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ディアナに目配せで実物を持ってこさせ、よく分からないままにウォレンへ手渡せば、その場でぱらぱらとめくり始める。装丁は革ではなく布で、なんでもある程度安価にし、発行数を増やしたと言っていた。
「ウォレン様もお読みになったの?」
「いや……せっかくだから、一冊もらってもいいかい?」
くしゃりと、どこか困ったように苦笑いしながら、ウォレンが本を軽く持ち上げる。
「どうぞ。あと十冊はあるもの。うちの使用人に配っても余るくらいよ」
「ありがとう。内容は……その、問題ないと思うよ」
「ウォレン様、その後に、なんだか『多分』が付きそうよ。何かいけなかったのね?」
「いや、そんなことは…ない、よ?」
「……」
どうも煮え切らないウォレンに、じっとミリアは疑いの眼差しを向けた。別に駄目だししたって全然問題ないのに。むしろそこまで出版したいとも思っていなかったのだから、権威ある王太子側近から発禁命令が出てもいいくらいだ。
焦げ茶色の視線に負けて、ウォレンがそっと目をそらした。
「ミリア、許して」
「本当のところを言ってくれればいいの」
「……」
はあ、とため息が漏れた。ウォレンがミリアの押しに弱いのは、出会ったころから変わっていない。正面に戻って、視線がぶつかる。
「その……オーディアの碧天石についてだけど」
ああ、とミリアは思い当たった。確かに、ウォレンから指摘されるとするなら、王家に関わることに違いなかった。
ウォレンの膝の上で開かれている『王家の秘宝! 碧天石』をざっと読みかえした。
「私としては……ただの石に関する考察ってことで、王家や歴史を批判する文章じゃないと思ったのだけれど」
「そうだね……ミリアは本物を見たことがあるんだね?」
「もちろんよ。三年前の王家博覧会の時に展示されてて……この本は、実際に見た時の覚書をまとめたものだもの」
うん、と頷きながらウォレンが少し目を伏せる。考え事をするときの癖だと知っていたミリアは、それ以上話しかけるのをやめた。
オーディアの碧天石は、澄んだ青と緑が入り混じって、揺らぐような不思議な輝きを持った宝石だった。こぶし大の大きさで、オーディアの初代国王が、自らが発見したという由来がある。王冠に嵌めることもせず、ただ磨き上げ形を整えられたそれは、大きさも相まってとても美しかった。
そして、宝石を管理するのは次代の王――王太子と決まっていた。
初代が息子に渡したという逸話――これの真偽は不明――もある。
そのため、王冠を約する石とも云われ、数ある王家の秘宝の内でも、知名度と重要度が群を抜いて高い。オーディアでこの話を知らなければ、相当な田舎者だと笑われるのだとか。
ただ、ミリアとしては。
あの碧天石は熱にも乾燥にも弱く、さらに当たり所が悪ければ、それこそちょっとした衝撃で割れや欠けが出来てしまう脆い石だ。形を維持するのは、かなり難しい。それこそ、自然現象のように割れたとしても、何にもおかしくない。
本当に初代国王が息子に渡したというなら、むしろ跡継ぎにする気があったのかと邪推さえしたくなるし、三人いたという男兄弟たちの中で、石を守り抜いた人物なら、王にふさわしいとも考えられる。
また、歴史書を紐解いても、あまり仲が円満だとは思えない三兄弟を、宝石を以って余計な争いを封じたのなら……初代国王の手腕は見事だ。
ただ、彼がどこまで石の事を知っていたかは分からないので、その辺はただの想像になるけれど……というような感想が、つらつらと本には載っている。
駄目だったかなー、とは、今更過ぎる思考が三回ほど回ったあたりで、ウォレンが顔を上げた。
「……あの、ウォレン様?」
そっと窺えば、すっと手が伸びてきた。結い上げるのが苦手なミリアが、軽く髪留めを付けただけの柔らかい金髪をなでていく。
「問題は……ないとは言えない。でも、私から王太子殿下と陛下に話を通しておけば、済む話だ。その程度だよ」
ようやく聞けたきっぱりした言葉だけれど、ミリアはちょっと考え込んだ。
「出版取りやめでも構わないのに」
増刷する、と言っていたような気が、した。迷惑はかけたくなかったし、ただでさえ多い仕事を増やしたくもない。
けれど、ウォレンは軽く首を振った。
「その必要はないさ。ミリアは本が出て嬉しくないのかい?」
「そうじゃないけど、やりたかったって程でもないだけ。ブランは楽しいって言ってくれたけど……」
「私も面白いって思った所もあったよ。この黒曜石の話とか。呪いの腕輪の話なんて、君が好きそうだよね」
「好きよ。宝石そのものも大好きだけど、由来や歴史を調べるのも楽しいもの」
「なら、きっとそう思ってくれる人だっているよ」
そう纏められると、ミリアとしては反論がしにくい。憮然としていれば、今度はくしゃりと髪の上を手櫛が滑っていった。折角ディアナ達が大急ぎで整えてくれたのに、台無しである。
でも、文句はないので言わなかった。
ウォレンにこうして会うのはとても久しぶりだったし、小さい頃から、彼に頭をなでてもらうのは好きだった。
「ねえミリア」
「何かしら?」
「僕の手紙、読んでくれたんだよね」
「……夜会へのお誘いでしょう?」
「そうだけど……」
「……」
悲しそうに萎れたウォレンに、うっかり、「あ」なんて淑女らしくなく言いそうになった。
唐突に話題が変わって、本題になったせいで、ミリアは対応が完全に遅れた。久しぶりに聞いた、以前と変わらない『僕』という言葉に、気を取られている場合ではない。
「ごめんなさい、ウォレン。その、実は……今朝手紙を開封したから、まだちゃんと読んでいないのよ」
「……」
ミリアは謝った。それが一番正しいと思ったから。ウォレンは……怒っては、いなかった。ただ、困っているような笑みを浮かべた。
「いや……石が着いたのかな」
「ええその……橄欖石が」
ミリアを良く知るウォレンが、妥当な理由を上げる。ちょっと事情は異なるけれど、頷いておいた。
そう、と呟いた横顔が、どこか寂しそうで……ミリアはもう一度心の中で謝った。口に出しても、彼は受け取ってくれないだろうと知っていたから。
「変わんないね、ミリア」
「変われない、の間違いよ、『ウォレン様』」
「そうかな。僕は……」
言いさして、ウォレンはその先を続けなかった。ただミリアを見下ろす緑の両目が、ほんの少し細くなった、だけ。
一つ深呼吸をしてから、ウォレンが口を開いた。
「手紙にも書いたけど、一緒に夜会へ行ってくれないかい、ミリア・ハース嬢」