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1. 便意独尊!

コンテスト応募用に過去作をリメイクしたものになります。

挿絵(By みてみん)

 魔王討伐を目指す勇者パーティは、腕試しにダンジョンの深層まで来ていた――――。


「分かれ道は右です。その先アンデッドが出ます。一応聖水を配りますね」


 荷物持ちの少年ベンは、そう言いながら勇者たちに聖水の小瓶を配っていく。


 本来荷物持ちが地図を読んだりする必要はないのだが、せっかく得た勇者パーティの仕事を実績にしたいベンは必死である。


「おい、アレよこせ!」


 黄金色に輝く派手なプレートアーマーに身を包んだ勇者は、金髪をファサッとなびかせるとベンに手を差し出した。


「え? ア、アレって……なんでしょうか?」


「アレって言ったらアレ、目薬だろ! すぐに出せ!」


「えっ!? 荷物には入れてませんよ。出発前に持ち物は確認したじゃないですか」


 ベンは泣きそうな顔で答える。


「カ――――ッ! 使えんなぁ!」


 勇者は不満そうにバシッとベンの頭をはたいた。


 『使えない』と言われても自分はただの荷物持ち。運ぶ物の選定は勇者たちの仕事である。とはいえしがない荷物持ちの少年に発言権などない。ベンは叩かれたところをさすり、大きく息をついた。


 ベンは東京のブラック企業で働いていた会社員。生真面目な性格を利用され、毎晩サービス残業の連続で過労死してしまい、女神に異世界転生させてもらっていたのだ。しかし、気が付いたらスラム街に暮らす少年になっており、異世界転生ものの作品にありがちな(きら)びやかな異世界生活からはほど遠い境遇だった。


 仕方ないのでトイレ掃除やドブさらいなど、人のやりたがらない仕事を黙々とこなし、何とか食いつないでいたのだ。


 そんなベンにも転機がやってくる。ベンの生真面目な仕事が評価され、街の偉い人の目に留まり、勇者パーティの仕事を紹介してもらったのだ。ここでいい評判を得られれば貧困からは卒業できる。ベンはこの荷物持ちに賭けていたのだった。


 そういう意味で、勇者の機嫌を損ねてしまうことはベンにとっては痛手であり、うなだれてしまう。


「目の不調なら私が治しますよ」


 純白の法衣をまとったヒーラーのマーラが、ニッコリとほほ笑みながら勇者に声をかけた。マーラはたぐいまれなる美貌(びぼう)をもちながら優しく、温かなまさに天使のような存在で、ベンにとっては憧れだった。


「あっそう? なんか目が疲れてシバシバするんだよね」


 勇者はパチパチとまぶたをしばたかせる。


「あらら、大変です。ではいきます! ホーリーヒール!」


 マーラは純白の杖を高く掲げて叫んだ。すると、黄金色に輝く微粒子の吹雪が勇者を包み、勇者も黄金色に淡く輝いた。


「お――――! いいねいいね!」


 勇者は上機嫌に笑う。


 マーラはうなずくと、ベンの方に優しそうな目を向ける。


 ベンがペコリとマーラに頭を下げると、マーラはニコッと笑い、美しいブロンドの髪を揺らした。


 ベンはそんなマーラにドキッとしてしまう。しがない荷物持ちの子供にまで気を配ってくれるマーラの優しさは、辛く厳しい荷物持ちの仕事の大きな支えとなってくれていたのだ。


 パーティには他に武骨な大男のタンク役と、強烈な攻撃魔法を得意とするナイスバディの魔法使いがいるが、タンク役は無口で不愛想、魔法使いは陰険で傲慢(ごうまん)、苦手なタイプだった。


 この時、急にベンのお腹が激しく鳴った。


 ぐぅぅぅ、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 真っ青になってお腹を押さえるベン。


 ここはダンジョンなのだ。トイレなどないし、どこに魔物が潜んでいるか分からない。だから用足しは休憩時間だけと厳しく決められていたが、次の休憩時間はまだずいぶん先だった。


 痛たたた……、漏れる……、漏れる……。


 ベンは冷汗をタラタラ垂らしながら、肛門を締め付ける括約筋(かつやくきん)に力をこめた。なんとか治まってくれないと困る。ベンは必死に祈りながら耐えていた。


 しかし、いつまで経っても暴れる腸は治まらない。ベンは必死に括約筋に力をこめ、押さえつけ続けたが、暴発は時間の問題だった。


「あのぉ、そろそろ休憩、どうですか?」


 ベンは覚悟を決め、勇者に声をかける。


「さっき休んだばっかだろが! 荷物持ちが足引っ張んじゃねーよ!」


 勇者はムッとした顔で答える。


「そ、そうですよね……」


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 ベンの胃腸はかつてないほどうねり、強烈な便意が下腹部を襲う。


 く、くぅ……。マズい、漏れる……。


 ポタリと落ちる冷や汗。


 その時、視界の端で魔法使いがいやらしい笑みを浮かべているのに気が付く。彼女は黒いローブに胸元を強調したビキニスーツを着込み、ベンが見るとそっと大きな黒い帽子の唾で顔を隠した。


 え?


 思い返せば、さっき彼女にもらった差し入れの飴はなんだか少し苦かったのだ。


 ハメられた……。


 ベンはギュッと目をつぶり、まんまと嫌がらせの策にはまってしまった自分の浅はかさにうなだれる。


 よりによって仲間に下剤を仕込むとは想定外だ。それもこんなダンジョンの深層で。しかし、腹壊してパーティの進行を遅らせたなんてことが広まると、もうどこにも入れてもらえなくなる。だからここは何としてでも耐え抜かねばならなかった。


 ベンは奥歯をギリッとかみしめ、内またで必死にパーティの後を追っていく。


「ベン君? だいじょうぶ?」


 マーラはそんなベンを見て立ち止まり、美しいブロンドの髪をかき上げながら、その鮮やかなルビー色の瞳でベンをのぞきこんだ。


「だだだ、大丈夫ですっ!」


 ドキッとベンの心臓は高鳴った。天使のような存在であるマーラに『便を漏らしそうだ』なんて口が裂けても言えなかった。


「そう? 辛くなったら言ってね」


 マーラは天使のほほえみを浮かべた。するとベンの便意も波が引くように治まっていき、ベンは恍惚(こうこつ)とした表情で「はい」と、うなずいた。



      ◇



 やがてたどり着いたダンジョンの最下層。そこには豪奢(ごうしゃ)な黄金の装飾が施された巨大な扉がそびえていた。


「いよいよ、ボス部屋だ! 総員戦闘態勢!」


 勇者は聖剣をスラリと抜き、掲げる。すると刀身に浮かび上がってくる赤い幻獣の模様。そして、模様が刀身を覆いつくした時、ピカッと閃光が走り、全員にバフがかかった。


 しかし、そのバフはなぜか治まりかかっていたベンの便意を刺激する。


 ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 激しく腸が鳴った。


 くぅぅぅ。


 お腹を押さえ、崩れ落ちるベン。便意は一気に最高潮に駆け上がる。


 ま、マズい、も、漏れる……。


 マーラが見てる前で暴発はマズい。だが、用を足せる物陰もない。ベンは絶体絶命の窮地(きゅうち)に立たされた。


 その時、ポロン! という電子音とともに青いウインドウが空中に開き『×10』と、表示される。しかし、ベンにはそれがなんなのか考える余裕もなく、ただ、脂汗を流していた。


「おい! 荷物持ち! 何やってる」


 勇者は弱っているベンを見てあざ笑う。


「これからって時に足引っ張んないでよね!」


 魔法使いはニヤニヤ笑いながらあざける。


 お前のせいだろうが! と、怒鳴りつけたい気持ちを抑えながら、ベンは括約筋に必死に喝を入れ、


「だ、大丈夫です。行ってください」


 と、何とか口を開いた。


「言われなくても行くわよ! あんたはどうせ戦闘じゃ役立たずなんだからおとなしく荷物見てなさい」


 は、はい……。


 ベンは下腹部を押さえ、荒い息をしながら答える。いつかやり返してやりたい気持ちもあるが、そういうネガティブな応酬は前世の頃から苦手なのだ。


 ベンはキュッと口を真一文字に結び、目をつぶる。


「チャージ!」


 勇者は巨大な扉を押し開け、威勢よくボス部屋に突入していく。


 薄暗いボス部屋の奥には一段高くなったところがあり、そこには宝飾品に彩られた玉座が据えてあった。その後ろには扉。きっと出口だろう。


「いらっしゃーい」


 女性口調の男の声が響いた。その声には遊び相手を見つけたような嗜虐(しぎゃく)的なニュアンスがこもっており、パーティに緊張が走る。


 部屋の周りの魔法ランプがポツポツと点灯し、浮かび上がってくる豪奢なボス部屋のインテリア。


 声の主は玉座に座るタキシードを着込んだ男だった。おしろいを塗ったような白い顔には紫のアイシャドウに黒く太い唇、背中にはコウモリのような羽も生えている。魔人だ。


「ま、魔人!?」


 勇者の顔がゆがむ。魔物の中でも深刻な脅威と言われる魔人との対戦は初めてである。しかし、魔王討伐を目指す勇者パーティには避けては通れぬ敵でもあった。


 メンバーも険しい表情で魔人をにらむ。


「か、かかれー!」


 勇者の号令と共にタンク役は突進し、魔法使いは炎槍(フレイムランス)を唱え、一気に戦闘に突入する。


 ベンは便意を必死に我慢しながら部屋の隅でうずくまっていた。何とか物陰があればそこで用を足したかったが、あいにくボス部屋はがらんどうの大広間で柱の一つもない。こんなところで尻をまくる訳にはいかなかった。


 と、その時、ひときわ大きな音をたてながら腸が鳴った。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 くっ! ヤバいヤバい!


