19
言葉通り、二日後にミリア宛にカロリーナからささやかなお茶会の招待状が届いた。少し考えてから、ミリアはカロリーナに返事の手紙を書いた。
ミリアの住んでいたハース領主の首都邸は、あの後捜査が行われるために、立ち入り禁止になった。今はなんと、シューストン家の別邸に仮住まいをしている。つまるところウォレンの自宅なのだが、当人は仕事のために城詰で全く帰宅しない上に、完全に別棟になった離れをまるまる借りたため、顔を合わせることはない。
マーノクはマーノクで、この一件では唖然とした後は、静かに怒っていた。毎日帰りが遅いのは、屋敷の修繕にだけに精を出しているわけがなかった。
あの日断ろうと思った夜会の話は、宙に浮いたままだ。
また一つ、ウォレンの知らない一面を見た。あれほど鋭く尖った翠玉は、触れるだけで傷ついてしまうだろう。
士官学校を卒業し、マーノクからも話を聞いていたが……怖い、と思ったのは、消せない記憶だ。
でも。
「綺麗、だったわ」
小さく口の中だけで転がす。どうにも目が離せないくらい、惹きつけられた。
目を瞑れば、鮮やかにあの緑が浮かぶ。ミリアの口元が自然と綻んだ。手元に石がないという現状に全く問題ないのは、あの一瞬のおかげだ。
「……お嬢様」
「なあに? ディアナ」
「……」
部屋には、もちろんディアナがいた。一人で百面相し、最終的ににやにや、もとい笑顔になったミリアに、表情はすました顔にまま、心の中で額を押さえた。
「お嬢様。それ、人前で」
「大丈夫よ。やらないわ」
「……お願いいたしますよ」
ひどい目に遭ったにも拘らず、相変わらず我が道を進むミリアに、呆れつつディアナは感心していた。あまりにも普段通りなので、ディアナとしては心配する気持ちが薄れてしまった。秘かに、心に傷を負って臥せってしまうのでは、と予想していたが、杞憂に終わり、ディアナもまた、日常のままに過ごせている。
「カロリーナ様のお誘いは、三日後ですって。学校ではダメみたいね」
「当然でしょう」
「普段着でいいかしら?」
「……パーティではありませんが……今年作った一着をご用意いたします」
招かれたとはいえ、格上の貴族への訪問だ。言動に気を付けないと、とミリアは心に留めた。
留めた、はずだったのだが。
目の前に座る色彩の眩しさに、ミリアはどうにも笑みが抑えられなかった。
右には、一番見慣れた緑が。
左には、とてもよく知る薄氷が。
そして正面には、強い光を宿して輝く紫がある。ついでに、今は固く瞑って見えないが、ディアナの青いサファイヤだってあるのだから、ミリアとしては滅多にないことについ浮かれてしまう。
「素敵ねぇ」
「まあ、ミリアったら」
「天国みたい」
「ミリア嬢……」
「ずぅっとこのままでいられないのが残念ねえ」
「いい加減になさってください、お嬢様」
「だったら……棚の配置を変えれば」
「ミリア・ハース。そろそろ、戻ってきてくださらないかしら?」
おほほとユミルが口元に手を当て、ウォレンが言葉を探している。ディアナが窘め、最後にカロリーナがぴしりと扇の先を向けたことで、ミリアは集まった面々をひたすら観察するのをやめた。瞬きをして、きちんと「顔」を認識する。
「あら?」
「あなたね……今日は何のために集まったのか、覚えていて?」
「もちろんですわ、カロリーナ様。ハースの家に恨みのない公爵家が、なぜ我が家の襲撃に関わったのか、という疑問にお答えくださるのでしょう?」
冷たい表情で皮肉めいた言葉を言われても、ミリアは揺らがなかった。逆に、いきなり事実を端的に突かれて、面食らったのはカロリーナの方だ。
「敵方の様子がおかしかったのも、ウォレンやカロリーナ様が突然に現れたのも、我がハースが襲われた原因も、結局のところは一つに収束し、問題はそちらにある」
「――」
「なので、教えていただける、という事でしたね?」
「……」
「あらミリアったら……随分危ないことに巻き込まれていたのね」
ユミルが、儚く微笑む。相変わらず、底の読めない外行き仕様の微笑だ。カロリーナが目線で窘める。
