精霊の図書館
美月は夏休みが終わってすぐに賢斗に手紙を出して、賢斗からは11月に返事がきた。
始めに返事が遅れてごめん、と書かれていた。
それから、1ヶ月に1回のやりとりをした。
◇◇◇
1月、良い縁だからと、達美と真心が早くも婚約した。
◇◇◇
2月、朝、雪が降っていた。
美月は学院に行って、一人で温かいココアを飲みながら勉強をする。
美月の周りは静かだが、遠くの方から騒がしい声が聞こえた。
ふと見ると、晃樹と明がいるところに人が集まっていて、何やら楽しげに話していた。私とはまるで正反対だと美月はふてくされた。
昼食の時間、一人で食べながら、窓の外を見ると、ますます雪が降り積もっているようだった。
午後、息抜きに1時間読書をして、料理本を見てこれが食べたいと、これが作りたいと付箋を貼った。
そしてまた帰りの時まで勉強をする。
帰り、校舎から出ると、冷たい空気が肌を刺す。
少し眠くなってきていた頭が冴えていくようだった。
(冷たくて心地良いですわ)
帰って家庭教師の先生に勉強を教えてもらい、その後水泳の習い事がある。
その時間だけプールを貸し切っている。
美月は水泳の習い事の後の少しの時間、一人水に浮いて、目を閉じていると、静かなプールに響く水の微かな音に癒やされた。
その後家に帰って夕食をとると、お風呂に入ってから、少しヴァイオリンの練習をする。
「――姉上」
達美が夜食を持って音楽の練習室に入ってきた。
美月はちゃっかりと自分の分も持ってきていた達美と一緒に食べた。
「姉上は凄いですね」
「何がですか?」
達美は優しい顔を美月に向ける。
自分の弟は時々とても大人びて見えると美月は思う。
「日常を粛々と過ごす姉上はとても美しいと思います。
姉上は、姉上が思っているよりもずっと、皆に尊敬されているのですよ?
弟の僕でもその気持ちが分かります。
僕は姉上の弟に産まれてきたことを感謝します」
「フフッ、何を言っているのですか?」
達美はどこか悲しそうに、噛みしめるように言う。
「僕は遙か遠い昔の魂の記憶を持っているのです。
ここではない世界でした。
凄惨なことの多い世界で、怒りと悲しみを常に心にくすぶっていました。
幸せというものは、蜜のごとく甘く感じられ、染み渡っては、儚く消えていくものでした。
……姉上は僕の知っている人によく似ています」
「な、なるほど」
美月は一応話の分かる姉として、弟の言うことに分かったフリをしておいた。
「姉上、僕に違う世界の記憶があるということは秘密ですよ?」
「はい、分かりました」
美月は愛想笑いをして頷いた。
(この子は一体何を言っているのしょうねえ)
◇◇◇
3月、祖母の撫子は、なんとも言えない、期待と心配が入り交じったような顔で美月に頼み事をした。
この日、美月は撫子の家に来ていた。
撫子の家の庭では桜の蕾は膨らみ始め、春の始まりが感じられた。
相変わらずここは不可思議で、夢心地のような感覚に陥るのだった。
部屋から見える庭を眺めながら美月と撫子は、もうすぐ春がくる、桜が咲く、と話をしていると、撫子がふと、一枚の封筒を美月に差し出した。
「美月ちゃん、これを、届けて欲しいの」
「?」
「高ノ宮学院の中に古い図書館があるのだけれど」
そう言うと、撫子は高ノ宮学院の案内図を取り出して、その図書館のある場所を美月に教えた。案内図にはその図書館は載ってはおらず、撫子が印を付けた。
「知りませんでした」
「そうでしょう」
高ノ宮学院は小等部から大学まであるが、小等部から高等部が同じ場所にある。
様々な、いくつもの施設があるため、高ノ宮学院の敷地は把握しきれないほど広い。
大きな図書館が3つあり、その他に古い図書館があるなんて、しかも案内図に載っていないのなら知らなくても仕方がないことである。
「そこに、私の知り合いと待ち合わせているから、届けて欲しいの。
利用者なんていないでしょうからすぐに分かるでしょう。
確かもう20歳は越えているかしら? 30歳まではいっていないと思ったわ。
