ある日の告白
家から離れたコンビニエンスストア。生活圏内にはあるが、普段は来ることがない店舗に子どもたちは少しはしゃいでいた。
娘の凛音がお菓子を持ってくる。最近人気のアニメキャラクターのおまけのついたお菓子だ。
買い与えすぎかな、と少し悩むが、まあいいかと了を出すと、凛音は喜色を満面に浮かべた。すかさず弟の優成が、ねね(姉)だけずるいと騒ぐので、彼にも、なにか一つお菓子を持ってきなさい、と伝える。
子どもたちを連れての買い物は時間がかかる。この日も優成のお菓子選びが終わらない。さぞかし車で夫はいらいらしているだろう。それを宥めるのと、子どもたちにお菓子を我慢させるのはどちらが大変だろうと考えて、どっちもめんどくさいという結論に至った。
それから、あまり欲しいものがないのか優成のお菓子選びが終わらず、待ちきれなかった夫が車から出てくるのが見えた。
お父さんが迎えに来たよ、早く選んで、とせかすと優成は不満げに結局いつも食べているお菓子を手に取った。
思わずため息が漏れる。
夫が店舗に入ってくる。レジに並ぶと凛音がさりげなく隣に来て手を繋いできた。小学二年生の凛音のぽちゃぽちゃな手を握り返して、雑談をしていると、すぐに自分たちの会計の番になった。
それなのに、バーコードを読む音が聞こえない。
あれ?と顔をあげると、店員の青年が私の顔を凝視していた。
「あの・・?」
と声をかけると、青年は、失礼しました、と頭を下げると品物をレジに通していった。夫が少し拗ねている優成をあやしているのが見える。
優成は来年一年生だが、少し面倒くさい性格をしている。きっと今は、お父さんが早く来たから好きなお菓子買えなかった、と夫に八つ当たりしているのだろう。少しだけため息が出る。
「あの、」
店員の声に、会計が確定したのかと目線をあげると、店員の青年と目が合った。途端に青年の顔が赤く染まる。
「っため息を吐くと幸せが逃げますよ」
「はあ・・」
すこしだけあっけにとられて、支払いのために画面にタッチする。ふ、とああ、気を遣ってくれたのかな、と思い立つ。疲れが顔に出ていたらしい。笑顔を口元に浮かべて、気遣いのお礼を告げると青年は、いえ、と顔を伏せた。まだ、耳まで赤い。
照れ屋なのかな、と少しだけ微笑ましくなる。赤くなるくらい恥ずかしいのに、心配して声をかけてくれる青年の優しさが嬉しい。子どもたちも誰かをふと嬉しくさせられるような優しさを身に着けてほしいなと、願う。
家族4人で店を出ると、手を繋いでいる凛音が不思議そうに店を振り返った。
どうしたの?と声をかけると、
「お母さん、あのお兄さん、追いかけてきたよ」
という。
忘れ物でもしてしまっただろうか。と振り返ると、店員の制服を脱いだ青年が、慌てて店を出てくるのが見えた。
「あの!」
「はい、なにかありましたか・・?」
青年は夫を見て、息子、娘と視線を移してから私のことをまっすぐに見た。
強い視線に首をかしげる。なにか忘れものでもあったのかしら、と考える。あの店の商品はすべてレジを通していると思うけど、とバックをのぞこうとしたとき。
「あの、お名前を教えていただけませんか」
と青年が言った。
「は?」
眉を寄せて青年を見ると、彼は顔を真っ赤に染めた。
「あの、」
「妻に何か?」
異変を察した夫が青年と私の間に割って入る。
「いえ、その、」
「用がないなら失礼します」
夫は強引に話を断ち切ると、私に車に乗るように促し、凛音の手を引いて後部座席のドアを開けた。
ぽつんと立ち尽くす青年を目の端にとらえて出発した。変に沈黙の重い車内で私は苦笑する。
「なんだったのかしら」
「知らないけど、なんでもいいからもうあそこの店にはいかない。お前も行くなよ」
「そうねぇ。でも、あんな年代の子と話すことがないからちょっとドキドキしたわー」
「おばはんが何言ってんだ」
「ママはおばさんじゃないよ!」
凛音がすかさずフォローしてくれる。
「りんちゃん、ありがとう!そうよねー、お母さん、おばさんじゃないよねぇ」
「ババアだよ!」
幼稚園で悪い言葉を覚えてきて家で使っては怒られている優成に、夫が、なー、同意する。
「うちの男二人は帰ってからお母さんに謝らないとだめだね」
