弟とは……
学院の帰り迎えの車に乗ると美月は、運転手兼子守役の柊に、至って厳粛に言った。
「柊、例の場所へ」
「かしこまりました」
美月と達美は学院の帰り、時々近所の駄菓子屋に寄り道する。
店内には机や椅子、またガチャガチャやピアノなど様々な物が乱雑に置いてあって、自由に飲み食いできるスペースがある。
美月と達美は久々に駄菓子屋に寄って駄菓子を買うと、店内の古びた椅子に座って食べ始めた。
縁は庶民的なことが嫌いで、駄菓子屋に行くことはもちろん、駄菓子を食べることも良く思っていないため、駄菓子屋に行った時は食べられる分だけを買って、店内で食べてしまうのである。
(ああ、この安っぽい味がたまらないのですわぁ)
美月の横では同じようなことを思っているだろう緩んだ顔の達美がいた。
美月と達美は高ノ宮学院の制服を着ていて、どこからか溢れる上品さを持っているため古びたこの駄菓子屋の中では目を引くのだが、ここにいる数人の子どもたちは、時々来る美月たちに慣れていて特に気にした様子はない。
「――美月! 達美!」
その呼びかけは美月のよく知る声であった。
「璃子ちゃん!」
近所の中村璃子、その弟の璃久と、同じく近所の隼人である。
美月と璃子と隼人は4年生で、達美と璃久は3年生だ。
美月は学院には友だちはいないが近所には友だちがいた。
友だち、というより幼馴染みに近いかもしれない。
時々、こうして駄菓子屋に行くと会うことができた。
「――――そういえば、もうすぐ夏休みだな」
隼人の言葉に、璃子は思い出したように聞いた。
「あ、美月、夏休み花火大会、どうする?」
「もちろん、行きます」
自信満々に答えるが、璃子は呆れたように言った。
「毎年そう言うけど行けないよね。期待はしてないけど、行けそうだったら言って」
「あう……でも、今年は絶対に行くのです」
毎年、縁が許してくれないのである。
「達美も出来れば行こうな」
そう言う璃久に、達美はなんの悪意もなく言う。
「いえ、僕はそういう暑苦しい場所は嫌いなので。まず人混みが好きではありません。汗をかくのも嫌いですし、うるさいのも嫌いですから」
璃久はそんな達美に慣れたように言う。
「あっそ。こっちだって、社交辞令ってやつを言っただけなんだからな。全く腹立つなあ、お前」
「何がですか?」
達美がきょとんとして聞くと、璃久は呆れたようにため息をついた。
そしてふと何かを思い出したようにニヤニヤして言った
「達美、俺今度ゲーム買ってもらうんだ。いいだろ?」
璃久が嬉しそうにそう言うと、達美は首を傾げた。
「ゲームですか?」
「隼人兄ちゃん持ってきた?」
「ああ、うん」
隼人がゲーム機を取り出すと、達美は興味津々にそれを見る。
「これと同じの買ってもらうんだ」
「へえ」
璃久が自慢気にそう言うと、達美はしげしげとそのゲーム機を眺めた。
それから隼人がゲームをやり始めて達美たち男子が盛り上がっていると、璃子は璃久とよく似た笑顔で言う。
「私も璃久と一緒にゲーム買ってもらうけどね、私はそれよりも漫画の方が好き」
「漫画、ですか?」
「あのね、少女漫画なんだけど、これがまたキュンキュンするんだよねえ。それにじれったいし、たまにイライラするしさあ」
「そうなのですか……?」
「うん。本当に面白いの。今度持ってくるから貸してあげる!」
「まあ、ありがとうございます」
(楽しみですわねえ、絶対にお母様には知られないようにしましょう!
それにそれほど面白いものを貸していただけるのですから、私もそれ相応のものを……。
私の最高に大好きなものをお返ししなくてはなりませんね!)
