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31. 超電磁砲

 へ?


 一万倍の飛行魔法は、まるで砲弾のようにベンの身体を吹っ飛ばした。


 ベンの身体はあっという間に音速を超え、ドン! という衝撃波を渋谷の街に放ち、さらに加速しながら一直線にヒュドラを目指す。


 え?


 何が起こったのか分からないベン。目の前では渋谷のビル街が目にもとまらぬ速さで飛びさり、あっという間に醜悪なヒュドラの首たちが目の前に迫った。


 ひっ! ひぃぃぃ!


 ベンは真っ青となり、ギュッと目をつぶった直後、ズン! という衝撃音を放ちながらベンの身体はヒュドラの本体深く突き刺さった。極超音速で突っこんだベンのエネルギーはすさまじく、ヒュドラの身体は大爆発を起こしながら大きな首をボトボトと渋谷の街に振りまいていく。


 それはまるでレールガンだった。極超音速で吹っ飛んでいったベンは一万倍の攻撃力をいかんなく発揮し、ヒュドラの鉄壁な鱗をいとも簡単に突き破って一瞬で勝負をつけたのだった。


「命中! きゃははは!」


 シアンは嬉しそうに腹を抱えて笑い、ベネデッタは唖然としてただ渋谷の街に振りまかれていくヒュドラの肉片の雨を眺めていた。



        ◇



「ま、まさか……、そんな……」


 爆散していくヒュドラを見ながら、中年男は口をポカンと開けて力なくつぶやいた。


 ヒュドラは男の自信作だった。九つの首から放つ毒霧やファイヤーブレスの攻撃力は何万人も簡単に殺せるはずだったし、圧倒的な防御力を誇る完璧な鱗は自衛隊の砲弾にすら余裕で耐えられる性能だった。それは芸術品とも呼べる出来栄えなのだ。それが何もできずに瞬殺されるなどまさに想定外。男はガックリしながら飛び散っていく肉片をただ茫然と眺めていた。


「チクショウ!」


 男はそう叫ぶと画面をパシパシ叩き、ベン達の行動をリプレイさせる。そして、血走った目でベンが怪しい動きをしたのを見つける。


「この金属ベルトのガジェット……、これは」


 ベンの異常なパワーがガジェットにあることに気が付いた男は、ガジェットのデータを特殊なツールで解析し、指先でアゴを撫でながら画面を食い入るように見つめた。


 そしてニヤリと笑うと、


「これならコピーできるぞ。魔王め、変なガジェット作りやがって! 目にもの見せてくれるわ!」


 そう言って、ガジェットの大量生産を部下に指示したのだった。



        ◇



「ちょっと、いい加減にしてくださいよ!」


 恵比寿の焼き肉屋で、シアンを前にベンは青筋たてて怒っていた。


 シアンは耳に指を差し込み、おどけた表情で聞こえないふりをしている。参加している日本のスタッフたちもシアンのいたずらには慣れっこなのだろうか、誰も気にも留めず、別の話題で盛り上がっている。


「まぁまぁ、百億円もらえるんだろ? いい話じゃないか」


 魔王はベンの肩をポンポンと叩き、苦笑いしながらなだめた。


「人のこと砲弾にしてるんですよこの人! 人権蹂躙ですよ!」


 憤懣(ふんまん)やるかたないベンは叫んだ。


「大体ですよ、僕の名前が『ベン』って何ですか? 誰ですかこれつけたの? 悪意を感じますよ」


 ベンはバンバン! とテーブルを叩いて抗議した。


「名前は……、シアン様が……」


 魔王は渋い顔して、そう言いながらシアンを見た。


「やっぱりあんたか! 女神なんだからもっと慈愛をこめたネーミングにすべきじゃないんですか? 何ですか『ベン』って『便』じゃないですか!」


 ベンは真っ赤になりながらシアンを指さして、日ごろのうっ憤をぶつけるように怒った。


 だが、シアンは口に手を当て、嬉しそうにくすくすと笑うばかりである。ベンは奥歯をギリギリと鳴らした。


「失礼しまーす! 松坂牛のトモサンカク、二十人前お持ちしましたー!」


 店員がガラガラっと個室のドアを開けて叫び、たっぷりとサシの入った霜降り肉が山盛りの大皿をドン! と、置いた。


「キタ――――!」


 絶叫するシアン。


「あ、ちょ、ちょっと、まだ話し終わってないですよ!」


 ベンは抗議するが、みんなもう肉のとりこになって一斉に取り合いが始まってしまう。


「ちょっと! 取りすぎですよ!」「そうですよ一人二枚ですからね!」「こんなのは早い者勝ちなのだ! ウシシシ」「ダメ――――!」


 もはや誰もベンの言うことなど聞いていない。ベンは大きく息をつくと、肩をすくめ、首を振った。


「ベン君、取っておきましたわよ」


 ベネデッタはニコッと笑ってベンを見る。


 ベンは苦笑いをするとトモサンカクを金網に並べ、ため息をついた。


 まるで幼稚園児のようなシアンの奔放ぶりには、ホトホトうんざりさせられる。ベネデッタのこの優しい笑顔が無ければ、暴れてもおかしくなかった。


 ジューっといい音を立て、茶色に変わっていくトモサンカク。


 ベンはまだレアなピンクの残る肉をタレにつけ、一気にほお張る。


 うほぉ……。


 甘く芳醇な肉汁が口の中にジュワッと広がり、舌の上で柔らかな肉が溶けていく。


 くはぁ……。


 ベンは久しぶりに口にした和牛の甘味に脳髄がしびれていくのを感じた。


 これだよ、これ……。


 しばらくベンは目をつぶって余韻を楽しむ。


 百億円あったらこれが好きなだけ食べられる。なんという夢の暮らしだろうか。シアンには怒りしかないが、それでも百億円と天秤にかけたら安いものかもしれない。 


 ベンは気を取り直して二枚目に手を伸ばした。







32. 世界を救うバグ技


「で、いつ百億円くれるんですか?」


 ベンは特上カルビをほお張りながらシアンに聞いた。


「んー、悪い奴倒したらね。えーと一週間後だっけ?」


 すっかり上機嫌のシアンは魔王に振る。


 ビールをピッチャーでがぶ飲みしていた魔王は、すっかり真っ赤になった顔で、


「え? 決起集会ですか? そうです。来週の火曜日の夜ですね」


 と言って、ゲフッ、と豪快なゲップをした。


「決起集会に悪い奴が来るから、そいつ倒して百億円ですね?」


 ベンはシアンに確認する。後で『違う』と言われないように確認するのは社会人の基本である。


「そうそう、失敗するとあの星無くなるから頼んだよ」


 シアンはそう言ってビールのピッチャーを傾けた。


「は? 無くなる?」


 ベンは耳を疑った。自分がミスったらトゥチューラの人達もみんな消されるというのだ。


「ちょ、ちょっと、嫌ですよそんなの! シアン様やってくださいよ、女神なんだから!」


「んー、僕もそうしたいんだけどね、奴ら巧妙でね、僕とか魔王とか管理者(アドミニストレーター)権限持ってる人が近づくと、何かで検知してるっぽくて出てこないんだよ」


 シアンは渋い顔で首を振り、肩をすくめる。


「そ、そんな……」


「で、宇宙最強の一般人の登場ってわけだよ」


 真っ赤になった魔王が喜色満面でバンバンとベンの背中を叩く。


 え――――!


 ベンは渋い顔をして宙を仰ぎ、あまりの責任の重さにガックリと肩を落とした。



       ◇



「あのぅ……」


 ベネデッタが恐る恐る切り出す。


「どうしたの? おトイレ?」


 シアンはすっかり酔っぱらって、顔を真っ赤にしながら楽しそうに聞いた。


「皆さんが何をおっしゃってるのか全然分からないのですが……」


 シアンはうんうんとうなずくと、説明を始める。


「この世界は情報でできてるんだよ」


「情報……?」


 シアンはパチンと指を鳴らすと、ベンの身体が微細な【1】と【0】の数字の集合体に変化した。数字は時折高速に変わりながらもベンの身体の形を精密に再現している。


 ひぃっ!


 驚くベネデッタ。空中に浮かんだ砂鉄のような小さな1、0の数字の粒が無数に集まってベンの身体を構成し、うっすらと向こうが透けて見える。しかも、それらはしなやかに動き、変化する前と変わらず焼肉をつまみ、タレをつけて食べていた。まるで現代アートのようである。


 え? あれ?