「ねー、うちの男たちはひどいねえ」
凛音の言葉に私も同意する。後部座席の凛音を振り向いて、目を合わせて笑うと車内の空気が和んだ。
凛音のおかげでいつも通りの空気に戻った。
夫と雑談をしながら、家路を辿る。
なんだったのかしら、と少しだけ疑問に思いつつ、もう会うこともないだろう彼のことはとりあえず忘れることにした。
◇◆◇◆
水曜日は、二年生の凛音も短縮時間の5時間授業で帰宅が早いため、体を余した子どもたちをつれてアスレチック遊具がある少し遠い公園へ遊びに行く。
凛音は少々不器用であまり運動が得意ではない。アスレチック公園では私がずっと手を貸していなくては満足に遊べない。しかし、優成は楽しそうにぴょんぴょんと木の杭を飛び越していくので、逆に目を離せない。
凛音に手を貸しつつ、優成を見るのは少しだけ疲れる。
少しだけ休もうと声をかけると、凛音はついてきたが優成は「やだー!」と叫んで今度は木の壁をよじ登っている。
「ママ、疲れた」
ほんの少しだけしか動いてないのに凛音はもうへばっていた。もう少し体力をつけなきゃだめだな、と考えていると、あ、というつぶやきが聞こえた。
目線を上げると、あの店員の青年がいた。
青年の顔がぼぼぼ、と火が付くように赤くなる。
凛音が青年と私の顔を交互を見て、コンビニの、と呟いた。
「あ、ああの!」
青年が、思わず、といったように大きな声を出した。凛音がびくりと肩を震わせる。私は思わず娘を守るようにその肩を抱いた。
「ああ、あ・・すいません」
突然、こんなことを言われて驚くかもしれませんと前置きして、青年は二、三度深呼吸すると、私をしっかりと見つめた。
「あの、こんなの信じられないかもしれませんが、あなたが好き、なんです。あの日、初めて会ったあなたに・・一目ぼれをしてしまったんだと思います。
あの日から、ずっとあなたともう一度会いたいと思っていました」
あ、もちろん、今日は偶然ですよ!?
と、青年は慌てて弁解する。
「結婚されていて、ご家族がいて、幸せなご家庭を築いていることは見てすぐにわかりました。きっと、おれが気持ちを伝えても、あなたは揺らがないということもわかっています」
私は娘の耳をふさぎたくなった。
まさか、こんなところで告白を始めるとは思わなかった。
「でも、忘れられなかった。あなたともう一度会いたいと、強く願って、その願いがかなえられ・・て、」
青年が感極まったように言葉に詰まる。
少しだけ沈黙が流れる。
私はそっとあたりを見渡す。どこかにこの顛末を見ている者たちがいると思ったのだ。
彼はだれかとのゲームで私にこんな告白をしているのだろう。
そして私が舞い上がった態度をとるのを陰から見て喜ぶのだ。いたずらが過ぎる。
しかし、私が見たのは優成が自分の身長よりも高い木の壁からとびおりようとする様子だった。
「っば・・っか、危ない!!!!」
優成に駆け寄りかけて、凛音の存在を思い出し、あっけにとられている青年を見て、私は凛音の手を引き、無理やり立たせると優成のところに走った。しかし、優成はそのまま、ぴょんと飛び降りて、地面にうずくまる。
「優成!!!」
焦りから大きな声を出すと、優成は顔を上げて、
「足がジーンってした」
とにへら、と笑った。
ケガはなさそうな様子に安心する。
「このくらいなら、よゆーだよ!!だっていっつも幼稚園であおととかあさひとやってるもん!」
と、優成が得意げに笑う。
「そうなの?お母さん、びっくりしたよ。自分の背より高いとこから飛ぶんだもん、ね、りんちゃん」
「りんはお母さんの声にびっくりしたよ。お母さん、あのお兄さんが来たよ」
だれ?と優成が凛音にきくと、凛音は、
「ほらあのコンビニのひと。おかーさんのこと好きなんだって」
えー、と優成が目を丸くする。
「あの、」
青年が目の前に立つ。
私は立ち上がって、笑おうか怒ろうか迷って、愛想笑いを浮かべることにした。
「ええと、とりあえず、お話は分かりました。ありがとう?ございます」
視線を周りに走らせるが、彼の友人らしい姿はない。
「おっしゃったとおり私には家族がおります。これを壊すつもりはみじんもありません」
