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アニメ学園へようこそ!  作者: 天塚
3/3

 休日が明けて、月曜日。僕、葵、琉君、那子さんの四人が先日のOQをクリアしたという快挙は、学園中に知られることとなっていた。というのも過去のクエスト一覧というページから、クエストクリア者の名前を自由に閲覧できるようになっているのだ。OQに参加していた人達は自分達ではなく一体誰がクリアしたのか、当然気になってそこをチェックしただろう。

 そして、もう一つ。この学校には新聞部が発行する学内新聞、『TOKIYUME TIMES』というものが存在するのだけれど、ここがさっそく僕達のことを取り上げて記事にしたのだ。『OQをクリアして学園に光を取り戻した、期待の一年生ルーキー現る!』なんて見出しで面白おかしく書かれたせいで、OQに参加していなかった生徒達にも僕達の存在は認知されることになってしまったのだった。

 それからというものの、学園内では度々見知らぬ生徒から声を掛けられることが増えた。注目を浴びることに慣れていない僕は少々気恥ずかしくもあったけれど、そんなに悪い気はしなかった。あのクエストは本当に大変だったから、その労力を労ってもらえるのは単純に嬉しかったのだ。


 そしてそんなちょっと浮ついた感じの一週間はあっという間に過ぎていき、再び月曜日がやって来た。僕はその日、寮の部屋でコンビニ弁当を朝食として食べていた。普段は朝食は食堂で食べることが多いのだけれど、この日は数日前にクエストの報酬でゲットした『コンビニ弁当無料券』の有効期限が迫っていたので、無駄になってしまう前に引き換えることにしたのだ。学園の敷地内にあるコンビニは大手チェーン店ではなく時夢独自のものだったけれど、色とりどりのおかずが豊富でとてもおいしい弁当だった。きれいに完食した僕は「ごちそうさま」と言って手を合わせると、空の容器をゴミ箱へと捨てる。そして、登校に向けての準備をし始めたときだった。

 ピン、ポーン……。

「!」

 部屋中に、来客を知らせるインターホンの音が鳴り響いた。こんな朝から、誰だろう? と僕は一瞬首を傾げる。そして唐突に、葵の顔が思い浮かんだ。葵はいつだったか、『男子寮の部屋がどんな感じなのか見たい!』と言って、那子さんと共に僕の部屋に遊びに来たことがあった。ちなみに女子寮は男子禁制だけれど、男子寮は女子禁制ではないという謎仕様になっている。何の用事なのかはわからないけれど、葵なら朝から押しかけてくるなんてことも十分しそうだなあ、なんて思いつつ、僕はドアモニターの画面へと目を向けた。

「……あれ、琉君?」

 しかしそこに映っていたのは、葵ではなくすらっとした長身の琉君だった。僕は急いで玄関へと走り、サムターンをかちゃりと回してドアを開けた。

「……おはよう、楓。良かった、寮にいたんだな。連絡つかなかったからさ、来ちゃったよ」

 そうして対面した琉君は、どこかほっとした表情をしていた。それを見て僕は、部屋のベッドの上でケーブルに繋がれた状態の腕時計とタブレットのことを思い出した。

「え……ああ! ごめん。腕時計もタブレットも充電してて、電源切っちゃってた」

「あー、そうだったのか。……ってことは、楓。まだTOKIYUME TIMES、見てないか?」

 そう問いかける琉君は、どこか不安そうな顔だった。そういえばあの学内新聞は、毎週月曜日の朝六時に発行だったっけ。発行といっても紙媒体ではなく、電子版オンリーなのだけれど。

「……あれ、もしかして、また僕達のこと記事になってた?」

 そこで僕は、先週何度か学園内で新聞部を名乗る生徒に追い回されたことを思い出した。だけど特に面白いコメントもできなかったから、OQから一週間以上が経った今更記事になることはないと思っていたのだけれど、よっぽどネタがなくて採用されてしまったのだろうか。

「いや……オレらはまったく触れられてないんだけどさ……うーん、なんていうか……とりあえず、読んだ方が早いと思う」

「?」

 琉君はそんなはっきりしない言葉を述べると、肩に掛けていた鞄からタブレットを取り出した。そして人差し指で画面を操作した後、僕に手渡してくる。そこには、『TOKIYUME TIMES』の最新号が表示されていた。

「……! なに、これ……」

 その一面の見出しに躍っていた文字を見て、僕は思わず声を上げた。琉君は表情を険しくさせて、若干目を伏せる。僕の目に飛び込んできたのは、『スクープ! 期待の一年生ルーキーは、学園の理事長の娘だった! まさかのコネ入学!』というレタリングされた大きな文字と、隠し撮りのような雰囲気のする制服姿の葵の写真だった。

「その感じだと、楓も知らなかったんだな」

「え、知らないっていうか……え、これ、本当なの?」

 僕は混乱しつつも、記事に目を走らせた。そこには理事長と葵が実の親子関係であるということと、時夢学園への入学がコネ入学だとの批判を述べる文章がつらつらと綴られていた。するともう一枚写真が現れたので、僕はタッチして拡大表示してみる。それはステージのような場所でスーツを着た大人が何人か立っていて、その周りを風船を持った子供たちが囲んでいる、という謎の写真だった。

「……何、これ?」

「……数年前の、ゲームの製作発表会の写真だってさ。小学生のときの葵が、小次郎社長の隣に映ってる。ったく、どっから見つけてきたんだか……」

 琉君はそう言うと、チッ、と小さく舌打ちをした。僕は再び、写真を注意深く見てみる。すると、中央にいるスーツ姿の男性の隣にいる白いワンピース姿の少女に目が留まった。長い髪は下ろしているし、顔立ちも雰囲気も幼いけれど、たしかに葵の面影がある。にこりと笑った両頬には、今と変わらずえくぼが二つくっきりと浮かんでいた。……そういえば時夢の社長兼理事長である小次郎氏も葵も、どちらも名字は伊藤だ。だけど特段珍しい名字でもないから、親子だなんてことはまったく考えもしなかった。

 僕は再び、記事の続きに目を通した。この他にもアニメやゲームのイベントに招待枠で参加し、コネをフル活用……。……見出しの時点ですでにわかっていたことではあったけれど、この記事はすべてが葵への批判的なスタンスで書かれていた。

「……ひどい」

 率直に、そう思った。たしかに、葵が理事長の娘であるということを面白く思わない人はいるのだろう。だけどこんな風に一方的に悪意をぶつけられるなんて、ひどすぎる。記事から迸る言葉の刃がまるで自分に向けられたもののように感じて、思わず涙が出てきそうだった。

「でも、入学したときには騒がれなかったのに、なんで今更……」

 そこまで呟いたところで、僕ははっとした。先々週の、オンリーワンクエスト。OQをクリアしたことで、僕達の存在は学園中に知られることとなった。もしかしたらこれがきっかけで葵に興味を持ち、色々と調べた人がいたのかもしれない。そしてその結果、今回の記事へと繋がってしまったのではないだろうか。

「……まあ、この記事が真実かどうかもまだわかんねーし、とりあえず、女子寮行ってみないか? ……なんか、結構騒ぎになってるらしい」

「え、騒ぎって……?」

 僕がタブレットから顔を上げると、琉君は言いにくそうに顔をしかめた。

「……葵の部屋の前に、人が押しかけてるとかなんとか。那子からの情報だけどな。葵とは、ずっと連絡つかねーんだ」

「……!」

 その言葉を聞いた僕は、急いで部屋に引っ込んで出かける支度をした。そしてそのまま学校へ行ってしまえるように鞄を持って、琉君と共に女子寮へと走った。

「まあオレらは女子寮には入れねーから、行っても意味ないかもしれないけどな……」

 途中で琉君はそう言ったけれど、僕は走る速度を緩めなかった。とにかく、葵のことが心配だった。何か少しでも状況が掴めればと息を切らして女子寮へと辿り着くと、入り口のところに那子さんの姿が見えた。どうやら僕が準備をしている間に、琉君がこれから行くと連絡してくれていたようだった。

「……っ、那子さんっ、葵は……?」

「……」

 僕が必死の形相になって尋ねると、那子さんは視線を逸らし顔を俯けた。それだけで、ひどい状況だということは嫌でも伝わってきた。

「……部屋の前に、すごい人だかりができてる。あれじゃあ、きっと私がインターホン鳴らしても開けてくれない。多分ドア開けた瞬間、人が一斉になだれ込んできちゃうと思う」

「……そっ、か……」

 僕はふっ、と、思わずその場にしゃがみ込んだ。連絡がつかない今の状況では、直接会いに行くしか葵の様子を知る方法はない。なんとかして那子さんだけでも、葵の部屋に送り込めるといいのだけれど……。

「あら、あなた達」

 するとふいにそんな声が聞こえてきて、僕は顔を上げた。見ると、女子寮の入り口から響架先輩とひかる先輩が黒いマントを靡かせて出てくるところだった。こうして顔を合わせるのは、あのOQのときのデュエル以来だった。

「ちょっと……大丈夫なの? あの子。なんかすごいことになってるみたいだけど」

「……」

 どうやら響架先輩達の耳にも、葵の騒動は伝わっているようだった。だけど僕達は、何も言葉を返すことができない。今葵がどうしているのか、それさえ僕達にはまったくわからなかった。

「……あたしは別に、理事長の娘が学園にいようがどうでもいいけど。ただ、この学校の倍率すごいから、入れなかった人たちの中で逆恨みする人が出てもおかしくはないだろーね」

「……そうですよね。なんとか、情報が学内から洩れないといいんですけど……」

 僕がそう言葉を返すと、ひかる先輩はちょっと顔をひきつらせた。そして言いにくそうにしながらも、再び口を開いた。

「あー……、君、知らなかった? 学内新聞はホームページにも載ってるから、学外の人でも自由に見られるようになってる。……現に、ネットの掲示板でもちょっとした騒ぎになってるよ」

「……え、そんな」

 この記事は学内の人間だけではなく、日本全国、大げさに言えば世界中の人の目に触れているというのか。あまりの事の大きさに、僕は吐き気がしてきそうになった。なんだか新たな情報が入る度、どんどん状況が悪化していっているような感覚がした。

「私も生徒の親が何者だろうと特に興味はないけれど、寮での騒ぎを見るに現役生からの批判の声も出ているみたいね。ここまで来ると、理事長も何かしら動くんじゃないかしら」

「……」

 響架先輩の言う通り、たしかにこれだけ事が大きくなったら葵の父親、時夢の社長であり理事長でもある小次郎氏が何らかの行動を起こす可能性はあった。例えば記者会見を開くとか、そうでなくてもホームページか何かでコメントを発表するとか。そうすれば、この騒動も収束へと向かうかもしれない。……だけど、それはいつになるのだろう。今日の昼? 夜? それとも明日? このまま葵の様子を確認できないまま学校に行って授業を受けるなんて、僕にはどうしてもできなかった。

「……響架先輩、ひかる先輩、お願いがあります」

 そこで僕は頭の中に思いついたある無謀な作戦を実行するべく、OQのときには敵同士だった二人の先輩へと真っ直ぐに体を向けた。そして引かれることを覚悟で、その言葉を絞り出した。

「僕と琉君に……スカートを貸してください!」

「!?」

 そう言って深く頭を下げる僕を見て、響架先輩とひかる先輩はわけがわからないといった様子で目を大きく見開いた。那子さんも困惑した表情で僕を見つめ、事前に説明もなしに急に名前を挙げてしまった琉君は、「フアッ!?」と驚きの声を上げていた。


「……琉、がに股で歩かないで。何の為にそんな恰好してると思ってるの」

「お、おお……気をつけます……」

 そう那子さんに注意されると琉君は、くいっ、と爪先を内側へと向けた。僕もできるだけ目立たないようにと意識して、顔を俯けながら廊下の隅をこそこそと歩く。すぐ脇を女子生徒がすれ違う度、悲鳴を上げられるんじゃないかとひやひやして額には汗が滲んだ。