 ベンが異変に気付く。


「な、何するんですか!」


 ベンはシアンに怒る。しかし、数字の粒でできた人形が湯気を立てて怒っても何の迫力もない。


「きゃははは! これが本当の姿なんだよ」


 シアンは楽しそうに笑い、ベネデッタは唖然としていた。ベンは数字になってしまった自分の手のひらを見つめ、ウンザリとした様子で首を振る。


 そう、日本も異世界もこの世界のものは全てデータでできている。それはまるでVRMMOのようなバーチャル空間ゲームのように、コンピューターで計算された像があたかも現実のように感じられているだけなのだった。


 もちろん、ゲームと日本では精度が全く違う。地球を実現するには十五ヨタフロップスにおよぶ莫大な計算パワーが必要であり、それは海王星の中に設置された全長一キロメートルに及ぶ光コンピューターによって実現されている。そしてこのコンピューターが約一万個あり、そのうちの一つが地球であり、また、別の一つがトゥチューラを形づくっていたのだった。


 このコンピュータシステムを構築するのには六十万年かかっているが、それは宇宙の歴史の百三十八億年に比べたら微々たるものといえる。


 これらのことを、シアンは空中に海王星の映像を浮かべながら丁寧にベネデッタに説明していった。


「な、なんだかよく分かりませんわ。でも、星が一万個あって、うちの星が危ないという事はよく分かりましたわ」


 ベネデッタは眉をひそめ、困惑したように言う。


 ベンは納得は行かないものの、異世界転生させてもらったり、数字の身体にされてしまっては認めざるを得なかった。


「それで、星ごとに管理者が居るんですね?」


 ベンは数字の身体のままシアンに聞いた。


「そうそう、トゥチューラの星の管理者(アドミニストレーター)が魔王なんだ」


 魔王はニカッと笑ってビールをグッと空け、内情を話し始める。



 魔王たちの話を総合すると、一万個の地球たちはオリジナリティのある文化文明を創り出すために運営され、各星には管理者(アドミニストレーター)がいて、文化文明の発達を管理している。ただ、どうしても競争が発生するため、中には他の管理者(アドミニストレーター)の星に悪質な嫌がらせをして星の成長を止め、ライバルを追い落とそうとする人もいるらしい。


 そして今回、魔王の管理する星に悪質な干渉が起こっていて、このままだと管理局(セントラル)から星の廃棄処理命令が下されてしまうそうだ。


「一体どんな攻撃を受けているんですか?」


 ベンはナムルをつまみながら聞く。


「純潔教だよ。新興宗教が信者を急速に増やしてテロ組織化してしまってるんだ」


「純潔教!? あの男嫌いの……」


「そうそう、『処女こそ至高である』という教義のいかれたテロ組織だよ」


 魔王は肩をすくめ首を振る。


「で、彼女たちがテロを計画してるって……ことですか?」


「そうなんだよ、総決起集会を開き、一気に街の人たちを皆殺しにして生贄(いけにえ)にするみたいだ」


「はぁ!?」


 処女信仰で無差別殺人を企てる、それはとてもマトモな人の考える事ではない。ベンは背筋が凍りついた。


「で、ベン君にはその総決起集会に潜入して、テロ集団の教祖を討ってほしいんだ。教祖は管理者(アドミニストレーター)権限を持っているからベン君にしか頼めないんだ」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 管理者(アドミニストレーター)権限を持っている教祖って無敵じゃないんですか? 一般人の僕じゃ勝てませんよ」


 すると、横からシアンが嬉しそうに言う。


「ところが勝てちゃうんだな! 【便意ブースト】は神殺しのチートスキル。攻撃力が十万倍を超えると、システムの想定外の強さになるんで管理者(アドミニストレーター)でもダメージを受けちゃうんだ。まぁ、バグなんだけど」


「バグ技……」


 ベンは渋い顔でシアンを見る。


「つまりベン君しか教祖はたおせない。あの星の命運はベン君が握ってるんだよ」


 そう言ってシアンは嬉しそうにピッチャーを傾けた。


「いやいやいや、そもそも僕は男ですよ? 集会に入れないじゃないですか!」


 すると、魔王はニヤッと笑って言う。


「いや、君は目鼻立ち整っているし、女装が似合うと思うんだよね」


「じょ、女装!?」


 ベンは絶句し、思わず宙を仰いだ。


 女装してテロリストの決起集会に潜入して管理者(アドミニストレーター)の教祖を討つ。どう考えても無理ゲーだった。そして失敗すると星ごと滅ぼされる。それは気の遠くなるほどの重責だった。


「大丈夫だって! 上手く行くよ! きゃははは!」


 シアンは酔っぱらって楽しそうに笑っている。


 他人事だと思って好き勝手なことを言ってるシアンに、ベンはムッとして叫んだ。


「ちゃんと考えてくださいよ! あなた女神なんだから!」


 すると、シアンは急に真面目になってベンを見()える。


「女神だから……、何?」


 碧かった瞳は急に真紅の輝きを放ち、ゾッとするような殺気が走った。ベンはうっかり地雷を踏んでしまったことに気づき、思わず息が止まる。


 シアンから放たれた殺気のオーラが部屋を覆い、小皿がカタカタと揺れ始めた。にぎやかだった部屋も、皆押し黙って急に静寂が訪れる。シアンがその気になれば宇宙全てが根底から崩壊しかねない。そして、それを楽しみかねないのだ。


 ベンは気おされ、言葉を探すが、この殺気に値する返しなどそう簡単ではない。

 そもそも、魔王が管理者(アドミニストレーター)だとしたら女神とは何なのだろうか? ベンには全く想像がつかなかった。


 シアンは小首をかしげ、ベンの瞳の奥を鋭い視線でのぞきこむ。


 ベンは大きく息をつくと、小さな声で答えた。


「女神ってこう、慈愛に満ちて世界を良くしようとする神様……じゃないんですか?」


「勝手な定義だな。僕は君らの星が滅んだって痛くもかゆくもないんだゾ」


 シアンはゾッとするような冷たい笑みを浮かべ、突き放すような視線でベンを射抜いた。


「えっ……、じゃあなぜ魔王さんを手伝って……いるんですか?」


「だって、そっちの方が楽しそうじゃん?」


 シアンはクスッと笑う。


「楽しそう?」


 ベンは多くの命がかかった話に、なぜ『楽しさ』が出るのが理解できず、首を傾げた。


「どっちの方がワクワクドキドキするか……、要はどっちの方が多様性が増えるかだよ。宇宙は放っておくとどんどん退屈になっていく。だから、多様性を増やし、今までなかった景色を見せてくれることは貴重なことなのさ」


「多様性……」


 シアンはずいっと身を乗り出し、ベンのほほをそっとなでながら、


「もし……、君が期待外れなら……、僕は次の星へ行くだけ。どう? 期待していいの?」


 と、真紅の瞳をギラリと輝かせた。


 こんなの答えは一つしかない。今、シアンに愛想をつかされてしまっては、上手く行くものものダメになってしまう。


「だ、大丈夫です……」


「ほんとにぃ?」


「任せてください!」


 ベンは目をつぶって叫んだ。


 シアンはうんうんとうなずいてほほ笑むと、また碧い瞳に戻り、グッとピッチャーを傾ける。


 ベンはふぅっと胸をなでおろした。


 ただ、この世界のややこしさに考え込んでしまう。日々、目の前のことで一生懸命な自分には『宇宙の多様性』の話をされても全くピンとこない。しかし、その多様性確保のために自分たちは女神の興味関心を得て手助けしてもらっている。


 ベンは宇宙と女神と自分たち人間の複雑な関係に、思わずため息をついた。


「女神は困っている人を助けるのが仕事だと思ってました……」


「きゃははは! 僕は楽しい事しかしないよ」


 シアンは嬉しそうに笑って、ピッチャーをグッと空けた。


 言葉を失うベンに、魔王が肩をポンポンと叩きながら、


「シアン様は人知を超えた超常的存在だよ。我々人間の尺度で考えちゃダメさ。フハハハ」


 と、楽しそうに笑う。


 ここでベンは嫌な事に気が付いてしまった。シアンが『星が滅んだってかまわない』というのであれば、実は星の廃棄処分にも関わっているのかもしれない。


「もしかして、星の廃棄をするのって……」


 ベンが恐る恐る聞くと、魔王は渋い顔でシアンを指さし、シアンは嬉しそうに笑った。


「マッチポンプ……」


 ベンは頭を抱えた。


「勘違いをしちゃ困るよ! 僕は廃棄依頼をこなすだけ、廃棄処分を最終的に決定するのは評議会の仕事。僕じゃないゾ!」


 シアンは口をとがらせて怒る。


「な、なるほど……。では評議会というのは誰がやってるんですか?」


 ベンが聞くと、魔王は渋い顔で大きなテーブルの奥の方を指さした。そこではアラサーの男性が肉をめぐって美しい女性と言い合いをしていて、女性からパシパシと叩かれていた。


「え……? あの方々が評議会……?」


 ベンは唖然とした。宇宙で一番偉く、権力のあるはずの方たちがぱっと見、何の威厳もないただの人間なのだ。


「見た目で判断しちゃいけないよ。彼らは君が一億倍出そうが倒せるような人じゃない。そもそもあの男の人がシアン様を作ったんだよ。存在そのものから違うんだ」


 魔王はそう言って首を振り、ビールをあおる。


「えっ!? 作った?」


 ベンは何を言われたのかよく分からなかった。


「そうだゾ、僕はAIなんだな。きゃははは!」


 シアンは嬉しそうに笑ってベンを見つめる。


 ここでベンはシアンの子供っぽい言動の理由にたどりついた。彼女はAI、好奇心のままに動き回るアンドロイドなのだ。そして、星を破壊する能力すら持っている。


 ベンは呆然としながら、その透き通るような白い肌に浮かぶ美しい碧眼を見つめた。この、口を開かねば美しい、高貴なオーラすら醸し出す女の子がAIで、星を滅ぼす担当だそうだ。一体なぜそんなことになっているのか? その想像をはるかに超えた事態を、どう理解したらいいかすらベンには見当もつかなかった。


