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傷つけるくらいなら言葉は出さない

 


 ルーカスがレベッカさまに何か言ってくれた日から、私の周りは穏やかになっていった。レベッカさまのお叱りが減ってはないけど、小言レベルにおさまった。不思議なことに教室での嫌がらせもなくなった。いじめに飽きたのだろうか。

 クラスメイトは私を遠巻き見て、話しかけてはこないけど、ランチタイムにはルーカスが一緒にいてくれるから、ちっとも気にならなかった。



 ルーカスのクラスは殴るような人はいないらしいと、お義父(とう)さまに通訳してもらって聞いた。初日の落ち込みぐあいからま心配だったから「もし、何かあったら、すぐに言ってね!」と拳を見せて、お義父(さま)を通じて伝えた。ルーカスは苦笑いするだけで、「だいじょうぶ」と言うだけだった。



 一気に周りが穏やかになって、私の頭の中はお花畑になってしまったんだと思う。



 気がつけば、ルーカスの滞在日数は残り一日となっていた。



 *



 寂しい。


 毎日顔を合わせていたルーカスがいなくなってしまう。最近では、やっと身振り手ぶりいらずにお話しできるようになったのに。

 学園に行けば会えるだろうけど、学園が終わった後のおしゃべりはできなくなる。寂しい。


 寄宿舎の男子寮なんて、女子は入れない。

 寂しい。寂しいよ……


 せっかくできたお友達なのに。

 私のはじめてのお友達なのに。

 もっと色々なことを話してみたいのに。


 別れの日が近づくたびに、私は得意のウフフな笑顔も忘れてしまった。明日はお別れだというのに、今朝もその前も、その前の前も、ずっとルーカスの顔も見れずにいる。

 こんな嫌な態度をしたくないのに、喉がひきつって言葉がでてこない。


 ルーカスがいなくなってしまう前日、私は屋敷の庭に出て、スノードロップの花壇の前で落ち込んでいた。


 白い花は春の訪れを待って頭をさげている。私の気持ちそのままみたいだ。

 このスノードロップは春が来たら枯れてしまう。花が枯れる前に、私の心が枯れる。


 また来年の冬も白い花を咲かせてくれるだろうけど、その時、ルーカスはそばにいるだろうか。


 いないなら、春なんてこなくていい。

 ずっとずっと、寒いままでいい。

 あと一日が永遠になればいいんだ。

 そうしたら、ルーカスも居てくれる。


 私はスノードロップみたいに背中を丸めて、春の訪れを拒んでいた。


「リゼット……」


 聞きたくて、でも聞きたくなかった声が私を呼ぶ。びくりと体を震わせて、彼の顔を見ないようにした。


「リゼット!」


 彼が駆け寄ってくる。肩を掴まれて、その強さに腰をひく。彼は、はっと息をつめて手を離してくれた。


「リゼット、どうしたの? 僕、なにかした?」


 なめらかになった言葉でルーカスが話してくれる。ちゃんと通じる。嬉しくて、嬉しくて、余計に切ない。唇を引き結んだら、喉がしめつけられた。

 あぁ、これは、嫌なことを言いそうになっているサインだ。

 だから、口は開かない。


 言葉は人の心を殺せるって、私は知っている。

 ただの記号。伝える手段じゃないの。

 感情のせた一言だけは、たとえ通じなくても、あっけなく心を粉々にできるものだ。

 言葉は怖い。笑っていえない言葉は心を殺す凶器にもなる。


 私はそれを記憶の奥底で知っているから、相手を傷つけたり困らせるようなことは言いたくない。ウフフって笑っていれば、それでいいじゃない。


 寂しいよ。そばにいて。


 本心をスノードロップの花で包み込んで、心の奥底にしまう。気づかれないように。伝わらないように。白い花で覆い隠せば、きれいに見えなくなる。


 ほら、ウフフって笑いなさい。



「ルーカス、寒いね。屋敷に戻ろう」


 できるだけ明るく言って、先に歩きだす。背後でルーカスの視線が突き刺さったけど、私は振り返えらなかった。


 ごめんね。ルーカス。

 今、私にできることはこれで精一杯なの。


 だから、ごめんなさい。






 暗く淀んだ思いを抱えたまま眠りについた夜。私は久しぶりにあの時の夢を見た。


 船の牢に閉じ込められた悪夢だ。



 牢の中はまるで、雪の上に素足で座っているみたいだった。


 鉄でできているからか、冬の季節だったから。氷みたいに冷たかった。

 鉄の床は皮膚にはりついてしまうから、じっともしていられない。ずっと小刻みに揺れていた。


 食事は与えられたけど、パンだけ。カチカチで、震えた顎では食べるのも難しかった。でも、食べなきゃダメだから。きっとダメだと思うから。

 私たちは歯を鳴らしながらパンを噛む。でもね。とっても固かったの。歯がかけちゃうんじゃないかって思った。


 見回りにくる大きな男の人は、子供が泣いていると、鉄格子を鉄の棒で叩く。


 ガンガンガン! ガンガンガンガン!