名前はキサラギと言っていたかしら? 男性よ」
「本当に知り合いなのですか?」
美月は名前さえも曖昧な様子の撫子に聞くと、「遠い昔の知り合いなの」と撫子は懐かしそうに言った。
「時期が来たらまた知らせるわね」
時期とは一体どういうことであるのか、そもそも郵便ではダメなものなのか、と普通であったらそう思うだろう。
しかし、百々瀬家では撫子が何を言っても何をしても、とにかく不思議な方であるから、といった風で何も疑問を抱くことをしないのである。
◇◇◇
4月、Sクラスに転校生がやってきた。
美月と同じ学年で、美月はその転校生、柏木心と友だちになることが出来て、大いに浮かれたのだった。
美月は撫子に会いに行って、心のことを楽しそうに話した。
そして帰り際になって、撫子は美月にキサラギと会う約束の日時を知らせた。
――――――
――――
――
その約束の日、学院の帰りの時間になると、達美に撫子に頼まれた用事があるから先に帰るように言った。
「分かりました。いえ、僕もなんとなく分かっていましたから」
そう言う達美に、この弟もまた、不思議なことが分かるのだと改めて美月は思うのだった。
美月は高ノ宮学院の案内図を片手に持ち、撫子の付けてくれた印に向かった。
向かっている内に、どんどん自然が多くなっていく。
道も、塗装されていない獣道のようになっていった。
(高ノ宮学院にこんな自然に満ちた場所があったなんて…………)
高ノ宮学院の敷地内にある建物は、どれも煌びやかで豪華であり、また新しく近代的であった。
こんなよく分からない道を歩いているのに、美月に不安はなかった。
きっとこの先に特別な何かがあるのだと感じられた。
(精霊でもいるのかしら)
精霊の見えるお祖母様なら、精霊の住処を知っていてもおかしくはないと美月は思った。
どのくらい歩いたのか、5分から30分……、
これもまた不思議なことであまり時間の感覚がなかった。
美月は、この夢心地のような感覚を知っていた。
(お祖母様の家と同じですわ)
そして突然その図書館が現われたようにたどり着いたので、美月はハッとした。
図書館を見つけたとき、空気が変わったようだった。
その空気は、研ぎ澄まされて、それでいて自然の豊かさ、温かさを感じた。
とても神聖な場所なのだと思わされたのだった。
木々に覆われるように、自然と一体化したような図書館だった。
1階建ての木造の小さい建物である。
「さくら…………」
美月は小さく呟いた。
周りにはたくさんの桜の木がそびえ立っており、緩やかな風に花びらが舞っていた。
幻想的なのであった。
恐れや緊張というものを感じることはなかった。
ただ引き寄せられるように中に入った。
中に入ると、受付に一人、老人がいたが、特に入場許可というものは必要ないようだった。
美月はあちこち見渡した。
いくつもの本棚に古びた本が乱雑に並べられている。
「――キミが、美月ちゃんかい?」
声のする方を見ると美麗な男性がいた。
(きっとこの人がキサラギさんなのでしょう)
撫子は20代ではないか、と言っていたけれど、高校生と言われても、中年だと言われても通じる、年齢不詳の容姿であった。
美月は確認する。
「貴方は、キサラギさんですか?」
「そうだよ。――――それにしても、驚いた」
キサラギは美月を見ているというよりも、美月の周りを見ているようで、それは時々撫子が美月を見る視線に似ていた。
「フフッ、精霊でもいましたか?」
美月が冗談交じりにそう聞くと、キサラギはさらに驚いていた。
「キミも見えるのかい?」
キサラギは精霊が見えるのだった。
「私は見えません」
美月はどこか撫子と雰囲気が似ているキサラギが精霊を見えるとしてもおかしく思わなかった。
「お祖母様が精霊を見る視線と似ていたので。でも、何に驚いたのですか?」
「キミはとても精霊好かれている。話には聞いていたけれど、ここまでとは思わなかった」
キサラギは美月を見て穏やかに微笑んだ。
そして言う。
「――――持ってきたかい?」
「はい」
私はお祖母様から預かった封筒を渡した。