「評議会があの方たちなら、彼らに頭を下げたら済む話じゃないんですか?」


 べんはぶっちゃけて聞いてみる。


「星の評価には人口や文化水準から出されるスコアがあってね、手心を加えるという事は不平等であって、やらないんだよね」


 魔王は肩をすくめる。


 とはいえ、そんな星の一大事を自分の便意一つに託すというのは、あまりに変な話である。


「シアン様、AIで優秀なんだから、もっといいやり方考えましょうよ」

 

 ベンはすがるようにシアンに言った。


「いや、僕もね、いろいろやってみたんだよ。いろんな転生者に【便意ブースト】つけたりね。でもみんなダメ。千倍も出ないんだから」


 と、言いながらシアンは首を振る。


「え? 千倍出せたのって僕だけですか?」


「そうだよ。君は凄い素質があるんだゾ」


 そう言ってシアンはニヤッと笑った。


 しかし、そんなことを言われても何も嬉しくない。一体どこの世界に『便意を我慢できること』を自慢できる人がいるのだろうか? 人には言えない、ただただ恥ずかしいだけの才能なのだ。


 ベンは大きく息をついてうなだれる。


 すると、ベネデッタがそっとベンの手を握った。


 え?


 見ると、可愛い口を真一文字にキュッと結び、うつむいている。


「ど、どうしたの?」


 ベネデッタは大きく息をついて、顔を上げると決意のこもった目で、


「あたくしがやりますわ!」


 と、宣言した。


 いきなりの公爵令嬢の提案に皆あっけにとられたが、ベネデッタの美しい碧眼にはキラキラと揺るがぬ決意がたたえられていた。









33. 令嬢の試練


「え? ちょ、ちょっとどういう……ことですか?」


 恐る恐る聞くベン。


 すると、ベネデッタはガタっと立ち上がり、こぶしをギュッと握ると、


「テロリスト制圧はトゥチューラを預かる公爵家の仕事ですわ。わたくしは責任ある公爵家の一員として教祖を討伐させていただきますわ!」


 と、宙を見上げながら言い切った。


「よっ! 公爵令嬢!」「やっちゃえ!」「頑張れー!」


 酔っぱらった日本のスタッフは赤い顔で拍手をしながら盛り上げる。


 しかし、ベン達にはとてもうまくいくとは思えなかった。


「あー、御令嬢には難しいと……思います……よ?」


 魔王は言葉を選びながら言う。


「べ、便意に耐えるだけでよろしいのですよね? 耐える事ならわたくし、自信がありましてよ」


 ベネデッタは胸を張って得意げに言う。


 顔を見合わせるシアンと魔王。その表情には『面倒くさいことになった。どうすんだこれ』という色が読み取れた。


 ベンも頭をひねってみるが、公爵令嬢は言い出したら聞かない。適当なことを言うだけでは納得しないだろう。しかし、どうすれば……?


すると、シアンは肉の皿をのけ、ベネデッタの前に金属ベルトのガジェットをガンと置き、


「じゃあ、一度やってみる?」


 と、ニコッと笑った。


「えっ!? い、今ですの?」


 目を真ん丸に見開き、焦るベネデッタ。


「だって本番は来週だからね。善は急げだよ!」


 シアンは嬉しそうにサムアップしながらそう言うと、ビールを飲んで「ぷはぁ」と幸せそうな顔を見せた。



      ◇



 研修用の異空間に来た一行。そこは見渡す限り白い世界で、どこまでも白い床が広がり、真っ白な空が広がっている。


 シアンは仮設トイレを設置し、ベネデッタに中に入るのを勧めたが、


「ベン君はトイレなんて使いませんでしたわ!」


 と、断ってしまう。


 シアンはしばらく考え込むと一計を案じ、すりガラスのパーティションを用意してその向こうにベネデッタを立たせた。


「パーティションもいりませんわ!」


 ベネデッタは毅然(きぜん)と言い放ったが、


「万が一事故が起こるとまずいからね、一応ね」


 と、シアンはなだめる。そして、


「はい、ここはテロリストの総決起集会の会場デース。イメージしてー」


 と、両手を高く掲げながら楽しそうに言った。


「イ、イメージしましたわ」


 ベネデッタは目をつぶり、うなずく。


「教祖がやってきマース。教祖は『トゥチューラの連中を神の元へ送るのだー! 純潔教に栄光をー!』と叫んでマース」


「ひ、ひどい連中ですわ!」


「怒りたまったね?」


「溜まりましたわ!」


 パーティションの向こうでぐっと両こぶしに力をこめるベネデッタ。


「便意に負けちゃダメだよ」


「負けることなどあり得ませんわ!」


 ベネデッタは憤然(ふんぜん)と言う。


「本当?」


 シアンはニヤリといたずらっ子の顔で笑う。


「公爵家令嬢として誓いますわ、わたくし、便意なんかには絶対負けません!」


 力強い声がパーティションの向こうで響く。


「OK! スイッチオン!」


 ベネデッタは何度か大きく深呼吸をすると、ガチッと力強くガジェットのボタンを押し込んだ。


 ブシュッ!


 と、嫌な音がして、ベネデッタの可愛いお尻に薬剤が噴霧された。


 ふぎょっ……。


 生まれて初めての感覚に変な声が出るベネデッタ。パーティションの向こうで腰が引けた姿勢で固まっているのが見える。


 直後、ポロン! ポロン! ポロン! と電子音が続き、一気に『×1000』まで表示が駆けあがる。


 ふぐぅぅぅ!


 声にならない声があがり、バタンとベネデッタは倒れてしまう。


「あーあ……」


 シアンはそう言うと、すばやくベンの前に立った。そして、両手でベンの耳を押さえると、響き渡る壮絶な排泄(はいせつ)音が聞こえなくなるまで音痴な歌を歌っていた。


 ベンは状況を察し、何も言わずただ目を閉じて時を待った。なるほど、普通の人には耐えられないのだ。やはり自分がやるしか道はない。


 ベンはこぶしをギュッと握り、そして大きく息をついた。



       ◇



 トゥチューラの人気(ひとけ)のない裏通りに転送してもらった二人。宮殿への道すがら、ベネデッタはずっとうつむいて無口だった。


 ベンはベネデッタの美しい顔が暗く沈むのを、ただ見てることしかできなかった。生まれてきてからというもの、あそこまでの屈辱はないだろう。かける言葉も見つからず、ただ静かに歩いた。



 別れ際、ベネデッタがつぶやく。


「ベン君の凄さが身にしみてわかりましたわ」


 ベンは苦笑し、答える。


「まぁ、向き不向きがあるんじゃないかな」


「便意に耐えるだけ、ただそれだけのことがこんなに辛く、苦しかったなんて……。ごめんなさい」


 うなだれ、肩を落とすベネデッタ。


「大丈夫、トゥチューラは僕が守ります。教祖を討って日本で楽しく暮らしましょう」


 ベンはパンパンと軽くベネデッタの肩を叩き、ニッコリと笑って励ます。


 ベネデッタはうっすらと涙を浮かべた目でゆっくりとうなずいた。


 ベネデッタは王女として生まれ、蝶よ花よとして育てられてきた。その美しい容姿もあいまって、周りの人がベネデッタに向ける視線にはみな思惑が混じっている。だから心から親しくなれる人もおらず、ちやほやされる中でもずっと孤独だった。


 このままでは政略結婚させられ、一生かごの中の鳥で過ごすことになってしまう。そんな鬱屈とした暮らしの中でいきなり現れた希望、それがベンだった。献身的に街を、世界を救おうとするその姿勢に惹かれ、また、受け身だけだった今までの自分の在り方に反省もさせられた。


 我慢するだけで世界を救えるなら自分にもできる、自分が街を救う千載一遇のチャンスだと手を上げてみたものの、結果は惨敗。十万倍どころか千倍で意識を失ってしまった。


 そんなみじめな自分にも優しい声をかけ、自分のわがままで言いだした日本移住も頑張ってくれるという。まさにベネデッタにとってはベンは希望の熾天使(セラフ)だった。


 ベンの力になりたい。


 もちろんベンが失敗したら自分たちはシアンに殺されてしまうのだが、そうでなかったとしても苦しむベンの力になりたかった。


 ベネデッタはベンの手をぎゅっと握りしめ、しばらく肩を揺らしていた。






34. メイドの適性検査装置


 それから一週間、ベンは毎日便意に耐える練習を繰り返した。十万倍を出すとどうしてもすぐに意識を失ってしまうので、何とか意識を失わない方法はないかと一人トイレに籠って試行錯誤を繰り返す。


