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11. 四天王

 ベンは下腹部をさすりながらうずくまったが、マーラのことであれば無視もできない。括約筋に喝を入れ、よろよろと立ち上がると、はぁはぁと荒い息をしながら魔法使いの後を追った。


 しばらく歩くと広場があり、丸太が積み上げられている。奥には石材がゴロゴロとしていて、資材置き場として使われているようだ。リリリリとにぎやかに虫たちが合唱をしている。


 魔法使いはくるっと振り返り、月夜に目をキラっと光らせて言った。


「マーラがね、行方不明なのよ。あんた何か知らない?」


 ベンは戸惑った。彼女はまじめな人だ。いきなりいなくなるとは考えにくい。事件にでも巻き込まれていたら大変なことである。しかし、彼女とはダンジョン以来話もしていない。


「それは気になりますね。でも、知りませんよ。なんで僕に?」


「あんた、マーラに目をかけてもらってたからね。連絡が来たら教えて」


 魔法使いはベンの身体を舐めるように視線を這わせながら言った。


「分かったよ」


 ベンは気持ち悪く思い、一歩下がりながら適当に返事をした。


 勇者が負けたことで勇者パーティも崩壊しつつあるということだろうか。ざまぁと思うところもあるが、それがマーラを悩ませてしまっていたとしたら申し訳ないなと思った。


 だが、考え事は良くない。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――!


 胃腸が暴れ始め、ポロン! と『×100』の表示が出る。


「そんだけですか? じゃあ帰ります」


 そう言って(きびす)を返すと、魔法使いは後ろからベンをすっとハグした。


 へ?


 エキゾチックな大人の女性の香りがふんわりとベンを包んだ。


「これからが本番よ。あなた、なぜ、あんなに強くなったの?」


 豊満な二つのふくらみを押し付けながら、耳元で魔法使いはささやく。


「秘密です。なんであなたに言わなきゃならないんですか!」


 ベンは必死に魔法使いの腕を振りほどく。


「あなたの薬の小瓶は全部いただいちゃったわ。もう強くなれないでしょ? クフフフ」


 嫌な声で笑う魔法使い。一体何がやりたいのかベンは困惑した。


 言われてみれば予備の小瓶は三つ。確かにさっき勇者が全部飲んでしまっていた。


「お前が盗んだんだな!」


 ベンは下腹部を押さえながら怒った。


「その強さの秘密、調べて来いと言われてるの。でも、別に言わなくてもいいのよ、死体から聞くから」


 そう言うと魔法使いは月の光にキラリと輝く小さな針を出し、ベンの首筋にピン! と飛ばして刺した。


 ぐわっ!


 痛烈な痛みにベンは気を取られ、肛門の守りが手薄となる。


 ピュッ、ピュルッ!


 ピロン! と鳴って『×1000』の文字が浮かんでいる。


 今までにない決壊にベンは青い顔をしながら、針を抜いた手でそのまま魔法使いを撃つ。


 魔法使いは素早く避けたがベンの千倍の攻撃は鋭く、かすっただけでビキニスーツがパンとはじけ飛んだ。


 月明かりに白く美しい裸体を晒す魔法使い。


 一瞬焦ったベンだったが、その豊満な胸の乳首のところにはギョロリとした目があり、お腹には巨大な口が牙を晒していた。


 はぁ!?


 凍りつくベン。魔法使いはなんと魔物だったのだ。勇者はいままで魔物と一緒にダンジョンを攻略していたということになる。つまり魔法使いは魔王軍のスパイだったのだ。


 その時、さらにいっそう大きく腸がうねった。


 くふぅ……。


 激しい便意にガクッとひざをつくベン。


「あらら、バレちゃった。でも、あなたに打ち込んだ毒は象でも倒せる猛毒。残念だったわね。ここで死んでいきなさい。クフフフフ」


 魔法使いは淡く紫色に輝く魔法シールドを展開し、その中でお腹の大きな口を揺らしながら笑う。


 しかし、ベンは止まらない。毒耐性も千倍なのだ。象はたおせてもベンはたおせない。


 ベンは腹を押さえ、何とか括約筋に喝を入れ、脂汗をたらたらと垂らしながらピョコピョコと内またで駆け出し、魔法使いとの距離を詰める。


「死にぞこないが何をするつもり?」


 余裕な顔であざける魔法使い。


「便意独尊!」


 ベンはこぶしに気合を込めると、叫びながら魔法使い向けてありったけのパワーで撃ちぬいた。


 千倍の破壊力は全てをぶち壊す。


 魔法シールドは爆散し、そのまま魔法使いのみぞおちをぶち抜いた。


 ゴフゥ――――!


 魔法使いはものすごい勢いで吹き飛ばされ、野積みの丸太に直撃し、まるでボウリングのピンのように丸太を夜空に高くかっ飛ばす。そして、野積みの石の山にめり込んで止まった。


 はぁはぁはぁ……。


 荒い息をしながら、ピョコピョコと近づくベン。


「小僧、なんてパワーなのよ……。こんなの……人の力じゃない。化け物め……」


 魔法使いはお腹の大穴から青い血をダラダラと流しながら言った。


「化け物ってひどいな。お前の方が化け物じゃないか。スパイなんかしてどうするつもりだったんだ?」


 魔法使いの身体は徐々に薄く透けていく。そして、最期にニヤリと笑うと、


「私は魔王軍四天王のナアマ……。『ベンという少年を(たお)せ』って伝令を飛ばしたの。お前はもう逃げられないわ、クフフフ……」


 と、言いながら消えていった。


 後には紫色に輝く魔石がコロコロと転がる。


 キー! キー! キー!


 不気味な鳴き声がして、ベンが夜空を見上げると、無数のコウモリが暗黒の森の方へと飛び去って行くのが見えた。


 昨日までFランクの荷物持ちだった少年は、あっという間に人類最強として騎士団の顧問になり、魔王軍の中枢からターゲットにされるハメになってしまった。


 どうしてこうなった?