 脂汗がぽたぽたとおち、歯をくいしばって耐えるベン。括約筋は限界まで踏ん張っているが、便意はそれを上回る勢いで肛門を襲っている。まさに崩壊寸前だった。


 またポロン! と鳴って青い画面が目の前に開く。そこには『×100』と、書いてあった。


 ベンは訳の分からないウザったい表示にイライラしながら、必死に便意と戦う。今は何も考えられないのだ。


 ベンの頭の中で悪魔がささやく。


『どうせ誰も見てやしない。ささっと出しちゃえばいいんだよ』


 その甘露で魅惑的なささやきにベンの脳が揺れる。


 出すだけでこの苦痛から解放される。そう、出すだけでいいのだ。


 だが、天使は反論する。


『さすがに臭いはごまかせないわ。マーラにもバレるわよ? いいの?』


 くぅぅぅ。


 それだけは避けないとならない。ベンは涙をにじませながら歯を食いしばった。あの憧れのマーラに、汚物のようにさげすまれるのだけは絶対に避けなければならない。


 痛い、痛い、痛い、漏れる、漏れる、漏れる……。


 脂汗がぼたぼたと落ちていく。


 その時、ひらめいた。


 荷物の中に薬品箱がある。そこに下痢止めも入っていたはずだ。なぜ今まで気づかなかったのか?


 ベンは苦痛から解放してくれる夢の解決策に希望の光を感じ、狂喜した。そして、お腹を刺激しないようにしながらリュックを開き、震える手で下痢止めを急いで探す。



 一方、戦闘はヤバい状態に陥っていた。一斉に攻撃を開始した勇者パーティだったが、全く攻撃が通用しないのだ。魔人は玉座に座ったままニヤニヤしながら魔法のシールドを振り回し、タンク役を吹き飛ばし、魔法をはじき返し、隙を見て火魔法を放ってくる。


「チェストー!」


 勇者の放った聖剣の一撃もあっさりといなされ、逆にカウンターを受けて無様に床に転がされてしまう。


 ぐはぁ!


 あまりにも強すぎる。しかし、逃げるにしても逃げ切れるとは思えない。何か方法はないか、何か。誰かが囮になれば……。そうだ! 勇者はベンの方を振り向き、ニヤッと嫌な笑みを浮かべた。


 そして、魔人をタンク役に任せ、ベンのところへと走る。ベンを囮にしようと考えたのだ。



「あ、あったぞ!」


 ベンは限界ギリギリのところで下痢止めを見つける。それは絶望の中で見つけた一筋の光だった。


 しかし、魔人は勇者の変な動きを見て、ベンが何か荷物をゴソゴソしてるのに気が付いてしまう。


「何をやってるの! ファイヤーボール!」


 魔人は即座に火魔法を放つ。


 直後、ファイヤーボールはリュックに着弾、下痢止めもろとも吹き飛んでしまった。


 うわぁぁぁぁぁぁぁ!


 ベンは発狂した。ついにたどり着いた希望が目の前で炎に包まれ、吹き飛んでしまったのだ。


 プリッ!


 そのショックでベンのお尻から危険な音がした。


 生暖かい液体が尻の周りをゆっくりと流れていく。その、認めたくない現実が太ももをつたっている。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい!


 ベンは真っ青になる。堤防が一部決壊! 緊急事態である。


 直後襲ってくる猛烈な便意。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 決壊を契機に、胃腸がグルングルンと大暴れをし、さらなる突破を狙ってくる。


 青い画面には『×1000』と、表示が出るが、もう見てる余裕もない。


 すると、駆け寄ってきた勇者が魔人の後ろの出口を指さして言った。


「ベン! お前出口へダッシュだ!」


「で、出口……?」


 ベンは朦朧(もうろう)としながら答える。


「そう、出口。お前なら行ける。GO!」


 ベンはぼんやりとする意識の中で、脳のどこかがブチッと切れる音を聞いた。


「出口! 出口! うわぁぁぁ!」


 ベンはそう叫びながら、魔人の後ろの出口をにらみ、内またでピョコピョコと走り出した。


 もう一刻の猶予もない。早く用を足さねば狂ってしまう。


 丸腰でピョコピョコと突っ込んでくるベンを見て、魔人はあざ笑う。


「荷物持ちの小僧に何ができるのかしら?」


 同時に勇者は撤退の口笛を吹いて、一行は静かにダッシュで入口の扉へと走っていく。魔人の意識をベンに向け、卑怯にも撤退して行ったのだ。


 漏れる! 漏れるっ!


 走り出してしまったベンの便意は最高潮に達し、もはや暴発しないのがおかしいレベルに達していた。そして限界ギリギリのベンからは、何人をも寄せ付けない殺意のオーラがぶわっと噴きだす。


「な、何よ。なんだっていうの、お前……」


 魔人は便意のオーラに気おされ、背筋にゾクッと冷たいものが流れるのを感じた。こんなに圧倒されたのは魔王と対峙した時以来である。


「ちょこざいな!」


 魔人はバサバサッと翼をはばたかせ、玉座から飛び上がるとベンの前に立ちふさがる。そして、指先で空間を裂くと中から紫色の炎をまとった魔剣を取り出したのだった。


 ベンにはもう出口しか見えていない。括約筋はもう何秒も持たない。暴発のカウントダウンはもう始まってしまったのだ。


 ヤバいっ! ヤバいっ!


 鬼のような形相で叫びながら必死に駆ける。


 魔人はベンのすさまじい気迫にひるみながらも魔剣を振りかぶり、


「究極奥義! 魔剣斬! 死ぬのよぉ!」


 と、目にもとまらぬ速さで振り下ろした。


 しかし、ベンはもう出口のことしか考えられず、邪魔する魔人など興味もない。迫りくる魔剣を、無意識にガッとつかむと、握りつぶして粉砕し、混濁する意識の中で、


「便意独尊!」


 と、訳わからないことを叫びながら、鮮烈なパンチを魔人の顔面に放った。


 魔人はその想定外の鮮やかな攻撃に吹っ飛び、まるでスカッシュのボールのように床に打ちつけられ、奥の壁に当たり、天井にバウンドして最後は頭から床に落ちてきて倒れ、やがて魔石となって転がったのだった。


 逃げようと走っていた勇者パーティはその異様な衝撃音に振り返る。しかし、そこにはもう魔人はいなかった。パーティメンバーは一体何が起こったのか理解できず、愕然(がくぜん)として走るベンを眺める。


「え? 魔人は?」「ま、まさか……」「ベン君……」


 しかし、ベンは立ち止まることもなく、そのまま出口の扉を吹き飛ばし、脱出ポータルへと駆けこんでいった。







2. 神殺し


「ふぅ……、危なかった……」


 森の中ですっかり中身を出したベンは、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべながら、青空をゆったりと横切る雲を眺めていた。


「あぁ、生き返る……」


 チチチチと小鳥たちがさえずる声を聞きながら、ベンは天国に上ったような気分で目を閉じる。もうあの腹を刺す暴力は去ったのだ。


 勝利……。そう、あの悪魔的な便意に打ち勝ち、肛門を死守したのだ。若干漏れてしまったが実質勝利と言っていいだろう。


 グッとこぶしを握り、ガッツポーズをしながらベンは自らの健闘を讃えた。あの苛烈な戦いからの無事生還はまさに奇跡である。


 ベンがにんまりとしていると、いきなり空の方から女の子の声が響いた。


「きゃははは! ベン君、すごいね! 千倍だって!」


 見上げると、青い髪の女の子が、近未来的なぴっちりとしたサイバーなスーツに身を包んでゆっくりと降りてくる。透き通るような肌に、澄み通るパッチリとした碧眼(へきがん)。その人間離れした美貌には見る者の心をぐっとつかむ魔力をはらんでいた。


「あっ! シアン様!」


 ベンは思わず叫ぶ。そう、この女の子は、ベンが日本で死んだ時にこの世界に転生させてくれた女神だった。


 しかし、ベンには不満がある。普通転生と言えばチートなスキルが特典としてもらえるはずなのに、ベンには【便意ブースト】という訳わからないスキルだけで、逆にレベルが上がらない呪いがかけられていた。このおかげで強くもなれず、貧困の中で必死に荷物持ちなんてやる羽目になっている。


「このスキルなんなんですか? せっかく転生したのに散々なんですけど?」


 ベンはここぞとばかりにクレームをつける。


「え? そのスキルは宇宙最強だよ?」


 女神は小首をかしげて言う。


「は? 何が宇宙最強ですって?」


「便意を我慢すればするだけ強さが上がっていくんだよ。さっき千倍出して魔人瞬殺してたよね?」


「は? 魔人?」


 排便のことに必死であまり覚えていないが、確かに何かしょぼいピエロのようなオッサンをパンチで粉砕したような記憶がある。ベンの攻撃力は十しかないが、千倍となれば一万になる。勇者の攻撃力だって千は行っていないはず。あの時自分は勇者の十倍以上強かったということらしい。


 荷物持ちどまりとして散々馬鹿にされてきた最弱の自分が、あの瞬間は人類最強だった。


 バカな……。


 ベンはかすかにふるえる自分の両手を見た。この手で魔人を粉砕したなど全く実感がわかないが、確かにそうでなければ説明がつかない。


「人間は便意を我慢すると集中力が上がるんだよ。そしてその集中力に合わせてパラメーターをブーストするのが【便意ブースト】。我慢すればするだけどこまでも上がるので宇宙最強だよっ!」


