旅路の果て④
《とある少年の英雄譚・8》
息が上がっていた。
あまりにも連続で発動する自動回復に、頭はぼやけたように熱く、腹の中が捩れるような吐き気がする。
この僅か数分の間に味わった、今までに経験したことのない苦痛に足が竦みそうになる。
篠森潮。この世界で出会った中で、間違いなく一番手強い相手だった。
スキルもなく、魔法もなく、ただ鍛え上げた肉体一つで、人はここまで強くなれるものなのか。
けど、だからこそ。
「一つ、聞きたいことがある」
「ああん?」
虹色の鎗に背後から脇腹を抉られ、膝をついたその男に、僕は問わなければならないことがあった。
「さっきの龍樹、いったい何人犠牲にしたんだ?」
あの魔獣は、他者の生命力を魔力に変換して生まれる特殊なモンスターだ。
この男が一度はゴドリックに向かったことは間違いない。
そして、そこから龍樹に乗ってここまで飛んできたということは……。
「知らねえよ。俺だって戦場にいたんだ。まあ、スリザール兵とグリフィンドル兵、被害は半々くらいだろうぜ」
「…………やっぱり、君は悪党だよ」
ふつふつと、怒りが湧いてくる。
どれだけ力が強かろうと、どれだけ技を鍛えようと。
そんなものは本物の強さじゃない。
「僕は、仲間たちのために戦う。こんな僕を勇者と認めてくれた、仲間と呼んでくれた、一緒に戦ってくれたみんなのために。……負けられないんだ。みんなが僕を信じてくれてる。僕に託してくれてるから」
「おい、なんだ。つまんねえ話か?」
「君みたいに! 人を人とも思わない悪党が勇者なわけがない! スリザール兵が半分!? 仲間を一体なんだと思ってるんだ!?」
腹の奥から、魔力が湧いてくる。
右手の先にそれが凝縮し、虹色の剣を形作る。
僕を見返す彼の眼に、嘲りの色が宿った。
「くだらねぇなぁ、おい。そういう英雄譚はお前がやってればいいだろ。俺は俺の道を往くだけだ。いつでも、どこででも」
全身を血塗れにしたその男は、ふらふらと体を揺らしながら立ち上がり、拳を握った。
先ほどまでの立ち姿と違い、背中の芯が抜けたように頼りなく、弱々しい構え。
それでもその眼には、いまだ凶悪な光が宿っている。
腰を下ろし、剣を構える。
備えろ。勝負は一瞬だ。
彼のふらつく上半身が前に倒れた。
それはどう見ても、力尽きて倒れ込んだようにしか見えない動き。
しかし、次の一瞬でその体が前に飛び出し、地面を転げるようにして距離を詰めてくる。
僕はそれを両断するつもりで剣を振るう。
当然のように空振りし、視界の外から振るわれた足が僕の顎に迫る。
だけど――。
鉄壁・第二階梯。
――守護神。
「ぐぁ」
短い苦悶の声と共に、踵の骨が砕けた音が耳に届く。
そっちが僕の防御を力づくで抜いてくるなら、こっちも力づくでそれを防ぐまでだ。
すかさず体勢を立て直した彼に、虹の鎗を降らせる。
それを避けながらこちらに肉薄する彼と正面から組み合う。
一体それは何という技なのか、僕の力が逸らされ、投げ飛ばされそうになる。
だけど!!
