旅路の果て⑤
「ヒーロー・クリエイト?」
それは、数か月前のこと。
ゴイル侯爵を自陣に引きずり込んですぐの頃だった。
グリフィンドルの勇者――イサム・サトウへの対策を尋ねた私に、ミソノ様はつまらなそうな顔でそんな単語を口にしたのだ。
ちなみに、既に私が彼らから聞き出した彼らの能力の話は伝えてある。
『敵を倒すたびに手に入る経験値が十倍になる』
私には全く意味が分からなかったが、それを聞いたミソノ様はしばし黙考し、どうやらそれを飲み込んだようだった。
「あくまで仮称で、仮説だけどね。それがあいつの能力の正体じゃないか、って話」
「はあ」
「あのさ、サク。あんた、あいつらと会話した時さ。あいつ何語喋ってた?」
「はい? それは、……普通にこちらの言語を使ってましたが」
「そうよね」
正直なところ、それも一つ驚いていた。
ミソノ様とレンタロウ様はもうかなり流暢にこちらの言葉を操るが、ウシオ様はまだ文法やイントネーションが不自然なときがある。
それを、あの二人の若者は全く違和感を感じさせずにこちらの言語で喋っていたのだ。
ニホン人にとって、他の世界の言語を習得するというのはそんなに容易いものなのだろうか。
「私にはずっと日本語に聞こえてたわ」
…………え?
「おかしいと思ったのよ。私の耳には確かに日本語に聞こえるのに、なんでかあんたもシスターもあいつの言葉通じてるし。逆にあんたらが喋ったことも向こうに普通に通じてるし。試しに私も日本語とこっちの言葉両方で話しかけてみたんだけどね。言葉を切り替えたことにも気づかれなかったわ」
「ま、待ってください。そんなはずは……」
「だから、おかしいのよ。あいつらは。存在そのものがおかしい。そりゃ日本人なら分かるわよ、スキルもレベルもステータスも経験値も。けど、この世界にそんなもん存在しないわ。なのに、あいつらはそれがまるで当たり前みたいに使ってくる」
異質。
そう。異質なのだ。
筋力が強いとか、魔力が強いとか、そんな次元では語れない、異質な強さ。
「このクソジジィに聞いてみたのよ。人間の体に魔力を注ぎ込めばああいう奴らも作り出せるのか、って」
「ええ。全く浅はかな考えで閉口しましたよ。人間には人間の、魔物には魔物の、魔力の保有限界というものがある。それを無理に超過させれば、精神と肉体が原型を失います。レギュラス・ブラックを忘れたのですかな?」
「お前が言うな」
額に咲いた暗紅色の徒花。
灰色の巨躯。
自我を失くした怪物の姿が思い起こされる。
「確かに筋力を強化する魔法はこの世界にも存在する。けど、筋力ってのは筋繊維の太さと本数の掛け算よ。それを強化したら当然ガワが肥大化する。けど――」
「あの勇者の体は……」
どこからどう見ても、体を鍛えたことなどなさそうな細い手足。
「そうなんだよなぁ。見た目と動きが全然違うもんだから一瞬戸惑っちまってよ」
それを横で聞いていたウシオ様が口を挟む。
「何よ。負けた言い訳?」
「次は負けねえってことだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。確かにあの勇者の存在が不自然なことは分かります。しかし、つまり勇者とは本来そういうものなのでは?」
「そう。そういうことなのよ」
「…………」
椅子の上で体を丸めたミソノ様が目に暗い光を宿す。
「つまり、あのクソ野郎を勇者たらしめている理が存在している。こっちの世界の人間と自由にコミュニケーションがとれて、適度に苦労と達成感が得られるように最初は弱いけど、敵を倒せば倒すほど強くなって、大した理由もなく魔法を習得できて、気づいたときには無敵の存在になってる。普通のクソ陰キャ野郎を、そんなラノベの主人公に変えてしまう魔法。全てがあいつにとって都合のいいように働く魔法」