 物陰で用を足しながらベンは、この数奇な運命をどう解釈したものかわからず深いため息をついた。


 しばらく鳴きやんでいた虫たちが、またリリリリとにぎやかに響き始める。


















12. 接待ダンジョン


 しばらくベンは騎士団顧問としての準備に追われた。宮殿の近くに部屋を借り、制服を作り、メンバーにあいさつし、任命式で正式に顧問となった。


 もちろん、騎士団と言えば街の精鋭ぞろいである。皆ビシッと背筋を伸ばし、筋骨隆々として、子供の頃から延々と振ってきた剣さばきも見事だ。それに対し、ベンは剣もまともに扱えないヒョロっとした小僧である。訳わからない呪文で勇者に勝ったからと言って、入団を許していいのかという不満は皆持っていた。特に、ベネデッタに気に入られているというのが許しがたい様子である。騎士団のアイドル的存在ベネデッタが、あんな小僧を目にかけているなど許しがたかったのだ。


 社会人経験の長いベンもそのくらいは分かっている。分かってはいるが、ベンのスキルはおいそれと見せられるものでもない。そこは折を見て少しずつ理解して行ってもらうよりほかない。そもそも自分は商人になりたかったのだ。


 帰りがけに警護班の班長に呼び止められる。


「顧問! これ、指令書。読んでおいて」


「え? 何?」


「いいから、読めばわかるから!」


 不機嫌を隠そうともせず、仏頂面で封筒を突き出す。


「あ、ありがとう」


「あなたには何も期待してないので、ただ、後をついてきてくれるだけでいいです」


 吐き捨てるようにそう言うと、班長はカツカツとブーツのヒールを鳴らしながら去っていった。


「ふぅ、初日から大変だぞこりゃ」


 若いっていいなぁと思うところもあるが、前途多難な状況に思わずため息が漏れる。


 指令書には、明朝に西の城門集合で、ベネデッタの親戚のベッティーナのダンジョン攻略の警護をせよと書いてあった。


 はぁ!?


 ベンは目が点になる。なぜ貴族様がダンジョンになど潜るのか?


 しかし、何度読み直してもそうとしか読めなかった。ベンは大きく息をつく。


 ただ、班長は『何もするな』って言っていたし、後をついていけばいいだけだろう。お貴族様の後をついていくだけの簡単なお仕事です!


 ベンは深く考えることは止め、下剤やポーションなどダンジョンに潜るアイテムの買い出しに出かけた。



        ◇



 翌朝、まだ朝霧も残る早朝の街を、あくびしながらベンは西門へと歩く。朝露に濡れた石だたみにオレンジ色の朝日が反射し、街は美しく輝いている。


 西門が見えてくると、女の子が手を振っている。あれがベッティーナ……、ということだろうか? 隣にはもう班長がいてビシッと立っている。


 近づいてみると、ベネデッタが仮面舞踏会につけるような変なアイマスクして嬉しそうに手を振っている。


「あれ? ベネデッタさん、どうしたんですか? そんな仮面して」


 ベンが聞くと、ベネデッタは途端に怒り出し、


「我はベネデッタではないのだ! ベッティーナ!」


 と、言って口をとがらせて横を向いてしまった。


 訳が分からず班長の方を見ると、人差し指を一本立てて口に当て『シーッ』というしぐさをしている。


 どうやらベッティーナというのはベネデッタのお忍び用のコードネームらしい。貴族様はいろいろ自由が無くて大変そうだ。ベンは大きく息をつき、


「これはベッティーナ様、大変に失礼いたしました。本日はよろしくお願いいたします」


 と、言いながらひざまずいた。


 するとベネデッタはニヤッと笑い、


「分かればよいのだ! それではシュッパーツ!」


 と、楽しそうにダンジョンへ向けて歩き出した。



        ◇



 不機嫌な班長から道すがら聞いた情報を総合すると、ベネデッタは月に一回くらいこうやってお忍びで魔物狩りをするらしい。一応王家の血筋なので魔法の才能はあるものの経験には乏しく、駆け出し冒険者レベルということだった。


 今日も三階辺りを一周して帰ってくる予定だそうだ。であるならば本当に出番などないだろう。ベンとしても下剤を飲むようなことは避けたかったので都合がいい。


 ふぁ~あ。


 麦畑をわたる風が、朝日にオレンジ色に輝くウェーブを作り、ベンはその平和な美しい景色を見ながら伸びをする。


 こんな簡単なお仕事で高給もらえるなら実は天国かもしれない。数日前まで飢え死にを心配していた事がまるで嘘のようである。ベンは運気が向いてきたとニコニコしながら気持ちよい風に吹かれた。



       ◇



「ベン君! 見ててよ!」


 ベネデッタはそう言うと、エレガントに魔法の杖を掲げ、呪文を詠唱し始める。


 背筋をピンと伸ばし、目をつぶりながらブツブツとつぶやくベネデッタは薄く金色の光をまとい、気品のある美しさをたたえていた。


 そして、目をカッと見開くと、


「ホーリーレイ!」


 と、叫んで杖を振り下ろした。


 ダンジョン内に閃光が走り、聖なる黄金の光の奔流(ほんりゅう)がダンジョンの奥へと打ち込まれていく。


 グギャー! グアー!


 ダンジョン内をうろうろしていた骸骨の魔物、スケルトンが次々と倒れ、消えていった。


 パチパチパチ!


「ベッティーナ様、凄い! お見事です」


 班長はまるで接待ゴルフのようにほめまくった。


「ナイスショットー」


 ベンは拍手をしながらやる気のない声で、異世界人には分からない掛け声をかける。


「ふふん! 我だって少しはやるのだ!」


 ベネデッタは得意げに胸を張った。










13. 堕ちていく下剤


 ベネデッタに活躍させては拍手する。そんなことを繰り返しながら三階へと降りていく。


 戦闘は基本、班長が前衛をやり、ベネデッタが後衛をやっている。ベンは後ろから襲われないようにするただの護衛だった。


 とはいえ、こんな低層階で後ろから襲ってくる魔物などいないわけで、楽しそうに魔法を操るベネデッタを眺めながら、ベンは子守をするおじさんの気持ちで見守っていた。



        ◇



 そろそろお昼なので、あくびを噛み殺しながら撤退の声を待っていると、ベネデッタが部屋のドアを開けた。すると、奥には宝箱がいかにもという感じで置いてある。


「あっ! 宝箱発見なのだ!」


 小走りに宝箱に駆けだすベネデッタ。


「あっ! 走っちゃダメです!」


 班長が急いで後を追い、ベンも仕方なくついていく。


 直後、カチッ! という音が部屋に響き、床がパカッと開いた。落とし穴だったのだ。


「キャ――――!」「うわぁ!」「ひぃ!」


 漆黒の底なしの穴が一行を飲みこんでいく。


 班長は険しい表情でポケットから魔法スクロールを出すと一気に破った。


 スクロールからは金色の光がぶわぁっと噴き出し、三人をふんわりと包んでいく。その金色の光に支えられるように、落ちる速度が徐々にゆっくりとなっていった。


「ゴ、ゴメンなのだ……」


 しおれるベネデッタ。


「ダンジョンは絶対走らないでくださいね!」


 班長は目を三角にして厳しく言った。班長がベネデッタに怒るなんてよほどのことである。


「これ……、どこまで行くんですかね?」


 ベンはどこまでも続く漆黒の闇をのぞきこみながら班長に聞く。


 班長は下の方をじーっと見つめ、渋い顔で、


「こんな長い落とし穴は初めてです。三、四十階……、もっと行くかもしれません」


 と言って、首を振った。


「えっ! そんな?」


 ベネデッタは青い顔をする。中堅冒険者パーティの限界が四十階と言われている。そこから先では一般には生還が絶望的だった。


 ベンは大きく息をつくとリュックを下ろし、下剤を取り出そうとする。


 その時だった。


「ベン君! 助けて!」


 そう言って、ベネデッタがいきなりベンに抱き着いてきた。


「うわぁ!」


 その拍子にリュックはベンの手を離れ、真っ逆さまに落ちていく。この場を切り抜ける唯一の希望、下剤はあっという間に漆黒の闇の中へと消えていった。


 あぁぁぁぁ……。


 茫然自失(ぼうぜんじしつ)となるベン。便意が無ければただの小僧。ベネデッタより弱いのだ。彼女を守ることなんて到底できない。


 ベネデッタは申し訳なさそうにベンを見るが、ベンには余裕がない。


 頭を抱えて必死に考える。


 何かないか? 便意を呼べるもの!