 シアンはニコニコしながら楽しそうに言った。


 ベンは絶句した。なんという悪魔的なスキル。人が苦しむのを楽しむために作ったような酷い仕様である。


「いや、ちょっと待ってくださいよ。なんかこう、念じるだけでブーストしたっていいじゃないですか。なんでよりによって便意なんですか?」


「人間はね、なぜか便意の我慢が強烈なパワーを生むんだよね。あれ、なんなんだろうね? きゃははは!」


 シアンはそう言って楽しそうに空中をクルッと回った。腰マントがヒラヒラッと波打ち、まるでゲームのエフェクトみたいにそこから光の微粒子がキラキラと振りまかれる。


 ベンはウンザリして首を振った。どんなに宇宙最強と言われたって、あの猛烈な便意を我慢し続けたら人格が崩壊しかねない。


「こんなスキル要らないです。弱くていいからもっと別なのに変えてください」


「ダメ――――!」


 女神はそう言って腕で×を作った。


「な、なんでですか?」


「だって君、素質あるよ。【便意ブースト】で千倍出したのって君が初めてなんだよね。やっぱり真面目な子って素敵。僕の目に狂いはなかった。この調子なら……神すら殺せるよ。くふふふ」


 シアンは何やら穏やかでないことを言って、悪い顔で笑った。


「か、神殺し……? いや、神なんて殺せなくていいから……」


「正直言うとね、この星、もうすぐ無くなるかもしれないんだ」


 急に渋い顔になるシアン。


 ベンはいきなり世界の終わりをカミングアウトされ、驚きで目を白黒させる。


「へ? それって……、僕たち全員死んじゃうって……ことですか?」


「そうなんだよー。で、君にちょっと救ってもらおうと思ってるんだ。いいでしょ?」


「ど、どういうことですか? 僕、嫌ですよ!」


 しかしシアンは聞こえないふりをして、


「次は一万倍、楽しみだなぁ」


 と、嬉しそうに笑う。


「何が一万倍ですか! こんな糞スキル絶対二度と使いませんからね!」


 ベンは真っ赤になって叫んだ。しかし、シアンは気にも留めずに、


「あ、そろそろ行かなきゃ! ばいばーい。きゃははは!」


 と、言ってツーっと飛びあがる。


「あっ! ちょっと待……」


 ベンは引き留めようと思ったが、女神はドン! と、ものすごい衝撃音を上げながらあっという間に音速を超え、宇宙へ向けてすっ飛んでいってしまった。


「なんだよぉ……」


 ベンはぐったりとうなだれた。何が宇宙最強だ、何が星を救うだ。なんで自分だけがこんなひどい目に遭うのか、その理不尽さに腹が立った。


 絶対女神の思い通りになどならん!


 ベンはグッとこぶしを握ると、二度と糞スキルなど使わないと心に誓った。












3. 追放



「あっ! ベン! お前どこ行ってたんだ!」


 勇者はダンジョンの入り口に戻ってきたベンを見つけると、目を三角にして怒鳴った。


「あ、ごめんなさい、ちょっと用を足しに……」


「お前がちゃんと見てないから荷物全損だぞ! 貴様はクビだ!」


 勇者はカンカンになってベンに追放を宣告した。


「えっ! ちょっと待ってください、それは魔人がやったことですよ。代わりに魔人を倒したじゃないですか」


「魔人を倒した? お前が? ただの荷物持ちがなんで魔人なんて倒せるんだよ?」


「あ、そ、それは……」


 ベンは【便意ブースト】のことを説明しようとしたが、こんなバカげたスキル、説明するのもはばかられる。それにマーラも聞いているのだ。恥ずかしくてとても口に出せず、うつむいた。


「それみろ! 単に魔人が何かやらかして自爆しただけだろ? 勝手に自分の手柄にすんな! クビだ! クビ!」


 勇者はそう言い放つと、「帰るぞ!」とパーティに告げた。


「えっ! そ、そんなぁ……」


 マーラは少し心配そうにチラッとベンの方を見たが、そのままメンバーと一緒に去って行ってしまう。


 ベンは呆然として立ち尽くした。相場よりもかなり安い値段で、地図まで読んで勇者パーティに尽くしてきたのに、この仕打ちはひどすぎる。荷物燃やしてクビになったなんて話がギルドの中で知れ渡れば、もうベンを雇ってくれるパーティなんてないだろう。紹介してくれた街の偉い人の顔も潰してしまったので、トイレ掃除の仕事もなくなってしまうに違いない。


「このままだと飢え死にだ……」


 ベンは真っ青になってガクッと崩れ落ち、明日からどうやって暮らしていったらいいのか途方に暮れる。そして、ただ、小さくなっていく勇者パーティの後ろ姿をぼんやりと眺めていた。



        ◇



 翌日、ベンは暗黒の森にゴブリン退治に来ていた。レベルの上がらない呪いのかかったベンを入れてくれるパーティもなく、街の仕事も当面は難しい。生き残るにはソロで冒険者をやるくらいしかなかった。


 ベンはポーチをまさぐり、なけなしの金で買った下剤の小瓶を取り出し、眺める。これは薬師ギルドのおばちゃんに土下座して特別に調合してもらったもの。その茶色の瓶の中に入った液体はきっと強烈な便意を引き起こし、ベンを宇宙最強にまでしてくれるはずだ。しかし、ベンはどうしても飲む気にはなれなかった。あの強烈な腹の痛み、肛門を襲う便意のことを思い出すだけで身体が震えてしまう。


 それにあのクソ女神の思惑通りになるのも絶対避けたかった。


 ベンはうつむき、ギュッとこぶしを握ると、


「ゴブリンくらいならスキルを使わなくたって倒せるはずだ!」


 と、自分を鼓舞し、顔を上げ、うっそうとした暗黒の森の奥をにらんだ。



       ◇



 しばらく慎重に進むと、ガサッと茂みが動いた。何かいる!


 ベンは短剣を構え、茂みを凝視する。


 思えばソロの戦闘は初めてかもしれない。ミス一つで死んでしまう世界に飛び込んでしまったことを少し後悔しながらも、自分にはもうこの生き方しか残されていないと覚悟を決めた。


 ベンは短剣をギュッと握る。


 脂汗がたらりと頬をつたっていく……。



「ギャギャー!」


 いきなり茂みから飛び出した緑色の小人、ゴブリンだ。とがった耳に醜悪な顔、その気色悪さがベンを威圧する。


 ゴブリンはよだれを垂らしながら棍棒を振りかざし、まっすぐにベンを襲う。


 ベンは緊張でガチガチになりすぎて、対応が遅れた。


 振り下ろされるこん棒。


 ベンは間一髪でかわすも、足を取られ、転んでしまう。


 うわぁ!


 そこにさらに振り下ろされるこん棒。ゴブリンは身体が小さな分、俊敏で、厄介な相手だ。


 ベンは何とか短剣で叩いて直撃を免れると、こん棒をつかみ、そのまま()りを喰らわせた。


 悲痛な叫び声を上げながら吹き飛ぶゴブリン。


 ベンは急いで起き上がり、ここぞとばかりに棍棒をバットのように振り回してゴブリンの頭部を打ちぬいた。


 ゴブリンは断末魔の悲鳴を上げ、やがて薄くなり消えていく。そして、緑色の魔石が足元に転がった。


 はぁはぁはぁ……。


 ベンは荒い息をしながら魔石を拾い、その緑色に怪しく光る輝きを眺める。


 ゴブリン一匹に命懸け、これはどう考えてもいつか殺されてしまう。やはり、ソロでやっていくのは難しいと、思い知らされたのだった。


 その時、森の奥、あちこちから「ギャッ!」「ギャッ!」と声が上がる。ゴブリンの群れに気づかれてしまった。


 ヤバい!


 鼻の奥がツーンとして、死の予感が真綿のようにゆっくりと首を締めあげていく。


 まともに戦えば殺せて2,3匹。あとは残りの連中に惨殺されて終わりだ。ベンはそうやって死んだ新米冒険者を何人も見てきたのだ。


 ベンはダッシュで逃げる。渾身の力で木の根を飛び越え、(やぶ)を抜け、街の方へと必死に駆けた。


 すると、ポン! という音がして、小さなぬいぐるみのような生き物が空中に現れた。青い髪の毛を揺らしながら背中には羽を生やしている。顔はシアンをデフォルメしたものになっているところを見ると、どうやらシアンの分身らしい。


 そのぬいぐるみはベンの耳元で、


「ほらほら! 下剤下剤! きゃははは!」


 と、笑いながら言った。


「シアン様! 下剤なんて嫌ですよ。僕はあんなスキル絶対使わないんです!」


 ベンは糞スキルを推してくるシアンにムッとして言った。


 しかし、シアンは聞く耳を持たず、


「げ・ざ・い! げ・ざ・い!」


 と、(はや)し立てながらベンの周りを飛ぶ。


 なんというウザい女神だろうか。


 ベンはそんなシアンを手で追い払いながら、ただ必死に走った。


 しかし、ゴブリンは口々に嫌な叫び声を上げながら迫ってくる。


「どんどん、距離縮まってるよ? 早い方がいいよ」


 ぬいぐるみのシアンは悪い顔をして耳元でささやく。


 人としての尊厳を取るか、生き残るための合理的選択を取るか、迫られるベン。


 ベンはギリッと奥歯を鳴らし、シアンをにらんだ。










4. 涅槃


 ゴブリンは森の中で走るのに長けている。身体は小さいものの、猿のように枝にピョンと飛びついて藪を軽々と越えてくるその俊敏な身のこなしは見事で、徐々に距離は詰められてしまっていた。


 ガサガサと迫ってくる多数のゴブリンの足音に、ベンは顔面蒼白となる。


 はぁはぁはぁ……、ダメか。


「早く早くぅ!」


 シアンは楽しそうにクルクルと回りながら言った。


「チクショー!」


 ベンはそう叫ぶと覚悟を決め、下剤を取り出して一気にあおった。


 クハァ!