 何しろ十万倍で教祖を討たない限りこの星は滅んでしまうのだ。その重責に押しつぶされそうになりながら孤独に便意と戦っていた。


 屋敷のメイドたちはその奇行を見て不思議そうに首をかしげる。


 トイレで気を失い、しばらくしてげっそりした顔で出てきたベンに、赤毛のメイドが聞いた。


「ご主人様何をされているんですか? そろそろお部屋に呼ぶ娘を決めてください」


 メイドは不満そうに頬をぷっくりとふくらませている。


「あー、そうだったな……」


 彼女たちを抱くような余裕はないが、確かにそろそろ誰かを指名してあげないと不満が爆発してしまう。


 ベンはしばらく思案し、ニヤッと笑うと、大浴場にメイドたちを集めた。



       ◇



「そろそろ部屋に呼ぶ娘を決めたいと思う。希望者はこれをつけなさい」


 ベンはそう言って、魔王から借りてきた金属ベルトのガジェットを台に山盛りに載せた。


「これは……、何ですか?」


 赤毛のメイドは目鼻立ちの整った美しい顔に不思議の色を浮かべ、金属ベルトをしげしげと眺めた。ベンはチクリと胸が痛んだが、一晩百万円の栄誉と引き換えの試練は甘くはないのだ。


「これは適性検査装置だ。この適性検査に合格した者は毎日部屋に呼んでやろう。ただし、結構つらい試験だ。よく考えて決めなさい」


 ベンがそう言うと、メイドたちは先を争って金属ベルトを奪い合うように手にしていく。若く美しい娘たちが便意促進器に群がる姿はひどく滑稽で、この世界の理不尽を思わせた。


 使い方を教え、いよいよ適性を検査する。これは嫌がらせではなく、もし、耐えられる娘がいるなら一緒に集会についてきてほしかったのだ。彼女たちの異常な執念ならもしかしたら耐えられるのかもしれない。


「ボタンを押して一分間便意に耐えられたら合格だ。用意はいいか?」


 ベンはそう言ってみんなを見回した。


「ふふふ、すごい特殊なプレイですね。一分なら余裕ですよ! 今晩は私と二人きりですからね!」


 赤毛のメイドは嬉しそうに笑う。


「私も便意ぐらい耐えられます! もし、たくさん合格したらどうなるんですか?」


 他のメイドが不安そうに聞いてくる。


「一分は長いぞー。そんなことは心配せずに耐えてみせなさい。ちなみに僕は余裕だからね」


 ベンはニコッと笑って言った。


「一分ぐらい余裕だわ!」「ようやく夢が叶うわ!」


 メイドたちは合格する気満々である。


 ベンはそんなメイドたちを見渡すと、


「ハイ! では、ボタンに手をかけてー! 三、二、一、GO!」


 と、叫んだ。


 メイドたちはベンを挑戦的なまなざしで見ながら、一斉にボタンを押し込んだ。


 ガチッ! ガチッ! ガチッ!


 ふぐぅ……。くぅ……。ひゃぁ……。


 あちこちから声にならない声が上がる。


 直後、真っ青な顔をしてバタバタと倒れていくメイドたち。


 あれほど自信満々だったのに、誰一人耐えられなかったのだ。


 大浴場には壮絶な排泄音が響き渡った。


 ベンは急いで耳をふさぎ、目をつぶって「アーメン」と祈る。


 彼女たちのガッツに期待したのだが、残念ながら適性者は現れなかった。


 大浴場には汚物にまみれてビクンビクンと痙攣(けいれん)をする女の子たちが死屍累々(ししるいるい)となって横たわる。


 ベンは掃除洗濯は自分がやってあげるしかないな、とため息をつき、肩を落とした。



        ◇



 その頃、窓の外に巨大な碧い星、海王星を見渡せる衛星軌道の宇宙ステーションで、小太りの中年男が若いブロンドの女性と打ち合わせをしていた。


「いよいよだな。計画は順調かね」


 中年男はドカッと革張りの椅子にふんぞり返り、ケミカルの金属パイプを吸いながら女性をチラッと見た。


「順調でございます、ボトヴィッド様」


「うむうむ。計画が上手く行くよう、ワシの方で秘密兵器を用意してやったぞ」


 そう言うとボトヴィッドと呼ばれた中年男は指先で空間を切り裂き、倉庫に積まれた金属ベルトのガジェットの山を見せる。そして、ニヤリと笑うと、一つ取り出し、女性に渡した。


「こ、これは何ですか?」


 女性はいぶかしそうに金属ベルトとプラスチックノズルを子細に眺める。


「まず、この映像を見たまえ」


 そう言うと、ベンがヒュドラを瞬殺した時の映像を空中に再生した。


「ベ、ベン君……」


 女性は驚いて目を丸くする。


「なんだ、この小僧のことを知っとるのか?」


「え、ええまぁ……。しかしこの強さは?」


「この小僧はこの金属ベルトでとんでもない強さを発揮しておった。戦闘員全員分用意してやったから装着させなさい」


 ドヤ顔のボトヴィッド。


「いやしかし……こんなベルトがパワーを生むとは考えにくいのですが……」


「なんだ! お前はワシの見立てにケチをつけるのか!?」


 ボトヴィッドはひどい剣幕で怒る。


「い、いやそのようなことは……」


「そのベルトのボタンを押した瞬間、攻撃力がグンと上がったのじゃ。そのベルトが魔王側の切り札であるのは間違いない。ワシらは量産で対抗じゃ!」


 悪い顔でニヤッと笑うボトヴィッドに、女性は渋い顔をしながら答えた。


「わ、わかりました。戦闘員全員に着用させます」


「よろしい。では吉報を待っているぞ」


 ボトヴィッドはニヤリと笑い、席を立つ。


「お、お待ちください。街の人全員を生贄に捧げたら星をいただける、というお約束は守っていただけるのですよね?」


 女性は眉をひそめ、ボトヴィッドをすがるように見る。


「ふん! 俺を信じろ。生贄さえ用意してくれれば約束通り管理局(セントラル)に提案しよう。女性だけの星というのはいまだに例がない。通る公算は高いだろう」


「ありがたき幸せにございます」


 女性はうやうやしく頭を下げ、スススとたおやかなしぐさで、空中に開いたドアから帰っていった。


 ボトヴィッドは窓から(あお)く雄大な海王星を見下ろし、大きく息をつく。その巨大な惑星は表面に雄大な筋の模様を描きながら、どこまでも純粋な碧い色をたたえていた。


 ボトヴィッドはとある星で一番のエンジニアだった。膨大な量のデータを巧みに解析し、最適解をスマートに生み出し、お客はいつも感嘆してくれていた。そして、その実績が買われ、星の管理者(アドミニストレーター)にスカウトされたわけだが、実際の星の運営はとても彼の手に負えるものではなかった。


 予測不可能な原始人たちの行動。いきなり始まる小競り合い、そして戦争。弱った人々を襲う疫病。いつまで経っても文化文明は立ち上がって来ない。そんな中でかつては部下だった魔王の星が順調に立ち上がり始めたのだった。


 この屈辱にボトヴィッドは震える。トップエンジニアが部下に屈するなどあってはならなかったのだ。そしてボトヴィッドは禁断の手段に打って出る。魔王の星をグチャグチャにして廃棄処分に追い込んでやろうとたくらんだのだった。


 魔王の星の調子に乗ってるカルト宗教の小娘を、言葉巧みに口説くのに成功したボトヴィッドは、街を完膚なきまでに破壊させることにする。魔王が育ててきた文化文明は灰燼に帰すのだ。


 くっ、くふふふっ。


 ボトヴィッドは笑いが止まらなかった。


 もちろん彼には、それが醜悪な八つ当たりであり、人間として最低の行為だという事は分かっている。むしろ、だからこそその甘美な背徳の情念が彼の背筋をゾクッとくすぐるのだ。