 しかし、そんな都合のいいものある訳がない。班長達にも持ち物を聞いたが、下剤など持ってるはずがない。


 絶体絶命である。ダンジョンの深層で戦力は実質班長だけ。とても生還できない。


 くあぁぁぁ……。


 万事休す。落ちた荷物を見つけられるかどうか、一行の命運はその一点にかかっていた。



         ◇



 やがて一行はフロアに降り立つ。


 そこは草原だった。


 澄み通る青空には白い雲が浮かび、草原にはさわやかな風が走り、小川は陽の光を浴びてキラキラと光っていた。奥にはうっそうとした森が広がり、ダンジョンでなければ気持ちいい高原の風景である。


「こ、これは……」


 ベンは絶句する。地中の洞窟の奥底にこんな草原が広がっているなんて、想像もしていなかったのだ。


「これは……、六十階台だな」


 班長が悲壮な顔をして言う。


「六十!?」


 ベネデッタは目を真ん丸くして驚いた。


 上級冒険者でも危険と言われる領域に来てしまったことに、一行は押し黙る。


「ベン君! 大丈夫よね?」


 ベネデッタはベンの手を取ってすがるように言うが、下剤のない今、ベンはただの小僧だった。


「荷物が見つからないと何とも……」


 そう、渋い顔をして返すしかなかった。


 しかし、草原の草は胸の高さ近くまで生い茂り、この中を荷物なんて探せそうになかった。


 であるならば、下剤の効果のある野草でもムシャムシャ食べればいいのではないか、とも思ったが、ススキみたいな薬効などなさそうな植物ばかりで、いくら食べても効果は期待できそうになかった。


 危険なダンジョンの深層で生き残る手段はもはや便意しかない。しかし、その便意を呼ぶ方法が無い現実にベンは奥歯をギリッと鳴らした。












14. 一万倍の約束


 あまり使いたくない手だったが、この際なりふり構っていられない。ベンは少し離れて空に向かって叫ぶ。


「シアン様! お願いです! 出てきてくださーい!」


 すると、ポン! という音とともにぬいぐるみのシアンが現れる。


 シアンは楽しそうにクルクルッと回ると、


「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! やっぱり便意が欲しくなったでしょ?」


 と、ドヤ顔で言った。


 ベンはそのドヤ顔が悔しくてキュッと口を真一文字に結んだが、今は便意に頼らざるを得ない。


「お、お願いします!」


 ベンは頭下げて頼む。


「じゃあ一万倍出してね?」


 シアンは悪い顔でニヤッと笑って言った。


「い、一万倍!?」


 ベンは固まった。千倍でもあんなに苦しかったのに一万倍とか、このクソ女神はなんて無慈悲なことを言うのだろうか?


「嫌なの?」


「い、いや、一万は耐えられないですよ」


「やってみなきゃ分かんないでしょ?」

 シアンはプクッとほっぺたを膨らまして言う。


「やらなくてもそのくらい分かるんです!」


 ベンは目をギュッとつぶり、声を荒げて言った。


 すると、ズシーン! ズシーン! と地面の揺れる音が近づいてくる。音の方を見ると、森の奥で何かが動いている。目を凝らすとこずえの上に巨大な一つ目がニョキっと現れた。


 班長は真っ青になって、


「サ、サイクロプス!? 逃げましょう!」


 と、ベネデッタの手を引く。


 一行はダッシュで走り出した。


 サイクロプスは一つ目がギョロリとしたAクラスの魔物である。身長は十メートルを超え、筋骨隆々の躯体から繰り出されるパンチは全てを砕いてしまう。


 今のこのパーティではサイクロプスは止められない。班長ですら足止めも無理だろう。


 絶望が一行を包む。


「くぅ、一万倍かぁ……」


 ベンは走りながら顔を歪ませて言った。


「ほらほら、急がないと全滅だゾ! きゃははは!」


 シアンはとても嬉しそうにベンの耳元で笑い、ベンはギリッと奥歯を鳴らす。


 ズシン! ズシン! という音が地面を揺らしながら近づいてくる。もはや猶予はなかった。


「分かりました。一万倍出してみますからお願いします!」


 ベンはギュッと目をつぶると、あきらめて叫んだ。


 すると、シアンはニコニコしながらベンに耳打ちをした。


「はぁ!? マジですか?」


「マジマジ! ほら、急いで急いで!」


 くぅぅぅ……。


 ベンは泣きそうな顔をしながら二人を先に行かせ、木陰でズボンをおろした。そして水筒の細くなってる飲み口をお尻に差し込んで、まるで浣腸(かんちょう)のように一気に水を流し込む。


 おうふ!


 下腹部に入ってくる冷たい大量の水。それはベンの便意を一気に解放した。


 ポロン! 『×10』

 

 そして、最後の力を振り絞り、残りの水も全部流し込む。


 ポロン! 『×100』


「お、いいねいいね!」


 シアンは嬉しそうに言う。


 ぐはっ!


 ベンは鬼のような形相で水筒を引き抜く。


 冷たい水が腸を刺激し、


 ぐるぐる、ぎゅぅぅぅ――――。


 と、猛烈な勢いで暴れ始める。


 くぅぅぅ……。


 ベンは奥歯をギリッと鳴らし、何とか便意を手なずけようと必死に括約筋を絞った。


 そうこうしているうちにも、サイクロプスは巨人とは思えぬすさまじい速度で班長とベネデッタを猛追し、追いついてしまっていた。


「ほら、頑張れ、頑張れ!」


 シアンは無責任に煽る。


 くっ!


