テストの後
美月がここ最近ずっと必死の血相で勉強ばかりしているのを、心は心配そうに見守っていた。
美月の顔色は、テスト前の寝不足の時よりも悪い。
そして心はある時言う。
「美月さん、もしよかったら家庭科室でお菓子でも作りませんか?」
美月はペンを止めて心を見る。
「お菓子……?」
「ええ、楽しそうではありませんか?」
「え、ええ、とっても楽しそうなのです」
「美月さんの好きなプリンでも作りませんか?」
「プリン…………」
美月はプリンに思いを寄せて、頷こうとしたが、すぐに首を横に振る。
「心さん、申し訳ありません。私は次のテストで必ずあの高宮晃樹に勝たなければならないのです」
「そうですか……」
◇◇◇
美月は机に突っ伏していた頭を上げる。
(勉強したまま眠っていしまったようですわ。
あう、身体が痛いのです)
時計を見ると、4時30分。
まだ、朝早い。
いつもは5時に起きる。
美月は30分だけでもベッドで眠ろうとベッドに入ったが……。
(眠れませんわ…………。
もう、いいのですわ、仕方がありません)
すぐに起き上がった。
軽いカーディガンを羽織って外に出た。
もう春も終わってしまう。
早朝であったが、外はすっかり温かい。
美月は目を閉じた。
(…………頑張らなきゃ、もっと、頑張らなきゃ)
――――
――
「美月さん、勉強もよろしいけれど、他の習い事もちゃんとやりなさいね」
学院に行く前、縁が言う。
美月が中等部に上がってから、縁は美月ちゃんではなく美月さんと呼ぶようになった。
そのことに、美月はまだ慣れていない。
「分かっていますわ。でも、この間のテストでは高宮様に負けてしまったのです。
次は必ず勝つのです」
「それは素晴らしい心がけですわ。
でも、女はそこまで勉強ばかりしなくていいのです。
勉強もそれは大切ですが、他の習い事と同等に考えるべきで、全てではありません。
ガツガツとしているのもよろしくありません。
何事にも余裕でなければなりません。
百々瀬家の長女たるもの、お淑やかに、気品を持って、優雅であるべきですわ」
「分かりましたわ……、お母様」
辛辣な縁の言葉に、美月は大人しく頷いたのだった。
中等部に入ってから縁は今までに増して厳しくなって、どこか変わってしまったように美月は思っていた。
――――――
――――
――
放課後、美月が精霊図書館で、いつもの奥の席に行くと慎は来ていなかった。
特に約束をしているわけではなくて、美月だけが来ていることもあれば、慎だけが来ていることもあった。
しかし勉強を始めると、少したってから慎がやって来た。
美月は頬を緩める。
慎はゆっくりとした動作でいつもの、美月の向かい側の席に座った。
二人はいつものように静かな時を過ごす。
ふと、慎は読んでいた本から顔を上げると、一生懸命に勉強をしている美月を頬杖をついて眺めた。
しばらくしてそれに気付いた美月は、ハッとして慎を見る。
「もしかして、ずっと見ていたのですか?」
美月は小声で聞く。
「一生懸命、勉強していると思って」
慎もまた、小さい声で言う。
図書館であるから静かにしなくては、と美月がそうしているのに、慎ものっているのである。
美月と慎以外には誰もいないのであるが……。
美月は縁の言葉を思い出す。
(ガツガツとしているのもよろしくない、余裕を持って……)
必死に勉強している姿を見られたと思うと、熱くたぎっていたものが引いていく代わりに、恥ずかしさから顔が熱くなった。
「――頑張れ」
慎は相変わらずの小さな声でそう言うと、優しく目を細めて美月を見た。
「がんばれ?」
「うん。頑張って」
美月は一瞬キョトンとしてから、自信をもって頷いた。
「はい、頑張りますわ。
今度こそ高宮晃……、高宮様には負けません。
慎様にも、ですよ?」
「晃樹はともかくとして、僕に?」
「はい」
「それはどうかなあ」
そして慎はどこか悪戯な顔で笑う。
「フッ、それじゃあ、美月さん美月さん」
「なんですか?」
「もし美月さんが1位だったら僕が美月さんに何かご褒美をあげるから、僕が1位だったら、美月さんが僕に何かご褒美をください」
「ご褒美……?」
「うん」
美月は考えるまでもなく言う。
「それじゃあ、プリンを作ってきて差し上げますわ」
「プリンかあ、僕あんまり甘いもの好きじゃないんだよね」
「そうなのですか? じゃあ、甘くないプリンを作ってきます」
「うん、それならいいよ」
「慎様は何をくれるのですか?」
「うーん、そんなことは万が一にもないからなあ」
「な、なんですかそれ、わかりませんよ?」
「そうだなあ、何がいい?」
「そうですねえ――――」
でも、美月は心の中で、慎には敵わないことをどこか分かっていた。
(慎様は、超人な悠人お兄様と同じ人種な気がするのです……)
穏やかで、とても静かな、静かな時間であった。
美月は慎と囁き声で話しているうちに、どこか焦っていた心も静まっていくのを感じていた。
◇◇◇
その後、美月は縁と達美とお茶をしている時に言った。
「お母様、私、高宮様に負けたことに腹が立って仕方がなくて、それで、とても悔しい気持ちでいっぱいだったのです。
でも、冷静になって考えると、さすがの私でも、今のペースでやっていたら体調を崩してしまいますわ。そうなったら、元も子もないのです。いつも通りのペースの方が遙かに効率的ですわ。
私は学習しました。ペース配分を考えた綿密なる計画が必要なのです」
何かを悟った、というような面持ちで語った美月に達美が言う。
「しかし姉上は、上手くいかなかったとか、誰かに負けたとか、気にくわないのだと言って、今まで幾度となく一時的にかなり熱くなって暴走しています。確か姉上が小学4年生の時のサマーパーティーの後も……。姉上の性格上、僕はまた同じ事もあると――――」
「――――美月ちゃん……! そうなのです、よくその考えに辿り着きましたね、ずっと心配していたのですよ!」
達美の言葉を遮って、というか聞いていなかったのか、縁は感激したように言う。
そして言ってから縁はハッとしたように言い直す。
「美月さん、そうなのですよ?」
「はい、分かりました。お母様」
「聞いていない、ようですねえ」
達美は特に何事もなかったようにお菓子をつまんだのだった。
◇◇◇
「――心さん、お菓子作りませんか?」
次の日学院で美月がそう言うと、心は嬉しそうに頷いた。
そして聞く。
「勉強の方はもう大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。勉強もしっかり頑張っていますから」
「そうですか、さすが美月さんですわ」
「それよりも心さん、この前はせっかく誘ってくださったのに、申し訳なかったのです」
「いいえ、気になさらないでください。
それよりも、美月さんが元気になってくれたようで良かったですわ」
「心さん……!」
「お菓子何を作りましょうか?」
そんな心に、美月は改めて心の優しさを感じるのだった。
(何でこんなに優しいのでしょうねえ。
心さんはもしかして、綿あめとか、何か、とってもふわふわで柔らかいものでつくられているのでしょうかねえ)