「う、ううう、これじゃあ歩く変態だよ……」

 そう泣き言を言う琉君の下半身は、紫色のタータンチェックの短いスカートで覆われている。そしてそこからすらりと伸びる長い足は、透け感のある黒いタイツに包まれていた。

「……しょうがないでしょ。これしか方法がないんだから。楓みたいに黙って歩いて」

 那子さんはそう言って琉君に喝を入れると、ちらりと僕のほうへと目を向けた。……僕の下半身にも琉君と同様に、紫色のスカートが揺れている。

今僕と琉君は、俗にいう女装状態となって女子寮の廊下を歩いていた。上半身の制服は男女共通のデザインなので、スカートさえ履いてしまえば男子禁制の女子寮でもパッと見なら誤魔化せると考えたのだ。そしてそのために僕が協力を要請したのが、響架先輩とひかる先輩だった。二人は僕のぶっとんだ要求に初めはドン引きしていたけれど、事情を話したところ快くスカートやタイツを提供してくれたのだった。先輩達曰く、僕達に貸してくれたのは『夏スカート』と呼ばれる生地が薄い夏仕様のものだそうだ。今すぐ使うものではないので、返却は急がなくてもいいとのことだった。

 スカートって足がスースーするな……なんて感想を抱きながら廊下を進んでいくと、やがて階段に差し掛かった。那子さんの話によると、葵の部屋は三階にあるらしい。僕は階段を一段一段上りながら、頭の中でシミュレーションを繰り返した。那子さんが葵の部屋のインターホンを押し、部屋の中に入れてもらう。ただ葵の部屋の前には人だかりができているので、その瞬間に人々がなだれ込んでくる可能性がある。それを、僕と琉君が盾となって阻む。作戦としては、そんな実にシンプルなものだった。

「でもさー、左手離したらやばくね? 最悪すとーんってスカート落ちて、女装男から露出狂にレベルアップしちまうぞ」

 琉君はちらりと腰に当てた左手を見つつ、そんな心配を口にした。先輩達から借りたスカートは当然だけれど僕達にはサイズが小さかったので、ファスナーが上まで上がりきらなかったのだ。なので僕たちはスカートがずり落ちないように、左手で常に腰のところを押さえていた。だけど人を阻むとしたら、やはり両手を大きく広げることが必要になるだろう。しかしそうなると、スカートの所在はかなり危なくなる可能性があった。

「……しょうがないよ。盾になるってことは至近距離で相対することになるだろうし、男だってことはどうせバレる。だったらもう、スカートがあろうがなかろうが大差ないよ」

「……うっわー、でもまあ、そうなるかぁー。まあしゃーねえなあ、裸じゃないぶん勘弁してくれってことだな」

 僕と琉君は、そう腹を括った。そもそもこうして女子寮に入り込んだ時点で、僕達はルール違反を犯しているのだ。今更引き下がるなんていう選択肢は、存在しなかった。

 階段を上っていくと、やがてがやがやと人の声が聞こえてきた。葵の部屋のある、三階が近づいてきたのだ。僕、琉君、那子さんは顔を合わせてこくりと頷くと、ばっ、と三階の廊下へと降り立った。

「!」

 そしてそこに広がっていた光景に、僕は思わず息を呑んだ。両脇に部屋のドアが立ち並ぶ廊下には、たくさんの制服姿の女子生徒が見える。その数は予想よりもはるかに多く、四、五十人はいるように思えた。そのうちの大多数の人間は、騒ぎになっていると聞いたから見に来ただけ、という野次馬のような雰囲気を醸し出している。だけど一部の人間は、そうではなかった。おそらく葵の部屋だと思われる一つのドアの前に固まり、インターホンを押したりドンドンとノックを繰り返したりと、かなり攻撃的な行動を繰り返していた。

「……わっ、え、何……? ちょっと、あいつ男じゃない!?」

「!」

 そしてここで、想定よりも早く僕達の変装は見抜かれてしまった。階段のすぐ傍にいた女子生徒の一人が、琉君を指差してそう大声を上げたのだ。……くそっ。まだ全然、ドアに近づいてすらいないのに。僕の額から、つーっと冷や汗が流れる。女子達の悲鳴はどんどん連鎖していき、僕、琉君、那子さんの前にはぽっかりと空間ができる。みんなバケモノを見るような目をして、スカート姿の僕と琉君を睨み付けていた。

「……っ、行こう」

「!」

 僕はもう半ば自棄のようになって、葵の部屋へ向かってずんずんと足を進めた。すると進行方向にいた女子達は「ひっ……」とか言いながら跳ねるように僕を避けて行く。その反応に傷つかないわけではないけれど、僕達から離れてくれるのは好都合だ。このまま無事に那子さんを葵の部屋に送り込めれば……と思った、そのときだった。

「あれ……ねえ、こいつら、この前OQクリアした一年じゃない? つまり、葵って子の友達じゃん」

「!」

 誰からかそんな声が上がると、さっきまでは引いていたはずの女子達が今度はさーっと僕達を取り囲み始めた。体がぶつかりそうになるくらいにぐいぐいと迫って来るので、僕は反射的に身を引いてしまう。

「ねえ、あの記事マジなの? 葵って子が理事長の娘ってやつ!」

「ってことはさ、この前のOQも八百長だったってこと?」

「君達さー、葵に呼ばれて来たの?」

「ち、ちょっと……!」

 女子達の勢いはすさまじく、僕達はすぐさま身動きが取れなくなってしまった。葵の部屋までは、まだもう少し距離がある。なんとか僕と琉君で阻んで那子さんだけでも行かせたかったけれど、相手が女子だと考えると中々強引に押しのけるということができなかった。……考えが、甘かった。僕は女子達からの一方的な質問攻めに遭いながら、ぎりっと唇を噛む。これは完全に、僕の作戦ミスだ。

「こら! あんた達、いつまで寮にいるんだい! もう授業始まるだろう! さっさと学校行きな!!」

 そんな時、騒然とする廊下に突如雷のような怒声が響いた。すると女子達は一斉に口を噤み、辺りには一瞬静寂が訪れる。そして一人、また一人と僕達から離れると、逃げるようにして階段を駆け降りて行った。人垣が崩れたことでようやく視線を向けてみると、廊下の真ん中にはいつの間にか四十代くらいの年齢のおばさんが厳しい表情をして立っていた。

「……っ、寮母さん」

「えっ……」

 その那子さんの呟きを聞き、僕と琉君は揃って身を固くした。……やばい。寮母さんに、僕達が女子寮に侵入したということがばれてしまった。生徒達にばれただけならまだしも、学園の大人にばれたのは非常にまずい。お説教に加え、何らかのペナルティが与えられる可能性もあるだろう。まさか退学とまではいかないだろうけれど、停学とか、反省文とか。……くそっ。今は、そんなことをしている場合じゃないのに。

 しかし寮母さんは明らかに不審者である僕と琉君からふいっと目を逸らすと、さらに奥のほう、葵の部屋の前に固まっていた集団へと声を掛けた。

「ほら、あんた達も。早く行かないと、遅刻するよ」

「……」

 その集団はさっきまで積極的に葵の部屋へ迷惑行為をしていただけあって、全員どこか気の強そうな雰囲気のする子達だった。しかし寮母さんにそう言われると、互いに目配せをしながらもゆっくりとドアから離れていった。

「……あの人達はいいんですか? ていうか、なんかスカート履いてる男が混じってんですけど」

「!」

 ところがすれ違い様に、その中の一人がそう言って僕達に人差し指を突きつけた。僕と琉君は思わずジャケットの裾を引っ張ってスカートを隠そうとするけれど、当然今更そんなことをしても何の効果もない。せめて那子さんは無関係ということで、逃がしてあげないと。そう思い、僕は那子さんにアイコンタクトを送ろうとちらりと脇へ目を向けた。

「こいつらは私が用事を頼んでいるんだよ。力仕事だから、男手が必要でね。スカートというのはこいつらの遊び心だろ、大目に見てやってくれ。ほら、わかったらさっさと行きな」

「……!」

 しかし寮母さんは、なぜかそんな僕達を庇うような嘘を言った。女子達はその言葉が本当だとは微塵も思っていないようで、怪訝そうに眉を寄せる。だけどやはり大人である寮母さんにこれ以上歯向かうことはできなかったようで、悔しそうに唇を噛みすごすごと階段を降りていった。するとあれだけ騒がしかった廊下はしーんと静まり返り、その場には僕、琉君、那子さん、寮母さんの四人だけとなる。

「あ、あの、僕達……」

「……遅くなってすまなかったね。君達は、この部屋の子の友達だろう? そんな格好して……無茶するねえ。今回は見逃してあげるから、そんな不安そうな顔はもうやめな」

「え、あ……!」

 寮母さんは溜め息交じりで微笑むと、すっ、と葵の部屋のインターホンへと手を伸ばした。そしてカメラへと顔を寄せると、「寮母の()佐ヶ(さがや)です」と一言だけ述べる。すると少ししてから、ガチャリ、と葵の部屋のドアがゆっくりと開いた。

「!」

 そしてひょっこりと顔を覗かせた葵は、普段とは雰囲気ががらりと違っていた。いつもポニーテールにしている髪は下ろされていて、肩の少し下くらいのところでさらりと毛先が揺れている。服装も制服ではなく、部屋着風のパーカーにショートパンツ姿だ。その恰好だと、なんとなくいつもよりも活発な印象が弱まっているように見える。たけどその表情はわりと平然とした感じだったので、僕はひとまずほっと胸を撫で下ろした。

「……朝食は食べたのかい?」

「あー、えーっと、まだっすねー……」

 寮母さんが尋ねると、葵は、ははー、と笑いながらそう答えた。おそらく朝起きてすぐに部屋の前がとんでもないことになったから、食堂へと行くことができなかったのだろう。それを聞くと、寮母さんは廊下に佇む僕達にちらりと視線を向けて言った。

「じゃあ適当に何か部屋に持ってくるから、ちょっと待ってな。それまで、お友達とおしゃべりでもしているといい」

「……」

 すると葵は、そこで初めて僕達のほうを見た。寮母さんはすっとドアの前から離れると、階段のほうへと向かって廊下を歩いていく。葵は僕達を見て少し困ったような笑みを浮かべていたけれど、やがてドアを大きく開いてこう言ってくれた。

「入りなよ」


 女子寮は男子禁制だから、僕が女子部屋に入ったのは当然これが初めてだった。だけど部屋の造りとしては、ほぼ男子寮の部屋と変わりはない感じだった。玄関を上がるとすぐにキッチンがあり、反対側の壁にはトイレとお風呂と思われる扉が見える。そしてそのまま進むと八畳ほどの部屋が現れ、その中央に置かれていた白いテーブルの前に僕達は腰を下ろした。葵は空のグラスを四つ持ってきて、その中に琥珀色のジュースの液体を注いでいく。

「……えーっと、とりあえず、その恰好は突っ込んでいいの?」

 そして全員分のグラスに飲み物を注ぎ終わったところで、葵は真っ先に奇抜な格好をした僕と琉君の姿について触れてきた。

「そっとしておいてくれ……」

 しくしくと背中を縮こまらせる琉君を見て、葵は「ん、りょうかーい……」と言って苦笑いを浮かべた。僕も恥ずかしくて死にそうだったけれど、まさか葵に着替えを借りるわけにもいかない。こうして座っていればテーブルで隠れてスカートはあまり目に入らないだろうし、もう少しの辛抱である。

「つーか、大丈夫かよ。全然連絡つかなかったら心配したぜ」

「え、あー……ごめん。時計もタブレットも電源切ってた。なんかもう、すごい勢いで鳴るから」

 葵は琉君にそう言葉を返すと、ちらりと部屋の片隅に目を向けた。その視線の先には、真っ暗な画面のタブレットと腕時計が乱雑に置かれていた。この学園の生徒同士は、名簿を使うことでたとえ知り合いでなくともダイレクトに電話やメッセージのやりとりをすることができる。きっと葵の元には、学内新聞を見た生徒達からものすごい量の連絡が入ったのだろう。

「……記事、すごく話題になってる」

「ん、そうだね」

 那子さんの言葉に、葵は淡々とした反応を示す。その表情からは、いまいち心情が掴みづらかった。

「……本当なの? その、葵が、時夢の理事長の娘だ、って」

「本当だよ」 

 僕が核心に触れる質問をすると、葵はそう即答した。その妙にすっきりとした感じは、まるでいつかこんな日が来ることを覚悟していたかのようだった。

「正真正銘、私は時夢の社長兼理事長の実の娘。まあ別に隠してたわけでもないけど、言いふらす必要もないかなって思って黙ってた。ごめんね」

「い、いや……謝る必要はないって。な?」

 琉君に視線を向けられ、僕と那子さんもこくこくと頷いた。親が何者かなんて、そんなのわざわざ言わなきゃいけない義務なんてない。だけど葵は僕達の言葉が耳に入っているのかいないのか、再び流れるように言葉を続けた。

