帝都激戦③
「爆破で吹き飛んだということはどれだけ膂力が増していても奴自身の体重に変化はない。だとすれば高速移動の説明がつかない。距離と時間から見て時速は概算400~450㎞。にも関わらずソニックブームが発生していない。着地時の衝撃もほとんどない。つまり飛竜の飛行と同じく物理法則以外の方法で移動している。なら息切れを起こしているのは何故だ? 本人への負荷の箇所と程度が――」
私は、延々と独り言を呟き続けるミソノ様を抱えるようにして市街地をひた走っていた。
遠くでは衝撃音と明滅する虹色の閃光が交互に繰り返されている。
ふざけるな、と唇を噛みしめる。
なんだ、あの化け物は。
あの男の異常性については重々承知していたつもりだったが、いざ本格的に敵対してみると、それがいかに甘い見積もりであったかを嫌と言うほど理解させられた。
ミソノ様が用意した策は全て恙なく発動している。
未来視を標榜する聖女の力を遺憾なく発揮し、奴の動きを予測し、思考を先読みし、全ての罠に奴を嵌めこんでいる。
そしてその上で、奴は真正面からそれを受け止め、破っているのだ。
『馬鹿! 早く逃げなさい!』
グリフィンドル兵に変装させた兵士たちを盾に括り付けた時。本来ならばそれを見て動きを止めた奴の隙をついて動きを拘束する作戦だった。
しかし、奴は動きを止めるどころかさらに速度を増し、こちらが反応する間もなく一瞬で全ての盾を破壊してのけた。
奴を相手に近接戦闘を行うメリットなど何もない。作戦が失敗した時には狙いを定められぬよう、全員で別方向に逃亡し、次の策に移る手はずだったのだ。
しかし、ミソノ様の指令を無視した一人の兵が奴に刃を向けてしまった。
『誰か! あの馬鹿引きずってきて! 弓矢隊! 煙幕弾準――』
『待ってくれ、聖女殿! あいつは死ぬ気だ。今ならまだあいつごとロープで絡めとれる』
『ふざけんじゃないわよ! この状況で無駄に捨てる戦力なんかあるわけないでしょ!?』
『違う。俺たちは命を捨ててるんじゃない。命を賭けてるんだ』
私とミソノ様が引き留める間もなく、彼は仲間たちと号令をかけ合い、本来の作戦を実行に移した。
周辺の家屋の柱に結び付けた大量のロープを、奴の体に絡ませたのだ。当然、その程度のことで奴の動きを止めることなどできない。だが、奴は案の定力任せにロープを引っ張り(ロープの先を兵士が握っていると見せかけるようにブラフを仕込んでいる)、家屋を倒壊させた。再び砂煙が立ち込め、散開する味方たちの姿を隠す。
そして、もう一つ。王宮の広間に飾り付けている巨大な大盾。
十数年前の前王の治世時に作られたそのモニュメントを、ミソノ様はこの場に運び出させていた。
一体どれほどの重さになるのか測りきれないほどの重量のそれを、奴は規格外の膂力によって引き寄せ、自らに激突させたのだ。
砂煙の奥で、聞いたこともないような衝撃音が周囲に響き渡った。
『サク。予定ポイントまで下がるわよ』
忌々し気に顔を歪めたミソノ様を伴い、私と数名の兵士で予め決めていたルートを走り抜ける。
その背中に浴びせられる雄叫びと断続する衝撃音によって、奴の動きがいまだに止まらないことを知らされた。
私たちが必死に走り続ける間にも、一つ、また一つと、ミソノ様が仕掛けた罠が突破されていく。ミソノ様の策の影響で拡声と伝声の魔道具は使えない。戦闘が長引けば長引くほど状況の把握は困難になり、兵士たちの損耗が確認できない。
くれぐれも直接の交戦は避けるよう指示は出してあるが、先ほどの兵士の様子をみる限り、それもあてにできなかった。
「メイド長」
冷たい汗を流し続ける私の横を、いつの間にかレンタロウ様が並走していた。
「もう十分だ。王宮へ避難しろ」
「は?」
その言葉を理解しかねた私が答えを返しあぐねるうちに、目的の地点まで辿り着いた。
待ち構えていた補給兵たちから僅かばかりの水を受け取る。
息を整える間に、レンタロウ様が国王陛下として言葉を発する。
「この者たちと共に王宮へ戻れ、メイド長。ここはもう危険だ」
「畏れながら陛下、それはこちらのセリフです。危険と言うなら、陛下こそがお戻り頂かなければ」
「俺はこの場で兵士たちの士気を保つ役目がある。貴様にできることなどない」
「承服しかねます」
「メイド長」
レンタロウ様が、私の肩を掴んだ。私とほとんど変わらない高さにある顔が、真っ直ぐにこちらの眼を見つめてくる。
「貴様の身に万が一のことがあれば、あの者との約束が果たせん」
「あなたがそれを言うのですか!」
私の怒声に、レンタロウ様の顔が僅かに顰められた。
分かっている。確かに、今のこの場で、私にしかできないことなど何もない。
けれど、だからと言って置いていけというのか?
決死の覚悟で戦う兵士たちを。私よりも遥かに貧弱な体で最前線に立ち続けるミソノ様を。そして何より、この虚ろな心に王の魂を張り付けて戦う孤独な男を。
詐欺師の手管でもなんでも使ってみるがいい。私は絶対にここを離れない。
どの道あの男をここで食い止めなければ、私の守りたいものは守れないのだ。
決意を込めてレンタロウ様の瞳を睨み返した瞬間、私の脇腹が下から突き上げられた。
「くっっだらない話してんじゃないわよ。もう遅いわ。備えなさい」
息も絶え絶えなミソノ様の声。
それに返事をする間もなく、至近距離から轟音が聞こえた。
それは、大通りの左右の建物が倒壊した音。
もうもうと砂煙が立ち込め、瓦礫の山が計算された角度で崩れてバリケードを作る。
奴はそれを、跳躍一つで飛び越えた。
虹色の光が尾を引き、神々しいまでの姿となって上空に現れる。
奴の視線は真っ直ぐに私たちを捉え、そのまま眼前へと落下してきた。
私はそれを見届けることもなく、背中を向けて地面に伏せた。
それを見て、奴は一体どう思っただろうか。
その場にいる自分以外の人間の全てが、同じように地面に伏せ、大口を開けたまま両手で耳を塞いでいるその光景を。
ごしゃ。
奴が降り立った地面が崩れた。
間近で見ていても寒気がするほどの精度でなされたミソノ様の行動予測により、奴が降り立つであろう地点にピンポイントで作られた落とし穴。
土属性の魔法を用いて事前に作られていたそれは、常人ならばどう足掻いても這い上がれないほどの深さだったが、当然それだけで奴に通じるはずもない。
時間にして一秒にも満たない僅かな時間。
大穴の底に落ちた奴は、魔力を用いて再び跳躍しようとするだろう。
可燃性の粉塵が大量に満ちたその閉鎖空間で。
西国より輸入された発火する鉱石。
木炭よりも遥かに高いエネルギーを生み出すその特殊な鉱石を、ミソノ様はいとも容易く恐ろしい兵器に変えた。
瞬間。
世界から、光と音が消えた。