一緒に学園へ行くことになりました
翌日も学園はお休みだったから、私は彼にノルマン語を習っていた。おかげで「Thank you (ありがとう)」はバッチリだ。多少はなめらかに発音できるようになった。
彼は私の国の言葉も教えてほしいと、お義父さまを通じて言ってきた。意欲的な彼に私は笑顔になる。もちろん、教えることはオッケイ。いや、okだ。
「Thank you は、ありがとう。ありがとうよ」
覚えたてのありがとうを教えると、彼は真剣な顔になる。
「リゼット、ありがとう」
すごい! 一回ですらすら言えてる!
「上手! すごく上手だわ! ルーカスはすごいわ!」
私の口とは大違いだ。耳もいいのだろう。取り変えてほしくなるくらいの耳。
興奮してしゃべったものの、はたと我に返って慌てて大きな丸を両手で作る。
すごく上手、と伝わるようにありったけの笑顔をする。
彼はちょっと泣きそうな顔になる。あれ? 伝わらなかったのかな。私は大胆にも彼の手を握って、上下にふった。
「すごく上手よ。上手だからね! 大丈夫、大丈夫! オッケー! おーけぇーよ!」
必死で言うと、彼はまた破顔する。ショコラみたいな笑顔にほっとした。
その日は一日中、彼と一緒にいて、教えたり教えられたりした。
彼は本当にかしこくて、あっという間に小さな子が話しているみたいにしゃべりだした。本当に羨ましい。
私の耳と口はかしこくないけど、彼は嫌な顔をひとつせずに教えてくれた。上手に言えると、甘い笑顔になる。
それが見たくて、私の苦手意識はどこへやら。すっかり容姿に対しての怖さはなくなっていた。
*
「え? ルーカスも学園に行くのですか?」
休暇が終わる夜、お義父さまに聞かされてなかったことを話された。
「でも、ルーカスの滞在は三週間では……」
留学生の在籍は一年だったはず。期間が合わない。
「そうだね。ルーカスはこっちに来たばかりだから、うちで滞在した後は、寄宿舎に行く予定だよ。学園には話しはしてある」
お義父さまと学園長は、学園時代の同級生で今も仲良しだ。二人で寄宿舎を抜け出しては、夜遅くまで出歩いて、酒場で飲んでしかられていたと、笑えない笑い話をしていた。
「そうだったんですか……」
聞いていない衝撃は大きいけど、学園に一緒に通えるのは嬉しい。校舎は女子と男子で別れているけど、ランチタイムには交流ができる。一緒にご飯を食べれるだろうか。いつも一人だったから、ちょっと浮かれてしまう。
一人でニマニマしていると、ルーカスが声をかけてきた。
「リゼット、がくえん、いっしょ」
単語をつなぎ合わせた彼の言葉。小さい子が話しているみたいで可愛い。何より、ルーカスの言葉がわかるのが嬉しい。
「うん、一緒。一緒。楽しみだね」
えへへとその場は笑っていたが、私は甘かった。
学園なんて、上流階級社会の縮図だったのだから。
馬車で学園まで行って、校舎が違うルーカスと別れて教室に向かう。自分の席に着こうとして、椅子が濡れていたことに気づいた。またか。
クスクスと笑う声が聞こえる。あからさまな嘲笑。朝からご苦労なことだ。暇なんだろうな。
私はあらかじめ用意した厚めのタオルでさっと椅子を拭く。もう一枚だして、椅子にふんわりかけた。笑い声にむかって、ウフフの笑顔を貼りつける。
「ごきげんよう、キャリーさま。ケイシーさま」
二人の令嬢はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。やれやれ。こんなのは日常なので気にせず、私は授業の準備を始めた。
私の学園の立場はだいぶ悪い。それは私の出生によるものだ。私はみなしごだった。
そんな私が今やエバンズ伯の一人娘。
当然、エバンズ伯──お義父さまと血のつながりはない。
私とお義父さまとの出会いは、今から十年前に起きた幼児誘拐、人身売買未遂事件だ。
十二歳未満──初等学校に入る前の子供を狙った犯罪集団は、世界各地に拠点をおいて違法に子供を売買していた。
見た目が良い子供を狙っていたらしい。
私も誘拐された一人。当時、六歳だった私は孤児院に身を寄せていた。外で遊んでいる所に、神父さまのオトモダチという男の人に連れ拐われたのだ。
私を連れ去った相手は、ルーカスと同じノルマン国の人だった。浅黒い肌で黒い髪。大きな男の人だった。痩せて小柄な子供を黙らせることなんて他愛もないくらいの。
馬車に詰め込まれ、船に乗せられて、暗闇の中で長い時を過ごした。当時のことはよく覚えていない。
私よりも小さい子もいて、みんな声を殺して泣いていた。知らない言葉で、男の人が罵倒していたことしか記憶にない。当時を思い出そうとすると、ひゅっと息がつまって喉が潰れそうになるから、思い出さない方がいいのだ。
海軍として捜査していたお義父さまに助けられて、その縁で私はお義父さまの子供になった。お義父さまは事件の功労者として新聞にも載ったから有名人だ。しかも独身を貫いていたお方。ゴシップ記事にも取り上げられたらしい。
だから、私が拾われ子だということは、多くの人が知っていることだった。
この学園には今では少なくなった貴族の令嬢、令息が多く通う。拾い子が貴族ぶってここに通っているというのは癪に触るらしい。
ウフフでやり過ごしているけど、公爵令嬢のレベッカさまの前でウフフをやったら叱られ、今の状態になってしまった。
公爵令嬢が嫌うなら、みんな嫌うという集団心理なのだろう。特に特別クラスのここは、貴族ですけど、なにか?みたいなプライドの高い人が多いのだ。
拾われ子ですけど、なにか?と言えないのが辛いところ。早く卒業したい。
じみな嫌がらせはされるけど、拐われたときの恐怖に比べたら可愛いものである。
見下すのが好きな可哀想な人たちなのだ。後で人間関係で苦労するだろうな。
心の中で嘆息して、私はルーカスを思い出す。
え? ちょっと、待って。彼はじみな嫌がらせをする貴族に囲まれていて、大丈夫なの?