青年は私の顔をじっと見ていた。頬を薄く赤く染めて、私の言葉を聞き漏らさないように、というように、私の目を見つめている。私は気恥ずかしくなって目をそらした。
だって、こんな風に本当に熱を持っているように見つめられたのは久しぶりだったのだ。
夫は大切な伴侶だ。
でも、もう「家族」になった。
こんな熱のこもった視線を交わすことはない。夜だって、息子が生まれてからは疎遠になっている。お互いに夫婦のスキンシップをするよりも、一人の時間を大切にしたかったから。それに子どもが同じ寝室で寝ているのだ。そんな気分になれっこない。
青年の視線は私に胸の高まりをもたらした。見るからに20歳は年下の青年にときめくなんて、我ながらちょろすぎるだろう、と思う。それでも、私は、嬉しかった。
もう、「お母さん」という性になって久しいのに。
自分が「女」だということを思い出させてくれた視線に、喜びを感じた。
でも、それだけだった。
「でも、気持ちは嬉しいです。ありがとう」
諦めるような気持になっていた。ときめきはもう燃え上がる心を連れてこない。
でも嬉しかった。
青年は、ぐっと唇をかんでうつむくと、顔を上げてへたり、と笑った。
「こちらこそ、気持ちを聞いていただいて嬉しかったです。もう、声はかけません」
青年が痛むような笑顔を浮かべて、しばし逡巡した後、意を決したように言った。
「名前だけを、教えていただけませんか」
私は迷うことなく首を振る。
「・・そうですよね」
青年は、ぺこりと頭を下げるとお礼を言って去っていた。
娘が私の袖を引いて、もう帰る?と聞いてくる。しかし、息子は、まだ遊ぶ、と言い張り駆け出して行ってしまった。
私は、なんとも言えない気持ちのまま、再び私の手を握ってアスレチックに挑戦する凛音に付き合った。
◇◆◇
青年の件はすぐに夫の知ることとなった。凛音が帰ってきた夫にすぐに話したからだ。特に口止めもしなかったし、凛音が話さなければ何かのついでに話そうと思っていたので、構わなかった。
子どもが眠ってしまった後で、いつもなら子どもと寝てしまう夫が起きてきて、ソファに座る私の横に座った。
久しぶりの近い距離だ。
「告白されたんだ」
「うん。私もまだイケてるってことだね」
「調子にのると痛い目にあうぞ」
「そうね」
沈黙が流れる。
「本気だったのかな」
夫の独り言のようなつぶやきに私は首を振る。
「わからないわ。何かの余興で、いたずらされたのかもしれないし。でも、まあ、もうこちらには声はかけないって言ってたから」
「そう」
夫が、しばしの沈黙のあと肩を抱いて、耳の後ろに口づけて来た。
ときめきも情熱も感じない、家族への愛情表現だ。その先の気持ちの高ぶりは互いにない。でも、嬉しかった。少なくとも私の存在を惜しんでくれていると感じたから。
「・・愛してるから」
「ええ、私も」
あなたも子どもたちも愛しているわ。
しばらく呆然と過ごした。
青年が私に与えたときめきは思いのほか私に深い感動を植え付けていた。でも、それは恋ではない。娘や息子への愛情に近かった。
彼が宣言した通りもう彼と会うことはなかった。私も彼が勤める店舗には近づかなかったし、アスレチック公園には夫が一緒に行けるときしか行かないようにした。
彼と私たち家族の間には何の接点もない。狭い町でも会うことはないだろう。
でも、私は変わろうと思った。偶然、彼に会った時にがっかりされたくなかったから。
手始めに興味のあった資格を取ることにした。スーパーのパートも楽しかったが私にはほかにやりたい仕事があった。しかし、それは有資格者ではなくてはできない仕事だったので年齢を理由に諦めていたのだ。
その勉強を始めた。
その資格を取りたいといった私を夫は笑わずに、ない気なくサポートしてくれるようになった。今まではパートから帰ったら娘と息子の学習サポートをし、食事を作り、家を整え、身の回りの始末をすべて請け負っていた。本当に寝る前30分ほどしか私自身の時間はなかったのだ。
資格の勉強を始めると夫は子どもたちの勉強を見てくれるようになった。夫が学習サポートを請け負ってくれたことは大きかった。
学習サポートの時間を家事に充てることができる。そうすると、寝る前の自由な時間は長くなった。
その時間をすべて勉強に費やすことができた。
