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僕のスノードロップへ ~君に会いたいです


 

 僕は無我夢中で、彼女の手を掴み引き寄せた。腕の中でくるみこむ。彼女がもう傷つかないように、痛みから守りたい。必死で体の中に彼女を閉じ込めた。

 階段の角に体がぶつかり、痛みに体が貫かれる。踊場の床に叩きつけられたとき、激痛にうめいた。


 だけど、リゼットだけは離さなかった。


 意識が朦朧とする。

 体が動かない。


 先に動いたのはリゼットだった。



「ルーカス……?」


 ああ、久しぶりに呼ばれた。

 君の出す声はいつだって可愛くて、安心する。よかった。無事だった。


 ──リゼット、怪我はない?


 言いたかったのに、唇が動かないや。


「ルーカス!! ルーカス!!!」


 悲鳴のような声に胸が痛い。君が慰めてくれたように背中をさすってあげたかったのに、手が動きをとめてしまっていた。だから、せめて笑った。


 大丈夫だよ、僕は男だから君よりは頑丈にできている。


 だから、安心して。すぐに動けるから。



「ルーカス!! いや! ルーカス!!」



 薄れゆく意識の中、幻想を見た。

 はらはらと空から舞う白いものはなんだろう。


 白い花? 雪?


 きっと、スノードロップだ。

 キレイだな。

 リゼットには見えているのかな。

 見えていればいい。

 彼女は僕と一緒でスノードロップがとても好きみたいだから。




 リゼット。僕の愛しいスノードロップ。


 今度こそ僕が、君を守れたかな。





 *









 僕はリゼットと同じ船にいた。

 あの事件の犠牲者だった。


 誘拐されたのは、誰のせいかといえば、僕のせいだろう。


 当時の僕は妹ができたばかりで、むしゃくしゃしていた。

 父上も母上も妹にかかりっきり。妹は赤ちゃんなのだからしょうがないとは今なら思うけど、六歳の僕はそうは思わなかった。ずっと独り占めしてきた両親をとられて、おもしろくなかったんだ。

 妹は笑うだけで、周りは褒めるのに、僕が笑っても褒められない。なんだよって、石ころを蹴っ飛ばしていた。


 困らせてやろうと悪戯心で家を抜け出した。そこで僕は誘拐されたんだ。


 なんでこうなったのか、僕はパニックになってずっと泣いていた。何かを言われたような気がするけど、覚えていない。僕はただ震えて身を小さくしていた。


 船に乗せられて、そこで痩せ細った女の子に出会った。それがリゼットだった。

 彼女は泣いてなかった。

 泣く僕の背中を何度もさすって慰めてくれた。


 当時はリゼットの国の言葉なんか知らなかったから、彼女が何を言っているのか分からなかった。


 リゼットと、繰り返し言われる単語だけしか聞き取れなかった。でも、彼女のことだから、安心をさせるようなことを言っていたと思うんだ。背中をさする彼女の手は優しくて、スノードロップみたいだった。



 解放された日、雪が降っていた。

 空から粉雪が落ちる美しすぎる外の世界。

 やっと解放された安堵に僕はむせび泣いた。

 小さな女の子のことは気にも留めずに、ただ泣く子供だった。



 親元に戻って、両親の泣く姿を見て、また僕は泣いた。いかに愚かだったのか、僕は痛感した。こんなに泣く人が、僕を愛していないわけなかったんだ。


 医者にもかかり、僕は屋敷で療養した。


 無気力になってぼんやりと過ごす日が多かった、と思う。実際はよく覚えていないんだ。


 悪夢が追いかけてくるから、寝るのが怖かった記憶はかすかにある。


 真っ暗な世界に閉じ込められる悪夢だ。

 でも、必ず慰めてくる手と声もやってきて、それと同時に〝リゼット〟の名前がぼんやり浮かんでいた。でも、すぐに忘れる。悪夢と慰めは同じにやってきていたから、僕は自分の心を守りたくて〝リゼット(慰め)〟を忘れた。


 ようやく悪夢を見なくなった頃、僕は初等学校に入って友達もできた。女の子に言い寄られることだってあった。

 僕の家は……まあ、金持ちだからね。あわよくばを狙う女の子はいた。

 だけど、どんな子と話しても心を動かされることはなかった。


 無邪気に話しかけてくる同年代の子に隔たりを感じてしまったんだ。ただの子供でいられる素直さは僕の心に残っていない。無知で奔放な子供のままだとまた危険な目に合う。僕は早く大人になりたかった。強い大人に。


もやもやする心を悟られないように、愛想笑いだけは上手になっていった。





 リゼットのことを思い出したのは、昨年、十五歳のとき。スノードロップの話を神父さまから聞いたときだった。ミサで神父さまは穏やかな声で神話を話してくれた。


「禁断の果実を食べて、二人の男女は人間になりました。彼らは楽園から追放されたのです。冬が来て、寒さに震える二人を憐れに思った天使が、空から舞う雪をスノードロップにしました。もうすぐ春がくる。あたたかな春がくるから、絶望しないでと語りかけたのです」


