10
出会ったのは、十四のころ。ミリアは十で、王都から離れたオーディアの別荘地、南方都市アイエルで、そこはハース伯爵領の一部だった。
ただ、出会いは本当に偶然だった。
領地ではあっても、わざわざ訪れるのに連絡は入れないし、なによりハース伯爵は、当時経営難に傾きがちな領地の管理に、とても多忙な日々を送っていた。
侯爵家の次男であっても、ウォレンに会いに来たりはしなかった。
ウォレンも、当時はあまり人と会いたいと思えるようなことがなかった。
すでにユヴェルト学院では神童と名高く、夏の長期休暇が終われば最終学年へ進むことが決定していたが、侯爵家では誰一人として、そのことを喜ぶ人間はいなかった。
むしろ、長男であるエリックとの不和が広がるばかりで、どこにも居場所がなかった。
遠縁の親せきが来れば、それとなく爵位の継承について聞かれ、母は余計な波紋を生むウォレンを疎むばかり。
学院では、年下でありながら引けを取らないどころか、あっさりと超越していくウォレンは遠巻きにされていた。時にはまだ華奢で小柄なウォレンを、体格の差で圧倒しようと、人に隠れて手を出す人間もおり、ひと時も油断出来なかった。
わずかな使用人だけを連れただけで行くことを許されたのは、そんな事情が関係していたと、今ならうっすらと分かる。当時は王都から逃げられることに頭がいっぱいだったけれど。
一人になりたくて、侯爵家の別邸から、河原や近くの森に出かけることが多かった。
そこで、不思議な少女の後ろ姿があった。川のそばを散策すれば、同じような人がいるのだと思ったけれど、それにしては日よけの傘も、連れ合いもなく、一人で黙々と歩いているのが、どうにも目についた。
二度三度と同じ姿を見かければ、なんとなく気になって、河原に行くのは日課になった。二、三日に一度、時には連日で、細めのスカートを揺らす少女がいた。
少しずつ近づいて観察すれば、とても真剣な様子なのが分かって、どうして、と尋ねてみたい気持ちが、どうにも根付いてうずうずしていた。
いなくても探すようになった、そんな折に……疲れが出たのか河原で座り込んで眠ってしまったのだ。
目を覚ますと、可愛らしい空色の肩掛けが毛布代わりになっていて。
隣に座って、手元を真剣にのぞき込んでいたけれど、ふと顔を上げて笑ったのが、ミリアだった。
『お風邪を召しますよ、お兄様』
少しふざけた調子が、揶揄っているとすぐにわかって、自然と顔が赤くなった。手が伸びてきて、頭をなでられた。
『河原で寝てはだめよ? 川の水は増えるもの。服は綺麗だから、貴族の人よね。付き人はどこかしら?』
『それは……』
『しっかりしているから、放っておかれるの? だったら私と同じだけど、河原で寝ちゃうんじゃ、まだまだ子供ね?』
『……』
十四にもなって、言われたことないセリフに呆気にとられたのと、言い返せなくて、黙り込むことになり。
さあ、と手を引かれて、立ち上がれば、わずかにミリアの方が、背が高くて。
『お姉さんが連れてってあげる。お家はどこ?』
子ども扱いに、何も言えなかった。
ただ、不思議と腹立たしくはなかった。初めて話せた喜びの方が大きかった。
それから休暇が終わるまで、毎日会うようになった。
ミリアは、河原で綺麗な石を探していたと話した。これはと見つけたものを、持って帰って磨くのだと。
宝石の話は、それこそやむことなく続く日もあった。
昼と夜とで色の変わる、変彩金緑石。真っ青な輝きの中に星を抱くスターサファイヤ。
同じく色の変わる、珍しい変彩柘榴石が、五十年も昔にオーディアにあったが盗まれてしまったこと。
話を聞くのは楽しかった。
ミリアが何よりも好きだと、全身で語りながら、笑顔を振りまくから。