娘も息子も、私が勉強している様子に何か感じたのだろうか。あれほど嫌がっていた家庭学習を率先して行うようになった。
夫は休みの日には率先して家事を請け負ってくれる。あまり甘えるのも申し訳がなく、休みの日は夫が料理を、私が洗濯やその他の雑事を、子供たちが食器洗いを、と自然と分担制になった。
夫との会話も増えた。
私に余裕が生まれると、家族の仲も安定した。資格の勉強も順調で子どもたちも健康で健やかに育っている。
夫とも気持ちの上での信頼がより強固になったような気がした。
無事、資格を取得して、私はかねてよりあこがれていた職に就くことができた。高い年齢からの再チャレンジのため就職は贅沢は言えなかったが、やりたかった仕事にやりがいが生まれた。
もちろんすべてがうまくいったわけではない。家族の間でも子どもたちが成長するにしたがって出てくる摩擦や、夫とのすれ違い、仕事への不満や、理想と現実のギャップなど大きな問題も生まれた。
家庭のことは夫とよく話し合い解決した。解決できなくても、よりよいと思える手段を取ることができた。
仕事に関しても同じだ。若いころのようにがむしゃらに、とはいかなかったが、それまでに得たずる賢さを駆使して何とか乗り越えられた。
そして、娘も息子も社会人となり、私たち夫婦のもとから旅立っていった。
夫も50歳で早期リタイアした後は、アルバイトをしながら趣味の時間を楽しみ、私も仕事に楽しみを見出し、心の余裕がある、豊かな生活を享受してた。
そんな折、社会人となり数年たった娘から、会わせたい人がいる、という連絡があった。
もうそんな年齢になったのね、夫と感慨に耽る。
良く晴れた土曜の午後。娘が少し恥ずかしそうに帰ってきた。
娘が連れてきたのはさわやかな男性だった。
だいぶ年上なの、と娘のメールには書かれていた。
凛音はしっかりしているように見えてすこし抜けているから年上でもいいかもしれないわね、と夫と話していた。
男性の表情には少し緊張が見えた。
私は微笑ましい気持ちになる。そういえば、夫を初めて実家に連れてった時にの夫の表情ににているなあ、と思い、夫の表情を伺うと、夫も緊張していた。
なんだか笑いがこみ上げて、くすくすと笑うと凛音もつられたように笑った。
「さあさあ、玄関先で固まっていないで入ってくださいな」
声をかけると、男性は、ハッとしたように顔を上げた。
その顔に既視感を覚える。
その時、私はなぜか、私たち家族の在り方を変えるきっかけをくれた青年を思い出した。
あの、私のことを好きだと言ってくれた青年のことを。
男性は、深く頭を下げた。
「長谷川 光明と申します。凛音さんとお付き合いをさせていただいております」
長谷川さんは凛音の会社の上司とのことだった。
今日は結婚の挨拶にきたといった。
夫は長谷川を前に苦い顔をしていた。でも私にはわかる。あの顔は照れている。そして、嬉しくも思っているんだ。凛音は父親の苦い顔に少し不服そうだ。
しばしの談笑のあと、凛音に着信があり部屋から出て行った。そのタイミングで、長谷川は私をじっと見た。
なぜだろう、その視線に覚えがあった。
「・・十数年前、コンビニの店員に告白をされたことはありませんか」
「・・!」
私は息をのむ。長谷川はあのコンビニの店員だった。あとからそのことに気が付かれるよりも、先に告白したほうがいいと判断したらしい。
「あの時は申し訳ありませんでした」
長谷川は頭を下げる。
夫が不快感を示し、私も警戒する。
「凛音さんと付き合い始めてしばらくしてから、彼女があなたと一緒にいた子どもだと気が付いたんです。・・信じていただけないかもしれませんが、それまで、あなたのことを忘れていたんです」
そして、苦味を吐き出すように言った。
「小学生の女の子に一目ぼれするよりも、あなたに一目ぼれをした、と思ったほうが自分に納得がいったのです」
長谷川は眼を一度目を閉じると、目を伏せたまま、あなたに告白したのは、自分の気持ちを欺くためだったんです、と吐き出した。
彼が、一目で恋に落ちたのは、まだ小学二年生の凛音だった。
しかし、それは自分の性癖が特異であるということを表す。パニックに陥った長谷川は、その恋心をかなり年上だが合法的な年齢の私への想いだと、と自分自身に言い聞かせた。
