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 唐突にマーノク・ハースが戻ってきたのは、ミリアが学院へ行く支度中の事だった。

 昨日の朝に出ていき――ウォレンが来たのは昼過ぎだった――帰りは明日だと聞いていたのに、ずいぶんと急な帰宅で、 朝食の席に現れたマーノクに、ただ首をかしげるしかない。


「おかえりなさい、お父様。その……お出迎え出来なくてごめんなさい」

「いいんだよミリア。私がとても早く帰ってきたせいだからね」


 いつもと同じ、穏やかな受け答え……のように見えるのだが、どこか疲れているというか、元気がないというか。


「……お仕事が忙しいの? 無理をしていない?」

「いやいや。先方が気を利かせてくれてね。早く帰って来られたぐらいなんだ」

「……違いますよ、お嬢様。仕事にならないと、戻されたんです」


 きっぱりと、それでもなんだか笑いながら、暴露したのはブランだ。どうやらマーノクとともに屋敷に来たらしく、二人ともまだ旅の装いが残っている。


 父のマーノクから、ミリアはそっくり色彩を受け継いだ。焦げ茶色の瞳も、ごくありふれた金髪も。

 ただ、面差しや性格は母親そっくりらしい。たしかに、どこかおっとりとしたマーノクと、好奇心に駆られてあちこち動くミリアは似ているとは言われない。そして時折、どこか懐かしそうにマーノクはミリアを見つめるときがある。


 大抵は趣味に走っているミリアと違い、マーノクは穏やかながら、その実、とても計画的に動き、きちんと計算を働かせる商人としての一面も持っている。

 だから、なぜと思わずにはいられない。


「お父様、どうしたの? 具合が悪いのなら、先生を呼ぶけれど」

「お嬢さん、伯爵はお嬢さんが……」

「私?」

「ブラン!」

「あーはい。分かりました」


 たった一言で通じ合ったのか、ブランはすぐに引き下がった。明るく快活な話し上手は、聞き上手でもある。ハースの領地ではよく見かける黒目黒髪のやり手な商人は、今回も引き際を見誤ったりしなかった。


「明日の朝、また伺いますから、もうちょっとまともになっていてくださいね」

「……善処するよ」


 疲れを前面に出して、マーノクが答える。からからとブランが笑い飛ばした。


「元気出して下さいよ。あとお嬢さん。いい本出してくれてありがとうございますね。増刷もかかって結構いい収益になりそうなんで、お嬢さんにもかなり還元できるから、一生食うに困りませんよ」

「……そんなに?」


 話が飛びすぎて、ミリアはついていけない。だって、本当についこの間出たばかりではないか。


「ええ。バッタもんを取り締まらないとならないくらいですから。ですから、生活のために結婚しなくても大丈夫ですよ」

「ええっと……」

「ブラン! なんてこと言うんだ君は!」

「やだなー。さみしい一人もんを応援したんじゃないですか」

「私はミリアの幸せをっ――」

「はいはい。じゃ、また明日来ますんで!」


 ミリアが呆気に取られているうちに、風のように去っていった。同じく追いつけなかったマーノクが肩を下げている。なんだか意味が分からないが、そろそろ学院へ行かないと遅刻になる。


 昨日、ウォレンは帰り際、ちゃんと学院へ行くことを諭していった。なぜ遅刻や欠席、早退までしているのを知っているのか、不思議だったけれど、名目上は二学期となる今日から、きちんと行くと答えた手前、約束は守るつもりだ。


「お父様。私そろそろ時間が……」

「ああ。分かっているよ。今日はちゃんと学院に行くんだね」

「ええ。ウォレン…様とも約束したから」


 名前が出たとたんに、マーノクの顔が目に見えて暗くなった。が、首を振ってミリア、と呼びかける。


「それでその……ウォレン君が来たんだよね」

「そうよ」

「……ミリアはその……彼と……」

「夜会なら、一緒に行くことになったけど……お父様、本当に大丈夫?」


 顔色が……とじっと見つめるミリアを両手でマーノクは否定する。なんだかすべてが言いにくそうなマーノクに、ミリアは怪訝な顔をしてしまう。


「平気、平気……で、その……もちろん指輪の話もしたんだろう?」

「指輪……」

「しなかったのかい!?」


 ずずい、とマーノクが机に手をついて乗り出した。反射で、ミリアは背もたれに張り付く。ちょっとの間見合ってから、したわ、と言えば、またしおしおと椅子に戻っていった。


「あの、お父様……」

「どんな指輪にするのかな?」


 話を止めたいのか、事態を問いただしたいのか、ミリアが迷っているうちにマーノクの質問が来てしまった。ちょっと遅刻かもしれないけれど、今回は不可抗力だとウォレンに言おう、と決めた。


「あの、好きな石をって話だったから、藍輝石を」

「藍輝石!?」


 目を丸くした父に、さすがに事情に通じる人の反応は違うな、などと考えてしまう。でもそこまで狼狽えなくてもいいかな、とおろおろする父がやっぱり変に思えた。


「あの、ミリア……好きなのは知っているけど、いくらなんでもそれは……」


 無理じゃないかな、と消えた先はちゃんと分かっている。どうにも説明が追い付かない。


「あのねお父様。私、べつに指輪が欲しいわけじゃないのよ」

「いっ、いらないの?」

「ええ。いつもそうでしょう? 欲しいのは宝石であって指輪じゃないわ。誰かが持っているなら、見せて欲しいだけで」

「ええっと……」

「昔話じゃないんだから、結婚するから宝を寄越せ、なんて無茶ぶりしないわよ」

「け…っこん………」


 ううう、とマーノクが顔を覆う。食卓に倒れこんでしまわないのが不思議なくらいで、どうやら涙をこらえているらしい。やっぱり病気かも、とミリアはひそかに主治医を呼ぼう、と決めた。

 とにかく、と話を進めた。今はあまり構っている時間がないのだ。


「指輪は断っておいたから大丈夫よ」

「えっ?」

「あと、ドレスも新調するって言ってくれたけど、そっちもお断りしたの。今年はもう一着作ったし」

「ええ?」

「だって確かに変わった夜会だけれど、今回は宝石もそんなに期待できな……じゃなくて。私が気張ってもしょうがないし」


 ぐぐぐ、とマーノクがだんだん疑問を膨らませながら傾いていく。


「でも仕方ないわよね。今回はウォレンの一大事だもの」

「ミリア、ウォレン君だけじゃないだろう? 君だって……」

「私? 確かにウォレンと一緒に頑張るつもりだけど……最後はウォレンが自分で決める事なのよ? 私はあくまでも支援(サポート)だわ」

「……」


 おかしい、とようやくマーノクは気が付いた。今まで頭の中から抜け落ちていたけれど、目の前に座るのは自分の娘(ミリア)なのだ。一日に一度は、かみ合わないことがある。

 恐る恐る大事なことを確認する。


「その……ミリアは今度の夜会に、何しに行くのかな?」


 あら、と不思議そうにミリアがマーノクを見つめ返した。


「お父様、ウォレンから手紙で話を聞いていたのではなくて?」

「そのはず……なんだけどね。どうも私の知ってる事と違うようだから」


 そんなことあるかしら、と思ったけれど、別に隠すことなんてないので、もちろん、と続けた。


「ウォレンのお嫁さんを探しに行くのよ」

「…………」


 目を丸くして、マーノクが固まった。いったい何の病気なのか、少し気になるけれど、この話が途切れて切り上げられることの方が大事だ。時間はかなり過ぎ、完全に遅刻で……そそくさと、ミリアは食卓を離れて行った。




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