言葉と思いがつながりました
目覚めたとき、僕は病院のベッドの上だった。泣き濡れた青い瞳と目があった。彼女の瞳から大粒の涙がいくつもこぼれ落ちる。
「ルーカス! ルーカス! ルーカス! よかった! よかったよおおあ! うああああん!」
何度も僕を呼んで、大声で泣きじゃくる彼女。そこでようやく、僕は彼女をひどく傷つけたことを思い知らされた。
「リゼ……」
そんなに泣かないで。
僕はひきつるような痛みを感じながら、体を起こす。彼女の背中をさすりたかったのに、その手を彼女に取られてしまった。指先が冷たい。一体、いつから彼女はここにいたのだろう。
「ルーカス、ルーカス……ごめんね、ごめんね。私のせいでごめんなさい……」
「ちがっ……」
謝るのは僕の方だ。
「リゼッ、ト。ごめ、ん。ごめん。僕が……僕が悪いんだよ……」
君をこんなに泣かすのに、一瞬でも喜んだ自分は傲慢だ。
泣かないで、お願いだ。
君が流す涙を僕はなんと言って慰めればいい? 君の背中をさすれば、いいの?
「リゼット……だいじょうぶ。大丈夫だから。僕はへいき、平気だよ。大丈夫だから……っ」
真似したのにリゼットはまだ泣いている。肩を震わせて、彼女の涙がベッドのシーツの上に落ちた。
僕の慰めは、君に届かない。
ひきつるような痛みを振り切って、僕は声を張る。
「リゼット! 僕は大丈夫だよ! そんなに泣かないで……お願いだ。お願いだからっ……リゼット、僕のスノードロップ。泣かないで、泣かないで……僕は君を傷つけたくはないんだ!」
どうしていいのか分からなくなって、僕は思いを全部、口にしていた。
「君は僕を守ってくれたんだ! あの時、君のこの手は僕の慰めだった。ずっとずっと、ありがとうって言いたかった。君が怖がるって知っても、僕は君にひかれてやまなかったんだ! ……だから、だから!」
春が来たら枯れておしまいの関係にしないで。
「春がきても、僕と一緒にいて、君を守らせてください。お願いだ。僕のスノードロップ。僕の希望。僕の愛しい人。君を守れる距離に、僕を居させてください」
最後の方は情けなくも、すがるような声になってしまった。
「君が好きなんだ。とても、とても……君が好きだ……」
懇願のような情けない告白。かっこわるいったらない。だけど、これが僕の思いの全てだった。
おそるおそる顔をあげると、彼女は泣いてなかった。泣き腫らした瞳は、丸くなって固まっていた。それにほっとする。
よかった。泣き止んでくれた。
あぁ、とっても嬉しい。
口が勝手にほころぶ。
「ルーカス……え? うそ……? え?」
何が嘘なんだろう。
僕は嘘つきだけど、今の言葉は全部、本当なのに。
伝わらなかったのかな。
騙していたから、伝わらないのかな。
うつむきそうになっていると、リゼットは真っ赤になって手を忙しなく動かし出した。
「だって、私の方がルーカスを好きで好きでしかたないんだもの!」
両手で頬を包んで可愛い人は、可愛いことを言う。どうしよう。抱きしめたい。手が震えた。
「ルーカスが死んじゃうって思ったら悲しくて悲しくて、意地を張った自分を恨んだわ。バカバカって! 私のバカって! だから、ルーカスが目を覚ましたら、ごめんなさいと、ありがとうと、好きを言いたくて、それで、それでっ……!」
リゼットが苦しそうに喉をおさえる。過呼吸ぎみになっている。いけない。落ち着かせないと。
「リゼット……ゆっくり、ゆっくりで、いいから……」
僕は子どもみたいな口調でいう。涙目になって荒く息を吐き出すリゼットに「ゆっくり」を繰り返す。
はっはっと、息をしてリゼットが落ち着いてくれる。よかった。
ふぅと大きく息をついたリゼットに、僕は最初から話をした。僕たちの始まりの話を包み隠さず、全部。
──────
ルーカスから話を聞いたあと、信じられなくて何度も聞き返してしまった。ようやく信じられたとき、全身の力が抜けていた。
「嘘を付いていてごめん」と言われたけど、私は彼が嘘つきだと思えなかった。彼の言葉の意味はよく分からなかったけど、彼の笑顔やしぐさは本物だったと思うから。
私の為に色々と考えてくれたことに、申し訳なさがあった。
それに、私はルーカスを見てもあの時の子供だって気づかなかった。彼は忘れてなかったのに……落ち込む。
「ごめんなさい……私、ルーカスのことを覚えていなくて……」
「謝らないで。僕もずっと忘れてしまっていたんだ」
ルーカスは苦笑いしてくれるけど、気持ちは晴れない。だって、彼が慰めだと感じたものは、自分の為に言ったことなのだ。
「私……あの時、自分に向けて〝リゼット、大丈夫〟って言ってたの。ルーカスに言ったものじゃなかったのよ……」
誤解させてしまったことに気持ちはどんよりした。
そんな私に彼はスノードロップを降らせてくれる。
「言葉なんてなんでもいいんだ。僕に言ってなくても、リゼットの手は優しかった。あの手に僕は救われたんだよ」
ちょっと泣きそうで、でも甘い、甘い笑顔を向けられる。ルーカスが言うと、自分を許せてしまうから不思議だ。
ほんとうに、好き。
好きでいっぱいになる。
「ルーカス……ありがとう。私、ルーカスが好き。大好き。これからも、一緒にいてもいい?」
ルーカスは弾けるような声をだす。
「もちろんだ! 僕はリゼットを生涯、守りたいんだ」
え? 生涯? それって……
全身がぼっと火をついたように熱くなった。
ルーカスは私の顔をまっすぐに見てくる。
「僕はリゼットしか守りたくないし、結婚するなら君とがいい。でも、リゼットはノルマン人が苦手だし、怖がる気持ちもよく分かるんだ。僕の父上は君の苦手なタイプだろうし……だから、気持ちが落ち着いたらでいいんだ。僕を好きだと思うなら、僕と結婚するのを考えてほしい」
け、け、けっ。結婚!?
