帝都の三悪党②
また、別の日。
「なあサっ子。こないだ話したプロテインとスポドリ、そろそろできたか?」
帝都の傭兵組合の訓練所で汗を流すウシオ様が、そんなことを聞いてきた。
蒸気を立ち上らせる体で倒立し、足を180度に開いた状態で屈伸運動をしている。その向こうには、先ほどまで乱取りとやらを行っていた傭兵たちの物言わぬ体が死屍累々と横たわっていた。いや、死んではいないが。かろうじて。
「いえ。一応、頂いた条件を元に試作をさせてますが……」
「ま。細けえこと言うつもりはねえぜ。塩分とブドウ糖とクエン酸とタンパク質が適度に入ってればいいからよ」
「十分細かいかと」
「かっかっか。まあ、ダメ元だからな」
何故ウシオ様が今さら傭兵組合になど出入りをしているかというと、王宮内部の空気に辟易したから、だそうだ。彼にそういうものが通じるとまだ思っている一部の騎士や大臣たちからあれやこれやと買収を持ち掛けられ、うんざりして城壁を攀じ登り逃げてきたのだという。
勇者が失踪しただのと王宮内は一時騒然としたが、行くあての付いていた私が捜索を口実に外の空気を吸いに、こうして組合を訪れているという運びであった。
いや、実はウシオ様個人に一つ用件もあったのだ。
「では、こちらの要件をお伺いしても?」
「あん?」
「昨日の――」
私が口を開いた、その直後――。
「ああー! また怪我人増やしてー!」
とことこと小さな足音と共に、鳶色の髪の女児が駆け寄ってきた。
「パンジー」
私の記憶にある姿より、随分健康的な体つきになったその女児は、かつてゴイル侯の薬物実験によって蒼疽症に罹患し瀕死となっていたところを、三悪党の手で救われたボトル・ベビーだった。
「あ、お姉ちゃん。いらっしゃい!」
ああ、そういえば、彼女はこの場所で受付嬢として働いているのだった。水桶と包帯を抱え込んだパンジーが、倒れ伏した傭兵の一人にテキパキと応急処置をしていく。
そこで私は、俄かに信じがたい光景を目にした。
「ううん。こっちはちょっと深いなー。……えいっ」
淡いグリーンの光と共に、ふわりと暖かな風が吹いた。
「パンジー?」
その光は彼女の小さな両手から発され、その掌の先にあった傭兵の額の傷が、みるみると治癒していくのが見えた。
間違いない。癒術だ。
「うぅ……」
「はい。次~」
呻き声を上げて目を覚ました傭兵の男を放り出し、次の怪我人の元へ。
私と、珍しくウシオ様がトレーニングを中断してその様子を呆然と見ているうちに、パンジーは次々と傭兵たちを介抱していく。
「パンジー。あなた、いつの間にそんなことを……」
「えへへ。これね、『ゆじゅつ』って言うんだって」
「それは知ってますが、なぜあなたが?」
「うん? わかんないけど、なんか出来たの」
「はい??」
首を傾げることしかできない私に答えを寄こしたのは、彼女に傷を治され起き上がった傭兵たちだった。
「パンジーは潜在的に癒術師の才能があったらしくってよ。なんでも生まれつきの魔力量がケタ外れなんだと。俺らも最初見たときはビビったぜ」
「帝都じゃ癒術師なんざ、王宮お抱えの魔術師にしかいねえからなぁ。助かるよ」
「助かるもんかよ。こいつのおかげでちょいと怪我したくれえじゃ休ませてももらえねえ」
「違えねえ!」
「え!?」
その発言にパンジーがショックを受けて目を見開き、震えながら涙の粒を浮かべたのを数人の傭兵が大慌てで宥めるのを眺めていると、今の組合の番頭を努めている男が近づいてきた。
「よう。メイド長。ご無沙汰だったな」
「お疲れ様です。パンジーはいつから癒術を?」
「あんたが帝都を発つちょいと前さ。ホラスの旦那が気づいたんだ。で、旦那の伝手で王宮の魔術師にあれやこれや体を調べられて、何十年だかに一人の逸材だっつって、そのまま連れてかれそうになったんだけどよ。『私は傭兵組合の受付嬢だから』って、ウチに残ってくれてんのさ」
「そう、でしたか……」
そういうことならば、もっと早く気付いていれば……。
「ところでウシオ様。一つ、お聞きしたいことがあるのですが」
「おう。さっき何か言いかけてたな」
「昨日、国政に仇なす闇ギルドの根城を一つ壊滅させたとのことですが……」
「あん? ああ、ひょっとしてあのサーカス団みてえな連中のことか? なかなか芸達者だったぜ?」
「人質にされていたバグショット伯爵はどうされました?」
「?? とりあえずその場の全員殴っといたけど?」
はあ。
これだ……。
バグショット伯爵は、先日ミソノ様の不興を買い、陰湿にして悪質な罠によって王宮内の居場所を失った大臣だ。
そうは言っても、由緒ある伯爵家から『当主が行方不明となっているところに脅迫状が届いた』などと言われては王宮も動かないわけにはいかない。
彼の身柄と引き換えに益体もない要求がなされたその誘拐事件をどうしたものかと判じかねているうちに、ミソノ様が連中のアジトを暴き出し、ウシオ様がそれに乗り込んでしまったのだ。
十数年以上もの間、その存在が取り沙汰されてはいたものの、まるでその実態が掴めず頭痛の種となっていた無法者たちが僅か一日にして滅び去ったことは素直に喜ばしいとして、こうも迅速(神速?)にことを運ばれてしまっては、彼らに繋がっていた連中を炙り出す時間が取れない。
頼みの綱のバグショット伯は意識不明の重体(一応、誘拐犯たちの仕業ということにしてあるが、私にとっては見慣れた殴られ痕だった)。
彼の身柄を王宮の第一騎士団に抑えられる前に傭兵組合に助力を仰いでいれば、今頃はパンジーの癒術で伯爵を取り調べ出来ていたかもしれないのに。
「ま。そうシケた面すんなよ、サっ子。息抜きに筋トレでもしてったらどうだ?」
「息どころか精魂が抜けきってしまいそうですので、遠慮いたします」
「カリカリすんなって。悪かった悪かった。全員同じような面してたからよ」
「ええ。そうでしょうね。どうせ自作自演だったでしょうから」
「あん?」
「胴体から上だけでも無事に残しておいて頂ければ助かったのですが」
「お前、最近ソノ子に似てきたぞ?」
「…………」