 ベンは歯を食いしばった。ただ、使命感だけが彼を動かす。ベンは朦朧としながら、完全に逝ってしまった目でサイクロプスを追った。


 サイクロプスは二人を瞬殺する勢いでパンチを繰り出してくる。極めてマズい状態だった。


「急が……なきゃ……」


 ベンは苦痛に顔をゆがめながらピョコピョコと走っていく。


 班長は盾でサイクロプスのパンチを受け止めたが吹き飛ばされ、ベネデッタは神聖魔法を放つもののほとんど効いていなかった。


 二人は絶望し、サイクロプスはニヤリと笑う。


「あの小僧どこ行ったんだ! 役立たずめ!」


 班長は悪態をつき、ベネデッタはベソをかきながら叫んだ。


「きっと助けてくれるのだ! ベンくーん!」


 サイクロプスは一メートルはあろうかという巨大なこぶしを、思いっきり振りかぶる。その高さは五階建てビル位に達するだろうか。そして、一気にすさまじいパンチを撃ちおろす。


「いやぁ――――!」「ひぃぃぃ!」


 二人がもうダメだと思った瞬間、サイクロプスの足が吹っ飛ばされ、あおむけに無様に転がった。


 地響きが派手に響いて、土埃が舞う。


「えっ……?」「あ、あれ……」


 不思議に思った二人は、土埃の向こうに少年がピョコピョコと動いているのを見つけた。


「ベンくーん!」


 ベネデッタは手を振る。


 ポロン! 『×1000』


「キタ、キター!」


 シアンはクルクルっと楽しそうに回った。


 ベンは脂汗を流しながらサイクロプスの頭に近づくと、


「便意独尊!」

 

 と、叫びながら思いっきり頭部をパンチで撃ちぬく。


 グギャァァ!


 まるで豆腐みたいに頭部が吹っ飛び、やがて魔石を残しながら消えていった。


 班長はその様子を見てゾッとし、凍りつく。サイクロプスの体躯は金剛不壊(ふえ)と呼ばれ、剣で斬りつけても刃こぼれしてしまうくらいの硬度を誇っている。パンチなどで傷をつけられるようなものじゃない。それをベンはパンチ一発で粉砕したのだ。


 もはや人間技ではない。


 班長は呆然としながら首を振り、見てはいけないものを見てしまったような後悔にとらわれた。あのパンチが自分たちに向けられたら即死である。騎士団全員で束になってもこの少年には勝てない。なるほど、騎士団顧問というのは正しかった。班長は自らの無礼な言動を心から反省し、冷や汗をたらりと流した。










15. 伝説の真龍


「ベンくーん!」


 ベネデッタはベンに走り寄るが、ベンにはもう全く余裕がなかった。強引に流し込んだ水が腸内でさっきからグルグルとすさまじい音を立て、肛門を襲っているのだ。もはや一刻の猶予もない。


「失礼!」


 ベンは脂汗を流しながら一言そう言うと、ベネデッタを小脇に抱え、次いで班長も抱え、ピョコピョコと走り出した。出口はシアンが教えてくれる。


 走ると言っても千倍のパワーの走りである。あっという間に時速百キロを超え、飛ぶように草原を一直線に駆け抜けていった。


 その圧倒的な速度に二人は圧倒されて言葉を失う。ベンの超人的パワーは明らかに人の領域を超えているのだ。ただ、大人しく運ばれるしかなかった。


 途中オーガやゴーレムみたいなAクラスモンスターが行く手をふさぐ。しかし、ベンは止まりもせずにただ膝蹴りで一蹴し、楽しそうに飛んでいくシアンの後をひたすら追っていく。


 しばらく行くと湖があり、その湖畔に小さな三角屋根の建物が見えてきた。どうやら、ここらしい。


 漏れる、漏れる、漏れる……。


 ベンは建物の入り口で二人を下ろし、急いでドアを開ける。


 奥に下り階段が見えた。ビンゴ!


 だがその時、天井から閃光が放たれた。


 グハァ!


 ベンは天井に潜んでいたハーピーの攻撃をまともに受け、服が焦げた。千倍の防御力では身体は傷一つつかないものの、デリケートな下腹部にはこたえた。


 ビュッ、ビュルッ!


 たまらず肛門が一部決壊。オムツ代わりに仕込んでおいたタオルに生暖かい液体が染みていく。


 ポロン! 『×10000』


 ついに限界突破の一万倍に達してしまった。


「キタ――――! きゃははは!」


 シアンは大喜びである。


 ベンは奥歯をギリッと鳴らすと、


「エアスラッシュ!」


 と、叫んで初級風魔法を放った。初級とは言え一万倍の威力である、それぞれが普通の百倍くらいの威力を持った風の刃が数百発天井に向って放たれる。それはまるで竜巻が直撃したかのような衝撃でハーピーを襲う。


 キュワァァァ!


 断末魔の叫びが響き、ハーピーは屋根ごと粉々に吹き飛んでしまった。


 くふぅ……。


 ガクッとひざをつくベン。もう肛門は限界だ。しかし、まだこの先、ボスを(たお)さない限り外には出られないのだ。それまではこの便意を温存するしかない。休憩してもう一発水筒注入というのはもう耐えられそうになかった。


「ベン君……」


 ベネデッタはその尋常ではないベンの辛そうな様子に、思わず駆け寄って後ろからハグをする。しかし、それは下腹部を締め付けて逆効果だった。


 グハァ!


 思わず叫んでしまうベン。


 ビュッビュとまた少し決壊してしまう。


「ごめんなさい、わたくしそんなつもりじゃ……」


 オロオロするベネデッタ。


「だ、大丈夫。ちょっと待っててください」


 ベンは必死に肛門のコントロールを取り戻そうと大きく深呼吸を繰り返し、般若心経をつぶやきながら精神統一に全力を注ぐ。


 ベネデッタは心配そうな顔をしながら、癒しの神聖魔法をそっとかけたのだった。


 ベンの全身が淡く金色に光輝き、光の微粒子が舞い上がる火の粉のようにチラチラと辺りを照らす。


 ベンは激痛の走る下腹部をそっとなでながら、少しずつ癒されていくのを感じていた。



        ◇



「ありがとうございます。行きましょう」


 便意の波が少し収まると、ベンは立ち上がり、前かがみでピョコピョコと階段を降りていく。次の波が来たらきっと耐えられない。時間との勝負だった。


 そこには高さ十メートルはあろうかという巨大な扉があり、随所に金の細工が施され、冒険者の覚悟を試しているかのように静かにたたずんでいる。


 ベンはバン! と、扉を無造作にぶち開けて、中に突入して行った。


 すると、天井の高い巨大な大広間には中央に何やら小山のようなものがそびえている。そして、部屋の周囲の魔法ランプがポツポツと煌めき始め、部屋の様子を浮かび上がらせていった。


 ひっ! ひぃ!