「あと記事にあったコネ入学ってのも、ほぼ事実と言えるだろーね。一応入試にはノータッチにしてもらってたけどさ、面接官の中には私が理事長の娘だってことを知ってた人は絶対いただろうし、配慮しなくていいって言われてもそりゃあするでしょ、実質部下なわけだし。批判されて当然だよ。私のせいで、この学園に入りたかった人が一人落とされちゃったんだから」

「そ……そんなこと」

「アニメとかゲームのイベントもさ、おとーさんが関係者席をいくつかもらえることが多かったから、よく連れて行ってもらってた。そりゃームカつくよね。みんな抽選でやっとチケット手に入れてんのに、そうやってひょいひょい参加してる奴がいたら。本当、正論だと思う」

「……」

 葵は僕に言葉を挟み込む余地も与えないまま、独り言のようにあの記事について語った。その怒涛の勢いに、僕達はつい黙り込んでしまう。

 今の話を聞くに、それは葵が悪いわけでもなんでもないと率直に思った。入試の件だって別に口利きを頼んだわけではないし、仮に面接官が理事長の娘に気を遣ったのだとしても、それは向こうが勝手にやったことで葵のせいではない。ゲームやアニメのイベントのことも、葵が関係者席を遠慮したところでそれが一般席に変わるわけではないだろう。あの記事は言いがかりのようなものだから、気にすることはない。僕は、葵にそう言葉を掛けようと思った。だけどなんとなく、今の葵には何を言っても薄っぺらい気休めの言葉と捉えられてしまうような気がした。琉君と那子さんも同じように感じたのかはわからないけれど、僕達は結局そうして何も言わずにただただじっとその場に座り続けていた。

 するとしばらくして、ピン、ポーン……と部屋一杯にインターホンの音が鳴り響いた。葵は立ち上がってモニターを確認しに行くと、そのまま玄関へと向かってガチャリとドアを開ける。ちらりと目を向けると、ドアの前には朝食と思われるお盆を持った寮母さんの姿が見えた。

「わ、おいしそー。焼き魚定食だ……ってあれ、食堂まだやってたんですか?」

「ぎりぎりで駆け込んだんだよ。食器は後で自分で食堂に戻しにいってね。生徒達はもう学校に行ってて、寮にはいないから」

「はーい。ありがとうございます、お手数掛けましたー」

 葵は寮母さんとそんなやりとりをすると、ぱたん、と玄関のドアを閉めた。そして白い湯気の立ち上る朝食の載ったお盆を手に、部屋へと戻ってくる。

「……ちょっと遅刻にはなっちゃうけど、楓達は今からでも一時間目の授業出た方がいいよ」

 そしてそのお盆をテーブルの上に下ろすと、葵はベッドサイドに置かれていたデジタル時計に目を向けた。現在時刻は、午前九時六分。授業開始は午前九時だから、今の時点でもうすでに遅刻だった。

「え……いいよ。葵の準備ができるまで待ってるよ」

 その僕の言葉に、琉君と那子さんもうんうんと頷いた。そうなると一時間目の授業には間に合わず、下手したら二時間目の授業にも遅刻してしまうかもしれないけれど、どうせ教室で待っているのは生身の先生ではなく3Dモデルのキャラクターだ。サボったところで怒られることもないし、授業の映像は後から図書室で何度でも見られるようになっているので問題はない。しかし葵は少し困ったように笑みを浮かべると、衝撃的な言葉を口にした。

「いや、私、今日学校行かないから」

「え……どうして?」

 僕は驚いて、思わず目を丸くする。葵は見た感じ、特段体調が悪そうにはしていない。

「や、だってさ、今のこのこ出てってもどうせ餌食になるのが目に見えてるし。ほとぼりが冷めるまでは、おとなしくしとくよ」

「えっ……でも」

 そう言いかけて、僕はさっきの葵の部屋の前での光景を思い出した。あの混乱の矢面に葵を立たせるのは、たしかに普通に心配だった。一日くらい休んでも今後の学校生活に特に支障はないし、少し時間が経ってみんなが冷静になるのを待つというのはわりと賢い選択かもしれない。何より葵がそうしたいと言っているのならば、それを無理に学校へと引っ張ることはできない。

「……あ、そうだ。ねえ、葵って、スマホは持ってる?」

「え? あー、持ってるよ、一応。最近あんま使ってないけど」

 そのときふと思いついたことがあって、僕は葵にそんな質問をした。学園では腕時計型端末とタブレットが支給されるから、元々スマートフォンを持っていても入学と同時に解約してしまう人が多いと聞いたことがあった。だけど幸い葵は、どうやら学園でも少数派のスマートフォン所持者のようだった。

「そしたら、スマホのほうの番号とアドレス教えてよ。それだったら学園の名簿には載ってないから、電源切らなくても大丈夫でしょ?」

「お、そっか。ナイス楓」

 僕の発言に、琉君は感心したような声を上げる。この方法なら、今ちょっと大変な状況にある葵とも普通に連絡をとることができる。僕達は葵のスマホのほうの連絡先を聞くと、それぞれ腕時計型端末のアドレス帳へと登録した。

「……それじゃあ、何か困ったことがあったら、いつでも連絡して。……というか別に何もなくても、暇なときとかにも連絡してくれていいから」

 そして最後にそう言葉を掛けると、僕達は後ろ髪をひかれつつも女子寮を後にした。今日は欠席するという葵の意思は変わらないようだったし、それなら僕達で学校の方はどんな様子なのかを確認しておいたほうがいいだろう。一旦男子寮に戻ってズボンに着替えた後、僕達は三人横並びになって、すでに授業真っ只中である本校舎を目指し静まり返った通学路を歩くのだった。


「ふうー……」

 昼休み。人気のない校舎裏にあるコンクリート製の階段に腰掛けて、僕と琉君は深く息を吐いた。ぶわあっと生暖かい風が思いっきり顔に吹き付けてきて、もうすぐ夏だなあ、なんていうことをぼんやりと思う。

 少し遅刻して学校へと顔を出した僕達はそれから休み時間の度に、今朝の葵の記事に関する質問攻めに遭っていた。『時夢の理事長の娘だってマジ?』『コネ入学って本人認めてんの?』『この前のOQが出来レースだったって噂も聞いたけど』『つーか今、本人どこにいんの?』……大体そんな感じの質問が、僕が顔も名前も知らないような人達からぽんぽんと繰り出された。中には確実にデマできっぱりと否定したいというようなものもあったけれど、僕達はすべての質問に一貫して『よくわからない』と言って誤魔化し続けた。僕達が下手に何か言うことでこれ以上騒ぎが大きくなるのも嫌だったし、そもそもどういう対応をするのが正解なのかがわからなかったからだ。昼食をとるために訪れた学食でもたくさんの生徒達に根掘り葉掘り質問され、やっとのことで食事を終えて人気のない場所へと逃げてきた次第だった。ちなみに那子さんは今、女子寮に葵の様子を見に行っている。授業が行われる校舎群と女子寮の間には結構な距離があるため、昼休みにわざわざ部屋へと戻る生徒はまずいないはずだ。だから今朝のように葵の部屋の前に人だかりができるということはないだろう……と、思う。さすがに僕と琉君が女装常習犯になるわけにもいかないので、ここは那子さんにお任せである。

「……ネットのほうは、どんな感じ?」

 僕は一息ついたところで、隣でさっきから何やらタブレットの画面を操作していた琉君へと顔を向けた。琉君はうーんと険しい表情をしながら、口を開く。

「小次郎社長は、今のところ何のアクションもなしだな。学園のホームページにも何も変化はないし、会社関連のサイトも通常運転だ」

「そっか……。この様子だと、今日中に何か動くってことはないのかな……」

「……あるいは、敢えて動かないっていう選択をしているのかも」

「?」

 琉君の言葉に、僕は首を傾げた。

「下手に行動すると、火に油を注ぐような結果になる可能性もあるわけだし。ほら、よく言うじゃん。ネット炎上したときは、無視を決め込むのが一番いい対処法だ、って」

「あー、なるほど……」

 たしかに小次郎社長が『記事にあるコネ入学はガセです』と言ったところで、『嘘つけ!』と言われてしまったらもうどうしようもない。変に刺激するよりは、このまま沈黙を決め込んだ方がマシなのかもしれない。だけどつまりそれは、小次郎社長サイドから事態を好転してもらうことは期待できないということでもあった。

「ネットの匿名掲示板のほうは、今も活発な状態だな。批判の書き込みが大多数、って感じ。もちろん、たまに擁護の書き込みもあるけど」

「……そっか」

 学内の様子を見てある程度予想していたことではあったけれど、改めてその言葉を聞くとやはり気分が落ち込んだ。時夢の入試に落ちた人達が、そうやってネットで大声を上げているのかもしれない。あるいは、ただこの出来事を面白がっている人達とか。匿名掲示板なら誰でも気軽に書き込めるし、過激な意見が多くなってしまうのはある意味必然と言えた。せめて、葵の目に入っていないといいのだけれど。

「ま、まあでも、全部が全部批判的なものでもないからな。ほら、このスレのタイトルとかは好意的な感じじゃね?」

 僕がよっぽど暗い顔をしていたのか、琉君は励ますようにそう言うとひょいとタブレットを渡してきた。画面には『時夢の社長の娘美少女すぎワロタwww』というタイトルが表示されている。なんだか馬鹿馬鹿しい感じだけれど、こんな状況だとそれでもちょっと和んだ。僕は試しに、そのタイトルに指で触れてみる。

「!」

 しかしざっと目を通してみたところ、そこに書き込まれていたのは下品な言葉のオンパレードだった。僕は慌てて、そのページを閉じる。……本当に、ネットってろくでもない。たかが一枚か二枚の写真を見ただけで、どうしてそこまで想像を膨らませられるんだ。葵のことを、変な目で見るな。僕は顔も名前も知らない書き込み主達に向かって、静かに怒りを滾らせる。

「……まー多分、そのうちみんな飽きると思うけどな。何か他の話題が出たら、そっちに移るだろ。……言い換えると、それまでは針のむしろなんだろーけど」

「……うん。そうだね……。明日から、できるだけ葵をガードしてあげないと……」

 僕はタブレットを琉君へと返却しながら、ぼそりとそう呟いた。完全に騒動が収束するまでには、もしかしたら一週間くらいはかかるかもしれない。今日僕達に群がって来たような人達が今度は葵の元へ行く可能性もあるので、その時はなんとかして間に入らないと。

 びゅうっと生暖かい風が吹き抜ける校舎裏で、僕は改めてそんな決意をする。


 だけど次の日もその次の日も、葵は学校に来なかった。


「……スカートとタイツ、ありがとうございました。ちゃんとクリーニングしてあるので……ひかる先輩にも、よろしくお伝えください」

 僕はそうお礼の言葉を述べると、手に持ったビニール袋をすっと前に突き出した。水曜日の放課後。僕は一昨日借りた制服を返却するため、本校舎四階の廊下の片隅で響架先輩と落ち合っていた。袋の中には琉君が借りた分も含めた、二人分のスカートとタイツが入っている。

「……もういいの? 葵に会いに女子寮に会いに行くときはどうするの」

 響架先輩は手を伸ばして袋を受け取るも、そんな質問を僕にしてくる。僕はそれに、ただただ苦笑いを返すだけだ。あのとき寮母さんは特別に見逃してくれたけれど、さすがに今後も何度も女子寮に通うとなると話は別だろう。僕達を隠匿したことがばれて寮母さんが何らかの責任をとらされることになったら大変だし、葵に直接会いにに行くのは那子さんに任せるしかない。

「でも、葵スマホ持ってるので、連絡は常にとれる状態にあるんですよ。それと実は、今葵寮母さんの部屋に避難してるんです。なのでこの前みたいに、部屋に人が押しかけて身動きがとれなくなることは心配しなくても大丈夫です」

 これらは僕、琉君、那子さんの三人しか知らない極秘情報だった。だけどこの前の無茶な要求を快く了承してくれた響架先輩になら話してもいいと思い、僕はそう告げる。響架先輩は「……そう」とぼそりと呟くと、廊下の壁にこつんと背中をもたせかけた。放課後ということもあって、辺りに人の気配はほとんどしない。響架先輩とは一昨日の朝以来顔を合わせていなかったけれど、その様子を見るに葵があれからずっと学校に来ていないことは耳に入っているようだった。新聞が発行された直後よりは勢いは収まった気がするけれど、それでも学園内ではまだまだ葵の噂が飛び交っている。

