表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/21

17



 その一報が入ってきたのは、休日の昼下がり。午後のお茶を嗜みながら、お気に入りの収集物コレクションをうっとりと眺めていた時だった。


「……まあ、碧天石が?」

「ええ。真っ二つだそうでございます」


 共に休日を過ごしていた父親が、慌ただしく出ていった理由にミリアはきらきらと瞳を輝かせた。マーノクは中央管理や役職に就く立場ではないが、非常事態に貴族の一員として招集が掛かったのだが。


「真っ二つなんて……割れた石を見せてくれると思う?」


 素敵ねえ、とでもこぼれそうな好奇心溢れる笑顔に、そばで聞いていたディアナは目を閉じて頭痛を堪えた。


 繰り返しになるが、非常事態なのだ。国宝が損傷したのだから、国難であり、事態によっては重罪人が出てもおかしくない。詳細は聞こえてこないが、ディアナとしては不安でひどく落ち着かなかった。

だというのに、この「宝石姫」ときたら。


「お嬢様、それよそで言わないでくださいね。絶対に、ですよ」

「分かっているわ」


 本当ですか、と念を押すのを、すんでのところで堪えた。ここ最近、一番の笑顔で、いそいそとノートのページをめくったり、違う石を引っ張り出してきたりと、ミリアは忙しい。


「お嬢様……不謹慎ですよ」

「そうかしら? でも、碧天石は、とても割れやすい石だもの。もしかしたら先月急に晴れた日が続いたから、乾燥してしまったせいかもしれないし」

「国宝なんですよ、お嬢様。しかも管理を行っているのは王太子様。継承権の問題に発展しかねません」

「そんなひどいことを現王陛下がおっしゃるの? 石倉にガラスで囲っておくだけじゃ、たとえ王城であっても割れるときは割れてしまうのに」

「お嬢様っ」


 不敬罪の文字が浮かぶ言葉に、ディアナが怖い顔になった。内心で両手を上げてミリアは降参する。


「ごめんなさい。もう言わないわ」

「……お気を付けください。誰かの耳に入ったら、それこそ……」


 先を、ディアナはぐっと飲みこんだ。ごめんなさい、とミリアがもう一度謝る。事を重大に受け止めきれないのは、石にばかり重点を置いてしまうせいだ。手元には、形は違えど碧天石。手のひらに乗る大きさで、この石は黒を基調とながらも、青や緑の不可思議な模様が波のように入っている。


 美しい色合いは、優美で繊細だ。けれど、例えどんなに希少であろうと、石が割れただけで一国の未来が変わってしまうなんて、度が過ぎるとミリアは思う。


 石は、石だ。そこに人の入る余地はない。先行きを告げることも、誰かを戒めることも、正義を唱えることもしない。


 それをするのは、己の信念を何かに投じてまで成し遂げたい、人間だけだ。

 けれど、政治の世界では、そのような「切っ掛け」とやらが、重要視され、利用されるのかもしれない。


 ――美しいものを、ただ愛でるだけに止めておいてくれればいいのに。


 嫌ね、と今度はため息を吐いた。


 屋敷の玄関の方が騒がしくなった。様子を伺いに行くと、帰宅したマーノクと顔を合わせた。ミリアを見るなり、何とも言えない、微妙な表情になったのはどうしてだろうか。


「なにか? お父様」

「いや」

「進展はありまして? 碧天石が……」

「済まない、ミリア。まだ何も」

「王太子様の継承権には、差しさわりないでしょう?」


 う、とマーノクが息を詰める。手からは渡そうとしていたステッキが落ちた。からんからん、といい音がする。執事であるサミュエルが、慌てて拾いあげた。


「……ミリア」


 何か悪いことを言っただろうか。きょとん、とマーノクを見上げると、しばし目が合った後に、ため息を吐かれた。ハースの魔女か、と呟いたが、説明はなかった。

 あまり話せないけれど、と前置いて、大丈夫だよとマーノクが告げる。


「陛下は、此度の事をさほど重要視する必要はないとお考えだよ。それに……」

「それに?」

「いや……ほとんどは、その意見に賛同したんだ。略式だが、王令を発布して、国民に知らせることになったから」

「正装に着替えが必要なのね」


 数は少ないが徽章や飾りの多い正装は、着衣に時間がかかる。邪魔をしてはいけないと、ミリアは自室に引っ込んだ。廊下から聞こえる、侍女たちの忙しく働く音を耳にしながら、きっと城に詰めているだろう、ウォレンの事が頭に浮かんだ。