「では、私もプリンを作って持ってきますね」
「ありがとう! 美月のプリンは絶品だからねえ」
「――な、なんて素晴らしいのですか?!!!」
その時、達美の驚愕したような声に、美月と璃子はそちらを見た。
達美と隼人くんと璃久くんは、隼人くんが持ってきたゲームをしている。
「な、なんて面白いんですか!」
「フフン、そうだろ?」
璃久は得意げに言った。
「はい、とっても面白いです!」
隼人はそんな二人を見て苦笑している。
「フフッ、達美ったら」
美月は微笑ましそうに達美を見た。
「達美のこのオーバーリアクション懐かしいな。
私が見たのは、美月と達美と初めて会った日、駄菓子食べた時以来だったからな」
「ええ、幼い頃はよくそうやって驚いていたのですけれど、最近は滅多に見なかったですねえ」
達美は素晴らしいことに出会うと、普段の落ち着き様からは考えられないほど、感激してオーバーリアクションになるのだ。
帰りの車の中で達美が寂しそうに言う。
「僕もあれが欲しいです。あのゲーム機なるものが。
しかし母上が買ってくれるとは思えません。父上なら買ってくれるでしょうか?」
「そうですねえ。お兄様が一番買ってくれそうですけれど」
「なるほど……」
美月と達美は、大抵の物は買ってもらえるが、駄菓子など、縁が許してくれない物は買ってくれない。
父の悠彦が気まぐれにくれる小遣いで駄菓子を買ったりしているのである。
ちなみに中学生からは小遣いをもらえるようになり、悠人と美月と達美は時々スイーツを食べに出掛けるが、高校生の悠人にご馳走してもらっていた。
「ええ、でも、お母様に知られたら大変なことになるのではありませんか?」
「そうですねえ。でもその位の犠牲は仕方がありません」
縁は教育に厳しい母であるが、美月の能天気な性質などは縁似であり、あまり威厳というものがなく、子どもたちに舐められている節があった。
◇◇◇
その日、百々瀬家長男、完璧超人と言われる悠人が帰ってくると、達美は事の詳細を話した。
悠人はとても良い笑みを達美に向ける。
「俺が買ってあげよう。可愛い可愛い弟の願い、兄なら叶えてやりたいと思うのだよ?」
「あ、兄上……!」
達美は感極まったようでお兄様を拝むのだった。
「そんな、いいから、いいから、ハハハ、困ったな」
悠人は達美が喜んでくれたことが嬉しいようで舞い上がっている。
「***********************************」
(ああ、生まれてきて良かった。家族とはなんて温かいのだ。これほどまでの幸福を味わってバチは当たらないのだろうか。この兄と姉の元に弟として誕生できたこと、感謝します。この上なく感謝します……!)」
「何て言ったのですか?」
そう聞くと、達美は満面の笑みで言う。
「ああ、ありがたや、ありがたや、と言ったのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ、そうですよ」
「なるほど」
達美は幼い頃から時々、美月たちの知らない言葉を話す。
しかし、祖母撫子が「私も昔は話していたのですけれど、今はサッパリです」と言っていたので、遺伝か何かなのだろう、と案外暢気である家族は特に気にすることはなかった。
撫子と達美は精霊がみえるという特殊性を持っていたので、それと同じ種類の、『そういうもの』なのだろうという理解であった。
(――それよりも、これがバレると私まで叱られてしまう可能性が高いですわね)
「美月にも買ってあげるからね?」
「本当ですか? ありがとうございます。達美、それほどそのゲームは面白いのですか?」
「ええ、とても面白かったですよ!」
(ムフフッ、楽しみですわぁ)
単純な性格なのであった。
◇◇◇
その後の休日で、美月と達美は悠人にゲーム機を買ってもらった。
「スイーツでも食べに行っていたのですか?」
家に帰ると、縁がいつもの調子で聞いた。
3人で出掛ける時は大抵スイーツを食べに行く。
ちなみに悠人はそれほど甘いものが得意ではないので、コーヒーを飲みながら、美味しそうに食べる二人を嬉しそうに眺めているのである。
「そ、そうですよ?」
達美はそう言いながら早々と自室に向かった。
縁は残念そうに言う。
「まあ、悠彦さんがこの間美月ちゃんと達美ちゃんが食べたいと言っていたプリンを買ってきてくれたのですけれど」
「本当ですか? お父様、ありがとうございます!
