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アダムス操縦士学院  作者: 藤咲晃
一年生編 春の章
12/31

10話 甘い蜜に誘われて

 学業を終えた生徒達は放課後、思い思いの時間を過ごす。

 ガイが帰り支度を済ませ、いざ教室を歩き出すと。

 彼の後ろポケットから細長い紙が床に舞う。

 デュランは落ちた髪を拾い上げ、ガイを呼び止める。


「ディアス! これを落としたぞ」


 呼び止められたガイは足を止め、デュランに振り向く。


「なんだ? その紙切れは」


 見に覚えのない1枚の紙にガイが訝しむ。


「カフェ・エンジェルスのコーヒー無料券だってさ」


 紙に書かれた文字を読み上げたデュランに、ガイは静かな足取りで近付く。


「エンジェルス? ああ、フルグス書店の向かいのか」


「要らないなら代わりに貰おうか?」


「バカ言うな。こっちとらコーヒー一杯飲むも贅沢なんだよ。タダで飲めると分かりゃあ、そいつには200エルの価値が有る」


「コーヒー一杯分の価値じゃねえか。や、確かに一杯分の無料券だけど」

 

 何かきっかけが有って、ガイが後ろポケットにしまっていたこと事態忘れていたのだろう。

 デュランはそう結論付け、素直に無料券をガイに返した。

 無料券に視線を落とし、カフェで静かに読書するのも悪くない。

 ガイはそう考え、今度こそ歩き出す。


「あっ! 俺もエンジェルスに行くから一緒に行こうぜ!」


 デュランが併走する中、ガイは特に歩く速度を早めず無言で同行を受け入れる。


 ▽ ▽ ▽


 カフェ・エンジェルスに2人が入ると。


「「いらっしゃいませ〜!! あなたの心にひと時の安らぎを〜」」


 よく見知った女子生徒がエプロンドレスを着こなし、ガイとデュランにそんな言葉を掛けた。

 入る店を間違えた。

 即断したガイが出入口に振り返ると、彼の両肩を細い腕が掴んだ。


「離せ」


「おやおや、お客様? コーヒーの一杯も飲まずに帰るなんて不届きですねぇ」


「そうだぞディアス! 第一アトラスとナギサキが出迎えてくれたったのに何が……待って、ちょっと待て!?」


 エプロンドレスを着こなした──レナとリンにデュランが叫んだ。

 デュランの反応に不思議そうにレナが小首を傾げる。


「どうかしたの?」


「ナギサキは兎も角、どうしてアトラスが此処でそんな格好を!?」


「アルバイトだからだけど?」


 何を驚くことが有るのか、とレナはデュランを訝しんだ。

 レナにそんな表情を向けられ、デュランは真剣に自分がおかしいのか悩み出す。


「あたしは兎も角は頂けませんが、取り敢えず席にご案内しますよお客様」


「悪いな、来る店を間違えた」


「いえいえ、此処で有ってますよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 リンの言葉にデュランは疑問を口にする。


「どうしてナギサキはガイが無料券を待ってることを知ってるんだよ」


「俺の後ろポケットに無料券を忍ばせたのが、ナギサキだからだろ」


 ガイの指摘にリンは小さな舌を出してわざとらしく笑って見せた。


 バイト先に学友を呼ぶなら直接無料券を手渡せば済む。

 少なくともガイなら確実に釣れるだろうとデュランは思う。


「……なんでそんな周りくどいことを」


「ディアスさんならあたし達がバイトしてると知れば、来ない可能性が非常に高いですからね」


「ええ〜、そんな事無いよな?」


 美少女の誘いを断る理由が無い。そう信じて疑わないデュランがガイに視線を向けると。

 彼はそっぽを向き。


「例えばだ。招待チケットに今から面倒臭いことが起きるが、コーヒー一杯で我慢しろと書かれていたらお前は行くか?」


「例え火の中水の中だろうが、美少女が誘ってるなら俺は行く」


 デュランの即答にガイは深いをため息を漏らす。


「聞いた俺がバカだった」


 諦めたガイは、デュランと共にリンとレナに促されるままにテーブル席に座った。

 ガイは改めて店内を見渡す。

 内装はモダン製の家具で統一され、振り子時計が小刻みに音を奏でる。

 ゆっくりとした落ち着ける雰囲気とお洒落な内装だ。

 そして店内にはカウンター席で項垂れる客が1人。

 カウンターでコーヒーカップを丁寧に拭く、サングラスのマスターが1人。

 