剛腕・第二階梯
――百腕巨人。
「おおおおお!!!」
さらに強引にそれを押し込み、左頬をぶん殴った。
頬骨を砕いた嫌な感触が拳に伝い、一瞬で彼の体が吹き飛ぶ。
「うぅっ。ぐ」
僕の頭と心臓を瞬間的な痛みが襲う。進歩の使い過ぎだ。
筋肉が千切れ、即座に修復されていく。腕の内側からハンマーで叩きつけられるような激痛。
だけど、今の一撃は確かな手応えがあった。
瓦礫の山が崩落し、その中から現れた篠森潮が、ふらふらとこちらへ歩みを進める。
もはや血塗れで表情も読めないその顔の中に、変わらず獣のような眼光を宿して。
「そうやって、いつまでも一人きりで戦い続けるつもりか? 目の前の敵にひたすら噛みついて、仲間を置き去りにして」
僕だってもうふらふらだった。
気を抜くと体が膝から崩れ落ちそうになる。目を瞑り、思い出す。何かを堪えるような表情で僕を送り出してくれたウィーズリーさんの顔。精一杯の強がりを見せる部隊の兵士たち。悲しそうに目を伏せ、僕の手を握ったシスターの顔。
それだけで、力が湧いてくる。
勇気が湧いてくる。
こんな獣のような男に、負けるわけにはいかないと。
「その道の先に何がある?」
半分腫れあがった血塗れの顔が、悍ましい笑みを作った。
「知るか、そんなもん。だから往くんだろうが。……けどよ」
「??」
「ウチのメイドは許してくれたぜ?」
「……悪党どもめ」
僕が一歩を踏み出した、その時だった。
「シオ!!」
掠れた声が、響き渡った。
声の方を見れば、瓦礫の山の上に立った一人の少女。……いや、悪魔の姿。
「ちんたらやってんじゃないわよ! そこから2時30分。距離42メートル! そこにぶち込みなさい!」
「ちっ……。結局いつものじゃねえか」
その声を受けて、篠森潮が面倒くさそうに頭を掻く。
けど、次の一瞬で目つきが変わった。
今まで見たどれとも違う、冷たく凍り付いた眼光。
なにか仕掛けてくる……!
周りを見渡しても、どこもかしこも瓦礫ばかりで何が仕掛けてあるかなんて分からない。
気づいた時には、血塗れの体が目の前に肉薄していた。
こいつ……!
ここまでされてまだこの距離で戦う気か!?
「おおおああああ!!!!」
「じええああああ!!!!」
至近距離で目が合う。
気圧されるな。
優勢なのは変わらない!
剣を消し去り、拳に魔力を纏わせる。
腕を取られ、転がされそうになる。
それを外して拳を振るう。
躱される。
今度は足を取られ、違う方向へ倒される。
すかさず両足に魔力を通し、振り払う。
体勢が入れ替わる。
広い背中が見える。
頭の横に蹴りが来る。
受け止める。
突き飛ばす。
いなされる。
貫手が眼を狙ってくる。
反射で目を瞑ってしまい、すかさず服を掴まれ、転がされる。
吠える。
咆哮に魔力を乗せて牽制。
殴り掛かる。
肩にヒット。
間を置かず顎を揺らされる。
もう何で殴られたのかも分からない。
殴り返す。
「お待ちください!」
腹に衝撃。
殴り返す。
防がれる。
もう一撃。
防がれる。
もういちげ――
「お待ちください! 勇者さま!!」
……え?
今の声は……?
シスター?
なんで?
どこから?
どうして、帝都、に――
後ろを向いた僕の眼に、メイドに抱えられた金髪の男の姿が。
中指を立て、舌を出して僕を見る、詐欺師の姿――。
どん。
僕の背中に鈍い衝撃が伝わり、体が宙を飛んだ。
地面に落下したかと思いきや、そこが崩落し、真っ暗な大穴に落ちる。
粉塵が舞う。
石炭の匂い。
天井に見える白い空から、小さな火種が降ってきて。
光と音が、消え去った。
………………。
…………。
……。
「浄化」
視界を覆う黒煙を晴らす。
頭が痛い。
気持ち悪い。
けど、耐えたぞ。
これが最後の手か?
両足に魔力を込めて、一息に飛び上がる。
穴の縁に着地。
吹き荒れる風が全身を打つ。
寒い。
倒れそうになる体を気合だけで支える。
目の前には、今にも死にそうな大男。
「××××」
その男が、奇妙な言葉を発した。
なんだ、今何と言った?
踏み出そうとした足が崩れた。
手を付いた地面は固く凍り付き、掌が痛む。
……え?
痛い?
この程度で?
いや、それよりも。
なんだ、この寒さは?
さっきまでこんなに寒くなかった。
いや、違う。
障壁が働いてないんだ。
一瞬で体温を奪われた体が震えだす。
「××××」
目の前の男がまたわけの分からない言葉を放つ。
寒い。
なんだ、何が起きた?
解析。
反応しない。
「ステータス」
反応しない。
寒い。
痛い。
なんだ。
一体、僕になにをした!?