18
あら、とミリアが首をかしげる横で、ディアナが硬直した。
この屋敷には、護衛を含めて十人足らずしか人がいない。けれど、精鋭と名高い人間を、その資金力で持ってマーノクは雇い入れていた。
「強盗? まだ日が出ているのに?」
「お嬢様! なにをのんきな――」
慌てて、ディアナが様子を伺いに出ていった。まだ、雑多な物音がする。誰かの声、ガラスの割れる音。その後から不意に、ミリアの背筋を冷たいものが落ちた。
勢いよく扉が開いて、ディアナが真っ青になって駆け込んできた。
「逃げてくださいお嬢様!」
後ろには、黒い影があった。とっさに、手元にあった石を掴んで、思い切り――投げた。
素晴らしい反射神経で、飛んでいった藍銅鉱を避けたディアナと、鈍い音がして大きな固いものが頭にぶつかった相手が、同時に倒れる。ミリアはディアナに走り寄って、細い手首をつかんだ。
横をすり抜ける一瞬に目をやったが、倒れたのは大柄な男だ。どう見ても人間だった。
「――お嬢様、こちらじゃ外に」
「いいから」
飛び込んだのは、ミリアの私室の一つ。そこは壁一面に棚が作りつけられた、収集部屋だ。飛び込んで鍵をかけると、すぐに扉の外が強く叩かれる。ばん、と一度。それから、立て続けに何度も。
怯えるディアナが、部屋の隅で縮こまった。音はどんどん大きくなる。蝶番が吹き飛びそうだ。ミリアは、急いで鍵付き扉の錠を外して、すべて開け放った。
赤、青、緑。色の洪水を起こす壁を、見上げる。いつもこの鍵を開けるときは、楽しい気分で一杯だった。
「お嬢様……」
「ディアナ、こっちに来て」
めきめき、と嫌な音がして、最後に扉が吹っ飛んだ。無情な枠の向こうに、何人もの影がある。一番手に取りやすかった一つ――図らずも翠玉だった――を、力いっぱい投げつける。当たった一人が、後ろへ倒れた。よっし、とこぶしを握った。
「何でもいいわ。ディアナ、投げて」
「どんな冗談ですかっ。この棚の物、いくらすると!」
「命のが大事よ」
勢いをつけてミリアがもう一つ投げれば、自棄になったのかディアナも猛然と石を投げ始めた。ミリアより、狙いが正確だ。
丸く削られたもの、奇形の物。大きさも重さも関係ない。投げる。当たれば、倒れる。しばらくすると、起き上がってくる。
相手は、人間。けれど、一様に顔がおぼろで、剣を抜くことも、連携を取ることも、石を避けることもしない。そもそも、貴族女性のミリアとディアナが投げた石が当たったところで、倒れるなんておかしい。
色々疑問はあるが、今はそれどころではない。勘と反射でここまで来て、後はどうするなんて考えている暇さえない。
手近なところに投げる物がなくなれば、少しずつ場所を移動する。だが、問題は自分たちの体力の方だった。だんだんと腕が持ち上がらなくなる。飛距離がなくなる。自然と、相手との距離が詰まってきた。
「……お嬢、さま」
「逃げてって言わないでね、ディアナ」
小さな石を出来るだけ選ぶ。もしくは見た目より軽いものを。どこに当たっても倒れるから、ついには足で蹴っ飛ばす。追いつめられているのは、明らかだ。どうしてここは二階なのだろう。一階にあれば、窓から逃げることも出来たのに。
部屋の位置を間違えたわ、なんて、現実逃避もいい所の思考が、ミリアの中で回った。
はっとする。腕が、目の前にあった。鋭い、爪が――
「いやっ」
「ミリア!」
思わず目を瞑って逸らしてから、え? とミリアは目を見開いた。風にほつれた髪がさらわれる。突風が吹いたのだ。
家の中なのに? と不思議に思って、さらに名前を呼ばれたことにようやく気づいた。
ゆっくりと顔を上げれば、広い背中が目の前にある。
「……ウォレン、さま?」