 学院で偶然出会ったのは、三日前のことになっていた。


 あの時には結局、ミリアはウォレンから何も教えてもらえなかった。動揺を見せたはずの彼は、ミリアから離れた後は、とても冷静な「先生」になっていた。はっきりとした説明を求めるも、上手くかわして授業へと行くように促した。正論を言われているだけに反論が出来ず、うやむやのままだ。


 頭では分かっている。ウォレンが正しいのだと。

 けれど、ああして線引きをされて「大人」の対応をされたのは、初めてだった。


 手紙ばかりが増えて、数年は会う機会が減っていた。

 ひと月の間に二回も顔を見て、さらにひと月半後にも出かける約束をしているなんて、驚くくらいの頻度だ。まあ、筆まめなウォレンは、数日に一度で手紙が届いていたから、離れていたという印象はなかったけれど。


 それでも、昨年はお互いの誕生日さえも手紙と贈り物で終わっていた。だからだろうか。瞼の裏に、冷たい表情の「シューストン先生」が張り付いて、どうしても離れてくれない。


「……だめね、こんなんじゃ」


 ずっと変わらないでいられると思っていたのは幻。ウォレンもまた、家の事情が変わると共に離れていった人々と同じだと……つい考えてしまう。


 子供じみた、拗ねた考えだ。幼稚で我儘。ウォレンに知られたら、呆れられてしまうか、もしくは苦笑いを返してくれるか。


 広げていた収集物の中から、目についた藍銅鉱アズライトを手に取る。濃い青は、日暮れ前の空に似ている。一日のうち、わずかな時間に現れる色と同じように、この鉱石は時をかけて 緑色の孔雀石マラカイトへと変化していく石でもある。永遠に同じ色のままでは、いられないのだ。


 どちらも、ミリアにとっては綺麗で素敵な石で、どんな変化も面白い。

 けれど、人の変わりようは、時に辛いことがある。


 ミリアの脳裏に、あの美しいカロリーナが浮かんだ。翠玉も紫水晶も、誰もがほめそやす至高の石だ。並べておくのに、ふさわしいもの。


「……いかがなさいましたか、お嬢様」


 着替えを手伝い終えたディアナが、ミリアの元に戻ってきた。どこか思案顔にミリアが、振りむいてあのね、と口を開く。


「私、やっぱりあの夜会はお断りしようかな、と……」

「はい?」

「出来の悪い妹分がいたら、ウォレンにお嫁さんが来ないかもしれないし」

「……」


 碧天石より、ディアナにとっては深刻な問題が降ってきたせいで、優秀な侍女は一時停止を余儀なくされた。めまいがする。なんだってこのおとぼけは――とのど元まで出かかった言葉を飲み込んだ。


「お嬢様、そのようなご配慮は不要です」

「どうして? だって変な虫がついてたらチョウチョは来ないと思わない?」 


 とても的を射た意見なのだが、根本が間違っている。


「ウォレンさまは、蝶より変な虫の方が好きですよ」

「ディアナ、ウォレンはそんなに虫取りが好きじゃなかったわ。毛虫を渡したら叫ばれちゃったし」


 いつの話だ。なんで通じない。ていうか毛虫を渡したのはミリアの方なのか。

 突然の婚約(?)危機に、ディアナは何とか体勢を整えるべく、深呼吸をした。


「虫の話はもういいです。というかですね、お嬢様。あの、お手紙を――」


 お読みになりましたか? という質問は、唐突に響いた派手に物の割れる音に、かき消された。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