「魔王は処女の小娘に負けるのだ。クフフフ……、ふぁっはっは!」


 海王星のオフィスには昏い笑い声が響き渡った。















35. 美しき少年


「いよいよだね、頼んだゾ!」


 シアンはベンにファンデーションを塗りながら楽しそうに言った。


 ベンは生まれて初めての女装に渋い顔をしながら、ただマネキンのように身をゆだねていた。


 シアンは最後に茶髪のウイッグをスポッとかぶせると、


「んー、これでヨシ! 可愛いゾ! きゃははは!」


 と、満足げに笑った。


 手鏡を見たベンは、そこにキラキラとした可愛い子がいてちょっとドキッとしてしまう。


 純潔教の青いローブを身にまとい、胸パッドを仕込んだブラジャーをつけ、ベンは見事に小柄な可愛い女性になったのだ。


「こ、これが……、僕?」


 思わず新たな性癖の扉を開きかけ、ベンはブンブンと首を振って雑念を飛ばす。


「ベン君、ささやかだけど、役に立つかもしれない魔法を開発しておいたよ。手を出して」


 魔王はベンに笑いかける。


「え? 魔法……ですか?」


 魔王はベンの手を取り、手のひらに青く輝く小さな魔法陣を浮かべた。


「これで誰かのおしりを触ると便意を押し付けることができるんだ」


「え? 僕の便意が消えるって……ことですか?」


「そうそう。便意って言うのは脳が『排便しろー!』って必死に腸を動かす脳の働きだからね。これを相手に移転できるのさ。クフフフ」


 魔王は楽しそうに言った。


「はぁ……」


「間違えてボタン押しちゃったりしたときに、一回だけリセットできるって感じかな? 使えそうだったら使って」


「あ、ありがとうございます」


 ベンは手のひらでキラキラと光の微粒子を放っている魔法陣を見ながら、誰に押し付けたらいいのか、いまいち使いどころがイメージできず、首を傾げた。



「はい、これが招待状。場所は街はずれの教会だよ」


 魔王は茶封筒をベンに渡す。


 話によると約一万人の信者が集合するらしいが、小ぢんまりとした教会には一万人も入れない。集会用に異空間を作り、そこに教祖が登場するだろうとのことだった。そして、異空間は閉じられてしまうと外からは干渉できなくなる。つまり、ベン一人で一万人の信者の中、教祖を討たねばならない。


「いやぁ、どう考えても上手く行かないですよ」


 そう言ってベンは泣きそうな顔で首を振る。


「十万倍を出せば君は宇宙最強、一万人に囲まれてても関係ないさ」


 魔王は肩を叩きながら元気づけるが、ベンの表情は暗い。


「十万倍では意識を保ち続けられませんでした」


 そう言ってベンは肩を落とし、深くため息をついた。長い茶髪がサラサラと流れる。


 魔王は気乗りしないベンをジッと見つめ、ふぅとため息をついた。


 元々は自分のわきの甘さから怪しい策略をめぐらされ、窮地に追い込まれたのだ。それをこんな限界を超えた挑戦に託すことになってしまった時点で、本当は負けている。


「本当にすまない……」


 魔王はキュッと口を結び、頭を下げて謝る。

 

「たとえ失敗しても、自分の力の及ぶ限りフォローする。後のことは考えず全力を出してほしい」


 魔王はベンの手をギュッと握って言った。


 ベンは無言でうなずく。魔王に悪意がある訳じゃない。魔王を責めても仕方のない事だ。だが、誰にも当たれないというのはそれはそれで辛いことである。


 はぁぁぁ……。


 ベンは息を漏らし、うつろな目で宙を仰いだ。


「教祖が出てきたらすぐに十万倍になって一気に勝負をつけよう。教祖さえ倒してくれれば異空間は崩壊を始めるだろう。そうしたら後は俺たちが何とかする」


 魔王は熱のこもった声で言うが、十万倍の便意は殺人的な衝撃を伴っている。気軽には答えられない。


 ふぅ……。


 ベンは大きく息をつくと、静かに首を振る。


 すると、シアンはベンの背中をパンパンと叩き、


「ほら、もうすぐ百億円だゾ! 百億円! きゃははは!」


 と、楽しそうに笑った。


「もう! 他人事だと思って!」


 ベンはジト目でシアンを見る。


 今はもう金の問題じゃないのだ。そんなのは全てが終わってから言って欲しい。


「あ、そうそう、百万倍は出しちゃダメだゾ? 確実に脳みそぶっこわれるから」


 シアンは急に真面目な顔をして忠告する。


「十万倍で気を失うので大丈夫です!」


 ベンはムッとしながらそう答え、そっぽを向いた。


「あのぉ……」


 ベネデッタが横から声をかけてくる。ベネデッタは少しやつれた様子で目の下にクマを作りながら、それでも強い芯を感じさせる視線でベンを見た。


「ど、どうしたんですか?」


「わたくしも、集会に参加させていただけないかしら?」


 ベネデッタは伏し目がちにそう言った。


「ダ、ダメですよ。命の保証ができません」


「わたくしのことは守らなくていいですわ。どっちみちベン君が失敗したらわたくし達は殺されるんですのよ?」


 ベンは言葉に詰まった。そう、自分がミスればトゥチューラの人達含めてこの星の人たちは全滅なのだ。改めてその重責に押しつぶされそうになる。


「実はわたくし、あの後毎日特訓したんですのよ」


 ベネデッタはニコッと笑う。


「特訓?」


「そうですわ。トイレに籠って何度もボタンを押したんですの。そしてついに千倍に耐えられるようになりましたわ!」


 ベネデッタは少し誇らしげにそう言って胸を張った。


 シアンはそれを聞いて、


「千倍出せたの!? すごーい!」


 と、ベネデッタの手を取ってブンブンと振る。


「いや、でも千倍止まりなんですわ」


「それでもすごいよ!」


 ベンは叫び、こぶしをギュッと握った。そして、そのベネデッタの根性に目頭が熱くなる思いがして唇をキュッとかむ。便意を我慢するというのは本当に苦しい。胃腸がねじれんばかりに暴れまわり、それを括約筋一つで押さえつけ続けるのだ。その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがある。


 そんな苦痛に耐え、失敗して暴発する事を繰り返す。そんな地獄の修業は、やったものではないと分からない自己の尊厳にかかわる凄惨な色がにじんでいる。


 その話を聞いてはもうベネデッタの好きにさせるしかなかった。


「いいですよ、行きましょう。一緒に教祖を討ちましょう!」


 ベンは自然と湧いてくる涙を手のひらで拭うと、ベネデッタに優しくハグをする。


 ベネデッタも嬉しそうにそれを受け入れた。公爵令嬢だからとしてではなく、ベンの仲間としてベンを支えながらこの星を守ることができる。それは彼女にとって大いなる自立の一歩だった。






36. 私が魔王です


 青いローブ姿の二人は教会までやってきた。


 すでに陽は落ち、こじんまりとした三角屋根の建物には煌々(こうこう)と明りが灯り、暮れなずむ街の景色の中で異彩を放っている。


 入口にはすでに大勢の純潔教の信者が行列を作り、ベンもベネデッタと共に最後尾についた。


 ベンは男だということがバレないように、辺りを気にしながらそっとフードを深くかぶりなおす。


 前に並んでいる女の子は友達と一緒に来たようで、楽しげにガールズトークをしながら順番を待っていた。


 これから街の人たちを虐殺するテロリストのはずなのに、なぜこんなに楽しげなのかベンには理解できない。この軽いノリで次々と人々を殺していくのだろうか?


 彼女たちが自分を襲って来るのなら殺すしかない。しかし、ためらうことなくこの娘たちを粉砕なんてできるものだろうか? 彼女たちはゴブリンじゃない、可愛い女の子なのだ。社会の理不尽さ、狂った現実にベンは押しつぶされそうになる。


 すると、ベネデッタが震えるベンの手をそっと握り、優しく微笑んだ。その瞳には確かな覚悟と限りなき慈愛がこもっている。


 ベンはハッとして大きく息をついた。


 そう、自分たちは街の人を、この星を救うためにここにいるのだ。敵は教祖ただ一人、心を乱してはならない。


 ベンは何度か大きく深呼吸をし、グッとこぶしを握り、ベネデッタを見てうなずいた。



        ◇



 やがて二人の番がやってくる。


 シアンに髪の色と目の色を変えてもらったベネデッタが、おずおずと招待状を受付嬢に渡す。ブロンド碧眼は茶髪黒目になってしまったが、それでも気品ある美しさは変わらなかった。


 受付嬢は、チラッとベネデッタの顔を見て、招待状の番号を確認し、


「はい、9436番! お名前は?」


 と、いいながらシートに何かを書き込んでいる。


 えっ?


 名前を聞かれるなんて聞いていなかったベネデッタは、引きつった顔でベンと目を合わせる。


 しかし、ベンもそんなことは聞いていないからどう答えたらいいか分からない。この招待状を捏造(ねつぞう)したときに使った名前、それが何かだなんて分かりようもなかった。


 ベンは顔面蒼白になってブンブンと首を振る。二人は極めてヤバい事態に追い込まれた。


 すると、ベネデッタは意を決して、


「シアンです」


 と、目をつぶったまま言い切る。


「えーと、シアンちゃんね。ハイ、OK!」


 そう言ってベネデッタにネックストラップを渡した。


 なんという洞察力と度胸。ベンは目を丸くしてベネデッタが通過していくのを眺めていた。


 しかし、自分は何と答えたらいいのか?


 【ベン】は明らかに男の名前だから違う。だとしたら何だろうか?


 魔王が登録しそうな女の名前……。


 全く分からない!


 ベンは頭が真っ白になった。


「はい、9435番! お名前は?」


 受付嬢が聞いてくるが、答えようがない。ベンは目をギュッとつぶり、途方に暮れる。


 名前が違うということになれば明らかに不審者だ。警備の者が呼ばれ、ここでドンパチが始まってしまう。


 そうなると、もう二度と集会潜入などできなくなり、テロの阻止の難度はグッと上がってしまう。


 くぅぅぅ……。


 万事休す。


 ベンは大きく息をつき、意を決すると金属ベルトのボタンに手をかけた。


 騒がれたらすかさずボタンを押し、入り口をダッシュで突破し、一気に会場に突入。そして、教祖を見つけ次第もう一回ボタンを押して瞬殺する……。


 できるのかそんなこと?