「本当は声をかけるつもりはなかったんです。告白するつもりも。でも、あの公園で会った時、やっぱり、凛音さんを見て心がときめきました。ごまかしようがないくらいに。だから、あえてあなたに伝えたのです。自分をごまかすために。自分は、小学生ではなく、大人の女性が、彼女の母親のほうに心を奪われたのだと、そう思い込んで」
私に告白したことで、彼はいったん自分の気持ちに区切りをつけたつもりになった。しかし、何年たっても、凛音の顔を忘れることはできなかった。
「会社で凛音さんを見かけて改めて心を奪われました。しばらくして、凛音さんがあの時の子だと気が付いたときもう気持ちを欺かなくてもいいと安心したんです」
もう、凛音は成人をしている。多少年齢が離れて居ようが、成人しているなら、自分は特殊な性癖を持つ者でもないし、なによりも誰にも後ろ指をさされることはないのだ。
そして長谷川は凛音に気持ちを伝え、今日の日を迎えたという。
「・・凛音はこのことを知ってるんでしょうか」
夫の眉間にしわが寄ってる。
「・・はい、もう、話しています」
夫は私の顔を見る。目が合う。その顔は、不信感に警戒心に・・でも、一番大きいのは、どうしたらいい?という問いだった。
「凛音は、なんて言ってましたか?」
凛音はどう思っているのだろう、純粋な疑問を長谷川にぶつけると彼はふと頬を緩ませた。
「それってすごいね、と。運命みたい、とても、嬉しいと」
少々、夢見がちなあの子らしい。
「ただ、お母さんに告白したのはいただけない、と多少怒ってはいましたが」
まあ、それはそうだろう。
私は夫と目を合わせる。
いろいろ思うところはあるが私たちの気持ちはもう決まっている。
私たちの子育ての共通認識だ。子どもたちが決めた道に反対はしない。デメリットを話すくらいはするがそれでもその道に行きたいのならば、邪魔はせずに見守ろう。
夫が、諦めたように息をつくと姿勢を正し、長谷川に向き合った。長谷川も居住まいを整える。
「凛音がそれで納得しているなら、私たちが反対する理由はありません。凛音のことをよろしくお願いします」
テーブルの下で夫が私の手を握った。私もその手を握り返す。
夫婦二人で頭を下げているときに凛音がリビングに戻ってきた。
「あ、れ?もう話が終わっちゃった感じ?」
間の抜けた声に少し力が抜ける。
まだこんなに子どもなのに結婚なんて大丈夫かしら。そんな不安が頭をもたげるが、凛音を見る長谷川の視線にその不安は霧散した。
「りん、もう少ししっかりしないと長谷川さんに愛想をつかされるぞ」
夫の軽口に凛音は頬を膨らませると、しっかりしてるもの、と反論する。しかし、すぐに表情を改めると長谷川の隣に立った。
「お父さん、お母さん、私、長谷川さんと結婚するね」
「ああ。二人で幸せになりなさい」
「うん」
夫の言葉に凛音と長谷川は顔を見合わせて笑った。
◇◆◇
家族4人で暮らしていた時には狭かったこの家のリビングも、夫婦二人では広く感じて少し寂しい。
夫はパソコンに向かい、私は本を読む。
本を読みながら、私は全く違うことを考えていた。
心に浮かんだ感情は「さみしい」だった。
あの時の告白は本当にうれしかったのだ。彼の告白が私の「現在」を形作ったといってもいいくらい、深い感動を与えてくれた。その告白が、彼が自分の本心を欺くためだったと聞かされてかなりがっかりした。
彼とどうにかなりたいという願望はなかった。ただただ、「お母さん」であった私に、誰かが心惹かれたという事実が私を浮き立たせた。それも、嘘偽りだったのだけど。
パソコンを閉じた夫が私の隣に座った。腰に回された手で私を引き寄せると、いつかのように耳の後ろに口づけを落とした。
「ずっと、愛してるよ」
さみしい気持ちは夫に筒抜けだったようだ。
私も夫の肩に頭を預ける。
「ええ。私もあなたを愛してるわ」
でも、いいか、と今なら思えた。
あの告白のおかげで私は、とても充実した時を過ごせた。子どもたちを育てるため、という言い訳をして諦めてた夢を現実にできたのだから。
彼には感謝しかない。
あの時、私に光をくれた。
そして、今、私たちの愛しい子を大切に、愛してくれている。
それで十分だ。