「つまり、それが……」
勇者創造魔法。
「それが、あの勇者の本当の能力だと……?」
「いいえ。それは違う」
「は?」
「あいつ自身にそんな自覚があるとは思えない。それに、もしそうなら魔力保有限界の矛盾に突き当たる。つまり、あいつの能力はあいつのものであってあいつのものじゃない。あいつに勇者の力を与えたやつの仕業ってこと」
そして、ミソノ様は続けた。
全てがイサム・サトウに都合の良いように作られた魔法だというのなら、奴と戦ったところで勝ち目は薄い。こちらが奴の手の内を読んで裏をかいても、いくらでも後出しでそれを上回られてしまう可能性がある。
そもそも最初から同じステージで戦っていないのだから。
「だから、ひっくり返すのよ」
それがどれだけ強力な魔法でも、この世の理から外れた魔法でも、この世界で行使する以上は必ずこの世界のリソースを消費しているはず。
ゴイル侯の栽培所にて龍樹の罠に奴を嵌めた際、ミソノ様とゴイル侯は徹底して戦闘の様子と戦闘後の現地の観測を行わせた。
そして、その土地の魔力がごっそりとなくなっていることを突き止め、その仮説に確信を得たのだという。つまり、到底人の身に収まりきるはずのない、勇者という存在を維持するための魔力は、その時その時の周囲から吸い上げて賄っているのではないかということだ。
そして、ミソノ様はいづれ奴と正面から戦う時を見据えて、聖陽教会の僧侶たちに『聖域』の戦術を仕込んだ。
それは、聖陽の秘術の一、『乾』――地鎮の奇跡を用いた布陣。
かつてミソノ様はホグズミードの地にて、その聖術を用いて魔獣の発生個所をコントロールしようとした。
つまり『乾』とは、その土地を浄化し、魔力を消し去る奇跡なのだ。
本来ならば、戦場を区切った上で『聖域』を張り、奴を閉じ込める作戦だった。
しかし、奴がなんの準備も出来ていない帝都に急遽として現れてしまったせいで、それは不可能となった。
だからミソノ様は、帝都全域に『聖域』を張ることにしたのだ。
それを為すためには、帝都に存在している僧侶全員がかりで術をかける必要があった。
その代わりに、治癒の奇跡は戦闘には使えない。
こちらの魔法は最初の一撃で使い切り、後は魔力を残さない。
当然魔力を糧として使う魔道具の類も一切使えない。
そんな、わざと自分から不利を被るような異常な作戦。
けど。だからこそ。今――。
「ようやく引きずり出したわよ」
瓦礫の山の上で、ふらふらと頼りなく立ち上がったミソノ様が天を睨みつけた。
この瞬間のために、奴を削り続けた。
通じないと分かっている攻撃を続け、防御させて。
派手な攻撃を誘い。それを空回りさせ。消耗させ。
さらにはウシオ様の猛攻によって奴の内部にダメージを与え続け、魔力消費の多い回復魔法を使わせ続ける。
そして、最後に食らわせた二度目の粉塵爆発。
虹色の光は消えた。
それだけではない。
勇者を勇者たらしめる理。
ステータスとやらによって身に合わぬ膂力を与えられ、異国の言語を自動で双方向に翻訳し、この極寒の天候にも適応する、そんな理不尽な魔法を維持する魔力は、もうこの土地には残っていない。
そんなペテンは、存在できない。
ミソノ・イテクラ。
それは、盤上を制する悪魔の指揮官。
得意技は、盤面の転覆。
彼女はずっと、勇者など相手にしていなかった。
「聞いてんでしょ! おい!!」
吠える。
姿も見えない敵に向かって。
天に向かって。
神に向かって。
「神様だかなんだか知らないけどねえ! 人間は地べた這いずり回って、泥水啜って、草でも虫でもなんでも食らって生きてんのよ! 高いとこから見下ろして余計な横槍入れてきやがって! いい加減引っ込んでなさい!!」
唾を吐きつけた。