「……サイレントマジョリティーって、知ってる?」

「……え?」

 ふいに響架先輩が口を開いたので、僕は一瞬きょとん、としてしまう。

「声なき多数派、ってことね。実際にその主張をしている人はほんの一部なのに、何も声を上げていない人達もその意見に賛同しているように感じられる。特に日本では同調圧力とか事なかれ主義みたいなのがあるから、その傾向が顕著であるように思えるわ」

「……ああ、なんとなくわかります」

 実際今の学園内や世間での状況も、それと似たようなものだ。葵の記事をどうでもいいとか興味がないと思っている人も確実にいるはずだけれど、反対意見を声高に叫んでいるわけでもないから実質その存在は希薄となる。葵には、学園や世間の大多数の人が自分の敵のように映ってしまっているだろう。

「OQのときのデュエルでの最終局面では、本当に驚かされたわ。あの子、そんなに頭が回る感じにも見えなかったから、まさかあんな切り札を隠していたなんてまったく気が付かなかった。先輩に対してまったく物怖じしないところも、大物よね。正直、こんなことで潰れてほしくない」

 響架先輩は、じっと僕に真っ直ぐな目を向けた。その背中には今日も、黒いマントが揺れている。

「……この前のスカートのことしかり、何か私にできることがあったら協力するわよ。私というか、魔王軍全員の力を貸すわ。先輩だからって、遠慮することなんてないのよ」

 その響架先輩のあたたかい言葉に、僕の胸は張り裂けそうになった。出会ってからまだほんの少しの時間しか経っていないのに、響架先輩達は葵や僕達のことをこんなにも心配してくれている。素直に、嬉しかった。……だけど。

「……はい。ありがとう、ございます……」

 僕はそう言ってぺこりと頭を下げると、その場を立ち去った。後ろで響架先輩が何かを言いかけた気がしたけれど、僕は足を止めなかった。


 響架先輩と別れた僕はエスカレーターを降り、昇降口へとやって来ていた。僕はこのまま下校するつもりだったけれど、周囲にはこれから部活動へ行くといった様子の生徒や、友達とクエストに行く計画を立てている生徒達の姿がちらほらと見られる。その楽しそうな様子を見ていると、僕の心に暗い影が落ちた。なんだか歩く気力もなくなって、僕は昇降口を出た後校門の手前にあるベンチへとどっかりと腰を下ろした。

「……」

 そしてぼんやりと頭の中で、先程の響架先輩の言葉を思い出す。響架先輩がせっかくああ言ってくれたのに、僕は何の提案もすることができなかった。そのことに、今更ながら悔しさと、ふがいなさが同時に襲ってきていた。

 葵とは、あれから何度も連絡をとっている。電話した印象としては特別落ち込んでいるような雰囲気でもなく、普通に元気な感じだ。葵は僕達が学校に行っている昼間主にスマホでゲームをして過ごしているらしく、レアモンスターをゲットしたとかレベルがここまで上がったとかいうことを楽しそうに話していた。直接会いに行っている那子さんも、ご飯もちゃんと食べているようだしわりと元気そうに見える、と言っていた。だけど、それはあくまで表面的な印象の話だ。葵は、あの記事が出てから学校に来ていない。その事実が、今の葵の状態を一番的確に物語っていた。

 何とか、したかった。僕はぎゅっと、膝の上に作った握り拳に力を入れる。葵は僕が田島先輩のことで落ち込んでいたあのとき、明るく声を掛けてくれた。そしてそれからも僕が知らなかったことをたくさん教えてくれて、葵を通じて琉君や那子さんとも友達になることができた。入学してから今までの一か月ちょっとの間、僕がこの個性的な学園での生活を楽しむことが出来ていたのは、間違いなく葵が強引にでも僕の手を引っ張って色々なところに連れ回してくれたからだった。

 葵の為に、何かしたかった。だけど何をすれば今の葵にとって少しでもプラスになるのかが、まったくわからなかった。あの記事が出たことで葵に対する批判は、学園内だけでなく学外の人間からも上がっている。こんな大きな騒動を、僕みたいなただの高校生が一人でどうこうできるとは到底思えなかった。……何だよ。じゃあ学園の関係者は、この学校に入っちゃいけないって言うのかよ。そもそも入試に葵の父親はノータッチだったんだから、コネなんて使ってないじゃないか。僕の中に、もう何度目になるかわからないあの記事への怒りが湧き上がる。そして同時に、あの日記事について他人事のように淡々と語っていた葵の横顔を思い出した。あのときの葵からは悲壮感というよりも、もうすべてのことを諦めてしまっているような、そんな感じがひしひしと伝わってきていた。……なんだかこのまま、葵が学園からいなくなってしまうような気がした。

「……」

 僕はベンチからふらりと立ち上がると、再び昇降口へと戻った。何をどうしたらいいのか、わからない。そんな僕が次にとった行動は、最低のものだった。現実逃避。僕はエスカレーターを上って図書室へと向かい、アニメのDVDを数枚と漫画の単行本をレンタルした。そして今起きている問題から目を背けて、創作物の世界へと浸ることを選んだのだった。


 寮の部屋に戻った僕がまず手をつけたのは、漫画『大家族 鳥越家の日常』の最新刊だった。アニメのほうはオリジナルストーリーで完結したけれど原作の漫画のほうはまだまだ続いていて、今巻もきょうだいたちは力を合わせてバケモノと戦っていた。その最前線に立つのは、大家族の長男である主人公だ。僕自身が大家族の長男ということもあって、どうしてもこの作品を読むときにはこの主人公と自分を重ねてしまう。主人公は次々と襲いかかる困難にも負けず、世界を守るため、剣を振る手を止めない。その姿は現実から目を逸らしている僕とは対照的で、なんだか読んでいて気が滅入ってきてしまった。結局僕は途中で読むのを止め、DVDのほうを再生することにした。

 適当に選んできたそのDVDは、『緑ヶ丘高校探偵ファイル』というタイトルで、『探偵部』という部活動をしている高校生たちが校内で起こる事件を次々と解決していくというミステリー物だった。だけど普通のミステリーとちょっと毛色が違うところは、その解決法が非常に暴力的だという点だった。それは犯人をぶん殴るとかいった言葉通りのものではなく、簡潔に言うと『権力と財力』によるもの。というのも登場人物の一人に、高校の理事長の娘であるとてもお金持ちのお嬢様がいるのだ。……なんだか理事長の娘というと、つい違う誰かのことを思い浮かべてしまいそうになる。だけどこの作品まで見るのをやめてしまったら、今僕の手元にはもうストックがない。現実逃避の為にアニメを見ているはずなのになんで現実を思い出させられるんだ……なんて不満を抱きつつも、せっかく借りてきたものだったので僕は視聴を続けることにした。

 理事長の娘である富士山(ふじやま)エレノアは、金髪に碧眼という派手な見た目をしたキャラクターだった。エレノアはその権力や財力をフルに活用して、正攻法とはかけ離れた方法で事件を解決していく。例えば校内の監視カメラの映像を探偵部が自由に閲覧できるように無理矢理校則を改正したり、重要な手がかりを持つと思われる人物には札束を握らせて証言を引き出したり。他にも主人公の男子と同じクラスになれるように裏工作をしたり、部室の設備やインテリアを超豪華にしたりと、まさにやりたい放題だった。もしこれが現実での出来事だったら、葵の時のように新聞部とかにすっぱ抜かれていそうである。だけどエレノアは気の強い感じのキャラだし、そうなった場合でも堂々と開き直っているだろう。というかそもそも、エレノアなら記事が出る前にひねり潰せるか。僕は借りてきたDVD三巻、六話までを視聴し終え、ぼんやりとそんなことを思った。寮に帰って来たときはまだ夕方だったけれど、今はもう辺りは真っ暗となってしまっていた。食堂が閉まる前に夕食を済ませないと、と思い、僕はDVDを取り出すべくリモコンに手をかけた。

「……ん?」

 そうしてタイトルメニューへと戻った時、画面の一番下に『特典映像』なる項目があることに気が付いた。一巻と二巻にこんなのあったっけ? と首を傾げつつも、僕はその映像を再生してみることにした。すると画面には本編に出てきたキャラクターたちが再び現れ、『第一回人気投票、結果発表ー!』と声高に叫んだ。どうやら連載している漫画雑誌で行われた人気投票の結果を、ここでも発表するということらしかった。ドルドルドル……と名前が並んだルーレットが回転し、下位である十位から順にキャラクターが発表されていく。全体の印象としては、女キャラが多くランクインしているようだった。主人公である男子は五位という微妙な順位に留まり、いよいよ上位者の発表である。主人公に好意を寄せる幼馴染やどう見ても大学生くらいにしか見えない美人女教師などの名前が呼ばれる中、栄えある一位を獲得したのは金髪碧眼のお嬢様、富士山エレノアだった。

「えええ?」

 僕はこの結果に、思わずぽかんとしてしまう。たしかにエレノアは目立つ立ち位置にいたし、キャラクターの造形も可愛らしい感じである。だけどそれにしても横暴やわがままといった印象が強く、あまり人に好かれそうなキャラではない気がした。だけど票数は二位と圧倒的に差を付けていたし、投票者のコメントは、『一生ついて行きます』『エレノア様マジで惚れるし憧れる』『これからもこき使ってください』などと絶賛の声ばかりだった。

「……」

 こんなにやりたい放題していても、アニメのキャラクターならみんなから好かれるのだ。葵のコネ入学の記事には、みんな非難轟々だというのに。もちろんアニメと現実の違いだと言ったらそれまでだけれど、僕はなんだか納得がいかなかった。

「……あっ」

 するとそのとき、ふと僕の頭に閃くものがあった。僕はばっと顎に手を当てると、今思いついたことをざっと頭の中でシミュレーションしてみる。人気投票の結果発表が終わり再びタイトルメニューへと戻ったテレビ画面の光だけが、真っ暗な部屋の中で煌々と僕の顔を照らしていた。……上手くいくかどうかは、正直わからない。でもやってみる価値は、あるのではないかと思った。僕の体は熱を帯び、心臓はドクドクと高鳴り出す。

「……っ」

 僕は左腕を持ち上げると、腕時計の画面に右手の人差し指を閃かせた。これは、僕一人の力では実現できない。何人かから協力が得られなければ、この計画は僕の頭の中だけで終わってしまう。僕は学園の名簿を画面に呼び出すと、さっそく協力を乞うべく電話をかけ始めるのだった。



「楓、こんな感じでどう? 一応、印刷してみたけど」

 そう言って琉君は、すっと一枚の紙を僕に差し出す。その様子を見て、近くのパソコンの前に座っていた生徒もちらりとこちらに目を向けた。この日の放課後、僕達はコンピューター部の活動場所となっているパソコンルームの一角を使用させてもらい、ある計画についての準備を進めていた。部屋の天井近くには扇風機がくるくると回っていて、時折機械の駆動音であるぶーんという音がそこかしこから聞こえてくる。

「おお、すごくいいと思うよ。写真も綺麗に印刷されてるし、これで決定でいいんじゃないかな」

 僕は琉君が作成してくれたポスター兼チラシを見て、そんな感嘆の声を上げる。僕は基本的にあまりパソコンの操作は得意ではないので、こういうことをさらっとできてしまう人のことは本当にすごいと思った。

「りょーかーい。じゃあこれを大量に印刷するけど……何枚にする? 全校生徒は六百人くらいいるけど、さすがにそれだと多すぎだよな……」

「そうだね……。学校の備品なら自由に使っていいってことだったから、制限はないって言えばないけど、あんまり多すぎてもそこらへんに捨てられたりしたら嫌だしね……」

 僕は、うーん、と頭を悩ませる。そんな僕の様子を見て、琉君が口を開いた。

「つーか今更なんだけど、データとして全校生徒に配布するってののほうがいいんじゃないか? それなら確実に、全員の目に届くし」

「うん、もちろんそれもするよ。だけど、その、一種のパフォーマンスみたいなものかな。実際に人の手で配った方が、みんなの注目を集められると思うんだ」

 僕がそう言うと、琉君は「なるほど……」と納得した様子で頷いた。そしてそんな会話をしているうちに、僕の中で考えがまとまった。ポスター30、チラシ170。とりあえず、このくらいの枚数でいこう。

