帝都激戦②
《とある少年の英雄譚・6》
「ふはははは! 見事に騙されてくれたな、異国の勇者よ。よくも俺の影武者を殺してくれおって。誰が貴様のような小僧に国を明け渡すものかよ!」
凍り付いた地面に顔面から叩きつけられた僕の耳に、遠ざかっていく男の声が小さく届く。ノイズが酷い。耳をやられたみたいだ。うっかり超感覚を切り忘れていたのが徒になった。
背中がひりつく。
まさか爆弾を仕掛けてくるなんて。
流石に、ほんの少しだけ防御力を抜かれてしまった。
痛みが引いていく。
聴覚が戻ってくる。
自動回復。
この程度のダメージで、僕をどうにかできると思ったのか?
腹の底に黒いエネルギーが渦巻いている。
これは一体何に対する怒りだろうか。
そんなことを考える余裕はなかった。
「あああああああああ!!!!!!」
制御を放棄した魔力の奔流が荒れ狂う。
虹色の光が爆発し、再び飛来していた魔法の群をかき消した。
遠くを見れば、あれほど大勢いた魔術師たちの姿は影も見えない。
逃げたのか。隠れてるのか。
僕を騙したあの王様も、囮要因なのだろう複数の馬の足音に紛れ、追いかけることはできそうになかった。
ああ。そうだ。どうして忘れてしまっていたんだ。
この国は、悪の帝国。
そもそも国の中枢が腐っていたからこそ、あの悪党たちが巣食ったのだ。
この期に及んでも、自分の馬鹿さ加減が嫌になる。
覚悟を決めたはずだろ。
僕の能力じゃ、自分の傷は治せても他人の傷は治せない。
だから、敵の命を助けることはできない。
未練がましく正義の使者みたいに振舞うな。
これは戦争だ。
敵だって命がけなんだ。
僕の背中にだって、遠い場所で今も戦う仲間たちがいる。
荒れ狂う魔力を自分の中に押し留める。
地面を蹴る。
宙へ飛ぶ。
両腕を広げ、意思を込める。
七色の武具・第二階梯。
――虹災。
鈍色の空を、虹色の光が満たしていく。
それは、天を覆う大量の鎗へと姿を変える。
囮が何人いようと関係ない。
それが僕の敵だというなら、全員同時に貫く!
しかし――。
「んんんんん!!!!」
くぐもった悲鳴。
眼下に、いくつかのバリケードが見えた。
斜め上へ、つまりは僕に向けて掲げられたその大盾は、本来ならば気に掛けるほどの価値もないものだ。
虹災の鎗のただ一本だけで、あんな障害は紙切れ同然に貫けるだろう。
そう。
「ん! んん!!!」
その盾に縛り付けられた、人質ごとまとめて。
それは、ぼろぼろになったグリフィンドル兵の鎧を身に着けていた。
泥まみれで、猿轡を噛まされ、手足を封じるように大盾へと拘束されている。
恐怖に引き攣ったその顔は青白く、涙を流していた。
やつらは、その盾に隠れるようにして弓矢を射かけてくる。
僕の頭が一瞬で怒りに沸騰し、そして、直ぐに冷静な自分がそれを留めた。
馬鹿。
何度同じ罠に引っかかるつもりだ。
あんなもの、敵の偽装に決まってる。
見ろ、凍倉美園がこちらに向けて中指を立てている。
じゃあ貫くのか?
あの身動きの取れない人々を?
立ちはだかる敵を殺す覚悟はできてる。
でも。
いや。
だけど――。
「お! おおおおおお!!!!」
雄たけびを上げる。
発射寸前だった虹の槍を引き留め、霧散させる。
落ち着け。いや、落ち着くな。こうやって混乱させられてる時点で敵の思う壺だ。
そうじゃないだろ。
勇気ってのは、開き直るための言葉じゃない。
覚悟ってのは、思考をやめるための言葉じゃない。
誰かの代わりに自分が傷を負うってことだ。
いいだろう。受けて立ってやる。
罠なら嵌って踏み潰す!!
空中で両の拳を握りしめ、胸の前で十字に組む。
解放した力を、内側へ。
『進歩』。
それは、既存のスキルを強化するスキル。
今、僕に必要なのは――。
瞬動・第二階梯。
――神速。
一瞬で、景色が溶けた。
極彩色の流線となった世界は、次の一瞬で姿を取り戻し、僕の眼前に人質を縛り付けられた大盾を現す。
破壊する。
囚われていた人が解放されるのを見届けることなく、次の盾へ。
破壊する。
移動する。
破壊する。
移動する。
破壊する。
あまりにも速すぎるストップ・アンド・ゴーの連続で、自分でも頭がおかしくなりそうになる。
僕以外の人間には何が起きているのか知覚すらできないだろう。
いつしか周囲は巻き起こされた突風によって砂煙が立ち込めていた。
僕は最後の大盾を破壊すると、そこに縛り付けられていた人質のベルトを掴み、抱え上げた。
震脚。
円形に広がる虹色の波動に視界が晴れる。
周囲には倒れ込んだ兵士たち。
呆然とした顔で僕を見ている。
「な、なにが起きた」「盾が……」「一つもない」「馬鹿な」「嘘だろ」「ばけもの――」
そんな呟きが聞こえる。
その中で、僕に抱えられ、地面に放り投げられた人質の男の顔は恐怖に引き攣り、色を失っていた。
さあ。全員無傷で開放してやったぞ。
凍倉美園が、この下劣な盾を使ってどんな策を用意したのかは分からない。
それが、この一秒にも満たない時間で人質を無効化した後でも通じるものなら、使ってみればいい。
「ひっ。ひっ」
がくがくと震える、グリフィンドル兵の鎧を着た男が、涙を流し始めた。
その手に、小刀が握られている。
「馬鹿! 早く逃げなさい!」
そんな声が遠くから聞こえる。
兵士たちも人質たちも、脱兎のごとく三々五々に逃げていく。
ああ。なんだ、やっぱり敵の偽装だったんじゃないか。
そんな中で。
全身を恐怖に震わせながら、鼻息荒く、目の前の男が小刀を構えた。
「あ、アルフは、俺の、親友だったんだ……」
アルフ?
何の話だ?
涙と鼻水を垂れ流しながら、男が言葉を紡ぐ。
「こないだ、あいつに嫁ができてよぅ。明日、祝いに行ってやるつもりだった……! 今日。今日、たまたま、門の前に配置されてなきゃよぅ……。なあ。てめえ。なんで。よりによって、今日なんかに来やがって……!」
……そうか。僕が殺したのか。
「てめえぇえがあああああ!!」
叫び声の最後は、高音に掠れて意味を失っていた。
立ち向かってくる。
首を切り落とす。
「覚えておきます」
血飛沫が噴き上がり、虹色の障壁に阻まれて蒸発する。
その一瞬、視界が塞がった隙に、僕の手足にロープが巻き付いた。
いや、巻き付いたというほど強くはない。外そうと思えば一瞬で外せるほどの弱い拘束。そして、だからこそ耐衝撃の障壁が機能していない。
遠くの方で凍倉美園が何かしらの号令をかけている声が聞こえる。
さっきの男は、囮か目くらましか。
次はどんな手でくる?
身が竦みそうになる。
僕の中の、変わりようのない臆病な自分が足を引っ張る。
だけど――。
「来るなら来い……!」
拳を握れ。
声を張れ。
僕は、グリフィンドルの勇者だ。