自分にはない、まぶしい輝きを持っていたから。
自身の事も、控えめに話せば、これまた少し変わった返事をくれた。
『とっても大変なのね。じゃあ、次はどうするの?』
と――。
次、なんて。 ウォレンは、未来があると、考えてもいなかったのに。
あまりにもあっさりと、ミリアが「今」を乗り越えてしまったのが、衝撃だった。
学院は辛くても、あと半年で卒院する。家には居づらいが、次男のウォレンには留まる理由もない。
現状を変える手段があると気づいたのは、間違いなくミリアのお陰だった。
約二十日の休暇は、ミリアと出会って飛ぶように過ぎた。
別れの日に、いつまでも挨拶を切り出せないウォレンに、やっぱりミリアがお姉さんぶって手を叩いた。
『ウォレン、何か欲しいものはない?』
『欲しいもの?』
『そう。今日はお別れだけど、もう一度会おうねっていう贈り物。私の好きなものはたくさん話したけど、ウォレンの好きなものはあんまり知らないもの』
なにがいい? と尋ねられて、胸がいっぱいになった。
答えは、もう。一つしかなかったから。
『僕は……君、が』
『わたし?』
『君の瞳が欲しい。とても綺麗だから』
まあ、とちょっと驚いたミリアは珍しかった。そうね、となんだか真剣に考え込まれると、なんて馬鹿な事を言ったのかと、すぐに後悔した。
『あのミリア……』
『あげてもいいんだけど』
『いいのっ!?』
『もちろんできればの話。お医者さんでもきっと無理だけど、そうじゃなくて』
『なにが?』
うーん、とミリアが考え込む。毎日河原に来たせいで、顔が少し日に焼けていた。それさえも、自分に会いに来てくれた証だと思えば、無性に嬉しくなる。
考えながら、ゆっくりとミリアが話し出した。
『私の目をあげても、あなたの目をもらっても、同じ色にはならないのよ。だって、ウォレンと私じゃ、好きなことが違うでしょ?』
本を見るのが好き。石を掘るのが好き。
剣を使うのが好き。走るのが好き。
宝石の話を挟みながら――ミリアがすぐに石の話になってしまうせいだ――いろんな話をした。
『場所が違えば、集める光が違うの。宝石も瞳も、それはおんなじ』
ね? とのぞき込まれれば、こっくりと頷いていた。
『私はウォレンの瞳が一番好き。世界にたった一つしかないから、そのままでいて欲しいの』
そう笑ったミリアが、誰よりも何よりも一番大切になって、揺るがなくなった瞬間だった。
ちなみに、別れ際に学院の学年を尋ねて、入学は再来年だ、と告げられたせいで、同い年だと――自分の飛び級のせいで学院では見かけなかったのかと――思っていたウォレンは、ミリアの背中をただ見送ることしかできなかったのは余談になる。
あれから、七年。
長いようでも、短いようでもある年月が経っている。
最初に年上だと思い込んだミリアだけれど、ウォレンが次の年には背丈を追い越して、さらに士官学校に入れば、さすがに悪かったと思ったのか謝ってきた。
笑って水に流した、のだけれど。
第一印象は、中々変え難い。ウォレンはミリアに絶対に勝てないし、ミリアはウォレンを頼らない。デビュタントもエスコートも、こちらが言い出すまで蚊帳の外だった。
手を差し伸べれば、握り返してくれると知っている。
だが、ミリアから伸ばされる手は、いつもウォレンを救い出す手だ。それが時折、どうしようもなく歯がゆい。
どうすれば、と焦るのに、どんどん身動きが取れなくなっている。
だがしかし。
あまり悠長にはしていられない事情が、色々とある。
深呼吸をして、新しく「職場」となった場所に、ウォレンは足を踏み入れた。
変わるものだ。人も、物も。
変えてみせると、決意した。