 神父さまは僕を見つめていた。


「皆さまも辛く立ち止まってしまう日がくることでしょう。その時、空に雪が降っていたら、スノードロップを思い出してください。スノードロップは、あなたの冷えた心に寄り添う花です。やがてくる春を、あなたと共に待ってくれる花ですよ」


 神父さまの言葉は、僕の心に響いた。


 記憶の蓋を開ける。

 冷たい檻の中で、慰めてくれる手があった。

 一緒に助けを待ってくれる人がいた。


 僕にもスノードロップがいたんだ。

 彼女の名前はなんだろう。リゼット、なのかな……


 名前も分からないことに焦燥感をおぼえて、僕は彼女を探した。


 会って、一言、ありがとうを伝えたかったんだ。



 僕は両親にせがんで彼女のことを教えてもらった。両親はトラウマを刺激すると不安がってなかなか教えてくれなかったけど。


「助けてくれた女の子がいる。その子に会って、お礼を言いたい」と伝えると協力してくれた。


 あの事件は国をまたいでの誘拐だったから、新聞にも大きく取り上げられた。新聞社に話を聞くと、彼女は遠い国の人だと知った。


 距離の遠さは障害にならなかった。

 ただ、彼女に会いたかった。



 船はやめとこうと言われても、平気だと言い張り彼女の国に父上と共に渡航した。

 船に乗るのを怖がらなかったのは、前の日、雪が降ったせいかもしれない。陽光を浴びてきらめく銀世界は、一面、スノードロップが咲いたみたいみえて、僕の背中を押してくれた。



 彼女の国にきた先で、新聞社を訪ねて彼女の名前と、引き取り先を聞いた。やっぱり、リゼットという名前だった。聞いた瞬間、リゼットという言葉が僕の中で特別な輝きを放ちだす。会いたい気持ちがいっそう強くなった。


 彼女の父上が有名人だったおかげで、新聞社に聞いたら実にあっさり彼女は見つかった。



 手紙を書いて、会いたいむねを伝えた。

 話を聞いてくれるとリゼットの父上──エバンズ伯から返事があって、僕は緊張してその日を待った。


 でも、その日、リゼットはこなかった。

 残念な気持ちを隠せない僕に伯爵は沈痛な面持ちで理由を話してくれた。


「娘のリゼットは、ノルマン人がまだ苦手なのです。本人は笑っていますが、ノルマン語を覚えるのを心が拒否しているのか、授業では虚ろな目になるそうです。大きな男の人を見るたびに体を強ばらせています」


 伯爵が手のひらを強く握りしめた。


「あの子はあのような酷いめにあっても泣くことはしませんでした。泣くと棒で叩かれるから、泣くのはいけないと言って小さい頃は、ずっと泣けなかったんです……」


 伯爵が震える手のひらで唇をおおう。


「私はリゼットが可愛い。彼女は私の宝物(スノードロップ)です。せっかくの申し出ですが、娘に会うのはどうか、どうか……」


 涙声で頭をさげられて、僕は何も言えなかった。それでも、彼女を諦めきれなくて。

 僕は遠くからでもいいから一目見たいと、せがんでしまった。




 伯爵は思うことがあったのか、それだけは許してくれた。


 リゼットにはじめて会った日はとても寒い冬の日だった。僕は帽子とマフラーで顔をかくして、中庭に出た彼女を見た。


「早く早く、エマ。スノードロップが咲いているわ」

「お嬢様、コートをお召しください。今日は特に寒いですよ」


 ふわふわの金髪をゆらしながら女の子がでてきた。寒さも気にせず飛び出てきた彼女は大きな青い目が特徴的だった。晴天のような瞳だ。僕はまだこの国の言葉にあまり詳しくなかったから、彼女の言葉は聞き取れなかったけど、天使みたいな彼女の姿にみいってしまった。

 彼女に惹き付けられていると、空から粉雪が降ってきた。


「まあ、見て! スノードロップだわ!」


 彼女が両手を広げて粉雪を歓迎する。鼻も頬も赤くして、寒いだろうに、明るい声で粉雪を抱きしめる。愛しい宝物を捕まえた顔をされて、僕は目を見張った。


 スノードロップの言葉は聞き取れたんだ。


 僕と同じで、スノードロップを彼女もまた大切なものと感じてくれていたことに、心がかき乱される。歓喜と苦痛。目頭が熱くなった。


「スノードロップですか。本当にきれいですね。寒くはありませんか?」

「ぜんぜん! これはスノードロップよ。ほら、手で触っても冷たくないもの!」


 キャアと弾む声は、彼女が幸せである証だった。



 よかった。あの時、僕は泣くしかできなかったから、小さかった君が幸せなのが嬉しい。


 でも、苦しい。胸がしめつけられて呼吸ができなくなる。君と僕はこんなに近くにいるのに、声をかけることもできない。距離がもどかしい。


 ──ありがとう。


 たった一言、伝えるだけなのに、君はあまりに遠かった。



 僕のスノードロップ。

 君に会いたいです。



 君の青い瞳に、僕がはいることは叶いませんか?



 帽子を深くかぶり、マフラーで泣き顔を隠す。慰めのように粉雪が、僕の肩につもった。


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