 口の中に広がるドブのような臭さに目を白黒させながら必死に逃げる。


「ほうら来たよ! がんばれー!」


 シアンは無責任に応援する。


「くぅ……。便意、便意! 早く! カモーン!」


 癪には触るが、今は生き残らなくてはならない。ベンは泣きそうな顔で便意を待った。


「グギャァァァ!」


 ついに追いつかれ、先頭のゴブリンがこん棒を振り下ろしてくる。


 うわぁ!


 何とかかわすものの、バランスを崩し、藪に突っ込んだ。そのすきに周りを囲まれてしまう。


 二十匹はいるだろうか、口々に


「ギャッ!」「ギャッ!」


 と、嬉しそうな声を上げ、勝利を確信した醜いにやけ顔で距離を詰めてくる。


 その時だった、


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 ベンの下腹部に猛烈な痛みが走り、腸がグルグルとのたうち回った。


 ぐぅぅぅ!


 ベンは歯をギリッと鳴らし、下腹部を押さえる。と、同時にポロン! という電子音とともに青いウインドウが開き『×10』と、表示された。


「キタキター!」


 シアンは満面の笑みで叫びながら、ベンの周りをおどけながら逆さまなって飛ぶ。


「これで最後ですよ!」


 ベンは腰の引けた体勢で、脂汗を垂らしながら短剣を構える。


 すると、一匹のゴブリンがこん棒を振り下ろしながら突進してきた。


 ベンは左手で下腹部を押さえつつ、半ば朦朧としながらひらりとこん棒をかわし、カウンターでのど元を切り裂いた。


 さっきとは全然違う洗練された身のこなしに一瞬ひるむゴブリンたち。しかし、魔物の本性として人間は襲わねばならない。


 ゴブリンたちは興奮し、威嚇(いかく)の声を叫びながら一斉にベンに襲いかかる。


 しかし、ステータスが十倍となったベンは、すでに中級冒険者レベルの強さだ。内またながら軽やかな身のこなしでゴブリンの間を()い、まるで舞を舞うように素早く短剣を正確に振るい、のど元を切り裂いていった。


 しかし、ベンも無事ではない。動けば動くほど便意は悪化する。


 ぎゅるぎゅるぎゅ――――。


 くふぅ!


 思わず膝をついてしまうベン。


 ポロン! と鳴って、『×100』と、表示されるがそれどころではない。


 ギリギリと下腹部を締め付ける強烈な直腸の営みに、肛門の突破は時間の問題だった。


「キタキタ――――!」


 シアンは嬉しそうにクルクルッと回る。


「ク、クソ女神! も、漏れる……」


 なんとか歯を食いしばって必死に暴発を押さえようとするが、肛門はもはや限界に達していた。暴発したらスキルは解除、ただのベンに逆戻り。それはそのまま死を意味する。


 その時、子供の頃にじいちゃんに毎朝暗唱させられていた般若心経が、なぜか自然と口をついた。


観自在菩薩(かんじざいぼさつ)行深般若波羅ぎょうじんはんにゃはら……」


 仏教の一番基本のお経は独特のイントネーションで、唱えているうちに瞑想状態に近くなり苦痛を和らげる。


羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー)波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)!」


 ベンはギリギリのところで暴発を食い止めることに成功した。


 はぁ……、はぁ……。


 息荒く肩を揺らすベン。


 ゴブリンは調子悪そうなベンを見て、チャンスと襲いかかってくる。


 ベンはユラリと立ち上ると、短刀をしまい、トロンとした目で迫りくるゴブリンたちを睥睨(へいげい)した。


「ギャ――――!」


 奇声を上げながら飛びかかってくるゴブリンのこん棒をユラリとかわし、顔面にパンチを叩きこむ。パラメーター百倍の人類最強のパンチはゴブリンをまるで豆腐みたいに粉砕した。


 そして内またでピョコピョコっと次のゴブリンのすぐ横に迫ると、今度は裏拳でゴブリンを粉砕する。


 それでもまだゴブリンたちは諦めない。


 ベンは苦痛に顔をゆがめ、ギリッと奥歯を鳴らす。


 五、六匹倒した時だった、


「矢が飛んで来るよー」


 シアンが後ろを指さした。


 ベンは振り返る。すると何かが飛んできていた。無意識に手が動き、ガシッと握る。それは矢だった。奥に弓を構えるゴブリンがいたのだ。


 ベンはギロリとその弓ゴブリンをにらむ。


 シアンがいなかったらやられていた。例えステータス百倍でも、相手が弱くても戦場では『隙を作ったら負けだ』ということを思い知らされる。


 ベンは自分を戒めながら、つかんだ弓を逆にダーツのように投げ、脳天に命中させた。


 最後にまだしつこく襲ってくる残りのゴブリンを処理し、ベンはゴブリンたちを一掃したのだった。


 しかし、勝利の余韻などない。括約筋がさっきから悲鳴を上げている。もう何秒持つか分からないのだ。


「あー、漏れる漏れる!」


 急いでベルトを外そうとしたとき、シアンが嫌なことを言った。


「待って待って! これからが本番だゾ!」


「ほ、本番!?」


 直後、遠くで嫌な声がした。


「キャ――――! 助けてぇ」


 女の子の声だった。その叫びには鬼気迫るものがあり、ただ事ではない様子である。


 そんなの知るか! それより早く出さないと!


 ぐぅ~、ぎゅるぎゅるぎゅる~。


 腸が過去最高レベルで盛大な音を立てている。運動しすぎたのだ。人のことなど構っていられない。今ここにある脅威、便意こそが解決すべき課題なのだ!


 その時、ポロン! と鳴って、『×1000』と、表示される。


「キタ――――! 千倍! ほら、女の子が待ってるゾ!」


 シアンは嬉しそうに言うが、冗談じゃない。


 ステータス千倍となれば勇者の十倍以上強い。きっと女の子を襲っているトラブルなど瞬時に解決できるに違いない。しかしそれは便意が絶望的にキツいということも意味していた。


「いやぁぁぁ!」


 女の子の悲痛な叫びが森に響き渡る。


「ほら、宇宙最強! 急いで、急いで!」


 シアンは楽しそうにベンの周りを飛びまわりながら言う。


 ベンはギュッと目をつぶり、ギリギリと奥歯を鳴らすと、


「くっ! ブラック女神め!」


 と、悪態をつき、下腹部を押さえながらピョコピョコと駆け出した。脂汗がぽたぽたとたれ、真っ青になりながらも歯を食いしばり、声の方向を目指す。


 このクソ真面目なところが過労死の原因だというのに、転生してもまだ治らない。ベンは朦朧とした意識の中で『ここでの寿命も長くないな』と悟った。











5. 蒼き熾天使


 少し(やぶ)()いでいくと街道があり、そこに倒れた馬車が転がっていた。


 見ると、オークが十匹ほど馬車を囲んでおり、中から綺麗なブロンドをわしづかみにして、女の子を引きずり出している。


「いやぁぁぁ」


 必死に抵抗する女の子の悲痛な叫びが森に響く。


 周りには護衛だったと思われる、鎧をまとった男の遺体が何体か転がり、鮮血が溜まっていた。


 オークはイノシシの魔物。ブタの顔に二本の鋭い牙を生やし、筋骨隆々とした身体ですさまじいパワーを誇る。パンチをまともに食らった冒険者の首がちぎれて飛んだという噂があるくらいだった。


 ベンはフーフーと荒い息をしながら下腹部を押さえ、今にも暴発しそうな便意と戦いながらその様子を眺める。少し急ぎすぎたかもしれない。


「お止めになって!」


 十五歳くらいだろうか、引きずり出された女性は美しい碧眼を涙で濡らしている。そして、薄ピンクのワンピースがオークの手によって荒々しく汚されていった。


 ベンは朦朧とした意識の中、ピョコピョコと飛び出す。


 オーク十匹を相手に戦うなど熟練の冒険者でも無謀だったが、ベンには負けるイメージなどなかった。何しろ宇宙最強なのだ。ただ、暴発だけが心配である。暴発したらただの子供に逆戻りなのだから。


 気が付いたオークが巨大な斧を振りかざし、ブホォォォ! と、叫びながらベンに向けてすさまじい速度で振り下ろす。


 しかし、ベンはそれを当たり前のように指先で受け止め、グンと引っ張って取り上げた。


「ブ、ブホ?」


 渾身の一撃を無効化され斧を奪われたオークは、何があったのか分からない様子で呆然とベンを見つめる。


 ベンはクルクルっと重厚な斧を振り回すと、そのままオークの巨体を一刀両断にした。真っ二つに分かれて地面に転がる豚の魔物。ステータス千倍の戦闘はもはや一方的なただの殺戮(さつりく)だった。


 ただ、力を出せば猛烈な便意が襲いかかってくる。


 くふぅ……、漏れる……。


 ベンはガクッとひざをつき、脂汗を流しながら額を押さえ、必死に括約筋に喝を入れた。


 ところがそんなベンも、女の子には神に祈る敬虔な少年に映ってしまう。


「オークにも冥福を祈るなんて……、素敵ですわ……」


 女の子は手を組み、美しい碧眼をキラキラとさせる。


 漏れる……漏れる……。


 ベンはギュッと目をつぶり、腰の引けた姿勢でただひたすら便意に耐えていた。


「ほら、あと九匹だゾ!」


 シアンはベンの周りをパタパタと楽しそうに飛びながら、無責任に煽る。


 ベンは言い返そうとチラッとシアンを見たが、便意に耐えることで精いっぱいで言葉が出てこなかった。


 隙だらけなベンを見て、オークは一斉にベンに襲いかかる。


「グォッ!」「グギャ――――!」


 ベンはギリッと奥歯を鳴らすとカッと目を見開き、括約筋に最後の力を振り絞る。


波羅羯諦はーらーぎゃーてー!」


 そう叫ぶとユラリと立ちあがった。そして、巨大な斧をグルングルンと振り回して、あっという間にオークの群れを肉片へと変えていく。


 飛び散るオークの青い血はベンのシャツを、顔を青く染め、まさに鬼神のようにその場を支配する。


 女の子は、その人間離れした鮮やかな殺戮(さつりく)劇を眺めながら、神話の一節をつぶやく。


「その者、(あお)き衣をまとい、森に降り立ち、風のように邪悪をすりつぶす……」


 まだ若い少年が屈強なオークの群れを瞬殺する。それは昔聞いた神話に出てきた、神の眷属(けんぞく)熾天使(セラフ)そのものだった。


 最後のオークをミンチにした時、


 プリッ!