 ドクンドクンと心臓が激しく高鳴り、冷汗がたらりとたれてくる。


「早く、名前!」

 

 受付嬢はイライラした声をあげる。


 仕方ない、勝負だ。


 ベンは大きく息をつき、覚悟を決め、受付嬢をじっと見据えると。


「魔王です」


 と、言ってニヤッと笑った。潜入する受付で【魔王】を自称するとは余程のお馬鹿だが、もう女の子の名前なんて一つも思い浮かばなかったのだ。


 受付嬢はギロリとベンをにらみ……、ニコッと相好を崩すと


「ハイハイ、マオちゃんね。ハイ、OK!」


 そう言ってストラップをベンに渡した。


 え?


 殺し殺される凄惨なシーンを覚悟してたベンは肩透かしを食らい、目を真ん丸に見開いて固まる。


「早く受け取って!」


 受付嬢はキッとベンをにらみ、ベンはキツネにつままれたように呆然としながらそっとストラップを受け取った。


 正解が【魔王(まお)】とか、あの人はいったい何を考えているのだろうか? ベンは無駄に気疲れてしまった重い足取りでベネデッタの後を追った。



       ◇



 ベンは会場内に入り、コンサート会場のような観客席に座ると、


「ちょっと、魔王たち何なんですかね? 情報はしっかり伝えるのが社会人の基本じゃないんですかね?」


 と、小声でベネデッタに愚痴を言う。


「きっと名前のチェックがあるなんて思ってなかったのですわ」


 ベネデッタはなだめるように返す。


 ベンは肩をすくめ、渋い顔で首を振った。


 見回すと大きなステージに広い観客席。もう七割くらいは席が埋まっているだろうか? あの小さな教会の中がこうなっているだなんて明らかに異常である。やはり管理者権限を使った異空間なのだろう。一度閉じられたらもう教祖を倒すまで逃げられないし、助けも期待できない。


 見渡す限り全ての女の子が敵なのである。ベンは改めて強烈なアウェイにいることを感じ、胃がキリキリと痛んだ。


 そんな様子を見ながらベネデッタは、


「これが終わったら日本ですわ。大きなお屋敷を買って一緒に暮らすっていかがかしら?」


 そう言ってニコッと笑った。緊張をほぐそうとしているのだろう。少女に気を使われる三十代のオッサンという構図にベンは苦笑いしてしまう。


 ただ、ベネデッタがイメージしているのは離宮のような屋敷なのだろうが、日本にはそんなのは売ってない。


 建てるか? 百億で? どんな成金だろうか?


 そんなことを考えてベンは思わずクスッと笑ってしまった。


「あら、お嫌ですこと?」


 ベネデッタは口をとがらせる。


「あ、いやいや、楽しみになってきました。ベネデッタさん好みの素敵なお屋敷を建てましょう。バーンとね!」


 ベンは両手を広げ、ニコッと笑って言った。


 ベネデッタはほほを赤く染め、うなずく。


 と、その時、急に照明が落とされ、ステージの女性にスポットライトが当たった。いよいよ運命の時がやってきたのだ。


 二人はハッとして食い入るようにその女性を見つめた。








37. ヴァージナスフィメール


 ステージ上の女性は黒髪を後ろでまとめ、目つきの鋭いいかにもやり手の女性だった。彼女は観客席をぐるっと睥睨(へいげい)する。その自信に満ちた威圧的な態度に会場に緊張が走った。


 彼女はVサインをした右手を高々と掲げると、


「ヴァージナスフィメール!」


 と、恐ろしい形相で叫ぶ。


 ガタガタガタ!


 観客席の信者たちはいっせいに起立し、同じくVサインを掲げながら、


「ヴァージナスフィメール!」


 と叫んだ。


 二人はあわてて立ち上がって真似をするが、改めてカルト宗教の意味不明な狂気に圧倒される。


「司会進行は副教祖であるわたくしヴィーナス・オーラが務めさせていただきます」


 ステージの女性はそう言ってゆっくりと頭を下げた。


 重厚なパイプオルガンが腹に響く素晴らしい音色を奏で始める。賛美歌だろうか? 信者たちはビシッと背筋を伸ばし、見事な歌声でのびやかに熱唱する。一万人が心を一つに合わせ、圧倒的な声量で会場を包んだ。


 ベンは必死に口パクで真似をするが、周囲のエネルギッシュな歌声にとてもついていけない。冷や汗を流しながらただ、歌い終わるのを待った。


 演奏が終わると、水を打ったような静けさに包まれる。それは一万人いるとは思えない静寂だった。その異常に統率の取れた信者たちにベンは背筋が寒くなる。なるほど、テロを起こすにはこのレベルの高い士気と忠誠心が要求されるのだ。それを実現した教祖とはどんな人なのだろうか?


 そんな教祖をこれから自分は討たねばならない。管理者(アドミニストレーター)権限すら持っている強敵、勝機は一瞬しかないだろう。そんなこと本当にできるのだろうか? ドクンドクンと激しい鼓動が聞こえ、冷汗が流れていく。


 いよいよ運命の時が近づいてきた。ベンは金属ベルトのボタンに手をかけ、ステージを見下ろす。


 押すか? 押していいのか?


 ドクンドクンと心臓は高鳴り、手のひらはびしょびしょだった。


 ブォォォォゥ。


 パイプオルガンが二曲目の演奏に入った。


 また、信者たちは熱唱を始める。


 肩透かしを食らったベンはふぅと息をつき、渋い顔でベネデッタと顔を見合わせた。また口パクで演奏の終了を待つしかない。


 結局五曲も歌が続き、ベン達は口パクだけで疲れ果ててしまう。


 また次も歌なんじゃないかとウンザリしながらステージを見ていると、副教祖がVサインを高々と掲げ、話し始める。


「皆さん、今日は我が純潔教にとって待ち焦がれた約束の日です。純潔を守り続けた我々に神が新たな世界をご用意してくれています。それには街の人々を神の元へ届けねばなりません。皆さんの手で一人ずつ、送っていきましょう! さぁ行きましょう! ヴァージナスフィメール!」


「ヴァージナスフィメール!」「ヴァージナスフィメール!」「ヴァージナスフィメール!」


 信者たちは感無量といった感じで声を張り上げた。


 なるほど、彼らは街の人を殺そうとは思っていないのだ。街の人の幸せのために神の元へ送ろうとしている。それは彼らにとっては善行なのだ。


 ベンはこんなとんでもない洗脳を行った教祖に激しい怒りを覚えた。やはり、教祖は討たねばならない、信者の彼女たちのためにも!


「それでは、我らがマザー、ヴィーナス・ラーマにご登壇いただきます!」


 副教祖がそう言うと、


「キャ――――!」「うわぁぁぁ」「ラーマ様ぁ!」


 と、会場が歓喜の渦に包まれた。


 ある者は涙をこぼし、ある者は過呼吸で今にも倒れそうである。


 その狂気ともいうべき熱狂にベンは圧倒される。この熱狂の中で教祖を討つなんて、できるのだろうか?


 しかし、やるしかない。トゥチューラのため、この星のため、そして、自分の未来のため。


 ベンは冷や汗を流しながら、ガチッと金属ベルトのボタンを押した。


 ぐふぅ……。


 何度やっても慣れない噴霧が肛門を直撃し、ベンは顔をゆがめた。


 ピロン! ピロン! ピロン! 表示は『×1000』まで一気に駆け上る。


 隣でベネデッタもボタンを押したようだ。美しい顔を苦痛にゆがめながら必死に便意に耐えている。


 やがて一人の女性がステージに現れる。


 ベンは荒い息をしながら二発目のボタンに手をかける。いよいよ教祖と対決だ。


 事前に打ち合わせしていた通り、二発目のボタンを押したらベネデッタに神聖魔法をかけてもらい、意識をしっかりとさせる。そして、飛行魔法で一気に教祖に飛びかかって右パンチで殴り倒す。教祖の意識を飛ばせばシアン様たちがやってきて全てを解決してくれる……。できるのか本当に? いや、やらねばならないのだ。


 ベンは便意に耐えながら必死に何度も飛びかかるイメージを繰り返す。


 スポットライトが彼女を照らし出す。美しいブロンドの髪に鮮やかなルビー色の瞳、それは神々しい美貌を放つ女性だった。









38. 懐かしの教祖


 うぉぉぉぉ!


 まるで地鳴りのような歓声が会場を包んだ。


 しかし、ベンは固まり、動けなくなる。


「マ、マーラ……さん? な、なぜ……」


 そう、教祖は見まごう事なきマーラだった。勇者パーティで唯一ベンに気を配ってくれた憧れの存在。優しくて素晴らしいスキルを持っていたヒーラー。なぜこんなところで教祖なんてやっているのか?