「ええっと、とりあえず二百枚刷ってもらおうかな。それと、ポスターの貼る場所も考えないと。校内だけじゃなくて、寮とかショップエリアのお店のほうにも貼った方がいいかなって思うんだけど……」

「お、そうだな。それじゃあ、印刷待ちの間にそこらへんをピックアップしてみるか」

 琉君はそう言うと、再びパソコンの方に戻って何やらマウスを操作した。するとやがてガガガ……という音が部屋の前方にあるプリンターから上がり、印刷された紙が次々と排出され始める。僕達はその様子を横目でちらちらと見守りながら、タブレットに学園の敷地内の地図を呼び出してポスターの設置場所を検討し始めた。

「……こっちも、一応できた。こんな感じでどうかなって思うけど」

 するとそんな僕達の元へ、那子さんが一枚の紙を手にやって来た。その紙には、人物名が名簿のようにずらりと並んでいる。ざっと見たところ、全部で二十人くらいだろうか。

「……深夜アニメだけじゃなくて、ゴールデンタイムにやってる国民的アニメのキャラとかも入れてみた。あと男性向けと女性向けも偏らないようにして、有名どころは上のほうに載せたつもり」

「おー、いいじゃん。オレは余裕でピンと来たぜ」

「僕もアニメとかまだそんなに見てないけど、この子供向けの作品のキャラとかは知ってるよ。これなら、幅広い世代の人にもわかるんじゃないかな」

 那子さんが作成してくれたリストを見て、琉君と僕はそう称賛の言葉を述べた。これは僕にはどうしてもできなかったことなので、本当に那子さんの知識とリサーチ力様様だった。

「で、こっちも当然、印刷するんだろ?」

 琉君はさっきの話を踏まえ、そう言って僕に目線を向けてくる。僕はこくり、と頷きを返した。

「うん。でもこれはステージからばらまくつもりだから、チラシ程数は多くなくていいかな。何人見に来てくれるかわからないけど、五十枚くらいでいいと思う」

「……わかった。じゃあ琉のほうのが終わったら、さっそく印刷する」

 那子さんはそう言うと、キイッ、と僕の隣の椅子を引いてその上に腰を下ろした。部屋にはもう一つプリンターがあるようだったけれど、さすがに僕達だけで独占してしまうのは忍びない。今は元々コンピューター部の活動時間なわけだから、時間はかかっても一つのプリンターだけで印刷したほうがいいだろう。

「……っと、そういや楓、四時に響架先輩達と会う予定なんじゃなかったか? もうすぐなるぜ」

「……え、あっ、本当だ」

 そう琉君に言われ、僕も左腕を持ち上げて腕時計の画面を見た。時刻は、四時五分前。待ち合わせ場所は一階にある中庭だから、たしかにそろそろ行ったほうがいいだろう。

「……あっ、そうだ。先輩達にも見せたいから、チラシとリスト、一枚ずつもらっていってもいい?」

 そうして部屋の入口まで行ったところで、僕はふとそんなことを思いついて慌てて体に急ブレーキをかけた。そして出来立てほやほやのチラシとリストを琉君と那子さんから一枚ずつ受け取ってから、今度こそ廊下へと飛び出したのだった。


「わぁ……、結構できてる……」

 一階にある中庭へと辿り着いた僕は、今まさに建設中である造りかけのステージを見てぼそりとそう呟いた。本校舎、体育館、屋内プール、部室棟という四つの建物に囲まれた空間である中庭の一角では、タオルを頭に巻いた作業員の男の人達が絶賛作業中だった。ドドドド……というドリルのような音や、カンカンという何かを打ち付けるような音が聞こえてくる。見た所完成度としては、六割といったところだろうか。まだ鉄骨が剝き出しになっているところもあるけれど木の板が敷かれていて完成形が見えているような箇所もあるし、これならあと二、三日でできてしまいそうだった。

「すごいわよねえ……工事開始したの、一昨日じゃなかったかしら」

「わ、わっ! 響架先輩!」

 するといきなりすぐ隣から声が聞こえたので、僕は驚いて若干飛び退いてしまった。いつの間にか僕の隣に現れていたのは、三年生であり別名『魔王』の響架先輩。肩ぐらいの長さの黒髪は今日も綺麗に巻かれていて、背中には御馴染みの黒いマントが揺れている。高校生にしては大人っぽい雰囲気のその姿に、作業員の男の人が何人かちらちらと視線を向けているのがわかった。

「そ、その。ありがとうございます。今回は、僕の計画に快く協力を示していただいて……」

 僕は慌てて、響架先輩にぺこりと深く頭を下げる。今回の僕の計画には、魔王軍の皆さんにも協力をお願いしていたのだ。

「いいのよ別に、お礼なんて。むしろ、こっちにとってもいい話じゃない。ハルマキなんか今から楽しみにしてて、毎日テンション高くて鬱陶しいったらありゃしないわ。当日まで、誰かに引き取っててもらいたいくらいよ」

 響架先輩はそう言うと、はあっと大きく溜め息を吐いた。その優しい心遣いに、思わず僕の頬も緩む。……『魔王』なんて名乗っているけれど、やっぱり普通に良い人である。

「それで、あの。勇者さんのほうは……」

「おー。待たせたなー。あたしが勇者だ」

 するとそんな僕の言葉を遮って、また新たな人物が現れた。本校舎の廊下にある出入り口から中庭の芝生の上へと降り立ったのは、腰まで届くぐらいの長いツインテールをした小柄な女子生徒だった。そしてその左腰には、水晶のように透き通った白銀の剣が鞘に収まった状態で提げられている。顔立ちも雰囲気も随分と幼く見えるけれど、事前の情報によるとこの人も響架先輩と同じく三年生だとのことだった。

「っ、初めまして。今イベント主催の、一年の花巻楓です。この度は、勇者軍の皆さんのご協力、本当に感謝しています」

「おー。お前がイベント計画したってゆー一年かー。なんか、あれだな。想像してたよりもひょろってる感じだな。まあでも、一年でこれだけでかいことやろうと思えるのは大したもんだ。あたしは三年の(あさひ)(あずさ)。何度も言うけど、勇者だ」

 僕がぺこりと頭を下げると、目の前の小柄な先輩はそう言ってがはーっと豪快に笑った。そんな梓先輩の脇で、響架先輩は呆れるような表情をしている。

「お礼なんて言わなくていいのよ、楓。この子頭がおかしいくらいに正義厨だから、この手の話には喜んで飛び付くに決まってるんだから」

「そーだぞー、一年。よーく覚えとけ。必ず最後に正義は勝つ。これ世の中の摂理だからー」

「そうかしら。今時創作物の世界でも勧善懲悪物って少ないと思うけれど」

「おいこら魔王。今から戦いに臨むってのにモチベ下がること言うんじゃねーよ。これだから悪の眷属はいけ好かねーんだよ」

 そんな流れるような響架先輩と梓先輩のやりとりを見て、僕はついふっと笑ってしまった。魔王軍と勇者軍は敵同士だと聞いていたけれど、十分仲がよさそうだった。

「えっと、それで、チラシとかキャラのリストがついさっきできたので、お二人にも見てもらってもいいですか?」

 僕はそう言うと、制服のジャケットの内ポケットからチラシとリストの紙を取り出した。まず二人に見せたのは、一番上に『魔王と勇者の夕べ』と大きくレタリングされた文字で記されたポスター兼チラシだ。これが今回僕が計画して開催するイベント名で、その中身はいわゆる魔王軍と勇者軍の面々によるトークショーだ。そしてこのイベントの真の目的は、できるだけたくさんの生徒を集めること。それは残念ながら僕一人では到底できそうになかったので、こうして学園の有名人である魔王軍の皆さんと、そのライバルでありこちらも有名人である勇者軍の皆さんに協力をお願いしたのだった。ちなみに僕は今回『イベント申請』という制度を利用していて、これは申請をすることによってある一定の額までならばイベントにかかる費用を学園側が負担してくれるというすごいものである。このありがたい制度のおかげで、ステージなどの大掛かりな装置を作っても僕達に掛かる金銭的な負担は0円で済んでいた。

「へえ、素人が作ったにしてはよくできてるじゃない」

「あたしのドヤ顔もキレーに決まってるしな。ナイスな写真のチョイスだぜ」

 響架先輩と梓先輩はチラシを見て、そんなお褒めの言葉を掛けてくれる。もう一枚の那子さんが作成したキャラクターのリストのほうも、「いい人選だと思う」と先輩達のお墨付きを頂くことができた。

「そして当日の司会進行は、琉君がやってくれることになりました。あと一応僕達で魔王軍と勇者軍に聞きたい事とかを考えて、いくつか書き出してみました。もちろん答えられる範囲のものだけで構わないですし、他にこんなことを話したいっていうのがあったら遠慮なく追加してください」

 僕は再びジャケットの内ポケットに手を突っ込むと、ここ数日琉君と那子さんと共にうんうん考えて作成した質問リストの紙を二人に手渡した。

「それでイベントの数日前までに、ある程度回答を準備しておいてほしいんです。えっと、台本ってほど細かいものは作らないですし、当日フリートークとして自由に喋る場も設けるつもりですけど……」

「ええ、それが良いと思うわ。そのほうがスムーズにいくでしょう」

 響架先輩にそう言ってもらえたので、僕はほっと胸を撫で下ろした。やっぱり事前に質疑応答を示し合わせておいたほうが、司会進行をする琉君にとっても助かるはずだ。イベントの三日前に回答を持ち寄って打ち合わせをするということで、話はまとまった。

「それで楓、このチラシはいつ配るつもりなの?」

「え、あ、これですか? ええっと、今日中には印刷終わると思うので、早くても明日の朝とか、放課後ですかね……」

 響架先輩に尋ねられ、僕は手の中のチラシに目を向けながらそう答えた。

「そう。じゃあそのときには私達も参加するから、予定がはっきりしたら連絡寄越しなさい」

「え……? い、いや……」

 僕は響架先輩がさらっとそう言うのを聞いて、慌てて体の前でぶんぶんと手を振った。

「大丈夫ですよ。先輩達もお忙しいでしょうし、このぐらいなら僕達だけでやれます」

 しかし響架先輩はそんな僕を見て、ふうっと溜め息を吐いた。

「あのねえ、一年だけだと先輩相手に渡しづらいでしょ。そのぐらい頼りなさいよ」

「そーだぞー。なんかお前気弱そうだし、そんなんじゃまともに受け取ってもらえないぞ。あたしくらいの図々しさがないとなー」

「先輩達……」

 響架先輩に続き、梓先輩もそんな優しい言葉を掛けてくれる。先輩達のその気遣いに、僕の胸はふわりと温かくなった。本当に、何から何まで助けてもらいっぱなしだ。僕はありがとうございます、と言って、今日何度目になるかわからないお辞儀をした。

「梓にはお礼なんていらないわよ楓。この子そういう偽善的なことをするのが大好きなんだから」

「はっ。やらない善よりやる偽善だろーが」

 そうしてまた言い合いを始めた二人を見て、僕は再び頬を緩ませた。この様子だと、当日のトークショーのほうも大いに盛り上がりそうだ。

「つーか、結局のところあたし達は前座で、メインイベントはお前なんだろ? そっちの準備はちゃんとできてんのかよ」

「え、あ、はい、ぼちぼち……」

 そこで急に梓先輩の矛先がこちらへと向いたので、僕は若干口ごもりながらもそう答えた。その言葉に嘘はなく、僕はここ数日徹夜で原稿を直したり書いたりを繰り返していた。ただどれだけ試行錯誤を繰り返しても、本当にこれでいいのか、という不安は消えてくれそうになかった。すると僕の表情が陰ったことに気付いたのか、響架先輩がぎんっと梓先輩のツインテールのうちの一房を引っ張った。梓先輩は「ぎゃっ」と悲鳴を上げ、ツインテールの根本を手で押さえる。

「プレッシャーかけてんじゃないわよバカ勇者。楓があの子の為に行動したっていう事実だけでももう十分なんだから、そんなに気負わずに気楽にやればいいのよ」

「わ、わーってるよそんなことはー!」

 梓先輩は唇を尖らせて、ぶーっと文句を垂れる。そんなことをしなくても、梓先輩が僕を心配して言葉を掛けてくれたということは、ちゃんと伝わっていた。

「……あの。上手くいくかどうかはわからないですけど、気持ちだけはぶれずにやりきろうと思います」

 僕は背筋をぴんと伸ばし、そう宣言する。そんな僕を見て響架先輩と梓先輩は、優しく微笑んでくれた。そして誰からともなしにふっと顔を上げると、中庭の上空に広がる青空を見つめた。葵は今も寮母さんの部屋にいて、こんな風に空を見上げるなんていうことはおそらくできていないだろう。僕達の開催するイベントが葵にとって少しでもプラスの変化をもたらしてくれることを、ただただ願うばかりだった。