鋭い音がした。きらめいたのは白刃だ。剣を抜いていた。ウォレンが、剣を。もう一度、金属のぶつかる音がすれば、今度は相手が倒れた。とっさに目を向けて、血だまりがないことにほっとした。
目の前の敵を倒した後、ウォレンは果敢に敵陣へと走り出した。たった一人に、五人以上の敵がいた……のは、ほんの一瞬だった。
白い制服の裾がひらめき、風のように切っ先が舞う。強く鋭いと父が評したウォレンの強さは、ミリアでは何が起こったのか把握できなかった。それほど、素早く無駄がない。
いつの間にかミリアの腕を取って抱き着いていたディアナが、強くミリアの腕を握った。
倒れた人間の真ん中に立つウォレンが、振りむいた。
強い、緑の目とまっすぐに向き合う。
穏やかに微笑む色とも、とろりとした緩んだ色とも、あの冷たい他人の色とも違う。貫かれて射すくめられる、目だった。
駆け寄ってありがとうと言うべきなのに、体が氷になったように動かない。視線はわずかに色のついた切っ先に吸い寄せられた。赤い、色の付いた剣。
それから――ウォレンの背後に現れた、もう一人の敵。
「ウォレン!」
叫びと、振り返ったのと、敵が横弾きにされて吹き飛んだのは同時だった。はい? と目の前で起こったことに、またしても呆然とする。
見えない槌に打たれたように、胸を押さえて敵は床にはいつくばって呻いた。力の働いた元の方向――出窓の桟には、優雅に指先を伸ばした少女がいた。
「詰めが甘いのではなくて、ウォレン・シューストン」
「カロリーナ、様……?」
まるで当然だと言わんばかりに腰掛けながら、紫の視線がウォレンを責める。そんな二人を交互に見て、さらに床に転がる大の男八人――たった今数えた――を観察し、ミリアは首をかしげた。
「……どういうこと?」
問いかけには、二人分の視線が集まった。なんとも表現しがたい。困惑とも呆れとも取れそうだ。が、二人が答える前に、ぐっとミリアはディアナに肩を引かれた。
「あの、お嬢様」
「なあに、ディアナ」
「もう、よろしいでしょうか」
真っ青になって震えているディアナに、大変、とミリアは慌てた。
「そうね、もう大丈……」
ふうっと傾いたディアナの体を、腕を伸ばして支える。これが正しい淑女の反応ね、と頭の隅で思った。 ウォレンがすぐに手を貸してくれたため、ディアナはソファに横になることが出来た。その間に、ミリアは動かない敵方の間を縫って見分する。
剣には、公爵家の紋章が。スカーフも同様だ。思い起こせば、かすかに記憶する顔がある。一番覚えのあるネスターこそいないが、つまり、彼らは。
「公爵家の私設護衛団……」
呟けば、カロリーナが嘆息を漏らした。
「どういうこと?」
何もかもに、つじつまが合わない。彼らにミリアが狙われる理由はないし、そのミリアを主君家であるカロリーナが助けるのも、おかしな話だ。
扇の先が、ミリアに向く。
「ミリア・ハース」
こんな時でも持ち歩いているのね、と場違いなことを考えつつ、扇の先にあった紫のガラス細工が綺麗だと注目する。金細工とは異なるから、きっと別の職人が――
「ミリア、ミリア・ハース」
「あっ、はい。申し訳ありません」
「……貴女は……」
「カロリーナ様。お気に留めず、先へ進んでくださいな」
「……」
責める視線を、社交的な笑みで逃れる。再度ため息を漏らしてから、カロリーナは優雅に扇を広げた。
「このような事態ですから、あなたには事情をお話いたしますわ。ミリア嬢」
「まあ」
「つきましては……日を改めて、我が屋敷へおいでくださるかしら?」
否を言えないお誘いだが、ミリアとしては断るつもりは全くない。先日確認したばかりの淑女の礼を、出来る限り淑やかにする。
「願ってもないお誘いに、感謝いたしますわ、カロリーナ様」