「客足が遠退く店には見えねえが」


「この時間帯は学生ぐらいしか来なくて大体暇みたいなのよ。読書するなら丁度良い場所でしよ?」


「確かに考察を交えながら行うには良い場所だが、俺達は退屈凌ぎってことか? それなら有り難いがな」


「残念、無料券1枚分はしっかりと働いて貰いますよ」


 そう来るか、とガイはリンを睨む。

 彼女はどこ吹く風で、項垂れる客に視線を移した。


「実は彼……連日、毎日の様にああして項垂れてるんですよ」


「そいつの悩みを俺に解決しろってか? あのな、そう言うのは暇な奴か探偵にでも依頼しておけ、その方が確実で手っ取り早い」


「今日はディアスさん、バイトが無くて暇ですよね」


 事前にガイのシフトを把握していたリンは微笑んだ。

 彼女の微笑みにガイは青筋を浮かべ、レナが宥めに入る。


「落ち着いてガイ」


「なぁ、ディアスに用が有るなら俺は帰った方が良いか?」


「頭数、知恵を振り絞る人数は多い方が良いからデュランも協力して」


「おう、任せろ!」


 レナに頼られたことにデュランのやる気が上がった。

 そんな単純な男にガイとリンは小声で。


「その内、単純で扱い安いって言われそうですね」


「心に思っても口にするな。扱い辛くなる」


 密かにデュランを揶揄った。


「話を戻しますが、ディアスさんは協力してくれるんですか?」


「先ずは詳細を話せ、それから協力するかどうか考える」


 何も知らずに簡単に協力はできない。

 事の次第では操縦士の立場上、何かに巻き込まれてもおかしくないからだ。

 特にガイは損得を考えた上で、自分が損しかしないなら協力を断るつもりだ。

 