『さてさてそれでは次に、愛用の武器についてお尋ねしていきたいと思います。まずは魔王軍より、響架先輩。現在使用している武器はドラゴンワンドとのことですが、これはいつ頃から愛用しているのでしょうか?』

『二年の冬頃だから、わりと最近ね。貯めたポイントを目一杯つぎこんで、かなり能力の高い武器を手に入れることができたわ』

 マイクによって増量された琉君と響架先輩の声が、中庭じゅうに響き渡る。ステージの中央の椅子に腰掛けているのは司会進行役の琉君で、その右側に響架先輩、ひかる先輩、遥真先輩と春樹先輩の魔王軍、左側には梓先輩とその他二名の女子生徒からなる勇者軍の面々が並ぶ。そして全員の上半身は、白く眩しいワイシャツで覆われていた。暦はもう六月になっていて、季節は夏。衣替えから数日が経ったこの日の放課後、晴天に恵まれた中庭でイベント『魔王と勇者の夕べ』は順調に進行していた。

『ドラゴンワンドは、かなりの高ポイントが必要ですよね。それと武器というわけではないのですが、響架先輩率いる魔王軍の皆さんは全員でおそろいのマントを着用していますよね。やはり、ファッションに対するこだわりもあるのでしょうか?』

『ああ、これね。このマントは最初ひかちゃん一人が羽織っていたのだけれど、それを私も真似して身に着けるようになって、それからハルマキも……という経緯があるわ。凝ったファッションをすると気分も上がるし、チームの一帯感も出ていいこと尽くめね』

『なるほど。ということは、過去にはマントなしの先輩達の姿もあったというわけなんですね。今となっては……相当レアですね』

 すると聴衆から、おおー、という感嘆の声が漏れた。観客席の前方にはパイプ椅子が五十脚ほど並べられていて、その後ろは立ち見用のスペースになっている。魔王軍と勇者軍直々のチラシ配りが功を奏したのか、座席はすべて埋まっていて立見席にもかなりの人が溢れていた。おそらくだけれど、全部で二百人くらいの生徒が集まったのではないだろうか。生徒達の反応も上々だし、これなら大多数の人が最後まで付き合ってくれそうだった。

 僕はそこでステージ裏の陰から覗かせていた顔を引っ込めると、手元にあるタブレットへと視線を向けた。その画面には、『こらー! そろそろ勇者軍にも話聞けやー!』と言って白銀の剣を振り上げる梓先輩の姿が映し出されている。今回のイベントはステージ正面にカメラが設置してあり、ネットを通じて生配信することで学外の人間でも見ることができるようにしていた。そしてこれにはTOKIYUMEの動画配信サービスを利用していて、画面に視聴者のコメントを流す機能なんかも搭載されている。だけど僕は、現在その機能をオフにしていた。今は和気あいあいとしたトークショーだから殺伐としたコメントはほとんどないと思うけれど、やはり決戦の前に心が折れるようなことがあってはまずいのでそう予防線を張ったのだった。

 ステージ上では琉君がはきはきと司会進行をし、魔王軍と勇者軍の愉快な返しに聴衆がどっと沸く。僕はステージ裏でタブレットの画面を通してその様子を見守りながら、ふーっと何度も深呼吸を繰り返した。僕の出番は、もう少し後。そしてそれこそが、このイベントの真の本番であるとも言えた。バクバクバクと、緊張で心臓がうるさい音を立てる。上手くいくかどうかは、正直わからない。だけどたとえどんな大失敗をしたとしても、気持ちだけはぶれさせない。逆に言えば気持ちさえぶれていなければ、きっと伝わるものはある。僕は改めてそう自分に言い聞かせると、ぎゅっとワイシャツの上から心臓を握り締めた。


「んー……」

 葵はごろん、と床の上に寝転がり、真っ白な部屋の天井を見つめた。その服装は今日も制服ではなく部屋着のパーカーにショートパンツで、髪も結ぶことなく下ろされている。また部屋に野次馬が押しかけてくると悪いということで寮母の部屋に身を寄せるようになってから、もう二週間程が経とうとしていた。その間ずっと、学校には行っていない。生徒達が授業中である昼間に時々外に出てコンビニや公園に行くこともあったけれど、大半の時間はこうして部屋の中でごろごろしたり、テレビを見たりゲームをしたりして過ごしていた。

 葵の父親は学内新聞で報道された通り、株式会社TOKIYUMEの代表取締役であり時夢学園高校の理事長でもある伊藤小次郎だ。父は中身が子どものまま体だけ大きくなったような人で、漫画、アニメ、ゲーム、ライトノベル……といったサブカルチャーが大好きないわゆるオタクだった。家にはアニメのDVDやゲームや漫画がたくさんあったし、そんな環境で育ってきた葵もオタクとなったのはある意味自然なことだった。

 だから父から『アニメみたいな高校を作った』という言葉を聞いたとき、大きくなったら絶対にそこに通いたいと当時小学生の葵は思った。そしてその数年後に無事に入試を突破して、こうして夢の高校生活は始まった、はずだった。

「……まあ、こうなる可能性もあるとは思ってたけどねー……」

 葵はごろりと床の上で寝返りをうって、ぼそりと一人そう呟く。父が学園の理事長だということが知られたら、多少まずいことになるかもしれないとは覚悟していた。もちろん入試で不正は一斉していないけれど、正直面接官が理事長の娘である自分に気を遣って合格させた可能性は大いにあると思っている。あの記事の書き方はちょっと極端だったけれど、おおむね事実といえば事実なのだ。こうして騒ぎになってしまった今、もうこの学園にはいられないな、と思う。自分がここにいることで不快になる人もいるだろうし、それに父の会社のほうに何か悪い影響があったら嫌だ。父の仕事はたくさんの人に夢を与える、素晴らしいものだ。自分のせいでダメになるなんていうことが、あってはいけない。だから葵が取り得る選択としては、普通の高校に転入するという道が一番現実的だろう。

 ただじゃあどうして早く転入の手続きをとらないのかというと、その理由の一つは自分が学園を辞めたら父が責任を感じるだろうと思うからだ。父は入試には完全ノータッチだったし、何も悪いことはしていない。ただ学園の理事長だったという、それだけだ。だけどそれでも父は、自分の立場を責めると思う。それを考えるとどうしても、こうしてだらだらと決断を先延ばしにしてしまうのだった。

 そしてもう一つは、自分の気持ちの問題。ほぼほぼ諦めているとはいえ、やっぱりこの学園にまだ未練があるのだ。個性的な友人たちと共に色々なイベントに挑戦する日々は、葵にとってとても充実したものだった。先日はついにOQをクリアして、これからもまだまだ楽しいことが待っているはずだったのだ。今となってはもう仕方がないことではあるけれど、通えるものなら通い続けたかったな、というのが葵の本音だった。

 そうして物思いにふけっていると、ピン、ポーン、と部屋の中にインターホンの音が鳴り響いた。葵はむくりと起き上がって、ドアモニターを確認しに行く。

「……なーちゃん! いらっしゃーい!」

 そしてそのまま玄関へと向かうと、満面の笑みでドアをがちゃりと開けた。目の前にはいつものように白いヘッドホンを耳に着けた、黒髪のロングヘアの少女が立っている。葵が学校を休むようになってから、那子はこうして毎日部屋へと遊びに来てくれていた。楓や琉とも電話やメッセージのやり取りはしていたけれど、こうして直接会えるのは同性である那子だけだった。

「りんごとオレンジがあります」

 葵は慣れた手つきで冷蔵庫からジュースのペットボトルを取り出すと、リビングのテーブルの前へと腰を下ろす那子に向かって尋ねた。那子はありがと、と微笑んでから、「りんごいただきます」と希望の飲み物を告げた。葵は「はいよー」と言って二人分のグラスを食器棚から取り出すと、黄色の液体を注いでリビングのテーブルの上へと置いた。

「……あれ、なーちゃん学校からそのまま来たの?」

 そしてテーブルを挟んで正面へと腰を下ろした葵は、那子の肩に通学用のショルダーバッグが斜めに提げられていることに気が付いた。那子が部屋に遊びに来るのは今みたいな放課後だったり夜だったりと時間はまちまちだったけれど、こうして鞄を提げてきたことは今までに一度もなかったはずだ。

「……うん。ちょっと葵に、見てほしいものがあって」

「え、何何? ゲームの新作でも出たー?」

 那子が鞄からタブレットを取り出すのを見て、葵はテーブルに身を乗り出した。那子は人差し指で何度か画面を操作すると、はい、と言って葵にタブレットを手渡す。受け取ってみると、画面には何かの音声つきの動画のようなものが再生されていた。そしてそこに映っている人物には、見覚えがある。

「え? これ魔王軍と勇者軍じゃん……って、なんか真ん中に琉もいるし!」

 そう驚きの声を上げた所で葵は、動画の右上に『LIVE』の文字が躍っていることに気が付いた。

「あれ、これ生放送なんだ? ……しかもよーく見ると、これ学園の中庭じゃない? なーちゃん直接見に行かなくていいの?」

「うん。私じゃなくて、葵に見てほしい」

 すると那子は、どこか神妙な面持ちでそう言った。葵はその様子に少し面食らいつつも、再び画面へと目を戻した。琉たちがいるステージのような場所の上部には、『魔王と勇者の夕べ』という文字が書かれた垂れ幕が見える。音声に耳を傾けると何やら魔王軍と勇者軍の面々がおもしろおかしく喋っていて、それに琉が時折司会のような形で言葉を挟んでいた。どうやら、トークショーか何かのイベントのようだ。那子は知り合いがたくさん出演するこの生放送の映像を見せて、葵を元気づけようとしたのかもしれない。

「上手くいくかどうかはわからないけど、楓すごく頑張ってたから。だから、見てあげて」

「……え? 楓?」

 しかしそこで急に楓の名前が出て来たので、葵は目をぱちくりさせた。するとタブレットのスピーカーから、わーっと大きな拍手の音が聞こえてくる。画面に目を向けると、ステージ脇の階段から楓が登壇しようとしているところだった。


『えー、それではここで、スペシャルゲストの登場です。先日オンリーワンクエストをクリアした期待の一年生ルーキーの一人、花巻楓君でーす!』

 琉君がばっと手を広げて僕をそう紹介すると、観客たちからは「おおーっ」という歓声と共にパチパチと大きな拍手が上がった。どうやら、今のところは歓迎されているようだ。僕は緊張で動きが硬くなってしまいながらもステージ中央へと進み、司会進行をしていた琉君からマイクを受け取る。琉君はその一瞬の交錯時に、『頑張れよ』とでも言うような目を僕に向けてくれた。僕もそれに目だけで頷きを返すと、真っ直ぐに観客のほうを向いてマイクを口元に寄せた。何百人もの視線が、一斉に僕へと突き刺さる。さあ、いよいよだ。僕は心臓がバクバクと暴れる中、すうっと大きく息を吸い込んだ。

『皆さん、本日はトークショー『魔王と勇者の夕べ』にお集まり頂き、誠にありがとうございます。今イベントの主催者である、一年の花巻楓です』

 僕はそう言うと、ぺこりと深く頭を下げた。するとパチパチと、再び観客から拍手が沸き起こる。そうして頭を下げながらも、僕はちらりと後ろに腰掛けている魔王軍と勇者軍の面々の様子を窺った。そしてみんなが準備万端だという表情をしていることを確認すると、顔を上げて再びマイクに声を乗せた。

『そしてここからは、少しばかり僕にお付き合い願いたいと思います。……まず、こちらのほうをご覧ください』

「!」

 すると、観客たちの目が驚いたように見開かれた。それもそのはず、ステージの後方に座っていた魔王軍と勇者軍の面々が、急に扇風機を何台も抱えて観客席方向へと強風を送り始めたのだ。この扇風機は、実はトークショーが始まる前からステージ上の椅子の後ろに隠しておいたものだ。そしてその風を背中に目一杯感じながら、僕は用意しておいた紙の束を観客席に向かって勢いよくぶん投げた。バサアアアッと白い紙は一斉に宙に舞い、風の後押しを受けてぎりぎり一番後ろの座席の辺りまで飛んでいく。観客達は何が起きたのかわからないといった表情をしながらも、条件反射的に手を伸ばしその紙を掴み取ろうとしていた。