だって、ルーカスは片言だよ?
すぐに泣きそうな顔するよ?
繊細なルーカスが泣かされていたらどうしよう!
お義父さまの笑えない笑い話では、男子生徒は殴り合いもするという。信じられないけど、男子校舎のことはさっぱりわからない。
ルーカスの頬が腫れていたらどうしよう!
さっきから頭にバシバシ本が当たるのも気にすることもなく、私はルーカスが心配で仕方なかった。
お昼休み。私は急いで男性校舎に向かった。ルーカスが殴られていたら、殴り返してやる。男子だろうと関係ない。私にはお義父さま直伝のパンチがある!
意気込んで歩いていると、廊下で誰かとぶつかってしまった。
「っ……」
「申し訳ありません!」
ぶつかった相手に声をかけて、心の中で私のバカ!と叫ぶ。
「あなた……リゼットさま?」
黄金の縦ロールを三つ結い上げたこの学園で最も高貴なお方。公爵令嬢レベッカさまだ。私はさっと腰を落として平謝りする。
「レベッカさま、申し訳ありません。お怪我はございませんか」
レベッカさまはさらりと、縦ロールの一つを手で撫でて、目を吊り上げる。
「何をそんなに急いでいるか知りませんが、落ち着いて行動してなさったらいかが? あなたはただでさえ目立つのだから、節度を持って行動をしないと」
あああ、お説教に捕まってしまった……
レベッカさまは目を合わせたら、こうしてご親切に私の足らない所を指摘してくださる。ありがたいが、今は迷惑だ。
うう。ルーカスが心配だ。早く終わってほしい。
「ちょっと、聞いているの!」
「申し訳ありません。聞いていませんでした」
「あなたっという人は!」
「申し訳ありません。申し訳ありません。後でお叱りは受けますので、今は行かせてください」
低姿勢で謝っていると。
「リゼット?」
聞き慣れた声を拾った。瞬時に顔をあげて、声を主を探す。
「ルーカス!」
私は飛びつきそうな勢いで、彼の頬を両手で掴む。
「大丈夫!? 怪我してない!?」
ルーカスが呆気にとられていた。
よし、頬にアザはない。
足は! 折れていない!?
お義父さまの笑えない笑い話では、生徒同士で殴って骨折したこともあったという。私は床にしゃがんで彼の両足を無遠慮に触った。
「リゼッ……っ」
彼が慌てているけど、お義父さまの笑えない笑い話なんか、言葉で説明できない。話すより調べた方が早い。
べたべたさわって、ルーカスの足が繋がっている確かめたら、腰が抜けた。冷たい床に座り込む。
「よかった……」
呟いて彼を見上げる。唖然としていた彼が床に膝をついた。
「リゼット……どうした──」
「は、は、破廉恥な!!!!!」
彼の言葉を遮る怒声。振り返ると三つの縦ロールを揺らしながら、レベッカさまが怒ってらっしゃる。
「リゼットさま! 殿方の体を、そ、そんなに触ってはしたないですわ! あなたはそんなふしだらな方ではないと思ったのに! どういうことですか!」
おう。耳に響くタイプのお叱りだ。これはちょっとやそっとじゃおさまらない。どうしよう。
あ、そこにいるレベッカさまの取り巻きのみなさま。頷いていないで、レベッカさまを窘めてください。きれいなお顔が歪んでますって、小声で教えてあげて。男性の目もありますし、こんなに怖いかおを晒していたら、縁談に支障がでるんじゃないでしょうか。 恐怖の令嬢とか言われちゃったら、レベッカさまがかわいそうです。世間体を今は気にして引いてくださいって、言って! お願いだから!!
はらはらしているとルーカスが私の腕をとって、立ち上がらせた。私を背後にかくして、レベッカさまを鋭く見据えた。