「ありがとう」
「いいえ」
「ナデシコは元気かい?」
「はい」
撫子よりも随分若いキサラギが、撫子の名前を呼び捨てるのに美月は違和感を覚えた。
「****、******
(感謝します、この精霊の愛し子に会わせてくれたことを)」
キサラギが小さく何かを呟いたのが聞こえて、美月は首をかしげた。
何か、聞いたことがある気がしたのだ。
「今、何て?」
「いいや、なんでもない」
「そうですか」
美月はどうして聞いたことがあるのだろうと思って、すぐに、達美の話す知らない言葉と似ていたのかと思い出した。
そして、今のキサラギの言葉は特によく聞く言葉で、確か意味は、ありがたや、ありがたや、だったはずだと美月は思った。
達美はよく、お礼をする時や、感謝をする時に言っていたのだ。
キサラギが何かしら感謝をしているのだとしたら、美月も例にならって感謝しようと思って言う。
「ありがたや、ありがたやぁ」
「ありがたや……?」
美月の言葉にキサラギはキョトンとする。
「弟がよく言うのです」
「なるほど。私も同じようなことを言ったのだ。感謝すると。
キミのような精霊に好かれた者と引き合わせてくれたことを。
運命に、精霊に、一応、ナデシコにもね」
ゆっくり見ていくといい、というキサラギの言葉に美月は頷いた。
――――
――
幾つかの本を手に取ったりしていた。
そうしていると、ふと、風が通り過ぎていったように美月の髪を揺らして、美月は思わず後ろを振り向いた。
「?」
その通り過ぎていった先が無性に気になってくるのだった。
美月は手に取っていた本を本棚に戻した。
――――本棚と本棚の間の狭い隙間である。
通れるけれど、両端の本棚の本を手に取る余裕はないだろう幅である。
美月はその隙間に恐る恐る入っていった。
両端にある本棚はとても高く、照明もそこまで明るくはないため薄暗かった。
幾つか分岐点があったが、奥に向かう方を進んだ。
迷路のようであった。
道自体に複雑さはないが、方向感覚がなくなってしまったようである。
奥に進む方を選んだ、というよりも、こちらなのだという直感なのである。
そうして進むと、もうすぐ先に、両端の本棚がなくなるのが分かった。
徐々にその先に机の端が見えてきた。
ただ一番奥の壁に辿り着いたわけではなくて、ちゃんと机と椅子があって本を読むスペースがあるようである。
そして、机の上に誰かの本を読む手が見えた。
大きさからして、大人の手ではないようである。
(誰かいるのかしら?)
美月はようやく本棚の隙間を通り抜けた。
「?」
本を読んでいた子どもは美月に気が付くと、小さく微笑んだ。
(佐倉様……?)
「座ってもいいですか?」
美月が静かに聞くと、慎は頷いた。
そこにあったのは慎の座る、4席の1テーブルだけであったのだ。
美月は慎の向かい側の席に座った。
そして本を取り出して読み始めた。
いつも何かしら本は持ち歩いているが、今日持ち合わせていたのは『姫と勇者の物語』である。
美月は一度読んでしまっても、気に入ったなら何度でも読む性質であった。
せっかく図書館に来たのだから、ここにある本を読もうかとも思ったけれど、なんとなく、今日持ってきていたこれにしよう、とそういう気分であった。
――――二人で、ただ静かに本を読んでいた。
窓際であり、緑に包まれた優しくどこか繊細な陽の光が差し込まれていた。
美月はとても心地良く思うのだった。
本の匂い、木の匂い、春の匂い、なんだか懐かしく思わせる匂いがするのだった。
まどろみの中にいるようで、夢の中であるのかと錯覚した。
初めて来たとは思えない、デジャブを感じた。
どれくらい時間が経ったのか1冊読み終わった。
美月は本を鞄にしまうと、席を立った。
美月は口を開いた。
「あの――――」
「――――また来る?」
ほとんど同時に慎がそう聞いた。
美月は頷く。
そうすると、慎はとても優しい視線を美月に向けた。
(不思議な人……なのです)
美月は心の中に何だかとても静かで穏やかなものを感じるのだった。