 大きな音が響いて、怖い顔で何かを叫ばれた。内容は分からなかったけど、何度も叩いてきて、とても怖かった。


 私より小さい子がいて、すぐに泣くから、鉄の音が怖くて必死でなだめていた。


 大丈夫。助けがくるよ。大丈夫だからね。


 孤児院の神父さまに言われた通り、泣いている子には背中をさすって、大丈夫と言い続けた。


 小さな声で。

 大きな男の人に気づかれないように。

 必死だった。


 怖くて、怖くて。

 相手が震えて何も言わないことをいいことに、自分への慰めにその子を利用した。


 リゼット、大丈夫だよ。

 リゼット、助けがくるよ。

 リゼット、大丈夫だからね。


 相手を慰めていたんじゃない。

 誰よりも、私が救われたかったんだ。


 じゃないと。

 じゃないと……私が消える気がした。



 そんな気力もなくなったころ、私たちは助けだされた。


 久しぶりに見た景色に太陽はなくて、しんしんと雪が降っていた。


 真綿のような雪の結晶。頬に触れても冷たさなんて感じなくて、ただぼんやりと見ていた。



 あれはきっと、天使さまがスノードロップを降らせてくれたんだと思う。


 もうすぐ春がくるから、絶望しないで。

 今が苦しくても、春は──希望はあるんだよって。


 だって、その時、私を助けてくれた人は家族になってくれた。泣きたくなるほどの優しさで私を包み込んでくれたのだ。



 希望と慰めをくれた雪。



 あれはスノードロップだったのよ。











「はっ……」


 ひどい寝汗をかいて私は夜中に目覚めた。辺りは暗くない。暖炉の灯りがある。それにほっとする。暗闇で寝れないから、こうして私の部屋はいつも何かの灯りがある。夜中に交代でメイドが灯りの番をしてくれていた。申し訳なさはあるけど、みんなの優しさに甘えている。


 喉がカラカラだ。水を飲みたい。


 私は汗で引っ付いた夜着で、ふらふらと部屋の扉を開く。手に力が入らなくて、扉が閉まるとき、大きな音がでた。


 体を跳ねらせて、隣の部屋をみる。

 よかった。お義父(とう)さまは起きてないみたい。


 昔は寝つかない私を守って一緒に寝てくれた。大きくなっても、お義父(とう)さまはすぐ駆けつけてくれるように隣の部屋にしてくれた。お義父(とう)さまは私にとって、スノードロップだ。


 ほっとして、キッチンへ向かおうとした。階段を降りようとしたら、上ってくる人がいて私は足を止めた。


 暗がりでぼんやりと浮かび上がる浅黒い肌。思わず悲鳴をだしそうになって、慌てて口を両手でふさいだ。


「リゼット……?」


 私の様子がおかしいのを彼はすぐわかってくれた。必死で階段を駆け上がってくる。その足音が近づくたびに夢にでてきた男の人と彼が重なってしまって。私は叫びだしそうになるのを必死でこらえた。


「リゼット! どうしたの……? 怖い、夢を見たの……?」


 彼が近づく。お願いだから来ないで。触れられたら今の私の口はあなたを傷つける言葉を叫んでしまう。だから、お願い。お願い。


 ルーカス。

 あなたを傷つけたくない。


 私はね。

 言葉を伝えられる楽しさを、あなたから教えてもらったの。


 言葉が通じるってすごいことなんだって、あなたに会わなかったら知らなかった。


 あなたが出す言葉は優しくて。

 心地よかった。


 だから、あなたの耳に入れる言葉は優しいものがいい。


 あったかいものがいい。



 私は悲鳴を手で押さえて、彼から離れた。どこへ行けばいいのか考えられずに、私の足は震えて、もつれて、階段の方へ。




 あ、──────落ちる。



 どこかに掴まらないと。


 でも、手を離したらルーカスを傷つけてしまう。



 だったら。


 手はこのままでいいや。












「リゼット!!!!」







 目をつぶった私を誰かが掴んだ。

 スノードロップみたいな優しいものではなくて、力強い男の人だった。


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