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彫像になってしまったマーノクが動けるようになったのは、ミリアの身支度を手伝い、見送りまで済ませた侍女のディアナが戻ってきた頃合い。事情を知る相手を、手招いてぼそりと尋ねる。
「……どういう事かな?」
「どうもこうも……お嬢様が非常識と鈍感を爆発させたとしか」
「全然説明になっていない……と言いたいところだけれど、なんとなく分かったよ」
ミリアをよく知る二人で、通じ合ってしまってため息になった。
今回のように身分問わず、なんて触れ込みはないが、若い人を中心に招く夜会は何度か開かれたことがある。主催者も参加者もある程度意図を把握した上で臨むわけだが、そこに、最初から決まった相手を伴っていく、という時には。
結婚相手のお披露目、という逆の意味を持つ。
当然、正式な発表とは異なる。よって変わることもあり得るのだが、貴族は縁でつながる社会で、一度大勢の人目にさらした繋がりを、簡単には切らない。
だが。
宝石については多大な知識量を持つが、頭の領域を占める割合が多すぎるのか、その辺の不文律というか、常識がぽろぽろと欠けている。
実害は……あまりなかったのだが。
「ディアナ……私は、育て方を間違ったかな……?」
「お嬢様は立派な淑女です、と言いたいところですが、ことこの方面に関しては、残念ながら」
礼儀作法も花嫁修業も、可もなく不可もなくミリアはこなす。ただ肝心の情緒というか、思考とか心とか意識……その辺はすべて、宝石への興味関心に占められていると言っても過言ではない。
むしろ、宝石へ集中したいがために、ほかの事はある程度、で済ましている節がある。
「自由でのびのび大きくなってほしくて……」
「その通りにお育ちです」
「優しい子ならいいかなと……」
「使用人、一人一人にあいさつをされるような方ですよ」
「そりゃちゃんと勉強もしてほしいんだけど……」
「学院の成績はそう悪くありません」
一つずつ上げていくマーノクの教育方針は、おおむねミリアがその通りに大きくなっていることを示していたけれど。
「……ウォレン君には可哀そうなことをしちゃったよね……」
マーノクが受け取った手紙には、ミリアへ結婚を申し込む許可が欲しいと書かれていた。身分からすれば過分ともいえる、有望な若者であることは、もちろんマーノクだって知っている。
もったいないようでもあるけれど、一人娘を預けるのは悔しいやら憎らしいやらで、泣く泣く出した返事はかなり素っ気なかった。ただ、ミリアが望めば、という条件だけは外さなかった。
それでも気が気ではなくて、まったく仕事にならず、ブランは怒っては呆れ、呆れては笑うことにしたらしく、最後はふざけた冗談でマーノクを揶揄ってきた。
が、飛んで戻ってきて蓋を開けてみれば、変な方向にすれ違っている二人がいて。
ミリアはともかく、ウォレンはいささか、過去の自分と重なって哀れだった。
「落ち込んでいただろう?」
「ええまあ……少々……」
実はかなり、とも言えず、ディアナは先を濁した。沈み込むどころか、そのまま儚く消えそうなほどだった。ふらついてこそいなかったが、顔は色がなく、ミリアへ向ける笑顔を元気がなかった。
その原因は、自分のせいとは全く気付かず、どうしたのかと具合を訊いていて、頭が痛い一日になってしまった。
「やっぱり母親がいないからかな……」
「それは……どうでしょうか」
ミリアの母、メイランは、子供が立ち歩くのを待たずに天へ召されてしまった。以来、独り身を貫く伯爵に、何度か結婚の話が持ち込まれてきたけれど、自由すぎるミリアとうまくいく女性はなかなか現れなかった。
「男だからね……言ってあげないとダメだったことは沢山あったと思うのだがね」
「伯爵は十分、お嬢様を愛していらっしゃいます」
「どうだろう。足りないところの多い親だよ、私は。仕事仕事と、忙しいばかりで、君や乳母やに預けっぱなしだった」
「そのようなことは、決して。お嬢様が伯爵を愛していらっしゃるのが、その証ではありませんか」
「……ありがとうディアナ。君みたいにあの子を最大限に尊重して大切にしてくれる人がいれば良かったんだけど……」
ふっと口をついた自分の言葉に、マーノクが黙り込んだ。
隣に立つ優秀な侍女を、しげしげと見上げる。
「ディアナ、ミリアのお母さんにならない?」
「……」
天然は遺伝に違いない、と黙ってディアナは確信した。許されるなら、このすっとぼけ、と頭をはたいていただろう。
「あの……それですと、私と伯爵が結婚することになりますが」
今気づいた、という表情は、不思議とミリアを連想させた。ああ、とマーノクが頬をかく。
「そうだよね。私の妻に、ディアナはもったいないねえ……」
もっといい人の所に行かないと、と呟く辺りは、本当に血筋だと思う。そういう問題ではない。どう考えても「もったいない」のは自分ではなくマーノクの方だ。
「そうではなく。私はほとんど平民です。爵位は叔父が子爵を持っているだけで、本当に貴族としては末端ですから、身分違いもいいところです」
ああ、とマーノクは顔を思い出した。仕事柄、人の顔を覚えるのは得意だし、覚えていられる時間も長い。かなり婉曲に表現してふっくらとした――有体に言うと縦よりも横が長そうな――あまりディアナに似ていない「叔父」だった。それほど領地は広くなかったはずだ。
「あの子爵も悪い人じゃないけど、今はちょっと大変みたいだね……でもほら、行儀見習いに来るくらいなんだから、ちゃんとした人に嫁ぐんだろう? 私の知り合いじゃ年が離れすぎているから、ウォレン君に頼もうか?」
恐ろしいことを言い出したマーノクに、慌てて首を振る。貴族は縁、縁でつながる社会だ。だからこそ、時々とんでもないことが起こる。例えば、ミリアとウォレンのように。
巻き込まれてはたまらない。
「とんでもありません。お気遣いなく。もう三十に近くなりましたので、そろそろ後家にでも入るよう呼ばれると思います」
「後家?」
「ええ。女性の適齢期は十代から二十代前半です。私はすでに立派な嫁かず後家ですよ」
「……」
なんだか信じられない、という目をするマーノクに、ディアナはため息をつきたかった。
「一人目の娘のような気がしていたんだけどね……」
「ありがたいことですが、いくらなんでも無理がありますね」
「そうだね。私が三十七だからね……」
諸事情のせいで若くして伯爵を継いだマーノクは、まだまだ働き盛りだ。ミリアが結婚すれば、逆にこれ幸いと縁談が舞い込みそうなほど。
本人がまったく気づいていないのか、考えが及ばないのか……変な女主人が来なければいいんだけれど、とディアナとしては少々心配になる。
「……ミリアに続いて、君も結婚か……」
「あの、まだ何も決まっておりませんよ」
「寂しいなぁ……」
自分の事どころか、ミリアの件だって下手をすれば立ち消えになりそうなのに、変な所で気が早い。宙を見つめて黙り込んでから、マーノクが隣に立つディアナの青い目をのぞき込んだ。
「やっぱり、ミリアのお母さんにならない?」
話がなぜか立ち戻った。まだいうか、とやや怒りを込めてディアナは伯爵を睨……まない程度に、半眼になった。
いくらのんびりしていると言っても……限度がある。
「なりません。大体、既に結婚話があるようなお嬢様に、今更母親がいたところで、どうにもなりません。もっと早くご決断なさって、いい人を見つけてくださればよかったのです!」
仕事がありますので、とディアナは靴音高く、その場を後にした。