 ベンの太ももに生暖かいものが流れた。


 ぐふぅ!


 もうベンは限界だった。一刻の猶予(ゆうよ)もない。


 ヤバい! ヤバい! 漏れるよぉ……。


 ベンは女の子には見向きもせず、ピョコピョコと一目散に森の奥を目指した。


「あぁっ! お待ちになって!」


 女の子はベンを引き留めようとしたが、その声はベンの耳には届かない。ベンの頭の中は括約筋の制御でいっぱいだったのだ。


「見つけましたわ……、あのお方こそ運命のお方なのですね……」


 女の子は手を組み、恍惚(こうこつ)とした表情でベンが消えていった方向を眺める。


 女の子には小さいころから一つの確信があった。自分がピンチの時に白馬に乗った王子様が現れて助け出され、その男性と結ばれるのだと。バカにされるから誰にも言ったことはなかったが、彼女の中ではゆるぎないものとしてその時を待っていたのだ。超人的な力を誇る蒼き熾天使(セラフ)、その衝撃的な救出劇は白馬の王子様を超えるインパクトを持って彼女のハートを貫く。見返りも求めず颯爽(さっそう)と去っていくベンとの出会いに、彼女は運命を感じた。


 女の子はいつまでもベンの消えていった森を眺めていた。



         ◇



「ふはぁ……」


 そんな風に思われているなんて知る(よし)もないベンは、森の奥で全てを出し、夢心地の表情で幸せに浸る。


 今まで自分を苦しめてきた便はもうない。さわやかな解放感がベンを包んでいた。


「おつかれちゃん! だいぶ慣れてきたね! もう少しで一万倍だったよ!」


 シアンはベンの苦痛を気にもせずに、嬉しそうにパタパタと羽をはばたかせる。


「慣れとらんわ! こんな糞スキル、もう二度と使わないからな! 絶対!」


 ベンは青筋たてて怒った。


「あー、怖い怖い。次は一万倍、楽しみだよー」


 そう言うとシアンはニヤッと笑いながらすうっと消えていく。


「ちょっと待て! クソ女神! 何が一万倍だ!」


 ベンは悪態をつくが、シアンはもう居なかった。


 深くため息をつくベン。一万倍とはどういうことか。そんな強くなって何をさせるつもりか。ベンはシアンの考えをはかりかね、首を振った。


 見るとズボンが汚れている。頑張って拭いたが臭いは全然落ちない。ちゃんと洗濯しないとダメそうだった。


 仕方なく臭いズボンをはき、ゴブリンの魔石を回収した後、そっと馬車の様子をのぞきに行く。執事のような男性が女の子の手当てをしていた。どうやら執事はオークから逃げて様子を見ていたらしい。


 声くらいかけたくもあったが、こんなウンチ臭いいで立ちで高貴な令嬢の前に出ていくことなど到底できなかった。


 やがて、二人は街の方へと歩き出す。


 ベンは二人が森を抜けるまで見守った後、川の方にズボンを洗いに行った。




         ◇



 ベンはトゥチューラの街に戻ってくる。トゥチューラは大きな湖の湖畔に広がる美しい街で、運河が縦横無尽に通っている風光明媚な王国第二の都市だった。ベンは巨大な城門をくぐり、幌馬車の行きかう石畳の大通りを進み、ゴブリンの魔石を換金しに冒険者ギルドへと足を進める。


 到着すると、カウンターに人だかりができていた。


 何だろうと思いながら背を伸ばし、人垣の間から様子を見ると、なんと、オークに襲われていた女の子がカウンターで受付嬢と何やらやりあっている。


「少年ですわ、少年! オークをバッサバッサとなぎ倒せる少年冒険者、きっといるはずですわ」


「失礼ですが、ベネデッタ様。オークは上級冒険者でも手こずる相手、それをバッサバッサと倒せる少年などおりませんよ」


 エンジ色のジャケットをビシッと着た若い受付嬢は眉を寄せ、申し訳なさそうに返す。


「いたのです! ねぇ、セバスチャン!」


 ベネデッタと呼ばれた女の子は、口をとがらせながら隣の執事に声をかける。


「はい、私もその様子を見ておりました。鬼気迫る身のこなしであっという間にオークを十頭なぎ倒していったのです」


「はぁ……、しかし、そのような少年はうちのギルドには所属しておりません」


 受付嬢は困惑しながら頭を下げる。


 その時だった、ベネデッタは辺りを見回し、ベンと目が合った。


「あっ! いた! いましたわ!」


 ベネデッタはパアッと明るい表情を見せると、人垣を押しのけ、ベンの元へと飛んでくる。


「あなたよあなた! 私、お礼をしてなかったですわ!」


 透き通るような美しい肌に整った目鼻立ち、まるで女神のような美貌(びぼう)のベネデッタは満面に笑みを浮かべてベンの手を取った。













6. モテモテのベン


 ベンは美少女に迫られてドギマギしてしまう。前世でも女の子にこんなに積極的にされたことなどなかったのだ


「あなた、お名前は?」


 ベネデッタは嬉しそうにニコニコしながらベンの顔をのぞきこみ、聞いてくる。


「ベ、ベンって言います。変な名前なんですが……」


 ベンはシアンがつけたであろう意味深な名前に抵抗を感じていたのだ。


「ベン君……、いい名前ですわ」


 ベネデッタはニッコリと笑いながら、ギュッとベンの手を握る。


「え? そ、そうですかね?」


 ベンは温かくしっとりとしたベネデッタの指の柔らかさに、赤くなってうつむいた。


 周りの冒険者たちはその様子を見てどよめき、怪訝そうにベンを見ている。


 勇者パーティをクビになったただのFランクの荷物持ち、それがオークをなぎ倒すなんてあり得ない話だったのだ。


 ベネデッタは金貨がたくさん入ったずっしりと重い巾着(きんちゃく)袋をベンに渡し、


「これ、オークの魔石を換金したのと、後は私からのお礼ですわ」


 と、言ってにこやかに笑った。


「こ、こんなに……。いいんですか?」


「何言ってるんですの? あたくし、あなたに命を救われたの。自信もってよくてよ! あ、そうだわ。今晩、パーティがあるんですわ。いらしていただけるかしら?」


 ベネデッタはキラキラとした笑顔で嬉しそうに言った。


「パ、パーティ?」


「そうですわ! 詳細はセバスチャンから聞いてくれるかしら?」


 そう言うとベネデッタはベンに軽くハグした。


 えぇっ!?


 ふんわりと甘く香る少女の匂いにつつまれ、ベンは真っ赤になって言葉を失う。


「あなたは私の運命の方ですわ。また後ほど……」

 

 ベネデッタは耳元でそう言うと、ウインクしてギルドを後にした。


 セバスチャンの話によるとベネデッタはこの街の領主である公爵家の令嬢であり、オークを倒し、何の報酬も要求しなかったベンのことを大変に気に入っているとのことだった。単に漏れそうだっただけなのだが。


 セバスチャンからパーティの招待状をもらい、帰ろうとすると、ベンは女の子冒険者たちに囲まれる。


「ベン君、オーク倒したって本当?」「うちのパーティお試しで入ってみない?」「ちょっとぉ! 今私が話してるのよ!」


 女の子たちは若き英雄の登場に興奮し、すっかりベンと仲良くなろうと躍起になってもみくちゃにする。昨日まで見向きもしなかったのに現金なものである。


 しかし、奥のロビーの方ではそんなベンの登場を疎ましく思う冒険者たちが、つまらなそうな様子でお互い顔を見合わせていた。


 その中には勇者パーティの魔法使いもいた。


 昨日は魔人を倒し、今日はオークの群れを倒したという。ただの無能な荷物持ちができる事じゃない。何か怪しいことをやっているに違いない。魔法使いは怪訝そうな目で、鼻の下を伸ばしているベンをにらんでいた。


 ベンがこれ以上活躍しては勇者パーティの立場がなくなる。やっと手に入れた勇者パーティの座が揺らぐのは面白くなかった。


 魔法使いはフンっと鼻を鳴らすと、


「勇者様に報告しなくちゃ」


 そう言いながら転移魔法を使ってふっと消えていった。



         ◇



 ベンは女の子の攻勢を適当にのらりくらりごまかして逃げ出した。女の子とパーティを組むなんて夢のようではあったが、戦うたびに便意を我慢するだなんて到底無理である。いつかバーストして汚物のような目で見られてしまう。それは耐え難かった。


「あーあ、もっとまともなスキルが欲しかったなぁ……」


 ガックリと肩を落としながら石だたみの道をトボトボと歩く。


 全知全能たる女神ならば、それこそ常時ステータス百倍とかできるはずなのだ。そしたら女の子パーティーに交じってハーレムという、まさに王道の異世界転生もののウハウハ人生が送れたに違いない。なのに自分は便意だという。もうアホかバカかと。作った人、頭オカシイだろこれ。いくら宇宙最強と言っても発動条件がクソ過ぎる。


「カ――――ッ! あのクソ女神め!」


 ベンは頭を抱えて思わず叫んでしまう。


 行きかう人たちは、そんなベンをいぶかしげに眺めながら避けるように道をあけた。


 どんなに叫んでも事態は改善しない。ベンはギリッと奥歯を鳴らし、大きく息をつくと、ドミトリーの自分のベッドへと帰っていった。



        ◇



 女の子は無理でも、ベンにはベネデッタからもらった金貨の包みがあった。ベンは気を取り直し、ベッドの上にジャラジャラと金貨を広げ、数えてみる。


「チューチュータコかいな……」


 金貨はなんと五十枚あった。日本円にして約五百万円、飢え死にを心配していた少年にとっては夢のような金額だった。


 うひょ――――!