あのプリンは、本当に本当に美味しかったのですわ」
「うん、それは良かった」
父、悠彦が後ろのソファでくつろいだままに言う。
「でも、今日はスイーツを食べに行ったのですから、明日にしましょうね」
縁は釘を刺すように言った。
「へ?」
「甘いものばかり取り過ぎですよ?」
「そんな、お願いします、お母様あ」
「そう言われてもねえ」
「――別に良いんじゃないか? 今日くらい」
そこへ悠彦がそう言うと、すかさず、この上なく妹を愛する兄が言う。
「僕もそう思いますよ、母上」
二人にそう言われて、縁は1つため息をついて言った。
「全く仕方ないですねえ。そうですね、あれだけ楽しみにしていましたからね。
今日は特別なのですよ?」
縁は悠彦の言うことに弱いのだった。
「お母様、ありがとうございます!」
「料理長に渡してありますから、取っていらっしゃい」
「はあい!」
「お嬢様、私が取ってまいりますよ」
傍に控えていたメイドがそう申し出る。
「いえ、これは私の我が儘なのですから、私が取りにいきますわ」
「それならば俺も一緒に行こう。俺も一緒に願い出たのだからね」
「そうですか」
メイドは聞き分けよく頷いた。
「達美を呼んできてくれないか」
「かしこまりました」
美月たちが部屋を出て行くと、縁はふと、美月が置いていったゲーム機の入った袋を見つけた。
「あら? 何か買ってきたのかしら?」
達美がプリンが食べられると聞いて満面の笑みで部屋に入ってくると、縁はなんの疑惑もなく、ただ何気なく聞く。
「何か買ってきたのですか?」
「へ?」
「――――持ってきましたわ!」
ちょうどその時、美月が悠人と共にプリンを持って戻ってくると、固まっている達美と、ゲーム機の入った袋に目を向けている縁を見て二人は察した。
美月は目に見えてあわあわしだし、悠人はそんな美月を見て苦笑した。
縁もまた、そんな子どもたちに何かしらあるのだろうと察して、もう一度聞く。
「何を買ってきたのですか?」
美月は達美を見る。
(た、達美、申し訳ないですわ。私がプリンにつられて、ゲーム機を置き去りにしてしまったのです、私がいけないのですわ!)
そんな美月の心情を達美は悟って、達美は言った。
「姉上、これでいいのです。隠し通せるとは思っていませんでしたから」
「た、達美。ほ、本当に不甲斐ない姉で申し訳ないですわ……」
そんな会話をする美月と達美を、縁は疑ったような、そしてどこか困ったような表情で見る。
「いえ、気にしないで下さい。姉上は何も悪くありません」
達美はそう言って、大人びた笑みを見せた。
「うぅ……~~」
(な、何も言葉が出てきませんわ。なんていうか、私の弟ったら、とても良い子なのです)
◇◇◇
「悪影響ですわ!!」
結局ゲーム機を没収されて、3人は縁に叱られたのだった。
プリンは言わずもがなお預けである。
「これからはもっと勉学と習い事に励みますから! お願いします母上え!!」
達美は、先ほどの美月の失態を許せた度量の大きさなど微塵も感じさせない有様で、泣いて縁にすがっていた。
美月は床に寝転がって駄々を捏ねる達美を見て思う。
(まあ、このくらい駄々っ子の方が、なんとなく安心はしますわね)
「許してください、お願いします!」
達美は床に頭をこすりつけて言う。
「いいえ、許しません!」
縁は断固として頷かなかった。
「――ゲームくらいいいじゃないか?」
そこへ悠彦が後ろのソファでくつろいだまま振り返りもせずに、デジャブのような言葉を掛けた。
「父上~!」
「また貴方は適当にそんなことを言って!」
本当に適当に言ったと思われる悠彦の言葉に、縁は怒ったが、悠彦は気にもせずに笑った。
「達美は時々そういうところがあるからなあ。ハハハ、ああ、可笑しい」
結局縁は一日10分を条件に許すことにしたのだった。
たった10分でも、達美はとても喜んでいた。
◇◇◇
その後~
「ありがたや、ありがたやぁ……? どう言うのですか?」
「***、***(感謝、感謝)です」
「**~、**~(かんちゃ、かんちゃ)ですか?」
「違います。***(感謝)です」
「**~(かんちゃ)?」
「***(感謝)です」
「***(かんしゃ)?」
「ソレです!」
「***、***(かんしゃ、かんしゃ)なのですね?」
「ええ、そうですよ……!」
美月がそう言うのを、達美はなんだかとても嬉しそうにはにかんだのだった。