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「休み明けのだというのに、死人のような顔色だな」
「……殿下。冗談が過ぎます」
扉を開けた瞬間に飛んできたひどすぎる挨拶に、ウォレンは渋面になった。主は気にも留めずに笑っている。
「昨日は貴重な休日をありがとうございました」
「お前は働きすぎだと父上も母上も心配している。そろそろ気張らず自己管理に徹した方が良いぞ。若いのは今の内だけだ」
「お言葉ですが」
揶揄う王太子に、半眼になってウォレンは言い返した。
「そっくりそのままお返しいたします。殿下こそもう『若く』ないのではありませんか?」
「俺にそんなことをずけずけ言うのはお前くらいだ。相変わらず面白い男だな」
細められるのは蜂蜜を固めたような金色の瞳だ。直系の王族だけに現れるという王家の証を、ミリアならなんというだろう、と考える。
まさしく、金のようだと表現するか。それとも別の宝石の名前を出すか。
脳裏に浮かんであっさりと思考を乗っ取った少女が、今はほんの少し恨めしかった。
なにしろ、その「死人」のようになった原因だから。
「その調子では、どうやら結果が思わしくなかったらしいな」
「ええまあ。ある程度は織り込み済みでしたが……」
「それ以上か。お前の相手もかなり手ごわいと見た」
「……殿下ほどではありませんよ」
ミリアなら多分、が付きそうだという声で、一応一刺しすれば、今度こそ相手は声をあげて笑った。
レイフェスト・オーディン。
御年二十七になる、王太子。次代の賢王であると、今からすでに呼び声高い。
鮮やかな王家の証と、同じくらいまばゆい金の髪。剣術に秀で、鍛錬も欠かさないため、精悍な偉丈夫だ。もちろん、多くの良家の淑女は彼の隣に立つことを至上の望みとしている。
彼女がそこに当てはまらないのは幸運かもしれない、と思うほど、人としても主としても尊敬していた。
「で、なんだって?」
「実物を見たのは三年前の博覧会の時だそうですよ」
本題を切り出したレイフェストが、やや肩透かしだったらしく顔をしかめた。
「そんな前なのか」
「彼女に言わせれば、あれはああいう『宝石』なのだそうです。性質だと」
「初代の時から変わらないと?」
「殿下、あなたはあの考察をお読みに?」
「いや。そんな暇はなかったな。ただチェストン公爵が珍しく耳打ちしてきたんで、お前に早々に確認を取ってもらったんだ」
なるほど、とウォレンは納得した。
「ミリアは公爵夫人と縁があるようなので、その繋がりかもしれませんね」
珍しい宝石に目がないミリアは、常に新しいものを探し出し、身に付けることをいとわない公爵夫人が何それを手に入れたと聞けば、彼女の夜会には必ず出席する。それなりの交流があるのは知っていた。
「……では僭越ながら。腰を抜かさないでくださいね」
は? と王太子にあるまじき受け答えを無視して、ウォレンは読み上げた。
「最後はこうです――『碧天石は人の手によって満ち欠けを繰り返してきたのではないか、と考えた。かつては人の頭ほどだったものではないか。割れては磨かれ、時の彼方においては同じ石とのすり替えがあるのではないか。そこにおいてもまだ「秘宝」の意味があるか、受け継ぐ歴史があるか、それともただの碧天石となり宝物庫の奥へ埋もれていくのか。いずれにせよやがては終焉の時が来る。私に永遠の命か、時をかける力があるならば、あの石のたどるすべての歴史を見たい。そう願わずにはいられない、オーディン随一の秘宝である』」
すらすらと読めたのには、すでに何度も読んでいたからだ。
あり得ないと、信じられないと、頭の中をどれだけ巡ったか。
ハース家で動揺を抑えきれなかったせいで、時々ミリアがこちらをうかがっていたのも知っている。
レイフェストは、腰こそ抜かさなかったようだが、瞠目したまま、しばらく動かなかった。
ややあってから、瞬きをして……頭を、押さえてしまった。
「とんでもないな。まったく……まるきり見透かされたようだ」
「ええ本当に」
「オーディンの秘宝だとか言いながら、割れる様が見たいって? 頭の固い爺どもが、不敬罪だと騒ぎそうだ」
「本人は、王家や歴史を批判したつもりは全くないそうです」
「……」
「本当に、宝石にしか興味がないので」
ですから、とここはすかさず先回りした。
「元老院や貴族院の年寄りたちは抑えてください。これ以上余計な騒ぎを起こさないためにも」
「さらっと無理を押し付けるな……」
苦笑をこぼされても、ウォレンのすまし顔は崩れなかった。レイフェストも必要だと分かり切っていることだからだ。
手に顎を乗せて、やや考え込んでから、王太子は不敵に笑って見せた。
「まあいい。これは好機ともいえるからな。その本が出回っているのは幸運だった。そうだろう?」
「はい。とても運よく、貴族たちに広く読まれております」
「廉価版が、首都の庶民にも渡る可能性は?」
「大いにあります。すでに増刷がかかっており、装丁を変えて一般向けと貴族向けを出版する話が出ているそうですよ」
「となれば、あとはこちらが時期を見るだけ、か……」
もう一度黙考に沈んでから、レイフェストは顔を上げた。結論は出なかったのだろう。「今ではない」のが、現状出せる精一杯の答えだ。
「それにしても、相変わらず商機に聡いな、ハース商会は。収益もかなり馬鹿にならんだろう」
切り替えて雑談に入ったのは……多分。
「そうですね……伯爵の物になるか、ミリア個人の名義となるかまでは分かりませんが」
「令嬢に行くだろう」
「そうですか?」
「当然だ。元を出したものに報酬を出す。商人はそういう決まりを破らない。相手が出資者に関わるなら特にな」
「……」
「ちゃんと捕まえてくれよ?」
皮肉にも取れそうな口の端が上がった笑みが、明らかにさっきの意趣返しだった。釘を刺すためだったらしい前振りに、心の中で顔をしかめた。年は気になるのか、とは思ったものの、ひとまずはだんまりを決め込んで、一礼をして部屋を出た。
今日の仕事場は、王太子の執務室ではなく、王宮の外だ。
歩いているうちに反芻される釘刺しは、指摘されずとも、あらゆる意味で手痛かった。
仕事の事も、本の事も、夜会の事も、結婚の事も。
公と私事が混ざり切って、判断に迷ってしまう。
手に入れたいのも、守りたいのも、ずっと前から変わらないのに……年を追うごとに会える時間は少なくなり、歩み寄ろうとすればするほど、障害が増えて距離が遠くなる。
その上、肝心のミリアの心も、ずっと変わらないままだった。