『紙を手にできなかった方は、タブレットと腕時計型端末の方にも同じテキストデータを送信してありますのでそちらのほうをご覧ください。そしてネットの配信を通じてこのイベントをご覧になっている方の画面にも、このデータが表示されたかと思います。……ここで皆さんにお尋ねしたいのですが、このリストに載っているキャラクターの共通点は何だかわかりますか?』

「……」

 僕がそう問いかけると、一瞬考えるような間が空いて観客席は静かになった。ばらまいた紙には、ある共通点を持った漫画やアニメのキャラクター名がリストアップされている。そこには僕が一週間前に視聴したアニメ『緑ヶ丘高校探偵部』の登場人物である、富士山エレノアの名前もあった。そして観客たちが手元の紙と睨めっこしている隙に、ステージから琉君、魔王軍、勇者軍の面々がそそくさと降壇する。ここからは、すべて僕一人で物事を進めなければならない。僕は目を閉じて、ふーっと大きく一度息を吐いた。怖くないと言ったら、嘘になる。だけど、離れていても僕達の心は一つだ。皆の協力があってこそ、僕の計画はこうして形になった。あとは最後まで、やりきるだけだ。

「……なんか、みんなボンボンじゃね」

「それだ。みんな、金持ちのお嬢様とお坊ちゃんだ」

 すると観客席から、そんな呟きがぼそぼそと漏れ聞こえ始める。さすがは、アニメ学園の生徒達。ほんの一瞬で、このキャラ達の共通点に気付いてもらえたようだ。

『そうです。これらのキャラ達はみんな何らかの権力を有していて、作品内でそれらを大いにふりかざしています。だけど不思議と、批判は起きないんですよね。中には人気の低いキャラもいるようですが、悪役としてその存在はみんなに受け入れられています』

 僕はそこでふっとマイクを離し、一呼吸置いた。

『なのになぜ、現実ではこんなにも冷たいのでしょうか』

「!」

 最後の僕の言葉に刺々しいものを感じたのだろう、観客たちが若干ざわつき始める。そして魔王軍と勇者軍の面々がステージからいなくなっていることにも気づいたようで、それに対する疑問や不満の声も上がり始めた。

「あいつって、理事長の娘の友達だろ。クエスト一緒にやってたし」

「さっきのって明らかにそのこと言ってるよね」

「つーか、何。二次元と三次元混同すんなって話」

 そして、葵に関連したような呟きもちらほらと聞こえてくる。そこで僕は、再び静かに口を開いた。

『先週の学内新聞で報道された記事について、僕は葵本人と話をしました。自分が理事長の娘であることは事実だと、葵は言っていました。そして入試に関して何も不正はしていないけれど、面接官たちが自分に配慮して合格させた可能性を捨てきれないから、コネ入学だと批判されても否定できないと言いました。他にも、小さい頃にアニメやゲームのイベントに関係者席を使って参加したというのも事実だそうです。その話を聞いて僕は調べてみたのですが、たとえ関係者席を辞退してもそこは空席になるだけで、一般席にまわるということはないそうです。だけど葵は、そのことにも負い目を感じているようでした』

 観客達は驚くような戸惑うような微妙な表情をして、すぐ近くの友達と顔を合わせたり何かを呟いたりしている。多分僕が今こうして葵から聞いた事実を伝えたことで、あの記事の印象は多少なりとも塗り替えることができたのではないかと思う。記事の内容は徹頭徹尾批判的で、入試の件なんて葵が理事長に頼み込んで合格させてもらったかのような書き方だった。大勢の人の前でそこを正せたことに、僕はひとまずほっとする。

 だけど、まだだ。まだ、終わりじゃない。僕は体の横に下ろされている左手の握り拳に、ぎゅっと力を込めた。

『……ある人の、話をします』

 僕の声が響くと、観客達のざわめきはすうっと静かになった。静寂の中、僕はある人の顔を思い浮かべながら、その人が身を削って教えてくれたエピソードを語り始めた。

『その人は小さい頃からずっと野球をやっていて、中学時代もピッチャーとして活躍していたそうです。部活でもチームの中心にいて、教室でも人気者。しかしそんな何一つ不満のない中学校生活を送っていた彼に、ある日悲劇が襲いました。怪我によって、野球を諦めなくてはならなくなったのです。今まで必死に打ち込んでいたものを失って、彼は当然ショックを受けました。だけど一番ショックだったのは、野球ができなくなった途端、今まで慕ってくれていた友人たちが次々と彼から離れていったことでした』

「……!」

 観客の中の何人かが、顔を歪めた。僕も話していて、胸が痛かった。

『自分の価値は、野球にしかなかったんだ。そう落ち込んだ彼は、しかしある日一冊の漫画に出会いました。その漫画は、自分と同じように怪我で野球を諦めざるをえなかった主人公が、新たな道を見つけ再び生きる気力を取り戻すといった内容のものでした。彼はその主人公に自分を重ね、大いに救われたそうです。そして調べてみると、スポーツで挫折した登場人物が出て来る作品は他にもごまんとありました。それを知って、彼は元気になれたそうです。同じ境遇にいるのは自分だけじゃないと、そう思うことが出来たから』

 観客たちは、じっと僕に視線を向けて話を聞いてくれている。そして僕は次に、また違う人物の顔を頭に思い浮かべた。

『ある人は小さい頃からおとなしい性格で、人と話すのが何よりも苦手だったそうです。そして高校生になった彼女は、常にヘッドホンを耳に装着するようになりました。そうすれば人々は何か音楽を聞いていると勝手に思ってくれて、あまり話しかけてこないから。だけど片時もヘッドホンを外さないというのは、校則の面や周囲の人々の反応を考えると中々実現が難しいことです。……この学園、以外では。ここではヘッドホンを付けて学校生活を送ったところで、特別騒ぎ立てられることはありません。コスプレやファッションの一部として、自然とみんなが認めてくれます。その空気に、彼女はとても救われていると言っていました』

 僕はそこで、ふっと一度息を吐いた。これらの話は二人の心のずっと深いところにあって、本来なら決して表に出したくなかったことに違いなかった。だけど二人はそれを、こんなに大勢の人の前で晒す決意をしてくれた。僕の為じゃなく、葵の為にだ。そんな二人の勇気に後押しされるように、僕はすっ、と大きく息を吸い込んだ。ここからは、僕自身が身を削る番だ。

『最後は、僕の話です。僕は七人きょうだいの長男で、両親を合わせて九人家族です。世間から見れば、いわゆる大家族ということになるんだと思います。僕は両親のこともきょうだい達のことも大好きだし、家族仲は普通にいいほうだと思っています。……だけど大家族であることが原因で、これまで嫌なことをたくさん言われてきました』

 僕はそう話しながら、頭の中には家族一人一人の顔が浮かんでいた。ここでの僕の発言が両親の耳に入ったら、傷つけてしまうことになるかもしれない。きょうだい達も、学校でますますからかわれることになるかもしれない。だけどもしそうなっても最後にはみんなきっと乗り越えてくれると、僕はそう信じている。だから僕は、言葉を止めなかった。

『『避妊具を買う金もないのかよ』とか、『小さい子もいるのに毎回どうやって子作りしてんの?』とか。『家にテレビがないってどこの発展途上国だよ』『学校の畑から野菜盗んだのおまえたちじゃねーの?』なんて言われたこともありました。悔しかったです。人とちょっと違うだけで何も悪いことをしていないのに、そうやってからかわれるのが。だけど僕には言い返す度胸なんてないから、いつも曖昧に笑ってその場をやり過ごすだけでした』

 ちょっと過激な言葉が出たこともあって、観客達からは再びざわめきが起きた。だけど僕が口を開くと、それは波が引くように一瞬で治まった。

『そんな僕はこの学園に入学したことをきっかけに、少しずつ図書室で漫画やアニメを借りて見るようになりました。そして、『大家族 鳥越家の日常』という作品に出会ったんです。わりと有名な作品だから皆さんも知っているかもしれませんが、この作品は大家族のきょうだいたちが世界を救うためにバケモノと戦うという内容で、主人公は高校生である長男です。僕は自分と同じ大家族の長男が登場する作品があると知って驚いたし、同時にものすごく嬉しかったです。なんだか、自分の存在を認めてもらえたような気がしました。もちろんその主人公は明るく元気で勇敢な性格で、大家族の長男ということ以外は僕とは似ても似つきません。だけど作品を見ているうちに、いつか自分もこんな風に勇敢な人になれるんじゃないかという気がするようになりました。こんな風になりたいと、憧れるようになったんです』

 観客たちは尚も、じっと僕に視線を向けている。その表情の奥にどんな感情が宿っているのか、僕には読み取ることができなかった。

『漫画やアニメの世界では、どんな個性やコンプレックスでも武器になる。そんな二次元の世界の寛容さに、僕達は少なからず救われているんだと思います。だからこんなにも惹きつけられて、憧れてしまうのだと。……だったら、現実もそうであっていいはずだ。もちろん、それを実現するのが難しいということはわかっている。だけど、ここはアニメ学園。現実のどこよりも、二次元に近い場所だ。ならこの世知辛い世の中でここくらい、そんな理想郷であってもいいじゃないか』

 話しているうちに、僕の中でどんどん熱が膨れ上がっていく。これが僕がこの学園に入学して初めて知った、二次元の世界の魅力だった。

『理事長の娘だからなんだよ! そんなの、キャラクタ付けの萌え要素の一つだろうが!!』

 僕がそう言葉を叩きつけると、観客たちは目を丸くしたり、ぶっと吹き出したりと様々な反応を見せた。むちゃくちゃだと思われたのかもしれないし、少なからず共感する箇所もあったのかもしれない。だけど、それはどうでもいい。なぜなら僕が一番気持ちを伝えたかったのは、目の前にいる学園の生徒達ではない。僕は正面に設置された黒いカメラのレンズに目を向けると、きっと今この放送を見てくれているであろう人物に向かって声を張り上げた。

『葵も葵だよ! こんなことで、へこたれんな!!』



「楓ー、おつかれー」

「……琉君」

 僕が中庭の片隅にある木のベンチに腰掛けていると、琉君がやって来てスポーツドリンクのペットボトルを差し出してくれた。時刻はもうすっかり夕方で、オレンジ色の夕陽の光が校舎の壁の一角を照らしている。辺りにはイベントに出演した面々以外に生徒の姿はなく、さっそくステージの撤去作業が行われているためカンカンという工事の音が響いていた。僕はキャップをくるりと回して、冷たい液体を喉に流し込む。琉君も僕の隣に腰掛けると、同じ動きをした。

「すげーよかったぜ、楓。先輩達も褒めてた」

 琉君はそう言うと、ちらりと後ろへと目を向けた。僕達が座っているベンチの後方では、魔王軍と勇者軍の面々がペットボトルの飲み物を片手におしゃべりに興じている。

「どうかな……。自分ではまったく、生徒達の反応もわかんなくて……」

「いやいや、あの熱い気持ちは絶対伝わったはずだぜ。つーか、録画しておいた動画あるから見るか?」

「い、いやいや、見ない。見なくていいよ……」

 琉君が鞄からタブレットを取り出そうとするので、僕は慌ててそれを押しとどめた。自分がステージ上で滅茶苦茶言っている映像なんて、一生見られる気がしない。もちろん精一杯やったと胸を張って言えるのだけれど、こうしてイベントが終わって体の中の熱が冷えていくと、ちゃんとできていたかとか他人の目にはどう映っていたのかとか、そんなことばかりが頭の中を巡ってしまっていた。心身ともに感じる疲労もすさまじく、しばらくこの場から動きたくないと思ってしまう程だった。

「……あ。楓……」

 するとベンチの後方から響架先輩の声が聞こえたので、僕は顔をちらりと後ろに向けた。そこにはこちらに視線を送っている響架先輩が立っていて、その周囲には魔王軍の面々と、勇者軍の面々……。