 ベンは小躍りする。


 なんだこの大金は! 自分はソロ冒険者としても大成できるんじゃないか? なんといっても宇宙最強なのだ!


 うひゃひゃひゃ!


 さっきまでの憂鬱はどこへやら。ベンは金貨を集めてバッと振りまき、何度もガッツポーズをして大金ゲットの喜びを満喫した。


 ひゃっひゃっ……、ひゃ……、ふぅ。


 だが、ベンはすぐに我に返る。喜んではみたものの、あの腹を刺す便意のすさまじい苦しみを思い出してしまったのだ。


 冗談じゃない、あんな事何回もやってられない。いつか狂ってしまう。


「やめた、やめた! 冒険者なんてもう二度とやらない!」


 そう言うとバタリとベッドに倒れ込んだ。


 このお金を元手にして商売をすればいい。便意など二度と我慢しないのだ。あの酔狂な女神の思うとおりになんて絶対なってやらん! 何が一万倍だ、殺す気か!


 ベンはギュッとこぶしを握り、心に誓った。









7. 美少女をかけた決闘


 夕方になり、ベンは金貨を使って小ぎれいに身を整え、床屋で髪を切ってもらうと颯爽(さっそう)と公爵家の屋敷へと向かった。商売を始めるならベネデッタと懇意になってビジネスの相談に乗ってもらわないとならない。何しろ自分には日本での知識がある。パーティでマーケティングして日本の知識が生きるビジネスを探し出してやるのだ。


 会場の大広間に案内されると、すでに来賓が立派なドレスやスーツを身にまとい、グラス片手にあちこちで歓談している。天井には豪華な神話の絵が描かれ、そこからは絢爛(けんらん)なシャンデリアが下がり、魔法できらびやかに輝いている。そして、テーブルには色とりどりのオードブルが並んでいた。


 立派な会場に圧倒され、キョロキョロしていると、


「何を飲まれますか?」


 と、メイドさんがうやうやしく聞いてくる。


「ジュ、ジュースをください」


 緊張で声が裏返った。


 知り合いが誰もいない会場、完全なアウェーでベンは壁の花となってただ静かに来賓の歓談のさまを眺めていた。


 パパパーン!


 いきなりラッパの音が鳴り響き、壇上にスポットライトが当たる。


 出てきたセバスチャンが司会となって挨拶をすると、パーティーの案内を読み上げていった。


 そして、登場する公爵とベネデッタ。ひげを蓄えた公爵は勲章がびっしりとついたスーツを着込み、背筋をビシッと伸ばして威厳のあるいで立ちだ。ベネデッタは薄ピンクの華麗なドレスに身を包み、美しいブロンドの髪の毛には赤い花があしらわれている。


 トゥチューラの至宝と語られるベネデッタの美貌は来場者のため息を誘い、会場を一気に華やかに彩っていく。


 ベンもその美しさに魅了され、口をポカンと開けながらただベネデッタのまぶしい微笑みを見つめていた。


 彼女に『運命の方』と、呼ばれてしまった訳だが、こう見るとベネデッタは華やかな別の世界の住人である。スラム上がりの自分がどうやって公爵令嬢の『運命の方』になんてなれるだろうか?


 ベンは首を振り、大きく息をついた。


 すると、ベネデッタがベンを見つけ、壇上から手を振ってくる。ベンはいきなりのことに驚き、真っ赤な顔で手を小さく振り返したのだった。周りの人たちの嫉妬の視線が一斉に突き刺さり、ベンは小さくなる。


 パーティの開会が宣言され、歓談が始まった。


 ガヤガヤとあちこちで話し声や笑い声が上がり、会場は盛り上がっていく。しかし、ベンは話す相手もなく、どうしたものかと渋い顔で腕を組んだ。


「ベンくーん!」


 ベネデッタの可愛い声が響く。なんと、ベネデッタは公爵を連れて真っ先にベンのところへやってきたのだ。


 ベンはいきなりのことで驚いたが、胸に手を置き、公爵にぎこちなく挨拶をする。


「お初にお目にかかり恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます……」


「君か、娘を助けてくれたんだって? ありがとう」


 公爵は気さくな感じで右手を出し、ベンは急いで汗でぐっしょりの手のまま握手をした。


「あ、たまたまです。上手くオークを倒せてよかったです」


「ベン君凄かったのですわ! たくさんのオークがあっという間にミンチになって吹き飛んでいったんですの!」


 興奮気味に解説するベネデッタ。


「ほぉ! オークをミンチに……、君はどれだけ強いのかね?」


 公爵は好奇心旺盛な目でベンの顔をのぞきこむ。


「あ、どのくらいなんでしょうね? 調子がいいとすごく強くなるみたいなんです。はははは……」


 便意さえあれば宇宙最強だなんてことは口が裂けても言えない。


 すると、いきなり横から勇者が現れて、


「公爵、こいつはうちの荷物持ちだった小僧。あまり期待しない方がいいですよ」


 と、吐き捨てるように言った。


「荷物持ちでもなんでも、オークを倒せるなら十分ですわ。私はベン君に救われたのです。変なことおっしゃらないで!」


 ベネデッタは憤然と抗議する。


「あー、ベネデッタさん、侮辱するつもりはなかったんですが、ただ、変に期待されてもベンも困っちゃうだろうと思ってね」


 勇者はいやらしい笑みを浮かべてベンを見た。


「変に期待って、あなたならオークの群れに一人で突っ込んで瞬殺できるんですの?」


「もちろんできます! コイツにできて勇者にできないことなんてないんです」


 にらみ合う両者。


 すると公爵はニヤッと笑って言った。


「じゃあ、こうしよう。パーティーの余興に武闘会を開こう。二人で戦ってそれぞれ強さをアピールしなさい」


 えっ!?


 いきなり勇者との戦闘を提案され、ベンは焦った。


「あぁ、いいですね! そうだ! ベネデッタさん、私がコイツに勝ったらデートしていただけますか?」


 勇者はここぞとばかりにベネデッタに詰め寄る。ベネデッタは険しい顔をして、


「いいですわ、その代わりベン君が勝ったらこの街から出てってくださいまし」


「はっはっは。いいでしょう。デートは夜まで……、約束ですよ」


 勇者はいやらしい笑みを浮かべながらそう言った。そして、くるっと振り返り、パーティメンバーに向って、


「よーし、お前ら準備するぞ! 今宵を勇者のパーティーとするのだ!」


 そう言いながら控室の方へ下がっていった。


「えっ、本当に……戦うんですか?」


 ベンはいきなり勇者とぶつけられてしまったことに困惑を隠しきれず、泣きそうな声で言った。


「大丈夫ですわ、あなたなら勝てますわ。私の純潔を守ってくださる?」


 ベネデッタはベンの手を取り、澄み通る碧眼でベンを見つめる。


 ベンは絶望した。ベンが強くなるには下剤を飲んで苦痛に身を焼かれる思いをしないとならない、ということをベネデッタは知らないのだ。だからそんな気軽に試合を受け入れてしまう。

 とはいえ、今さら棄権すれば、ベネデッタは勇者に借りを作ってしまうということになる。


 くぅ……。


 自分を信じてくれるこの美しい美少女を、勇者から守らねばならない。ベンはギュッと目をつぶって言った。


「わ、分かりました。勝ちます。勝てばいいんですね……」


 ベンはつくづくクソ真面目な自分の性格が嫌になる。こんなの放って逃げてしまえばいいのに、期待されると無理しても受け入れてしまう。前世ではそれで過労死したというのに何も学んでいない。でも、自分はこういう不器用な生き方しかできないのだ。


 ベンは大きく息をつくと、渋い顔で宙を仰いだ。








8. 人類最強肛門の限界


 控室に通されたベンは、バッグから下剤の小瓶を取り出すと、明かりに透かしながら眺める。


「またコイツを飲むのか……。嫌だなぁ……」


 そう言って大きくため息をつく。


 下腹部を襲う強烈な便意、暴発したら社会的に死んでしまうリスクを背負ったギリギリの戦闘。想像しただけでベンは陰鬱な気分に叩き込まれる。


「くぅぅぅ……、あのクソ女神め……」


 悪態をつくベン。しかし、もはや飲む以外に道はない。ギュッと目をつぶりながら一気飲みをした。


 うぇぇ……。


 ベンはドブの臭いのような強烈な苦みに顔を歪ませる。


 この時、ベンは気付いてなかったが、部屋の隅に勇者パーティの魔法使いが隠遁(いんとん)の魔法を使って潜んでいた。そして、彼女はその下剤の小瓶を見て、


「強さの秘密……見つけちゃったわ。クフフフ……」


 と、ほくそ笑んだ。



       ◇



 いよいよ武闘会が始まる。ベンは呼ばれ、中庭の舞踏場へと案内された。


 バラの咲き乱れる美しい庭園の中にひときわ高く築かれた舞台。本来はここで舞踊などが披露されるのであるが、今日は勇者と若き冒険者ベンの一騎打ちが披露されるのだ。すでに来賓たちは周囲のベンチに腰掛け、今か今かと血なまぐさい決闘を心待ちにしている。


「今を時めく人類最強の男! ゆーうーしゃー!!」


 セバスチャンは渋く低いが通る声を上げ、勇者を舞台へと案内する。


 うわー! キャ――――!