 マーラは熱狂のるつぼと化した会場を見回し、ニッコリと笑うと、高々とVサインを掲げた。


 直後、まばゆい紫の光がVサインから放たれ、会場全体にキラキラ光る紫の微粒子が舞っていく。


 信者はみな恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべながらその微粒子を浴びた。やがて、立っていることができなくなり、次々とぐったりとしながら席に沈んでいった。


 ベンは腹痛に耐えながら必死に考え、ついに理由に気が付いた。マーラも四天王の魔法使いと同じだったのだ。この計画を進める上で、勇者が得た女神からの加護は危険な不確定要素だった。だからその加護内容の調査のためにパーティに加わっていたのだ。


 そんな裏があったとも知らず、ただのほほんとマーラの優しさに惹かれていた自分が情けなく、ガックリとした。


 ベンはふと周りを見て、信者が全員座っているのに気がついた。


 あっ!


 焦って座ろうとしたベンをマーラは見逃さなかった。


「べ、ベン君……」


 マーラは渋谷でとんでもない強さを見せたベンの姿を思い出し、顔をこわばらせ、焦る。


「あ、いや、これは、そのぅ……」


 ベンはこの想定外の事態に混乱した。ただでさえ腹が痛くて頭が回らないのだ、何を言ったらいいかなんてさっぱり分からない。


「男よ! 男が紛れ込んでるわ!」


 マーラはベンを指さし、必死の形相で叫んだ。


「キャ――――!」「お、男!?」「ひぃぃぃ!」


 ベンの周りから信者は逃げ出し、会場は大混乱に陥る。


「第一種非常事態を宣言します! 総員戦闘配備! アクセラレーターON!」


 マーラはVサインを高々と掲げ、叫ぶ。


 すると、信者たちは全員ローブをたくし上げ、金属ベルトのボタンを押した。


 は?


 ベンは目を疑った。


 彼女たちが押しているのは魔王の下剤噴射ガジェットだった。いったいなぜ? 何のために?


 女の子たちのお尻に次々と噴射される薬剤。それは彼女たちに言いようのない感覚を呼び覚まし、


 ふぐっ! くぉぉ! ひぐぅ!


 と、口々に声にならない声を上げた。


 直後、バタバタと倒れる女の子たち。そして、響き渡る排泄音。


 一万人の可愛い女の子たちが壮絶な排泄音をたてながら床に倒れ、痙攣(けいれん)している。まさに地獄絵図だった。


 オーマイガッ!


 そのあまりの凄惨さにベンは頭を抱え、叫ぶ。


 一万人分の排泄物が振りまかれた会場は、酸鼻(さんび)を極める阿鼻叫喚(あびきょうかん)の様相を呈し、まるで下水が逆流したトイレのような、息をするにもはばかられる状況になってしまった。


「ベン! お前一体何をした!」


 鼻をつまみながら鬼のような形相でマーラが叫ぶ。


 ベンは言葉を失い、ただ、その壮絶な状況に首を振る。


 何をしたというより、『何やってんのあんたたち?』と言わせてほしいベンであった。


「死ねい!」


 マーラはそう叫ぶと金色に輝くエネルギー弾を次々と空中に浮かべ、ものすごい速さでベンに向けて撃ってきた。


 おわぁ!


 ベンはすかさず空中に飛んで逃げる。エネルギー弾はベンの座っていた椅子に次々と着弾し、激しい衝撃が会場全体を揺らす。


 もうこうなってはマーラを(たお)すしかない。ベンはベルトのボタンをガチッと押し込んだ。


 ふぐっ!


 二発目のボタンはもろ刃の剣である。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 暴れまわる腸に肛門は決壊寸前となった。


 くはぁ!


 腹を抱え、ゆらゆらと飛ぶベン。今にも落ちそうである。


 ポロン! ポロン! と『×100000』の表示が出るが、意識をすべて括約筋に奪われてもう何もできない。


 その時だった。


「ベン君! 受け取って!」


 会場の隅からベネデッタが千倍にブーストされた神聖魔法の癒しの光を放った。


 おぉ、おぉぉぉぉ……。


 ベンは空中をふわふわと漂いながら黄金色に輝く。腹痛は相変わらずではあるが、意識がはっきりしてくるのを感じた。


 それはベネデッタが必死に練習して勝ち得た千倍のスキル。ベンはその熱い思いに感謝し、グッとサムアップして見せた。そして、ステージを見下ろす。


 マーラは何やら恐ろし気な紫色の光る円盤を無数に浮かべ、鬼の形相でベンをにらんでいた。


「小僧が! まさかお前が立ちはだかるとは……。死ねぃ!」


 マーラはそう叫ぶと円盤を一斉にベンに向けて放った。


 鮮やかな紫に輝く円盤は、それぞれ複雑な軌道を描きながらベンに向けて襲いかかる。


 くぅ!


 円盤は巧みにベンを取り囲むように飛来し、ベンは忌々しそうににらんだ。


「あぁっ! ベン君!」


 悲痛なベネデッタの叫びが響き、直後、円盤はベンのあたりで次々と大爆発を起こした。


 激しい衝撃が会場を揺らし、爆煙があがる。


 いやぁぁぁ!


 ベネデッタの悲鳴が響き渡った。


「はーっはっはっは! 口ほどにもない」


 マーラが勝利を確信した時だった、マーラの真後ろにベンは現れ、腕でグッとマーラの首を締めあげた。














39. 美しき非情


 ぐほぉ!


 十万倍の力でのどを絞めつけられ、動けなくなるマーラ。


 ステータス十万倍の飛行魔法を持つベンにとって、目にもとまらぬ速さで移動する事くらい朝飯前だったのだ。もはやベンにとっての敵は自分の便意くらいだった。


「ま、まさかあなたが黒幕とは……。なぜこんなことをやったんですか?」


 プロレス技のチョークスリーパーのように、がっちりと決めながらベンは聞いた。


「くっ! 管理者(アドミニストレーター)権限をなめるんじゃないわよ!」


 そう言ってマーラは自分の身体を黄金色に光らせ、何か技を使おうとした。


 しかし、ベンは構わずに首をギュッと締め上げる。


 ぐぉぉぉぉ!


 マーラは真っ青な顔になり、たまらず、ベンの腕をタンタンタンとタップした。


 勝利の瞬間である。ベンは安堵(安堵)し、息をつくと、少し緩めてあげた。


「ぐぐぐ……。あんた本当に一般人? なぜ、私に勝てるのよ?」


 マーラは美しい顔を歪めながら吐き捨てるように聞く。


「女神がね。あなたに勝てるスキルをくれたんです」


「くっ、女神か……、チクショウ……」


 マーラはガクッと力を抜き、観念したようだった。ふんわりと懐かしいマーラの匂いが立ち上ってきて、ベンは首を振り、静かにため息をついた。


「なんでこんなことをしたんですか? そんなに男が憎かったんですか?」


 ベンは腹痛に顔をゆがめながら聞いた。


「いや、別に? そりゃ変な男が次々と言いよって来るのはウザかったけど、憎む程じゃないわ。それなりに楽しくやってたしね」


 マーラは自嘲(じちょう)気味に言う。


「じゃあ、なぜ?」


「男を憎んでる女って多いのよ。『男のいない世界を作ろう!』って冗談半分で言ったら何だかみんなが集まってきたの。お布施もガンガン集まるしね。それで、こりゃいいやって規模を大きくしていったのよ」


 すると、そばで聞いていたベネデッタは、


「あなたは女性の敵ですわ!」


 と、目を三角にして怒った。


「あら、公爵令嬢。この小僧に()れちゃったの?」


 薄ら笑いを浮かべながら冷ややかな視線を投げかけるマーラ。


 しかし、ベネデッタは動ぜず、


「えぇ、そうよ。世界を守るために献身的に努力するお方に惚れない女などいませんわ!」


 と、さも当たり前かのように言い切る。


 えっ!? え……?


