02
目を開けると目の前に幽奈さんが漂っていた。
だらりと体を起こしてベッドから下りる。
『キモガリ男』
「あのさ、その呼び方やめてくれない? 氷室さんが言うには僕が生み出した妄想上の存在なんだよね? なのにそんな人間をそんな呼び方って……」
学校の時の方が優しいってどういうことだ。
実は妄想上の人物も学校は楽しい場所だということなのか?
『ならガリ拓一』
「ガリはいらないよ……」
制服に着替えて1階へ。
「おはよ」
「あら、今日は早いのね」
「うん、習慣づけるつもりだからこれからはこの時間かな」
母が作ってくれた朝ご飯を食べて。
「行ってきます」
割とすぐに外に出る。
自分の性格上、教室に8割以上登校されてからだと入りにくいのだ。
いまは幽奈さんがいるからあまり気に入らないが、これは最早習性だった。
「行ってらっしゃい。今日も遅いから悪いけど……」
「大丈夫だよ、ご飯も作っておくし。母さんも気をつけてね」
「頑張るわ」
学校に着いたのは7時30分頃。
1番というわけではないものの、気を遣わずに入室できるので気に入っている。
「おはよー」
「おはよ。佐藤君とは一緒じゃないの?」
「うん、朝は別々ー」
佐藤くんにベッタリというわけでもないのかな。
「おはよ」
「あ、氷室さんおはよ」
この子がどのクラスに所属しているのかも分からないけど、とにかく誰かに用があるようだ。
「よいしょ……」
「えっ?」
「なに?」
「いや、あまりにも自然に座るから……」
確かそこは男子の席だった気がする。
自分の席に美人が座る――こういうシチュエーションを喜ぶ人ばかりではないため、この後どうなるのか分からなくて自分のことじゃないのに不安になった。
そんな不安視している自分を余所に、彼女は「今日からここのクラスに移動してきたのよ」なんて簡単に言ってのける。
妄想上の人物が見えていたり、よく分からないクール美人が教室に来たり、自由だなっていうのが感想だった。
「捺稀ちゃんは彼氏とかいないのー?」
「いないわね。モテるけれど、ピンとくる人間がいないのよ」
……やっぱり女子の方が恋愛関連では有利なんだろうな。
僕が見ているアニメでは普通が多数の可愛い女子に好かれているけども。
「丹波」
「あ、佐藤君、おはよう」
「おう」
そして、なにかと声をかけてくれる正真正銘のイケメンが彼だ。
「あのねー、最近は柊志くんに不満があるんだー」
ちょっ、本人ここにいるんですけど。
分かっていて言っているのか、それとも集中していると話し相手しか見えていないのか、どちらにしてもこちらがソワソワする件ではあった。
「気にするな丹波、夕七は基本的にああだからな」
「いや……でもさ、不満があるって……」
それが積み重なればカップル解消なんてことも起こり得るわけで。
氷室さんも案外聞き上手なのか普通に会話をしている。
甘城さんは聞いてくれることに喜びを感じたのかホイホイと大事なことなどを話していた。
……クソガリキモ男にはもうなにもできないので、自分の席に座って現実逃避。
『幽奈さん』
『んー?』
『なにやってるの? というか、どこにいるの?』
『浮くの疲れるからロッカーの上に寝転がっているわ』
後ろを向くと彼女はダルそうに腕を上げた。
ああ、羨ましくもないのになんか自分もやってみたくなる魅力がある。
まだ登校率は半分といったところなので、試しに真似してみることに。
『ちょっとっ、邪魔なんだけど』
『ごめん。なんか気持ち良さそうだったから』
『それにこんなことするべきじゃないわよ、委員長が睨んでいるわよ』
慌てて見てみるとこちらにズンズンとやって来ている委員長の姿が。
「丹波君、そんなところに寝転んでいいと本当に思っているんですか?」
「い、いま下りるよ……」
朝から血迷ったな、これからは気をつけよう。
今朝のそれはともかくとして、それ以外はなんてこともなく終わった。
今日は最新巻の発売日なので帰りに本屋に寄ってから帰宅することに。
「あった」
『あんたそれ好きよね』
『うん、もう30巻も出ているしね』
ただまあ浮かれすぎたというか、会計を済ました後も幽奈さんと会話をしていたら女子にぶつかってしまった。
「きゃっ」とアニメみたいな声を上げて尻もちをつく相手の子。
「ご、ごめんっ」
「い、いえ……あ」
彼女はこちらの後ろを見て固まっているようだった。
この後ろには沢山の本棚と本しかないので、なにか目当ての本が入り口から見えたのかもしれない。
ところで、ここで佐藤君みたいにイケメンだったら手を差し伸べて立ち上がらせるんだけどなあ。
彼女は「な、なんでもないですっ」と残し、本を探しに行ったようだった。
『あいつ、多分私が見えていたんだわ』
『え、幽奈さんって凄いの?』
『私が凄いと言うより、あんたの妄想力がやばいのかもね』
今度こそぶつかったり、事故に遭ったりしないよう慎重に歩いていく。
そう言われると虚しさや恥ずかしさしか出てこないからやめてほしいが。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「ちょ、氷室さんっ? え、ここ、僕の家だよね?」
「そうよ。安心しなさい、きちんとあなたのお母さんには許可をもらったから」
ま、気づかなかったことにして部屋で本を読むことにしよう!