 歓声とともに大きな拍手が起こる中、勇者は颯爽(さっそう)と登場した。


 勇者はオリハルコンで作られた黄金に輝くプレートアーマーに身を包み、青く光る聖剣を掲げての入場である。人類最強の男が、人類最高レベルの装備で登場したのだ。


 勇者とは神より特殊な加護を得た者の称号で、勇者の聖剣は神の力を得て全てを切り裂き、貫く。つまり、勇者の聖剣の前には盾も鎧も魔法のシールドも何の意味もないという、とんでもないチートなのだ。


 それが、今日、これから見られると知って会場は最高潮にヒートアップした。


「続いて、ベネデッタ様を救った若きエース、ベーンー!」


 セバスチャンの案内でベンはよろよろと階段を上がる。すでに下剤は強烈な効果を表しており、脂汗を流しながら思わず下腹部を押さえ、舞台に立った。


 鎧もなく、武器も持たず、苦しそうに顔をゆがめる少年の登場に会場はざわめいた。いったい、人類最強の男を前にしてどうやって戦うつもりなのだろうか? みんな首をかしげ、その不可解な少年を見つめる。


「ベン君! ファイトですわ!」


 ベネデッタはハンカチを振り回しながら必死に声援を送る。他の人には違和感があっても、ベネデッタは調子悪そうなベンの姿をすでにオークの時にも見ているので、気にも留めていなかった。


「両者、見合ってー!」


 セバスチャンはレフェリーとなり、声をかける。


 すると、勇者はニヤッと笑って茶色の小瓶を三つ取り出し、ベンに見せた。


 えっ?


 ベンは目を疑った。それは自分のカバンに残しておいた予備の下剤だった。


「お前がこの薬で怪しいインチキをして強くなってること、俺は知ってるんだぜ」


 勇者はそう言うと三本の下剤を一気飲みした。


 あぁぁぁ……。


 ベンは思わず声が漏れた。なんという壮絶な勘違い。この下剤は薬師ギルドのおばちゃんに頼んで特別に作ってもらった最強の速効成分を濃縮したもの。『危険だから一日一本まで、容量用法はちゃんと守ってね!』と厳しく言われていたのだった。


 三本も一気飲みしたら絶対に我慢できない。


「どうした? 顔色が悪いぞ!」


 勇者は最高の笑顔でベンを見下ろし、ベンはこれから起こる惨劇の予感にゆっくりと首を振った。



 セバスチャンは二人の顔を交互に見て、


「それでは、準備はいいですか? ……、ファイッ!」


 と、叫んだ。


 勇者はニヤッと笑って聖剣を高く掲げると『ぬぉぉぉぉ!』と、気合を込め、真紅に輝く幻獣の模様を刀身に浮かび上がらせる。


「おぉ! 力がみなぎってくる! お前、こんな薬を使ってたんだな」


 勇者は嬉しそうに言うが、下剤にそんな効果などない。ただの気持ちの問題である。


 そして、勇者はベネデッタの方を向き、ニヤニヤしながら、


「約束、守ってもらうぞ!」


 と、叫んだ。


 ベネデッタはムッとした顔で、


「ベン君! 遠慮なく叩きのめしてくださいまし――――!」


 と、返す。


 勇者はベンを見下ろし、ニヤけながら言った。


「悪く思うなよ、ベネデッタは俺のもんだ。ベッドでヒーヒー言わせてやるぜ」


 しかし、ベンは返事をする余裕もなく腹を押さえうつむく。


 ぐぅー、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 ベンの腸は本日二本目の下剤に激しく反応し、今まさに肛門が突破されかかっていたのだ。


 ベンは脂汗を浮かべ、必死な形相で般若心経(はんにゃしんきょう)を小声で唱え始めた。


観自在菩薩(かんじざいぼさつ)……」


「何やってんだお前! 行くぞ!」


 勇者はそう言いながら聖剣をブンと振りかぶった。


 ベンは脂汗をダラダラと流しながら、


波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)!」


 と、言いながらカッと目を見開いた。


 その時だった、急に勇者の顔がゆがむ。


 ぐっ!


 そして、


 ぐぅ――――、ぎゅるぎゅるぎゅるぅ――――!


 と、勇者の下腹部が暴れ始めた。


 見る見るうちに青ざめる勇者。


 勇者は苦痛に顔をゆがめ、内またで必死に耐えていたがやがてガクッとひざをついた。


「ベ、ベン! 貴様何をやった!?」


 勇者は奥歯をギリッと鳴らし、必死に腹痛に耐えながら喚く。ベンは何もやってないのだが。


 ただ、ベンにも余裕などなかった。肛門は決壊寸前。括約筋にマックスまで喝を入れて、ギリギリ耐えているのだ。


 煌びやかな舞台の上で、多くの貴族たちに見守られながら、二人が戦っていたのは便意だった。


 しかし、三本あおった勇者の方が分が悪い。ついに肛門は限界を迎える。


「ダ、ダメ! も、漏れるぅぅぅ……」


 勇者が視線を落とし、脂汗をポタポタと落とした時、ベンは内またでピョコピョコと近づくと、


「便意独尊!」


 と、叫びながら勇者の頭を蹴り上げた。


 ぐはぁ!


 勇者の身体はくるりくるりと宙を舞い、庭園の小(みち)にドスンと落ちてごろごろと転がる。そして、


 ブピッ! ブババババ! ビュルビュルビュー!


 と盛大な音をたてながら茶色の液体を振りまき、辺りを異臭に包んだのだった。










9. 殲滅者との友誼


 世界最強の男が下痢を振りまきながら転がっている。そのあまりに異様な光景に、貴族たちは唖然とし立ち尽くす。そして、漂ってくる異臭に耐えられず、ハンカチで鼻を押さえながら急いで退散していった。


 謎の呪文で勇者を行動不能にしたそのシーンは、後々まで語り継がれる事になるのだが、実態は下剤の耐久勝負という実にお粗末な話である。


 セバスチャンは勇者の戦闘不能を確認すると、


「勝者! ベーンー!」


 と、高らかに宣言したのだった。


 それを聞いたベンは、青い顔をして脂汗を流しながらピョコピョコと内またで急いで階段を降り、トイレへと駆けていった。



       ◇



 公爵はセバスチャンを呼んだ。


「お主、今の戦いどう見る?」


「ハッ! 勇者は明らかにベン君を警戒しておりました。普通に戦っては勝てないと思っていた節があります」


「ほほう、人類最強の男が警戒していたと?」


「はい、直前にポーションでドーピングまで行っていました。ですが呪文を受けて攻撃を出す間もなく破れました」


「呪文!? おそろしいな……。もし……、もしだよ? 我がトゥチューラの全軍勢とベン君が戦ったとしたらどうなる?」


「あの呪文を解析しない事には何とも……。勇者をも戦闘不能にする恐ろしい呪文。私には対策が思いつきません。少なくとも今戦ったら瞬殺されるでしょう」


「しゅ、瞬殺!? ……。一体何者なんだ彼は?」


「オークをミンチにし、人類最強の男を(おび)えさせ、フル装備の勇者相手に武器も持たず丸腰で現れ、呪文で葬り去る……。もはや人知を超えた存在かと」


「人知を超えた存在……、大聖女とか大賢者とかか?」


「そのさらに上かもしれません」


「上……、まさか熾天使(セラフ)!?」


「勇者を手玉にとれるのはそのクラスしか考えられません。そして、神話には『熾天使(セラフ)降り立つ時、神の炎が全てを焼き尽くす』との預言がございます」


 公爵は言葉を失った。見た目はどこにでもいる可愛い少年。それが神の炎で全てを焼き尽くす恐るべき熾天使(セラフ)かもしれない。そうであれば、これは人類の存亡に関わる事態なのだ。


 セバスチャンは淡々と言う。


「もし熾天使(セラフ)であるのならば、我々を見定めに降臨されたのかと。神の意向に沿わないようであれば焼き払うために……」


「セ、セバス! 我はどうしたらいい?」


 公爵は青い顔をしてセバスチャンの手を取った。


「私もどうしたらいいのか分かりませんが、まずはベン君と友誼(ゆうぎ)を結ばれることが先決かと」


「友誼、そうだ! 友誼を結ぼう。粗相(そそう)の無いよう、国賓待遇でもてなすのだ! 宰相を呼べ!」


 公爵は脂汗をたらたらと垂らしながら、叫んだ。


 