「父上も伯爵も了承している。あ、いや、伯爵はまだかな……でも、リゼットの気持ちを汲んでくれるかも……」
ご両親も了承ずみなの!?
私は幸せで埋められた外堀にめまいを感じた。
「ご、ご挨拶をしなくちゃ……」
全身から汗が吹き出ているけど、どっちだろう。緊張かな。恥ずかしさかな。どっちもかな。
「リゼット?」
彼はきょとんと私を見上げた。私は無意味に手を動かして、早口でいう。
「結婚するならご両親に挨拶しなくちゃいけないわ! 息子さんをくださいって!」
なにかがすごく間違っているような気がしないでもないけど、どこが違うのかわからない。誰か、教えて!
「リゼット……僕の両親にあってくれるの?」
「え? だって、け、結婚でしょ? ご挨拶しなくちゃ。ふつつかな嫁ですが、宜しくお願いしますって」
ふつつかすぎるけど、大丈夫なのだろうか。
え? 本当に大丈夫?
私、きっと大丈夫じゃないわ!
「リゼット……僕と結婚してくれるの?」
「え? あ、う、うん。うん。け、結婚よね。結婚。結婚。たくさん勉強して、ルーカスのお嫁さんにならなくちゃ……」
ぶつぶつ言う私にルーカスは真面目な顔になる。思わず背筋が伸びた。
「リゼット」
「はい!」
「僕と結婚するってどういうことか分かっている? 君の苦手なノルマン国に行くことになるんだよ? 大丈夫? 怖くないの?」
小さな子を窘める声だった。
乱れきった心を落ち着かせる声。
私は頭をさげた。
「それは……不安だけど」
ちらっと上目遣いで彼を見る。
「私はルーカスのお嫁さんになりたいわ」
それ以外の選択肢が見えないくらいに、私は彼に恋している。溺れているって言っていいくらい彼が好きになってしまった。
彼は顔を真っ赤にして肩を震わせた。何かをものすごく耐えているみたい。痛みがぶり返したのかも! そうよね。
ルーカス、階段から落ちたんだもの! 打撲しかなかったけど、一晩中、眠り続けていたのよ!
「ルーカス。大丈夫? いたいの? お医者様を呼んでくるわ」
近づいて声をかけたら、手を伸ばされた。
無遠慮に首裏を掴まれて、引き寄せられる。ショコラみたいな彼の唇はまっすぐ私の口へ。重なった瞬間、私の頭は真っ白になった。
まるでスノードロップで埋められたみたい。あふれるほどの白だ。熱い雪は私の唇を軽く食んで離れていった。
挑むような黒色の瞳と目が合う。鋭いノルマン人の目をされたのに、私はちっとも怖くなくて。あぁ、どうしようもないくらい彼のことが好きなんだと実感した。
「ああっ。もう、どうして君はそんなに可愛いの! 可愛いすぎるよ、リゼット。本当に可愛い。どうしよう。全部、食べたい」
全部、食べたい?
私はのぼせた頭で、意味を深く考えずにぽろりと言葉をこぼす。
「ルーカスのしたいようにしていいよ。全部、食べてください」
そう言うとルーカスは顔を赤くして膨れっ面になる。なんか可愛い。こんな顔もしてくれるんだ。顔がにやける。
「リゼット。そういう可愛い顔は僕だけにしてください」
え? 可愛いか?
今、すごくだらしない顔をしていると思うのだけど……
きょとんとしている間に、ルーカスの顔が近づいて、噛みつくようなキスをした。
歯がぶつかって、ちょっと痛かった。