 班長が思わずしりもちをついて叫ぶ。


 ランプが照らした小山、それはなんと漆黒の鱗に覆われた巨大なドラゴンだったのだ。それもこのドラゴンは鱗のとげも立派に伸びた真龍、もしかしたら神話の時代から生き延びている伝説の龍かもしれなかった。


「ダメです! ダメ! あれは我々の手に負えるものじゃない!」


 班長はドラゴンの圧倒的な存在感に気おされ、真っ青になって叫ぶ。


 確かにドラゴンというのはもはや災厄であり、一般的な攻撃は全く通じず、過去には一個師団が相対して多数の犠牲者を出しながらようやく仕留めることができた、というくらい破格の存在なのだ。


 しかし、ベンにとってはもはや一刻の猶予もなかった。


 早くも波が来てしまい、過去最悪レベルに腸は暴れまわり、グルグルギューとすさまじい叫びをあげている。


 持って十秒、それ以上は暴発か人格崩壊か、そのくらい追い込まれていた。













16. 困惑の結婚プラン


 ドラゴンは侵入者に気が付き、巨大な翼をバサバサと揺らし、マイクロバスくらいはあろうかという巨大な首をもたげ、クワッと大きく口を開けた。そして、圧倒的なエネルギーの奔流が喉奥に集まっていく。


「ブレスが来る! 逃げろー!」


 班長はベネデッタを抱えて逃げ出す。


 しかし、ベンは、構うことなく一気に飛び上がると、そのまま手刀でドラゴンのクビを全力で切り裂いた。一万倍の宇宙最強のエネルギーがベンの指先から閃光となってほとばしり、鮮烈なレーザービームのように、すべてをはじき返すはずのドラゴンの鱗をあっさりと焼き切ったのだった。


 グギャァァァ!


 ドラゴンブレスのために集めたエネルギーは行き場を失い、喉元で大爆発を起こす。


 ズン!


 大広間は閃光に包まれ、地震のように揺れた。ドラゴンの首は黒焦げとなって吹き飛び、壁に跳ね返され床に転がっていく。


 だが、ベンはそんな事には目もくれず、出口までピョンとひと飛びし、扉をぶち破って消えていった。


 班長もベネデッタも、その圧倒的な戦闘力に呆然とし、言葉を失う。ドラゴンを瞬殺したすさまじい戦闘力はもはや神の領域である。


 二人は黒焦げとなって熱を放つおぞましいドラゴンの首を眺め、どうしたらいいのか分からず、顔を見合わせる。そして、手を組んで神の御業に祈った。



       ◇



「きゃははは! やったね、一万倍だよ!」


 用を足して恍惚としているベンにシアンは上機嫌に話しかける。


 ベンはチラッとシアンを見ると、首を振り、何も言わなかった。


「どうしたの? 真龍も瞬殺。神に近づいたんだよ?」


 ノリの悪いベンをシアンは不思議に思い、首をかしげる。


「僕は! 静かに暮らしたいだけなの! 何なんですかこの糞スキル!? いつか死にますよ!」


 ベンは憤然と抗議した。


「大いなる力は大いなる責任を伴うからね! しかたないね! きゃははは!」


「だから変えてって言ってるでしょ? もうやだ!」


 ベンは両手で顔を覆う。


「んー、でも今、魔王が君にしかできない世界を救うプラン考えてるんだって」


「へ? 魔王? なんで僕を巻き込むんですか? 止めてくださいよ!」


「だってそのスキル宇宙最強なんだもん」


 そう言うとシアンは嬉しそうにくるっと回った。


「なんと言われたって絶対協力なんてしません! あなたの言うとおりになんて絶対! ぜ――――ったい、なりませんよ!」


 ベンは毅然(きぜん)として言い切った。


 すると、シアンはちょっと悪い顔をして言う。


「上手く行ったらベネデッタちゃんと……、結婚できるのになぁ……」


「えっ!? け、結婚?」


 ベンは全く想像もしなかった話に言葉を失い、口をポカンと開け、間抜けな顔を晒した。


「だって世界を救ったベン君なら断る理由なんてないからねぇ」


 嬉しそうに話すシアン。


「え? 本当に? いや、でも……」


「魔王のプランに乗る気になった?」


 ベンは困惑した。これ以上シアンの言いなりになるのはゴメンだ。でも、世界を救って公爵令嬢と結婚、それは確かにありえない話ではない。前世では彼女を作る暇もなくブラック企業で過労死してしまったが、あんな美しいおとぎ話に出てくるような可憐な少女と結婚の芽があるというのは全くの想定外だった。


 ベンは大きく息をつくとシアンをチラッと見上げ、小声で返事をする。


「……。話は聞くだけ、聞いてみてもいいです。でも、話あるならお前の方から来い、って伝えといてください」


「うんうん、分かったよ」


 シアンは『チョロすぎ』とでも言いたげな、にやけ顔でうなずいた。


「それから、このスキル修正してくださいよ。苦しすぎます」


「え――――! スキルの修正なんてできないよ。それ、絶妙なバランスの上で作った芸術品なんだゾ」


「でも、苦しすぎて死んじゃいます!」


「うーん。……。じゃこうしよう!」


 そう言ってシアンはベンの可愛いお尻をサラッとなでる。するとお尻はピカッと黄金色に光輝いた。


 へ?


「これで君の括約筋は+100%。十万倍にも耐えられるゾ!」


「いやちょっと! そういうんじゃなくて……」


「じゃ、次は十万倍! 頑張って! きゃははは!」


 シアンは笑いながらすうっと消えていった。


 ベンはそっと自分のおしりを触ってみる。すると確かに今までと違うずっしりとした確かな筋肉を感じる。ただ、漏れにくくなっただけで苦痛は変わらない。むしろ今まで以上に耐えられる分だけ苦痛は増す予感しかない。