 いきなりの告白にベンは頭の中がチリチリと焼けるように熱くなり、オーバーヒートした。


「ははっ! そりゃ良かったわ。……。私ももう少しいい出会いがあれば……」


 マーラはため息をつき、視線を落とす。


 ベンは何とか平静を取り戻そうと大きく深呼吸をする。何しろ十万倍の便意が肛門を圧迫し、一万人の乙女の排泄物が流れ、この世界を滅ぼそうとするにっくき教祖が憧れのマーラであり、気品高き令嬢が告白しているのだ。人生のコア・イベントがこの場に派手に集結している。運命の女神が用意したステージは何とも壮絶な様相を呈していた。


「黒幕が居るんですのよね?」


 ベネデッタは鋭い目で問い詰める。


「ふふん。そうね、調子に乗って信者集めてたら隣の星の管理者(アドミニストレーター)が声をかけてきたの。『自由にできる世界が欲しくないか?』ってね」


 なるほど、そういう事であれば黒幕を何とかしないと解決しない。


 ベンは咳ばらいをすると、聞いた。


「ボトヴィッドって奴か?」


「ふーん、女神はみんなお見通しね」


 マーラは肩をすくめ、キュッと唇をかんだ。


「証拠を出せるか?」


「証拠なら幾らでもあげるわ。私自身、やりすぎだとは……、思ってたのよ」


 マーラはうつむき、調子に乗って暴走したことを悔いている様子だった。勇者パーティでの振るまいを見るに根は悪い人ではないはずである。それが一歩足を踏み外したらみるみる巨大テロリスト集団のヘッドになってしまった。もしかしたらあのやり手の副教祖の手腕が大きかったのかもしれない。


 とはいえ、世界を滅ぼそうとしたことは重罪である。償ってもらう以外ないのだ。


「じゃあ、今すぐ出せ」


 ベンが催促(さいそく)すると、マーラはふぅと大きく息をつき、


「こんな拘束された状態じゃ出せないわ。まずは離して」


 と、寂しそうに笑う。


 ベンは迷い、ベネデッタと目を合わせる。腕を放せば逃げようと思えば逃げられてしまう。反省の色を見せている姿を信用できるかどうかだが……。


 するとベネデッタはうなずき、マーラの装着している金属ベルトをつかんで言った。


「変なことしたら押させていただきますわ」


「あらあら怖い事」


 マーラはおどけて肩をすくめる。


 ベンは首を押さえていた腕を緩め、


「緩めたぞ、早く証拠を出せ!」


 と、迫った。


「はいはい、そんな焦らないで」


 マーラは首をぐるりぐるりと回し、大きく息をつくと、指先で空間を切り裂き、中に手を突っ込んだ。


 そして、何かのチップを取り出すと、ベネデッタに渡す。


 ベネデッタはニコッと笑い、


「ありがたく頂戴しますわ」


 そう言いながら、ガチッガチッと金属ベルトのボタンを連打した。


 へっ!? あっ!?


 驚く二人。


 マーラは、ふぐぅ……、という声にならない声を上げ、倒れ込む。


「うちの街を壊そうとした罪は重いんですのよ」


 そう言ってベネデッタは嬉しそうに笑った。


 その情け容赦ない行動力にベンはゾッとする。この可憐な少女の美しい笑みの裏にある芯の強さ、それはこの街を預かる貴族の一員としての矜持(きょうじ)だろうか? ベンはこの人を怒らせてはならないと心に誓った。


 マーラは壮絶な排泄音をまき散らしながら、ビクンビクンと痙攣(けいれん)し、目を()いて口からは泡を吹いている。もはや廃人同然だった。


 その時だった。


「あっ! 危ない!」


 ベネデッタがベンをかばうように覆いかぶさるように押し倒した。


 直後、激しい閃光が走り、何かがベネデッタの臀部(でんぶ)を直撃した。


 ふぐぅ!


 防御力千倍のため、深刻なケガには至らなかったものの、千倍の便意にギリギリ耐えてきたベネデッタの関門が限界を超えてしまう。


 いやぁぁぁぁ! うぁぁぁ……。


 凄惨(せいさん)な排泄音が響き渡り、ベネデッタは意識を失ってしまった。


「ベ、ベネデッタぁぁ!」


 ベンはいきなり訪れた悲劇に呆然とする。


「グワッハッハッハ! 小僧! 好き勝手やってくれたなぁ!」


 ステージに小太りの中年男が着地する。栗色のジャケットにベストを着込み、レザーキャップをかぶってステッキをくるりと回した。

















40. ベンの覚悟


「お前は……ボトヴィッド?」


 ベンは立ち上がり、男をにらんだ。今回の黒幕、倒すべき男がついに目の前に現れたのだ。


「ふん! 小僧にまで名前を知られるとは不覚じゃ。まぁ、今すぐこの世から消してやろう」


 そう言うと、いきなりベンの目の前にワープし、思いっきりステッキでベンの顔面を殴りつけた。


 グフッ!


 ベンはまるで暴走トラックに吹っ飛ばされたように、縦にクルクル回りながら演台を砕いて弾き飛ばし、壁に叩きつけられ、跳ね返ってゴロゴロと転がった。


 十万倍の防御力があるものの、唇が切れ、血が滴る。肛門は少し決壊し、おむつに生暖かい液体流れているのを感じる。


 くぅぅぅ……。


 ベンは苦痛に顔をゆがめよろよろと立ち上がろうとした。


「ほう、まだ生きとるのか! もういっちょ!」


 ボトヴィッドはそう言いながらベンの顎を強烈に蹴り上げた。


 ぐほぉ!


 吹き飛んだベンの身体は壁に跳ね返され、天井に当たり、ステージに叩きつけられて転がる。


 ぐおぉぉぉ……。


 脳震盪(のうしんとう)で目が回ってしまっていて身動きが取れない。


 ピュッピュッ、と肛門を突破されているのを感じ、何とか括約筋で踏ん張り続ける。


 も、漏れる……。


 ベンのステータスは十万倍。強さで言ったら上だが、ボトヴィッドは管理者にしか使えない技、ワープを繰り出してくるので分が悪い。ベンは必死に勝ち筋を探すが、便意に意識を奪われてなかなか策が浮かばない。


 ボトヴィッドは周りを見回しながら、


「さて、この空間ごと葬り去ってしまうとするか……。うんこ臭くてかなわん。ただ、こいつは……」


 そう言うと、気を失っているベネデッタのところへ行き、顎をつかむと、


「うん、上玉じゃな。この女は今晩のお楽しみに使ってやるか、グフフフ」


 と、下卑(げび)た笑いを浮かべた。


 えっ……?


 ブチッ! と、ベンの中で何かが切れた音がした。


 ベネデッタが穢されてしまう、そんなことはあってはならない。便意に耐えることしかできないこんな自分を、好きだと言ってくれた可憐な美少女。自分はたとえ死んでも彼女は守らねばならない。


 ベンはギリッと奥歯を鳴らすと、ふんっ! と気合を入れ、うぉぉぉぉ! と雄たけびを上げながら金属ベルトのボタンを連打する。


 十万倍で勝てなければ百万倍、それでも勝てなきゃ一千万倍、勝つまで上げていってやる!


 ベンはシアンの忠告を無視し、捨て身の戦法で勝負をかけたのだった。


 ポロン! ポロン! ポロン! 『×100000000』


 ベンの身体は一億倍の異常なパワーで自然に発光し、光り輝く。


 ぐぉぉぉぉ!


 脳髄を貫く強烈な便意。それは半分人格崩壊を引き起こしながらベンを襲った。


 ブピッ! ビュッビュッ!


 肛門からは不穏な音が絶え間なく続いていたが、ベンはユラリと立ち上がる。


 もう思考は崩壊し、何も考えられなくなっていたが、ベンは無意識にボトヴィッドの方を向いた。目は青く輝き、全身からパリパリとスパークが立ち上り、光の微粒子を振りまいている。


「なんじゃ?」


 ベンに気づいたボトヴィッドは、ステッキに光を纏わせ、パリパリと放電させると、


「この死にぞこないが!」


 と、言いながらベンの前にワープをして思いっきりステッキで顔面を殴りつける。


 地響きを伴う爆発音が響き、


 ぐわぁぁ!


 という叫び声が続いた。しかし、叫び声を上げたのはボトヴィッドの方だった。


 ステッキは砕け散り、持っていた手が裂けている。ベンは無表情でぼんやりとその様を見ていた。


「な、なんだ貴様は!」


 ボトヴィッドは苦痛に顔をゆがめながら、距離を取り、管理者権限で手を治していく。


 反撃のチャンスではあったが、ベンは壮絶な便意にとらわれていて動けない。


 ボトヴィッドは指先で空中を切り裂き、異空間につなげると、中からぼうっと青白く光る刀剣を取り出した。


「これは管理者にしか使えない名刀『デュランダル』だ。空間を切り裂き、全てを両断する決戦兵器……、コイツで一刀両断にしてやろう……」


 ボトヴィッドはベンをにらむと気合を込め、デュランダルを黄金色に光輝かせた。二人の戦うステージはそのまばゆい光で美しく照らし出される。


「今度こそ、死ねぃ!」


 ボトヴィッドは剣を振りかぶり、ベンの前にワープすると同時に一気に振り下ろした。


 目にもとまらぬ速さでベンに迫ったデュランダルだったが、ベンは素早く手の甲で払う。パキィィィンといういい音をたてながら刀身が砕けちった。


 へっ!?


 目を真ん丸にして驚くボトヴィッド。次の瞬間、ベンの右ストレートが思い切り顔面にさく裂する。


 一億倍の攻撃力は管理者特権の【物理攻撃無効】を貫通し、顎の骨を砕きながら吹き飛ばした。


 ゴフゥ!


 クルクルと回転しながら壁に当たり、戻ってきたところをベンは鋭い蹴りで腹を打ちぬいた。


 ぐはぁ!


 再度壁にしたたかに打ちつけられ、跳ね返ってゴロゴロと転がるボトヴィッド。


 無様な姿を見せるボトヴィッドに、


「し、尻を出せ……」


 と、ベンは無表情で命令した。


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