はじめまして、言葉がわかりません
「我が家に留学生を迎えることになった」
「……そう……なんですね。お義父さま、どこの国の方なんですか?」
「ノルマン国からだ。リゼット、君と同じ年の男性だよ」
「へ、へぇ……そうなんですか……」
年頃の娘がいる家に、年頃の男性の留学生を招くとは。一つ屋根の下に結婚前の男女が二人……なんていいのだろうか。
とはいえ、留学生を家に招くこと自体は、珍しいことではない。上流階級の人だったら、ごくごく当たり前のことだった。
領土を奪い合う戦争時代は終わりを迎え、今は交易の時代。国内ばかりではなく、他国のご令息を迎えることは、家通しの結びつきを強めた。私が通う学園にも留学生を迎える制度があるくらいだった。
「彼はルーカスと言ってね。まだこの国の言葉をうまくしゃべれないけど、仲良くできるかな?」
「え?」
今、なんとおっしゃいました?
「あの……お義父さま、しゃべれないとはどのぐらいでしょうか……?」
「それは本人と直接話をした方がいいだろうね。別の部屋で待たせているから呼んでくるよ」
え? もう到着しているの?
え? ええっ!?
朝からメイドたちが忙しそうにしているなとは思っていたけど、全然、気づかなかった。私、朝はすごく弱いのだ。
年頃の男性に会う姿をしているのかな。急に自分の身なりが気になって、視線を落としていると、部屋に一人の男性がやってきた。
まず目に入ったのは、日に焼けた肌だった。健康そうな肌に、黒に近い髪が目を惹きつける。
顔立ちは中性的。体格も細身ですらっとしていた。ほぅ、と息を吐いてしまうほどの美男子。
だけど、私の好みの真逆だ。むしろ、あまり近づきたくない容姿をしていた。
ノルマン国と聞いた時点から、いやーな予感がしていた。
ほら、手汗がすごいことになっている。
私は得意のウフフな笑顔を貼りつけて、男性に微笑みかける。
男性はにこっと笑った。
あ、笑うと可愛らしい。
「リゼット、彼が話をしたルーカス=スコットだよ」
お義父さまがノルマン語で、彼に話しかけている。彼はひとつ頷くと、私の前に一歩だけ前に出た。
とっさに後ろに下がりそうになる。なんとか足を踏ん張って、背筋を伸ばすと、彼は優しい声で話しかけてきた。
「I wanted to meet you. Do you remember me?」
流暢なノルマン語で言われてしまい。毛穴から汗が吹き出た。ウフフな笑顔も保ってられているかわからない。
だって、彼が何を言っているのか分からない。
ええ、本当に。さっぱり、分かりません!
ノルマン国といえば、他国から独立を繰り返して、今や一大国家となった国である。
私の国から船で一ヶ月もかかる遠くにある国だけど、貿易相手として重要視されていた。だから、私が通っている学園でも特別クラスの生徒はノルマン語を習う。
私は一応、特別クラスの生徒。
ノルマン語の授業は受けている。習っているけど、あの授業だけは眠ってしまうのだ。話を聞いていると、まぶたが落ちる。先生の声が低音で心地よくて、子守唄に聞こえてきてしまうのだ。
だから、私はノルマン語がさっぱり分からない。単語をちょびっと。本当にちょっとだけ知っているはず。……うろ覚えで、発音はあやしいけど。
私は笑顔のままお義父さまに顔を向けて、ぶんぶん首をふった。これは、無理です。目で訴える。
「リゼットはノルマン語が苦手だったね」
そうです、そうです!
だから、言葉も通じない人と仲良くするなんて無理です!
「ルーカスが滞在するのは、三週間だけだ。少しの間だから……」
うっ。その捨てられた子犬のような目は卑怯だ。お義父さまに、この顔をされると頑張らなくちゃって思ってしまう。
「リゼットの苦手意識が、少しでも薄くなればいいと思って彼を招いたんだけど……」
悲しそうな声に、私は汗だらけの手を握りしめた。
「が、頑張りますわ」
私はバカだ。
言ったら後には引けないのに、言っちゃったよ。後悔しかない。それでも、私のウフフな笑顔はまだ保てているようで。お義父さまは、あからさまにほっとした顔をした。
「昼食まで、二人で庭を散歩したらどうだい? リゼットの好きなスノードロップが見頃だよ」
お義父さまが控えていたメイドたちに目配せする。コートまで持って準備万端のメイドたち。それじゃ、と爽やかに出ていってしまうお義父さま。もう、これは行くしかないようだ。
私は真っ赤なコートに身を包み、彼も茶色いコートを着て、青い色のマフラーをつける。コートを着ると大人っぽく見える。彼は本当に私と同じ十六歳なのかな。
作法を学んできましたという雰囲気がにじみ出ている。相当な家柄の令息なのだろう。
というか、この方はどんな家のご令息でしょうか?
え? 本当にどなた?
それを知っても会話ができるかあやしいけど、何も知らないってさすがにまずいのでは。
聞きたくても、お義父さまはすでにいない。彼に聞きたくても、言葉は話せない。
私はひきつりそうになる唇を引き結んで、彼を見た。
「あの、えっと……庭に……」
彼はこてんと首をかしげた。
話せないということは、言葉が通じないということだ。
心、折れそう。
でも、お義父さまには頑張ると宣言したばかり。
私に逃げ道なんてない。
ならば。
私は玄関を指差して、うろ覚えのノルマン語を言う。
「ゴー」
確か、ノルマン語で行くはゴーだったはず。玄関へ行きましょうと、伝えたかったのに彼は目を丸くして、玄関の方を見た。また私を見ては、立ち止まっていた。
どうしよう。伝わらない。
もっと声を出して、動作を大きくした方がいいのかな。
家庭教師の先生には声はしとやかに、と口酸っぱく言われたけど、他に方法が見つからない。私は小さく息を吸って、久しぶりに腹から声をだした。
「ゴー! ゴー! ゴゴー!」
熱心に言うと、彼はまばたきを繰り返した後、くすっと笑った。
笑顔のまま玄関の方を指差してくれる。私はこくこく頷いた。よかった。通じたみたい。
彼は笑うと、本当に可愛らしい。ちょっとだけだけど、緊張がほぐれた。
「ゴー!」
私は彼を手まねきして、庭へと向かった。
彼の言葉の訳。
「I wanted to meet you. Do you remember me.(会いたかったです。僕のことを覚えていますか?)」