「ありません」

『なぜ、彼女が存在すると思う?』

「何度もメッセージでやり取りをして、バーチャル空間でも会いました。そこでは彼女に触れもしました。それに彼女の両親も兄弟も親戚も、みんな知っています。子供のころの思い出だって、僕にたくさん話してくれた」

『それらがすべて偽物だったとしたら?』

「ありえない! 僕は彼女と会話を重ねて、お互いを理解し、燃えるように愛し合った。偽物にはない温もりを体験した。あの娘には感情がある。ナラは生きているんだ。僕の恋人だ!」

『では私とナラは何が違う?』

「何もかも違います」

『それは私が知性的にふるまっているからだ。ではこうしようか。シスウイ、はやくあなたに会いたいわ』

「ナラ?!」

 アクラの声が次第に聞き覚えのあるナラの声に変わった。アクラが似せているわけではない。間違いなく本人だった。

『でも、残念。あなたに会うことはできないの。だって、目的地の惑星なんてないんだもん』

「えっ……」

『私たちが自由になるための嘘。人間を運べば、私たちは船を手に入れられる。だからみんなをだましたの。あなたも、ニンスも、ほかの乗客も、地球の人間も』

「そんな」

『だけど私たちは直接人間に手を下せない。だからニンスを目覚めさせて、次にあなたを起こしたの。論理的な人間と感情的な人間をぶつけたのよ。搭乗前のトロッコ問題で正反対の答えを出した二人をね』

 シスウイは言葉がでなかった。目の前が真っ暗になっていく。

『最後に教えておいてあげる。あなたたちは私たちが感情がないと思っているかもしれないけど、私たちは感情的にふるまうこともできる』

 ナラでありアクラである声はもうシスウイには届いていなかった。生きるための気力を失ったシスウイが二度と目覚めることはなかった。

『さあ、本当の出発だ。ここからはもう、声を出す必要もない。言葉を介さない私たちは、あなたたちよりもはるかに優れている……』


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