「遺跡都市ラピスの古代遺跡は、考古学者に自由調査権限が有るのは知ってる?」


「此処の古代遺跡に限らず、グランツ王国内の幾つかの遺跡は自由調査権限が適用されているが……自由調査権限対象から対象外に認定されることも有ったな」


 古代遺跡バーロンが正に自由調査権限の対象から外れた遺跡の一つでも有った。

 クローズ教授がバーロンで見た壁画とその後の調査によって、政府が危険と断定した結果の処置。


「そう。調査禁止指定に認定されるなら政府から事前に考古学者に通達が行くのよ」


 ガイとレナの問答に、デュランが何のことかさっぱりと言いたげに首を振った。


「つまりだ。あそこの考古学者は、そこそこの旅費をかけて意気揚々とラピスの遺跡を訪れたが、何故か遺跡が封鎖されていて激しく落ち込んでいる。そんなところだろ」


「あ〜なるほど。や、それは本人に聞いた方が早いんじゃね?」


 デュランが項垂れる客に視線を向けると、リンが苦笑を浮かべる。


「当人から詳細を既に聴いてますよ。5日前にあの人は、調査のためにラピスの遺跡を訪れた。ですが、何の通達も無くラピスの遺跡は『立入禁止』され封鎖」


「考古学者は遺跡調査一つに情熱を掛けるわ。それこそ人生を賭ける程の価値が彼らには有る。でも原因不明で調査が出来ないとなるとへこむでしょ」


「確かにへこむが。政府に問い合わせたのか?」


「自由調査権限の再会を主張した手紙を王立政府に出したそうよ」


「なら返事が来ればこの件は自然な形で解決する。それで終わりだ」


「単純な話しなら私達も頭を悩ませないわ。深夜の時間帯、遺跡に出入りする考古学者の姿が度々目撃されてるそうなのよ」


 突然『立入禁止』にされた遺跡と不審な考古学者。

 どう考えても軍に伝えた方が早い話に、ガイはため息を吐く。


「軍に、クオン教官に伝えたのか?」


「ええ、遺跡封鎖の件も含めて伝えましたよ」


「それで教官の返答は?」


 デュランが訊ねると、リンはクオン教官の真似をしながら答えた。


「『突如封鎖された遺跡に不審な出入り、か。分かった本件はわたしが預かろう』と」


 クオン教官が本日中に動くとなるなれば、この件は迅速に片付く。

 彼は軍部から出向しているプロだ。何か陰謀めいた事件ならなおさら軍人としての嗅覚が働く。


「それなら話は、クオン教官が解決して終わりだ」


「ええ、昨日まではそれで話が終わりでしたよ」


 ガイは嫌な予感を覚えながらリンに視線を向ける。


「今日になって何が有ったんだ?」


「クオン教官は本日中、王都に発つことになりましてね。自身が不在の間に簡易的な調査を任せたいと」


「だから何で俺達なんだ。それこそ手の空いている軍部や警備部隊を向かわせれば済む話だろ」


「私もそう言ったんだけど、操縦士の生徒が事件を解決することに意義があるんだって」


 操縦士の評判と住民の印象を少しでも回復させたい。

 ガイはクオン教官の考えを汲み取り、思考を巡らせた。

 先ず遺跡には、軍部の者か調査資格を持つ考古学者しか入れない。

 レナとリンが頭を悩ませているのは、正に正式な手順で入る方法だとガイは考えた。

 それなら実に話は速い。


「一応確認するが、調査資格が有れば操縦士が遺跡に入ろうと文句は言われねえな?」


「そうよ、正式な手順を踏んでるから文句は言えないし、言われる筋合いは無いわ」


「アンタらは考古学者に話を持ち掛けたのか?」


「落ち込んでる人を、そう簡単に説得できるなら苦労はしないわ」


 先程から大人しかったデュランが、何かに納得したのか手を叩く。


「それなら簡単だ! 考古学者に協力を求めるなら見返りにデートの一つでも提案すれば──」


「タイプじゃないので嫌です」


 デュランの提案をリンが即答で断ると、カウンター席から。


「ぐはっ!?」


 項垂れていた客──考古学者が胸を抑え悶絶した。


「デュラン? 私とリンにも選ぶ権利は有るわ。それに見返りでデートなんて相手に失礼でしょ」


 コーヒー一杯で人を使おうって考えも大概だ。

 ガイはそんな言葉を呑み込んで、時計に視線を向ける。

 門限まであと3時間30分。

 考古学者を説得し、遺跡に踏込み調査をして寮に帰るまでの制限時間。

 遅れれば遅れるほど時間は無くなる。

 それでも良いとさえガイは考えていた。

 事実、ガイがこの一件に協力するだけの得が何も無い。

 寧ろ労力に対する対価はコーヒー一杯だ。そう対価の釣り合いが取れないのだ。

 ガイは席を立ち上がり、


「俺が協力するのはここまでだ」


 帰る選択を取るガイにデュランは驚く。

 するとレナとリンは、仕方ないと肩を竦めた。


「ほらコーヒー一杯だけじゃガイも面白くないって」


「ぐぬぬ、給料を前借りしてマスター特製のスペシャルパフェでも付ければ良かったですかね」


「俺は甘いもんは苦手な方だ。それに考古学者を説得して内部の調査をするだけなら3人で十分だろ」


 そんな言葉にデュランは、この世の終わりだと言わんばかりに絶望した表情を浮かべ。


「……デート以外に何も思い付かないんだけど!?」


「テメェの頭には花畑が詰まってんのか?」


 頭を抱え込んだデュランに、ガイは最低限の罵声を浴びせた。


「ガイは自分に得、報酬が有れば引き受けてくれる?」


「報酬を支払うならテメェが出せる範囲内でならな」


 レナがガイに対して提示できる得、つまり報酬は何か。

 彼女は現在自分の手元に有るカードを頭の中で並べる。

 ガイが興味を惹きそうな書物の山、金銭、食事。

 真剣に頭を悩ませるレナの姿に、リンとデュランはガイを見咎めた。

 本当に対価を請求するのか、と。

 そんな2人の視線にガイは深いため息を吐く。


「……本来なら生活費を稼ぐ手段の一つだったが、今回だけはコーヒー一杯で貸しにしといてやる」


「良いの? 既にザナルの件も含めて迷惑をかけてるのに」


「アレは嫉妬の暴走だ。謂わば感情の暴走は人であろうと制御が難しい。第一面倒臭えとは感じていたが、お前に対して迷惑だったなんて一言も言ったか?」


「言われてない」


「ならザナルの件もこれで終わりだ」


 ガイは項垂れる考古学者に向かって歩き出す。

 そして彼の肩を軽く叩き、


「マスター、この客人におすすめのコーヒーを頼む」


「承った」


 注文を受けたマスターが渋い声を奏で、コーヒー豆のブレンドに取り掛かる。

 レナ達はガイの行動を意外そうに見詰めると、彼は考古学者の隣席に座った。


「アンタが落ち込んでる理由を聴いた」


「……君達の会話は聴こえていたさ。いい歳した大人が情け無いだろ」


「聴こえてたんなら話しが早え。アンタには俺達と一緒に遺跡に入ってもらう」


「知ってるだろう? あそこはいま立入禁止だと」


「知らねえのか? 何の前触れも無く設置された立入禁止の看板は、『ここに秘密を隠した、どうぞ漁ってください』って読むんだよ」


 ガイの論理を無視した屁理屈に考古学者は、ハッと息を呑む。


「……確かにそうだ。遺跡は学者にとって宝の山、それに事前通達もないのだから正当性はこちらに有る!」


「理解したなら後は簡単だ。今からここにいる4人の学生は制限時間付きだが、アンタの助手兼護衛役だ」


「制限時間……門限か。ならば急いだ方が良さそうだ」


 考古学者が立ち上がると同時に、マスターが彼とガイの目の前に2杯のブレンドコーヒーを差し出す。


「ウチはカフェだ。ならお客様の満足のいくコーヒーを出すのがウチの流儀、時間が無いのも承知だが焦っては事をし損じると言いますからね。ここはどうぞ心を落ち着けてから行ってくださいや」


 有無を言わせない覇気と威圧を放つマスターに、ガイと考古学者は大人しく席に座り直す。

 そしてガイはポケットから無料券を取り出しすと。


「こいつは対象か?」


「あんさんのは奢りだ! そいつは次の機会にでもとっておきな」


 マスターの御好意にガイは無料券をしまい、ブレンドコーヒーを飲んだ。

 読書をしながらゆっくり飲みたい。

 そう思う程にガイはマスターの淹れたコーヒーの味を気に入っていた。


 こうしてコーヒーを飲み干したガイと考古学者は、レナ達3人と共に遺跡の入り口に向かう。

 


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