「なんだよもぅ……」


 ベンは宙を仰ぎ、頭を抱えた。











17. ベン男爵


「ベン君! すごいのだ!」


 ダンジョンの入り口まで戻るとベネデッタが駆け寄ってきて抱き着いてきた。甘く華やかな香りがベンを包む。


「ベ、ベッティーナ様、ハグなど恐れ多いですよ」


「何言ってるのだ! 君は命の恩人なのだ!」


 何度も絶望を一撃で葬り去ってくれたベンは、もはやベネデッタの中では『運命の人』が確定していた。


「君にはいつも助けてもらってばかりなのだ……」


 うっとりとしながら、ベネデッタはベンのスベスベのほっぺに頬ずりをした。


「えっ? いつも?」


 ベンは少し意地悪に聞く。


「あ、いや、ベネデッタの件合わせてなのだ」


 ベネデッタはほほを赤くしながらうつむいた。


「顧問! お見事でした! ドラゴンを瞬殺とは史上初めての偉業。自分は猛烈に感激しております!」


 班長はビシッと敬礼しながら言った。


「あはは、たまたまだよ。いつもはできない」


「いやいや、ご謙遜(けんそん)を。自分は今まで顧問に大変に失礼を働いておりました。深く反省し、これからは真摯(しんし)にご指導を(たまわ)りたく存じます」


 と、深く頭を下げる。


「あ、そう? 指導なんてできないけど、騎士団の連中には言っておいてよ。結構苦労してる奴だって」


「く、苦労ですか? 分かりました。ただ、これを見せたら誰しも黙ると思いますよ」


 そう言いながら、キラキラと黄金の輝きを放つ大きな珠を見せた。


「何これ?」


「ドラゴンの魔石ですよ。これは国宝認定間違いなしですよ」


 班長は嬉しそうに言った。


「ああ、そう……」


 ベンは魔石の価値が分からず、適当に流したが、後で聞くとドラゴンの魔石はそれこそ小さな領地が丸々買えてしまうくらい高価なものだそうだ。



       ◇



 ベネデッタを宮殿に届け、自室でゴロンと寝っ転がり、うつらうつらしていると班長がドアを叩いた。


 目をこすりながらドアを開けると、班長がキラキラとした目をしながら嬉しそうに言う。


「顧問! 今宵式典が催されることになりました!」


「式典? 何の? ふぁ~あ……」


 また面倒な話を持って来られ、ベンはウンザリしながら聞いた。


「顧問のドラゴン討伐ですよ! これは歴史に残る偉業ですからね、公爵様も大喜びで、すぐに式典をとおっしゃってます」


「あぁ、そうなの? でも、僕眠いんだよね。代わりにやっておいてよ」


 そう言いながらベンはドアを閉じようとする。便意を我慢して表彰なんて、バレたら恥ずかしくて生きていられない。


 すると、班長は靴でガシッとドアを止め、


「何言ってるんですか! ドラゴンスレイヤーが参加しないなんてありえないです! 爵位も下賜(かし)されるはずです。これで顧問も貴族ですよ!」


 と、熱を込めて力説する。


「しゃ、爵位!? なんでそんなことに……」


「いいからすぐ来てください!」


 班長は渋るベンを引っ張り出した。



       ◇



 大広間には貴族、文官などの要人が集まり、式典の開催を待っている。


 セバスチャンに段取りを叩きこまれたベンは、宝物を収める重厚な木箱を持たされ、赤じゅうたんの真ん中に連れてこられた。


 ベンの入場に会場はざわめき、出席者たちはベンを()めるように見ながらひそひそと何かを話している。


 ベンはやる事なす事、どんどん面倒なことにしかならない現実にウンザリしながら、それでもビシッと背筋を伸ばし、真面目にこなしていた。この異常にクソ真面目なところは何とかしたいと思うのだが、他に生き方を知らないのだ。


 ベンは自分の不器用さに大きくため息をつく。



 パパパパーン!


 ラッパが鳴り、公爵が入場する。


 公爵は壇上中央に進むと、大きな声で叫んだ。


「今日は我がトゥチューラにとって歴史的な日となった! なんと、我が騎士団顧問、ベン殿により、ドラゴンが討ち取られたのだ!」


 ウォーー! パチパチパチ!


 盛り上がる会場。


「ベンよ、ドラゴンの魔石をここに」


 公爵の声に合わせ、ベンはうやうやしく公爵の前まで進むとひざまずき、木箱の(ふた)を開けた。黄金に輝く珠が姿を現し、辺りをほんのりと照らす。


 おぉぉぉ! あれが……!


 会場からどよめきが起こる。ドラゴンの魔石などほとんどの人は見たこともなかったのだ。


「こちらにございます」


 ベンは練習通りに木箱を公爵の前に差し出した。


「おぉ、見事だ。ベン殿、何か褒美(ほうび)を取らすぞ、何なりと言ってみよ!」


「いえ、魔物の討伐は騎士団の仕事。褒美など恐れ多い事です」


 ベンは棒読みのセリフで答える。


「そうか、欲のないことだ。では、その方、ベンに男爵の爵位を授けよう」


「ははぁ、ありがたき事、深く感謝申し上げます。こ、今後とも……えーと……、なんだっけ……そうだ、トゥチューラの繁栄に尽くします」


 公爵はとちってしまったベンに苦笑すると、


「うむ、期待しておるぞ!」


 と、言って肩をポンと叩く。


「ははぁ!」


 こうして式典は無事終了し、会食へと移っていった。










18. 女神への挑戦


 しかし、会食会場にはテーブルが一つ、公爵以外にはベネデッタと班長が呼ばれるだけだった。それに脇にはなぜか書記が二人、公爵の後ろにはセバスチャンが控えていた。


 メイドたちが慣れた手つきで皿をサーブしていく


「今日はいきなりだったから簡素な食事で申し訳ない。ベン殿の活躍にカンパーイ!」


 公爵は心なしか硬い表情でそう言うと会食をスタートした。


 前菜には豚のパテにラタトゥイユ。美しい盛り付けである。


 ベンは慣れない高級料理に気が引けながらも、お腹は空いていたのでパクパクと食べていった。


「で、ベン君。なぜ……、そのぉ……、そんなに強いのかね?」


 公爵が切り出し、セバスチャンと書記に心なしか緊張が走ったように見えた。


 なるほど、これは実質取り調べなのだ。ドラゴンを瞬殺できるほどの力はもはや国の軍事力を超えている。事と次第によってはベンの力は国の在り方自体を変えかねない。


 ある程度はカミングアウトした方がいいと思い、ベンは水をゴクリと飲むと、覚悟を決めて言った。


「あー、とあるスキルを女神さまより頂戴しましてですね……」


「め、女神さま! やはり君は女神さまと親交があるのかね?」


 公爵は焦りを隠さず、食い気味に聞いてくる。


「親交というか……、たまに向こうが勝手にやってくるんですよ」


「女神さまが会いに来る? それは……、何をしに?」


「あれ、何しに来てるんですかね? 僕もよく分かってないです」


 ここでメインディッシュがサーブされる。濃密なはちみつのソースがかかった牛のシャトーブリアンのステーキだった。


 転生する前ですら食べられなかった逸品にベンは思わず手が伸びる。


 公爵はゴクリと唾をのみ、やはりベンは熾天使(セラフ)かも知れない、と青い顔で言葉を失う。


 女神というのは王侯貴族だって会ったことがある人などいないのだ。大聖女が会ったことがあるという話を伝え聞くくらいで、その存在は謎に包まれている。なのに、この少年には何度も会いに来て、なおかつ用件はよく分からないとごまかされた。公爵は冷汗をタラリと流した。


 すると、セバスチャンが公爵にそっと近づき、耳元で何かをつぶやいた。


 公爵はうなずき、軽く咳ばらいをすると言った。


「女神さまは何を君に言うんだね?」


「あー、『すごい力出たね』とか、今日は『魔王が何か頼みたいことがあるから聞いてやってくれ』って言ってました」


 ベンはシャトーブリアンの洗練された肉汁に気を取られ、公爵の焦りに気づかずに答える。


「魔王!?」


 公爵は思わずフォークを落としてしまう。皿に当たったフォークはチーン! といい音を立ててじゅうたんに転がった。


 人類最大の脅威であり、魔物の頂点、魔王。女神がその願いをベンに聞いてくれと言っている。それはとんでもない話だった。文字通りに受け取れば、女神はベンに魔王の手助けをして人類を滅ぼさせようとしているということになる。