「はは、やっぱり面白いなこの本は」
「1巻借りるわよ」
「あ、うん、どんどん読んで……あの、なんでいるの?」
しかも寝転んだりとかするんだこの子。
実は氷室さんも妄想上の存在なんじゃないかと思えてきた。
「さっき挨拶したじゃない。それよりあなた、これって健全なものなの?」
「け、健全だよ! た、確かに露出が多いかもしれないけどさ、これは意外と熱い展開が――」
「少し黙って、いま読んでいるのだから」
いやいや、異性だって思い切り男性向けのこういう内容のものを好むかもしれない。
いつもなら3度くらい読み返す最新巻も今回は1度でやめ、彼女が読み重ねていくのを見守っていた。
「ふむ、思ったよりも面白いわね」
「でしょ!?」
「うるさい」
「ごめん……」
そうだよ、キャラの露出は……確かに凄いけど、そればかりでもないんだよ。
自分は表紙買いが大好きだし、購入した本を外れだとも思ったことがないので常に最高ではあるが、これは特にそうだった。
だから表紙だけで判断し、忌避するのだけは勿体ないからやめておいた方がいい。
「ね、ねえ」
「いま話しかけないで」
……というか、いまは体操座りで読んでいるからあとちょっとで下着が見えそうなんだけど。
これをわざわざ言うとセクハラ発言になってしまうため、言わないでそちらに視線を向けないようにすることに。
――それから3時間くらいして母が帰ってきたタイミングで彼女がちょうど30巻目を読み終えたようだった。
文字量が多すぎるわけでもないからスラスラと読めるんだよなこれ、堅っ苦しいのは正直に言って苦手なので助かっている。
ひとつだけ文句を言わせてもらうと、最終ページに次巻の発売日が書いてあるにも関わらず、その日まで待ちぼうけをくらうということだろう。
滅茶苦茶ド直球に言うのならば、さっさと次を読みたい、だから発売してということだ。
「そろそろ帰るわ」
「あ、送っていこうか?」
「それならお願いするわ。夜はあまり得意ではないし」
だったら来なければいいのではなんて言うのは野暮ってものだよな。
外に出ると完全に暗いとまでは言えなくても、女の子がひとりで歩いていたら危ないなってくらいのレベルだった。
アニメや漫画を見ているのはただの現実逃避及び趣味ではあるが、だからといって現実の女の子に興味がないというわけでもない。
それでもこういう形で彼女を家を知ろうとしているわけではないわけで。
「もう近くだから大丈夫よ」
「分かった。それじゃあね」
「ええ」
それにしてもなんのために来たんだろう。
そもそも、教室をどうやって移動してきたのか――分からないことばかりだ。
下級生なのか同級生なのか先輩なのか。
まあ、どの学年だとしても、本来ならば関わらないで終わる子だったわけだけども。
『どこで氷室さんと会ったの?』
『ん……ああ……近所の公園』
え、じゃあ生徒ですらなかったってことか?