       ◇



 そんな深刻な話がされているなど思いもよらないベネデッタは、トイレでさっぱりして戻ってきたベンを見つけ、飛びついた。


「やったー! ベン君すごいですわ!」


「あ、ありがとうございます」


 甘くやわらかな女の子の香りに包まれ、ベンは赤くなりながら答えた。


「やっぱりベン君が最強ですわ! ねぇ、騎士団に入って私を警護してくれないかしら?」


 ベネデッタはベンの手を取りながら、澄み通る碧眼(へきがん)をキラキラさせ、頼む。


「へっ!? 騎士団!?」


 ベンは予想外の話に目を白黒させる。Fランクの十三歳の子供が騎士団など聞いたことが無かったのだ。


「勇者を倒したってことは人類最強って事ですわ。この話は全国に広まってあちこちからオファーが来るわ。そして、平民のあなたには絶対断れない命令も来るはず。騎士団に入れば私が守ってあげられるの。いい話だと思わないかしら?」


 ベネデッタはニコッと笑いながら恐いことを言う。


 ベンは単に勇者を倒しただけだと思っていたが、国の上層部の人にしてみたらこれはとんでもない話らしい。言われてみたらそうだ。人類の存亡にかかわる魔王軍との戦闘において、勇者は最高の軍事力。だから特別扱いをしてきたわけだが、それが子供に簡単に倒されたとなれば軍事戦略そのものを根底から見直さねばならないのだ。


 ベンは改めてとんでもない事になってしまった、と思わず宙を仰ぐ。


「何ですの? 私の護衛が嫌なんですの?」


 ベネデッタは不機嫌そうに口をとがらせる。


「あ、いや、もちろん光栄です。光栄ですが……、私は商人を目指しててですね……」


「商人!? 人類最強の男が商人なんて絶対許されないですわよ」


 デスヨネー。


 ベンは思わず額に手を当て、便意から手を切る生活プランがあっさりと瓦解した音を聞いた。


 もはや【便意ブースト】を使わずに暮らすにはこの街から逃げないとならない。しかし、国を挙げて捜索されるだろうから、見つからずに他の街でひっそり暮らす、などというプランが上手くいくとも到底思えなかった。


 ベンはうなだれ、大きく息をつく。


 騎士団に入ることはもう避けられないと観念したベンは、


「騎士団って、朝から晩まで厳しい規律があるじゃないですか。それを免除してもらえたりはできませんか?」


 と、何とか待遇改善に望みを託す。


「うーん、そうですわね。少年にあれはキツいかもしれないですわ……」


 ベネデッタは人差し指をあごに当て、小首をかしげながら考え込む。


「あ、こういうのどうかしら? 騎士団顧問になって、私の外出やイベントの時だけ勤務。これならよろしくて?」


「あ、それなら大丈夫です」


 拘束時間が少なければ何とかやっていけそうだ。むしろ商人より良いかもしれない。


「じゃあ決まりですわ! あっ、お父様、いいかしら?」


 ベネデッタは公爵を見つけると、顧問のプランを相談する。


 公爵はチラッとベンの顔を見るが、ベンは作ったような笑顔で不満げだった。


 マズい……。


 公爵の額に冷汗が流れた。ベネデッタが勝手に話を進めていたのは想定外である。公爵は上ずった声で言った。


「こ、こ、こ、顧問だなんてご不満ですよね? 最高顧問……いや、最高相談役なんてどうでしょう?」


「最高相談役?」


 ベンは何を言われているのかピンと来なくて首をひねった。


 その反応に公爵はしまったと思い、脂汗が浮かんでくる。迂闊(うかつ)な言動は人類の存亡にかかわるのだ。


 その危機を察したセバスチャンが助け舟を出す。


「ベン様、どういったお立場がご希望ですか?」


「こういうとアレなんですが、まだ子供なので、楽なのが良いかななんて思ってます」


 前世に過労死したベンにとっては楽なことは最重要ポイントだった。


「なるほどそれならやはり、ベネデッタ様付きの顧問というのが一番ご希望に沿うかと……」


「そ、そうなんですね? では、それでお願いします」


 ベンはよく分からなかったが頭を下げた。


 それを見ると公爵はホッとして、ニコッと最高の笑顔を作ると、


「ではそれで! ベン様は我がトゥチューラ騎士団の顧問! 申し訳ないですが、その方向でこの娘を頼みます」


 そう言って右手を差し出す。


「わ、分かりました」


 ベンは面倒なことになったと思いながら、引きつった笑顔で握手をする。ただ、この時、公爵の手はなぜか汗でびっしょりであった。


 二人の握手を見たベネデッタは、


「では、最初のお仕事は、わたくしの親戚の子の警護をお願いさせていただくわ!」


 と、いたずらっ子の顔をして嬉しそうに言う。


「し、親戚?」


「そう、可愛い子ですわ。よろしくて?」


「は、はい……」


 ベンはなぜ親戚の世話まで見なきゃいけないのか疑問だったが、ベネデッタの嬉しそうな顔を見ると断れなかった。


 その後、次々といろいろな貴族から挨拶を求められ、ベンはぎこちない笑顔で頭を下げながら社交界デビューを果たしていった。

















10. 魅惑のトラップ


 とっぷりと日も暮れ、ベンはパーティ会場を後にした。


 しかし、結局何も食べられていない。下剤で全部出して、何も食べていないのだからもうフラフラだった。


「なんか食べないと……」


 ベンはにぎやかな繁華街を通り抜けながらキョロキョロと物色していく。すると、おいしそうな匂いが漂ってきた。串焼き屋だ。豚肉や羊肉を炭火で焼いてスパイスをつけて出している。


「そうそう、これこれ! 前から食べたかったんだ!」


 ベンはパアッと明るい顔をしてお店に走ると、まず一本、羊串をもらった。箱のスパイスをたっぷりとまぶした。


 貧困荷物持ち時代には決して食べられなかった肉。だが、今や騎士団所属である。金貨もたんまりあるし、買い食いくらいなんともないのだ。


 ジューっと音をたてながらポタポタ垂れてくる羊の肉汁を、なるべく逃がさないようかぶりつくと、うま味の爆弾が口の中でブワッと広がる。そこにクミンやトウガラシの鮮烈な刺激がかぶさり、素敵な味のハーモニーが展開された。


 くはぁ……。


 ベンは恍惚の表情を浮かべ、幸せをかみしめる。こんなにジューシーな串焼きは日本にいた時も食べたことが無かった


 う、美味い……。


 調子に乗ったベンは、


「おじさん、豚と羊二本ずつちょうだい!」


 と、上機嫌でオーダーする。


 ベンは今度は豚バラ肉にかぶりつく。脂身から流れ出す芳醇な肉汁、ベンは無我夢中で貪った。


 さらに注文を重ね、結局十本も注文したベン。


 ベンは改めて人生が新たなフェーズに入ったことを実感した。ただ便意を我慢するだけで好きなだけ肉の食える生活になる。それは素晴らしい事でもあり、また、憂鬱なことでもあった。とはいえ、もう断る訳にもいかない。


「もう、どうにでもなーれ!」


 ベンは投げやりにそう言いながら最後の肉にかぶりついた。


 どんな未来が待っていようが、今食べている肉が美味いのは変わらなかった。


 余韻を味わっていると、隣の若い男たちが愚痴ってるのが聞こえてくる。


「なんかもう全然彼女できねーわ」


「あー、純潔教だろ?」


「そうそう、あいつら若い女を洗脳して男嫌いにさせちゃうんだよなぁ……」


 何だかきな臭い話だが、まだベンは十三歳。彼女作るにはまだ早いのだ。中身はオッサンなので時折猛烈に彼女が欲しくはなるが、子供のうちは我慢しようと決めている。


 怪しいカルト宗教なんて、自分が大きくなる前に誰かがぶっ潰してくれるに違いない、と気にも留めず店員に声をかけた。


「おじさん、おあいそー」


 ベンは銅貨を十枚払って、幸せな表情で帰路につく。


 しかし、よく考えたら今日は下剤を二回も使っていたのだった。これはおばちゃんの指定した用量をオーバーしている。そして、空腹に辛い肉をたくさん食べてしまっている。それはまさに死亡フラグだった。



        ◇



 ぐぅ~、ぎゅるぎゅるぎゅる――――!


 もう少しでドミトリーというところで、ベンの胃腸はグルグル回り出してしまった。


「くぅ……。辛い肉食いすぎた……」


 脂汗を垂らしながら、内またでピョコピョコと歩きながら必死にドミトリーを目指す。


 ポロン! と、『×10』の表示が出る。もうすぐ自宅だから強くなんてならなくていいのだ。ベンは表示を無視して必死に足を運んだ。


 すると、黒い影がさっと目の前に現れる。


「ちょっといいかしら?」


 えっ!?


 驚いて見上げると、それは勇者パーティの魔法使いだった。


「今ちょっと忙しいんです。またにしてください」


 漏れそうな時に話なんてできない。ベンは横を通り過ぎようとすると、


「あら、マーラがどうなってもいいのかしら?」


 と、魔法使いはブラウンの瞳をギラリと輝かせ、いやらしい表情で言った。


「マ、マーラさんがなんだって?」


 ベンはピタッと止まって、魔法使いをキッとにらんで言った。勇者パーティで唯一優しくしてくれたマーラ。あのブロンズの髪の毛を揺らすたおやかなしぐさ、温かい言葉にどれだけ救われてきただろう。


「マーラさんをイジメたらただじゃ置かないぞ!」


 もし、マーラにも下剤を盛ったりしてイジメていたらとんでもない事だ。ベンは荒い息をしながらギロリと魔法使いをにらんだ。


「ちょっとここは人目があるから場所を移しましょ」


 魔法使いはそう言うと、高いヒールの靴でカツカツと石だたみの道を鳴らしながら歩きだす。そして、魅惑的なお尻を振りながら細い道へと入って行った。







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