「そ、それで……。君は受けたのかね?」


 公爵は額に脂汗を浮かべながら、祈るような気持ちで聞いた。もし、YESだったらこの若きドラゴンスレイヤーとの絶望的な戦闘になってしまうのだ。


「え? 『頼みごとがあるなら魔王からこっちに出向け』って言ってやりました。あっ、もちろん、魔王軍に協力なんてしませんよ」


 ベンはまさか公爵がそこまで追い込まれているとは知らず、ちぎったパンを頬張りながら答えた。


「ちょ、ちょっとまって! それは魔王がトゥチューラに来るって事じゃないか!?」


 公爵は真っ青になって叫ぶ。


「あれ? マズかったですか?」


「ベンくーん!」


 公爵はそう言って頭を抱える。


 すると、セバスチャンがスススっとベンの後ろに忍び寄り、耳元で言った。


「この街には魔王軍本体を迎え撃てる兵力が無いのです。申し訳ないのですが、会合は離れた場所でお願いできないでしょうか?」


「あ、そ、そうですか」


 ベンは迂闊(うかつ)に魔王を呼んでしまったことを反省し、急いでキャンセルしようと思った。


「シアン様ー、キャンセル希望ですー」


 ベンは天井に向かって叫んだ。


 ポン! という音がしてぬいぐるみのシアンが現れる。


 シアンは大きく伸びをして、そして、ふぁ~あとあくびをすると羽をパタパタさせながらベンのところに降りてきた。


「あー、シアン様、魔王には自分から会いに行きます。呼ぶのキャンセルで」


「はいはい、分かったよ。きゃははは!」


 シアンは嬉しそうにそう言うと、好奇心旺盛に室内を見回す。壁には大きな油絵の風景画が、奥には壺が飾られ、天井には壮麗な天井画が描かれていた。シアンは天井をチラッと見ると、ツーっと天井まで飛んでいって興味深そうに天井画を眺める。


「ベン君、これが……女神さまかね?」


 公爵は威厳のかけらもない可愛いぬいぐるみを見て唖然とする。伝え聞く話では女神とは優美なお姿で、見たものはその神々しい美しさに感極まって涙を流すほどだったそうだが、目の前を飛んでいるのはただのぬいぐるみなのだ。また、気に入らない者を建物ごと焼き払ったという話も聞いたことがあるがそんな雰囲気でもない。


「女神さまですよ。もちろんちゃんとした女神さまとして出てくることもあるんですが、今日は分身みたいですね」


 と、その時だった。魔法ローブを着た宮殿魔法使いが五、六人ダダダっとなだれ込んできて、


「不法侵入の魔物発見! 直ちに拘束します!」


 と、叫ぶと、拘束魔法で紫色に光るロープを次々とシアンに向けて放ち、シアンをぐるぐる巻きにしていった。














19. 美少女のプレゼント


「いやダメ! これ、女神さまだから!」


 と、ベンは立ち上がって叫んだが、


「こんな女神などいない!」


 と、取り付くしまも無く、さらにシアンをきつく締めあげていった。


 しばらくもがいていたシアンだったが、


「僕と力比べするつもり?」


 と、悪い顔になってニヤッと笑う。そして全身から激烈な閃光を放ち、室内を光で埋め尽くした。


「きゃははは!」


 拘束魔法のロープは吹き飛び、自由になったシアンだったが、それでも止まらずにさらに輝きを増しながらエネルギーを解放していく。バリバリバリ! っと激しく放電しながら激光を放ち、もはや目も開けていられない。


 ベンはあわてて、


「ここは危険です! 逃げましょう!」


 そう言ってベネデッタの手を取って逃げ出した。


 公爵たちも急いで後を追う。


 一行が中庭にまで逃げ出してきた直後、宮殿全体に閃光が走り、屋根が轟音を立てて吹き飛んだ。


「きゃははは!」


 シアンの楽しそうな声が辺り一帯に響き渡る。それは女神というよりは魔神のようなおぞましい響きをはらんでいた。


「あわわわわ……」


 公爵はひざから崩れ落ち、言葉を失う。


 美しく飾られた自慢の白亜の宮殿、それが今、吹き飛んで炎を上げている。高々と夜空に吹き上がる炎はまるで幻獣のように躍動しながら全てを焼き尽くしていく。舞い上がった火の粉は夜空をバックにチラチラと降り注ぎ、まるで花火のように辺りを美しく彩った。


「あーあ、だから止めろって言ったのに……」


 ベンは額に手を当て、宙を仰ぐ。


 宮殿魔術師たちはボロボロになりながらも、水魔法を使って必死に消火活動をするが、火の手はなかなか衰えない。結局、壮大な宮殿は三分の一ほどを焼失し、公爵たちは後始末に追われることになった。



         ◇



 翌日、公爵と宰相、各方面のブレーンたちは緊急招集され、ベンについて話し合う。


 ドラゴン瞬殺レベルの人間離れした力を女神から授けられた少年ベンの登場。そして、女神がベンに魔王への助力を依頼したこと。これらはトゥチューラの存亡、ひいては人類の在り方にかかわる大問題であった。


 そして、降臨した女神の分身を宮殿魔術師が刺激して、宮殿を吹き飛ばされてしまったこと。これもまた頭痛い問題だった。


「ベンなど毒を盛って殺してしまえ!」


 宰相は威勢よく叫んだ。出席者はその通りだと内心思いつつも、さすがに女神が注目しているベンに危害を加えることは危険である。女神が本気になったらトゥチューラなんて一瞬で火の海にされてしまうのだ。


「いや、気持ちは分かるよ。ベン君のいない時代に戻りたい。それはみんなの思うところだ。だが、彼はもう出てきてしまった。消すのは危険だ」


 公爵の意見に宰相含め、みんな渋い顔でうなずかざるを得なかった。


 一番紛糾したのは魔王への助力の件である。『魔王が頼みたいこと』とは何か? なぜ女神は魔王の肩を持つのか? ベンに一体何をやらそうとしているのか?