「!」

 と、そこに新たな人物が現れていることに気づき、僕は驚きのあまりベンチに腰掛けたまま慌てて背筋を伸ばした。中庭の芝生の上にはいつの間にか、部屋着風のパーカーを身に纏った葵の姿があったのだ。その後ろには、葵にさっきのイベントの様子を見せに女子寮に行ってくれていた那子さんの姿も見える。すると僕に気を遣ったのか、すっと琉君がベンチから立ち上がり離れて行った。葵はゆっくりと、僕の方へと近づいてくる。こうして葵の姿を目にするのは、学内新聞にあの記事が出た日以来だった。

「……何、やってんの」

「え」

 葵は僕の目の前までやってくると、ぼそりと低いトーンでそう呟いた。その表情はやけにぶすっとした感じで、なんだか怒っているようにも見える。

「大体楓、こういうことするようなタイプじゃないじゃん! 本当、何やってんの! 無理しすぎ!」

「え、あ、ええと……」

 すると葵は何かのスイッチが入ったかのようにものすごい剣幕で詰め寄ってきて、僕は両手を体の前に出した姿勢でもごもごと言葉を詰まらせてしまった。やばい。葵が怒っている。僕が勝手に、余計なことをしたからだ。僕は口をぱくぱくさせて、なんて謝罪の言葉を述べればいいかを急いで考え始める。

「……!」

 だけど次の瞬間、葵は急にふっと顔を俯かせた。そしてごしごしと、乱暴に目元を拭い始める。……泣いて、いるのだ。そのことに気付いた僕は、助けを求めるようしてにベンチの後方のみんながいるスペースへと目を向けた。すると琉君、魔王軍、勇者軍の皆さんは揃いも揃ってはっとした顔になり、『抱きしめろ!!』的なジェスチャーを繰り出し始めた。……いや、無理だろ! 僕は他人事だと思って無茶振りをしてくる面々から目を逸らし、再び正面に立っている葵へと向き直った。葵は今も、肩を震わせて泣きじゃくっている。抱き締めるなんていうことは到底無理だけれど、このまま放っておくのはあまりにも冷たすぎる対応だろう。僕はベンチから立ち上がると、一歩前に進み出て葵との距離を詰めた。

「……大丈夫だから。もう、泣くな」

 そしてふわっと、僕は葵の頭に自分の手のひらを載せた。それは昔から小さいきょうだい相手に何百回としてきた、僕の手に染みついている行動だった。幸いギャラリーである琉君達も、今は囃し立てることなく静かに見守ってくれている。

 僕は指先に葵の体温を感じながら、ふっと頭上に広がる茜色の夕焼け空を見上げた。今日という長い日は、もうすぐ終わりを迎えようとしている。明日また太陽が昇ったときには、きっと葵の顔から涙の色は吹き飛んでいるだろう。

 僕はしばらくの間、葵の頭をぽんぽんと撫で続けた。そして思えば初めて葵とクエストをクリアしたときもこんな夕日の中で、そのときは僕が頬を引っ張られていたっけ、なんてことをぼんやりと思い出すのだった。



「なんか、本当ごめんねー。この前は、変に騒いじゃって」

「やー、気にしないでくださいー。というか、逆境は主人公に付き物ですし」

 ある日の放課後。僕と葵が下校しようと本校舎一階の廊下を歩いていると、ふいに先輩らしき女子生徒達に声を掛けられた。葵は先輩相手でも一斉動じることなく、冗談めいたものまで交えながらにこやかに応じている。

「う、たしかに、理事長の娘とか主人公属性だよねえ……。うらやま……」

「何言ってるんですかー。自分の人生は、いつだって自分が主人公ですよ!」

「うわ、どっかで聞いたことある台詞!」

 葵は先輩達とそんな短い会話をすると、「じゃ、失礼しまーす」とひらひらと手を振ってその場を後にした。僕もぺこりと頭を下げると、葵の隣に続く。そうして先輩達から遠ざかったところで、葵はふっと笑みを浮かべて言った。

「なんかさあ、私すっかり有名人だよねー」

「はは、そうだね」

 僕もにっこりと、葵に笑みを返した。

 あのイベントを終えて週が明けた月曜日から、葵は再び学校へと来てくれるようになっていた。そしてさっきみたいに、学園内で見知らぬ生徒から謝罪や激励の言葉を掛けられるということも度々起きていた。僕自身傍から見ていても、あの記事が出たときのような騒々しさはもう鳴りを潜めていて、葵に対する生徒達の態度は随分と友好的なものへと変わったように思えた。もちろん中には未だに不満を感じている人もいるのだろうし、ネットの掲示板のほうでもだいぶ勢いはなくなったとはいえまだ批判の書き込みは存在している。だけど、それはそれでいい。全員の意思を統一することなんて不可能だし、それよりも、今葵がこうして僕の隣を歩いているというだけで十分だった。あのイベント以来葵の中でも何かが吹っ切れたようで、もうすべてを諦めたような表情を浮かべることはなくなっていた。元々、根は元気で明るい子なのだ。何かきっかけさえ掴めてしまえば、立ち直るのは早い。

 僕と葵は並んで昇降口を抜けると、青空の下へと出た。特に約束しているわけではないけれど、僕達は放課後の時間を一緒に過ごすことが多かった。宿題をしたり、クエストに取り組んだり、はたまたショップエリアのほうに行って買い食いをしたり、時には学校の敷地外に足を延ばしたりと、いつもわりと行き当たりばったりな感じでその日の予定を決めていた。普段は琉君や那子さんも一緒のことが多いけれど、今日は僕と葵の二人だけだった。さて、今日は何をしようか。そう思った僕は、ちらりと隣を歩く葵へと目を向けた。すると葵も僕のほうを見ていて、目が合った。

「……」

 そのとき僕はなぜか、葵から目を逸らすことができなかった。葵もじいっとこっちを見つめたままで、僕達は本校舎前の校門を通り過ぎた辺りで自然と立ち止まってしまう。僕達が真っ直ぐに向かい合う中、さーっと木々の葉を揺らしながら風が通り抜けて行った。

「……あのさー楓、私……」

 そして沈黙を破り葵が何かを言いかけた時、キラリと視界の端で何かが光ったような気がして、僕はばっとそちらのほうへと顔を向けた。葵もそんな僕の様子に気づき、言葉を止める。気のせいか? と思いつつも、僕は煉瓦作りの歩道やその脇に広がる茂みのほうをくるりと見回した。すると、チカッ、と再び光が目の端に映る。目を凝らしてみると、綺麗に手入れされた様子の濃緑色の茂みの中に何かがあることに気が付いた。気になった僕は、ずんずんとそちらの方へ近づいてみる。

「……わっ! え!」

 そして茂みの陰を覗き込んだ瞬間、僕は驚きのあまりもう少しで腰を抜かすところだった。そこには、大きなレンズのついた黒いカメラを抱えてしゃがみこんでいる小柄な女子生徒がいたのだ。女子生徒は大きな丸い眼鏡を掛けていて、ミディアムヘアの両脇の一部をぴょこんとうさぎの耳のように結っている。顔立ちも幼い感じなので、同い年か先輩かはちょっと判断がつかなかった。

「!」

 するとそこで、僕の目はその女子生徒の左腕に付けられている腕章へと釘付けになった。彼女のシャツの二の腕の辺りに安全ピンで付けられている赤い腕章には、白い文字で『新聞部』と書かれていたのだ。

「……っ! お前、新聞部って……まさかまだ葵をつけ回してんのかよ!」

 僕は思わずそんな少し乱暴な口調となってしまいながら、その女子生徒へと詰め寄った。新聞部といえば、あの批判一辺倒な葵の記事を書いた今回の騒動の諸悪の根源と言ってもいい存在だ。今週の月曜日に発行された学内新聞には葵関連の記事は見当たらなかったけれど、(僕達が開催した『魔王と勇者の夕べ』のイベントの様子は取り上げられていたけれど、言及されていたのは前半のトークショー部分のみだった)また葵のことを根堀り葉堀り調べて面白おかしく書き立てるつもりなのかもしれない。しかし目の前の女子生徒は僕が怒りの感情を露わにしても一斉怯むことなく、むしろキッと眼鏡の奥の目を鋭くさせてこっちを睨み付けてきた。

「はァア!? こっちはただネタ探しで校門前張ってただけだし! そこに勝手にお前らが現れたんだろうがァ!!」

「え、あ、そうなん……ですか……」

 がるるる、と今にでも物理的に噛みついてきそうな女子生徒の剣幕に押され、僕は、はは……と薄ら笑いを浮かべると一歩後ろへと下がった。どうやら葵を追い回していたのではないかという考えは、僕の取り越し苦労だったようだ。それなら別に新聞部の皆さんがどこにいようが構わないので、僕はすっとその場を後にしようとする。しかし言いがかりを付けられた眼鏡の女子のほうはこれで治まるというわけにはいかないようで、首に掛けたカメラを大事そうに抱えながらすっくと立ち上がった。

「大っ体なァ! カップルのイチャコラなんか記事にしてもなんも楽しくねェんだよおんどりゃああ! 今週号だってなあ、お前の寒ううういプロポーズみたいな場面は全部カットしてやったんだぜざまあみろ!! つまり何が言いたいかと言うとだなァ、リア充爆発しろよこのやろおおおォオオ!!!」

「え? あっ、ちょっと……!」

 眼鏡の女子はんべーっ! と目の下を引っ張ると、ぴゅーっとものすごい速度で遠くへと走って行った。多分方向的に、部室棟のほうだ。数秒前に嵐のように叩きつけられた言葉たちが、今もがんがんと頭の中で響いているような感覚がした。

「……なに、あれ」

「うーん、僕もよくわかんない……」

 葵は呆れるような顔をして、新聞部の女子生徒が去っていた方向をぼんやりと見つめている。僕もはは……と、ただただ苦笑いを浮かべるだけである。本当にこの学園は、色んな生徒がいるなあ……。

「なんか勘違いしてるみたいだったけど、記事にはしないみたいだったから放っておいても大丈夫そうだね。……と、そういえば、葵さっき何か言いかけてたよね。ごめん、なんか遮るみたいになっちゃって」

「え? あー……」

 謎の女子生徒がいなくなったところで、僕は気を取り直して葵にそう尋ねた。しかし葵はなぜだかちょっと表情を曇らせると、しばらく黙り込んでしまう。そしてやがて、ぼそりと呟いた。

「……やっぱ、いいや。大したことじゃないし」

「え? いや、そう言われるとなんか気になるけど……」

 僕はしばらく返事を待っていたけれど、葵はさっき言いかけたことを話す気はもうないみたいだった。うーん、一体なんだったんだろう。気になる……。

「というかそれよりもさ、今日はショップエリアのほう行ってクエストやろうよ。なんか噂ではさー、大量に新しいクエスト追加されたらしーよ?」

「え? あ、そうなんだ?」

 そして葵は話題を変えるようにそう言うと、ぐいと僕の左腕を引っ張った。そしてそのま僕を引き連れて、ショッピングエリアへと向かう道を歩き始める。

「家族全員WLJに連れてくんでしょ? 頑張らないと!」

「!」

 それはOQを初めてクリアしたあの夜に、僕が口にした夢だった。だけど今はあの時と違って、葵も僕の少々特殊な家族構成を知っている。あのイベントのステージ上で、僕は自分の抱えていた諸々の事情を全部ぶちまけているからだ。隠していたわけではないけれど、かといって伝えることもしなかった。内容こそ違えど、今思えば結局は僕も葵と同じことをしていたのだった。

「……九人全員で、行けるかな」

 僕はぼそりと、そう呟いた。すると葵は僕の手を引いたまま、ポニーテールを揺らしてくるりとこちらへ振り返る。

「行けるよ! 当たり前じゃん!」

 そうして向けられた葵の笑顔は、あの日の夜と何ら変わらないものだった。葵は僕の家が大家族だと知っても、以前とまったく同じように接してくれている。それがたまらなく嬉しくて、僕はふっと顔をほころばせた。

 カシャカシャと、葵が歩くたびに左腰に提げられた銀色の剣が音を立てる。僕はすっと自分の右腰に手をやって、そこに黒い銃がしっかりと収まっていることを確かめた。さあ、今日は一体どんな冒険が待っているのだろう? そんな期待に胸を膨らませながら、僕は赤茶色の煉瓦作りの道を葵と共に歩いて行く。

 頭上の空は雲一つない快晴で、時折吹く風からは爽やかな夏の緑の匂いがする。

 現実のどこよりも二次元に近いこのヘンテコな学校で、僕の賑やかな高校生活はこれからも続いていくのだった。


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