いやでもあの時も今日も普通に制服を着ていたことから、サボったりする子ってことかな。
『疲れた……』
『大丈夫? どうすれば癒える?』
『家にいれば大丈夫よ』
『分かった、それならすぐに帰ろうか』
――で、その後知ったことだが。
夜が苦手だったり、意外と食べ物を食べれたり、今朝みたいに浮いているよりも普通に歩いたりした方が疲れないということを教えてくれた。
あくまで普通の女の子だって感じだなというのが正直な感想。
『ガリ拓一、明日実体化するからよろしく』
「え?」
『おやすみー』
んな馬鹿なと思っていた――自分が馬鹿だった。
「ガリ拓一、早く起きろ」
「うん……あれ?」
目を覚ますと律儀に制服姿の彼女が視界に入った。
見た目だけならパーフェクト美少女ではあるが、「早くしないと天井に叩きつけるわよ?」と言動が大変怖くて見惚れることもできない。
「ちなみに、もう縛りも失くなったから私は自由に行動するわよ。佐藤を取っちゃおうと思ってね」
「佐藤って……甘城さんの彼氏の」
「そ、佐藤柊志」
甘城さんは不満があるとか言っていたし、そこにつけ込むということか。
いやいや、冷静に考えている場合じゃない。
「そんなの駄目だし無理でしょ!」
「そんなの分からないじゃない。ま、あんたは普通に生活していなさい」
「まあ、それしかできないしね」
実体化してくれたのならもう妄想というわけでもないしヤバイやつではなくなった。
あくまで普通に男子高校生として生きていけばいいんだろう。
「おはよー」
「おはよ。今日も一緒にいないんだね」
「うん、喧嘩しちゃったの」
え、甘城さんが佐藤君と喧嘩するなんて、雨でも降るんじゃないだろうか。
愚痴も褒めも真っ直ぐにする彼女だから、ちょうどいいバランスで関係が成り立っていると思ったんだけどな。
「朝、知らない女の子といたんだ」
「そ、そうなんだ。だけどさ、だからって浮気というわけでもないでしょ? 佐藤君を信じてあげないと可哀想だよ」
なるほど、よく考えたな幽奈さんも。
敢えてそういう現場を見せつけることで両者の間に溝を作ろうとしているんだ。
「でも私が話しかけたのにその子を優先しているようだったんだよ。だから私も同じようなことをしようと思うんだ」
「ということは他の男子といるってこと? やめておいた方がいいと思うけど」
「大丈夫、それは丹波くんだから」
大丈夫じゃないぞ……。
それって逆はともかく、僕の方はボコボコにされるということじゃないか。
やはり甘城さんの横の席はいいことがなにひとつとしてないな。
「拓一くんって呼んでいい?」
「だ、駄目だよ、それに信じてあげなよ」
「私だけ我慢しろって言うの?」
「大丈夫だよ、多分道を聞かれたとかそういうのなんでしょ」
中途半端に関わっているせいで無関係とも言えないのが微妙なところだ。
「分かった、僕が佐藤君を説得するよ」
「ほんとっ? ありがとー」
「上手くできるかは分からないけどね」
佐藤君達が来るのを待って、来たら直行。
「佐藤君」
「おう」
うん、いつも通りの佐藤君だと思うが。
「あー……さっき一緒にいた人は?」
「見てたのか。職員室に用があるって言っていたからそこまで送ってきた」
幽奈さんに興味を抱いているようにも見えない。
やはりそういう可能性は微塵もないだろうこれじゃあ。
「あー……丹波」
「ん?」
「その……夕七と喧嘩になってしまってな、どうすればいいと思う?」
「うーん、少しでも自分に非があると思うなら謝るしかないんじゃないかな。だけど、謝りすぎも駄目だよ? 適度なバランスでね。あとはそうだなあ……物をあげたりしてみたらどうかな。こういう時にそれをやると逆に文句を言われちゃうかもしれないけど、結局それは佐藤君が甘城さんと仲良くしたいってことなんだし、多分伝わるだろうからさ」
非リア充に相談する格好いいリア充って残酷な存在だな。
そして偉そうにアドバイスをする非リア充な自分は、本当にどこかに行った方がいいと思う。
佐藤君はそれでも怒らずお礼を言ってくれて、甘城さんの方に近づいて行った。
僕も席に戻って地獄の時間の始まりを待つ。
「初めまして、中村結菜ですっ、よろしくお願いします」
事情を知らないクラスの男子君達はおお! と歓声を上げた。
知っている僕からすればなんだその作ったキャラ、というのが本音。
隣の甘城さんは小さく「負けないんだから」と対抗心を表に出している。
そんなに心配しなくても一切問題ない、佐藤君がそんなホイホイ変えるわけもないんだ。
だってそうだろ、もしそうじゃなかったら理不尽に怒ってきた相手と仲直りしたいだなんて思わない。
「あ、先生っ、あの方の隣でもいいですか!?」
「佐藤の隣か? あーまあ、いいじゃないか」
「ありがとうございます!」
先生……そんな適当でいいんですか。
大丈夫だと分かっていても大変な生活が始まりそうだなって、意味なく体を震わせたのだった。