 この部分の解釈は無数あり、しかし、どれも決定打に欠いていた。ただ、唯一言えるのはベンを魔王軍側に奪われてはならない、というものだった。どこまでも人間側についていてもらわない限り人類の敗北は必至だ。何しろ人類最強の勇者もベンの前には瞬殺だったのだ。ベンが魔王側についたとたん、人類は魔王軍に蹂躙されてしまう。


 結局、彼らは夜まで激論を交わし、太陽政策で行くことにした。『北風と太陽』の太陽、つまり、ベンに取り入ってトゥチューラのために動きたくなるようにしよう、というものだった。


 その頃ベンは、街の重鎮たちが自分のことで紛糾していることなんて思いもよらず、渋い顔をしながら自室で水筒の加工をしていた。お尻に注入しやすい形状に工夫が必要なのである。そんなことやりたくなかったが、一万倍を出した水筒の便意増強効果はてきめんであり、何かの時のために用意しておきたかったのだ。



        ◇



「ベン男爵! こちらが新しいお屋敷ですよ!」


 セバスチャンに連れられて、ベンは宮殿にほど近い離宮に来ていた。庭園にはバラが咲き乱れ、大理石で作られた三階建ての美しい建物がそびえ、まるでおとぎ話に出てくるような宮殿だった。


「え? ここが僕の新しい家ですか?」


 ベンは戸惑った。先日ワンルームに移ってきて、それでも十分だと思っていたのにいきなりこの宮殿をくれるというのだ。そもそもこんなでかい宮殿に人なんて暮らせるものなのだろうか?


「ベッドルームが十室、図書室もございます。さあお入りになって」


 セバスチャンはそう言って、重厚な玄関のドアを洗練された手つきで開けていく。


 中は大理石をふんだんに使った壮麗なエントランスとなっており、赤じゅうたんが二階へ向かう優美な階段へと続いている。そして、その脇には十数人のメイドがずらっと並んで立っており、


「おかえりなさいませ、ご主人様!」


 と、一斉に唱和しながらうやうやしくお辞儀をした。


 は?


 ベンはあまりのことに凍りつく。


 家をくれるというからついて来たら、たくさんの美少女が用意されていた。いったいこれはどういう事だろうか?










20. 官製ハーレム


 紺色のワンピースに真っ白のエプロン、そして、頭には白いカチューシャをつけた彼女たちはにこやかな笑顔でベンにほほ笑んでいる。


 歳の頃はみんな十五歳前後であろうか、気品があり、美形ぞろいで、ベンは圧倒された。


「彼女たちはベン男爵の専属メイドですよ。何なりとお申し付けください。それと……」


 そう言うと、セバスチャンはベンの耳元で小声で、


「彼女たちはお手付きを期待しております。どなたでも夜にお部屋に呼んで大丈夫ですよ」


 と、言ってニコッと笑った。


「お、お手付き……」


 ベンは唖然とする。こんな可愛い女の子たちを自由にできる。それはまさにハーレムだった。確かに彼女たちのベンを見る目はどことなく熱を帯びているように見えなくもない。


「ダメだダメ!」


 ベンは首をブンブンと振り、


「いや、何なんですか、この好待遇? ただの男爵にここまでなんて話聞いたことないですよ?」


 ベンはセバスチャンに迫る。


「ベン男爵、あなたの持つお力はもうこのレベルなのです。女神さまから力を授かり、ドラゴンを瞬殺し、魔王から声をかけられる。もう、人類の未来を左右する要人なのです。このくらい大したことではありません。日替わりで彼女たちを楽しまれてください」


 ベンは言葉を失った。もちろんハーレムは男の夢だ。でもこんなあてがわれたようなハーレムなど興ざめなのだ。


 しかし、要らないと飛び出したら、きっと問題はもっと大きくなってしまうだろう。これは誰かの思い付きなんかではなく、トゥチューラの政策だろうことは容易に想像がつく。政策に反する行動はややこしい問題を生んでしまうだろう。ベンは頭が痛くなってきた。


「いいお話ですよ、(うらや)ましいです」


 セバスチャンは本心そのままといった調子で諭す。


 ベンは大きく息をつくと、うんうんとうなずき、


「分かった。この屋敷もメイドもいただいた。おい君! 僕の部屋まで案内してくれるかな?」


 と、手近なメイドに声をかけた。


 金髪をきれいに編み込んだ可愛いメイドはピョコピョコと近づいてくると、


「かしこまりました♡」


 と嬉しそうに満面に笑みを浮かべながら、頭を下げる。


 心なしか他のメイドたちの目に殺気が走ったように感じられ、ベンは背筋に冷たいものが流れた。女の戦いがもう始まっているのだ。


「心行くまでお楽しみくださいませ」


 セバスチャンはうやうやしく頭を下げた。



         ◇



 ベンは荷物を置いた後、一通り屋敷の中を案内してもらい、食堂にみんなを集めた。


 メイドたちはキラキラとした目でベンを見つめている。


「みんなありがとう。これからこの屋敷でみんなにはお世話になります。でも、僕はまだ子供です。堅苦しいことは無しに、楽しくできたらいいなと思います」


 パチパチパチ!


 メイドたちは嬉しそうに拍手をする。


「それから、エッチなことはこの屋敷では禁止だからね」


 ベンはくぎを刺した。


 すると、彼女たちはざわざわとなって露骨にいやそうな表情を見せる。


 なんと、みんなやる気満々なのだ。


「ちょ、ちょっとまって! 君たちなんて言われてきたの?」


 すると、みんな押し黙ってしまった。


 ベンはさっき案内してもらったメイドを近くに呼んで、聞き出す。


夜伽(よとぎ)に呼ばれたら金貨十枚という契約なんです」


 ベンは思わず宙を仰ぐ。


 呼ばれたら百万円、毎日呼ばれたら月に三千万円。それは必死になるに決まっている。この街の重鎮たちはいったいどうしてしまったのだろうか? ベンはこの狂った屋敷を何とかしないと大変なことになると青くなった。


 ベンは胸に手を当て、何回か深呼吸を繰り返して心を落ち着けると、女たちを見回しながら話す。


「じゃあこうしよう。みんなと仲良くしてよく働いた子にはご褒美として、夜に呼んだことにします。それでいいかな?」


 すると、女の子たちはパッと明るい表情になって嬉しそうに笑った。そして、


「あっ、ご主人様! ネクタイが曲がってます!」「ご主人様、御髪(おぐし)が跳ねてます!」「爪が伸びてるみたいです。今切りますね!」


 と、我先にベンに迫っては次々とアピールを開始する。


「うわ、ちょ、ちょっとまって!」


 ベンは若い女の子たちの甘酸っぱい匂いに包まれて、くらくらしながら前途多難な新生活を憂えた。



      ◇



 夕食後、自室で別途に寝転がりうつらうつらしていると廊下に人の気配がする。


 ベンはため息をつくと抜き足差し足でドアのところまで行って、バッとドアを開けた。


 きゃぁ! バタバタバタ!


 女の子たちが部屋になだれ込んでくる。


「夜は三階の廊下は立ち入り禁止! いいね?」


 ベンはそう言って女の子達を追い出した。


 油断もすきも無い……。


 ベンはウンザリしながら窓際に行くと、何の気なしに月を見上げた。


 すると、そこにはメイド服が揺れている。


 はぁ!?


 なんと女の子が窓の外に張り付いているではないか!


 クラクラするベン。


 ここは三階だぞ。なんで居るんだよ!


 目をギュッとつぶって頭を抱えながら、ベンは面倒ごとばかりどんどん増えていく自らの運命を呪った。



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