「分かっているなら……どうして話が聞こえなくなってしまうのよ」
「諦めた方がいいわ、カロリーナ様。ミリアは誰に対しても平等で、何があってもぶれないのよ」
「ユミル様の言うとおりです。失礼は承知の上ですが、ご寛恕ください」
薄々感づいていたのか、いいのよ、とカロリーナは軽く受容した。代わりに、今度手を上げたのはウォレンだ。感情を抑えた声で、はっきりとユミルを敵視しながら睨んでいる。
「なぜゴーイル家のユミル嬢がここに? あなたは無関係ではないでしょうか」
「あら、お言葉ですけれど、ゴーイル家がこの一件に全くの無知だとお考えなら、改めた方がよろしくてよ、シューストン様」
「ゴーイルの話はしていない。当然、あなた個人に向けているのですよ」
火花が散りそうなやり取りに、私が呼んだのよ、ウォレン、と割って入ったのはミリアだ。二人が同時にミリアの方を向く。どちらの表情も同じだった――なぜ邪魔者を同席させたのだ、と。
「ミリア、たまにしか会えない男なんて、頼りにならないわよ」
「部外者を引き入れるべきではなかったはずだよ、ミリア」
「でも、今回は二人の協力が必要だと思って……助けてくれないかしら」
家に帰れないと、困っちゃうのよね、とあくまでも通常運転を崩さないミリア。ねえ、と交互に顔を向けられ、しばらくしてから黙って視線を逸らせた。決着は、ミリアの一人勝ちだ。
終わったとみて、いいかしら、と説明役となったのは、カロリーナだ。
「シューストン様はすでにご承知ですけれど……お三方。まず、これから話すことは口外禁止です。と言っても、ご家族の方はすでに情報を得ている可能性が高いですが……自らから話すことはないように」
よろしいわね、と念を押されて、ミリアはしっかりと頷いた。
すう、とカロリーナが深呼吸し、しっかりと紫紺色の瞳がミリアを捉える。
「この国……オーディア国には、魔法が存在します」
ゆっくりと、反論を許さない重々しい口調で告げた。
瞬きをして、心の中で反芻する。
「魔法、ですか」
ぽかん、という表情のままに、心の声を漏らしたのは珍しいことにディアナだった。なにしろ、あまりにも突拍子もない。
「すると、童話に出てくるような……」
「何もない所で火を出したり、風が吹いたり?」
「騙し絵や奇術の類ではないのですよ、お嬢様」
「ええそうね。けれど、似たようなものかもしれないわ。ただし、仕掛けは不要ね」
「では、先ほど私が挙げた事柄は」
「そう。すべて魔法が関わっておりますの」
意に反して人を人形のように操る。風を使い、人を倒す。人よりも早く動く。目指す場所へ、瞬く間に到着する。
これらすべてを、魔法の一言で片づけられる――
「信じられません」
短く否定したのはユミルだ。これも珍しいことに、細い声がきっぱりと断言する。
「であるならば、国はもっとその力を活用しているはずですわ。また、国家機密であるなら、我がゴーイルの耳に入らないはずは」
「何事にも、始まりというものがあるのですよ、ユミル嬢」
遮ったのはウォレンだ。はじまり、とミリアは繰り返す。今まで無かった物が、発見された。もしくは、かつて曖昧な伝達でしかなかったが、現在になって確認され、実証された、という事だ。
ユミルが不満そうに、目を細める。
「では、国の中枢はすでに魔法を認めているのですか」
「もちろん」
「なにを以って?」
「それは」
「――カロリーナ様と、ウォレンね?」
口に出してから、少し違うわね、とすぐに自分の言葉を修正する。
「ウォレンが、切っ掛け。カロリーナ様が、確証、かしら」
驚いた視線が、ミリアに人数分集まった。答えを用意していただろう二人が絶句していた。あら、とミリアは意外な気持ちになった。すでに目の前で「魔法」を見た後だ。推察はそんなに難しくない。
彼の突出した才能は、昔から有名だった。さらに、カロリーナも魔法を使っていた。時系列で考えただけの事だ。
けれど、まだ分からないこともある。
「どうして……ハースは狙われたのかしら?」
「狙われたのは、ハースじゃないわ……貴女よ、ミリア嬢」
ここからは、長い話になるわと、カロリーナは前置きした。