彼らの世界
ストーリー上は第三部と書いていますが、三部がメインストーリーとなっています。
三部に繋がる一部、二部はそのうち書けたらいいなと思ってます。
本編 第三部 〜緋焔視点〜
“世界樹エル・ドラード”世界全体を包む大樹であり“生命の起源”とされる神樹だ。
創生期、世界樹の枝は伸び集まって陸となり、世界は上から三つに分かれた。
各空間は層と呼ばれ、一層には葉、二層には幹、三層には根が張った。
各層中心部には転移門という扉が存在し、魔力を込めた転移クリスタルを使うことで、幹の内部を介し自由に往来できるようになった。
古より人間が住む二層では戦争が絶えなかった。
人間同士の争いが他層、延いては多種族間へと広がる事を危惧した一層の魔術師達は、世界樹の小枝から十の槍を造った。
槍には世界樹の念が宿っており、自らの意思で主を選定する。
選ばれた者は同意する事により契約し、身体の時が止まる。
老いる事はないが不死ではなく、致命傷を負えば死に、槍は新たな主を選ぶ。
彼等は“槍術師”と呼ばれ、秩序の維持を目的に門の守護と監視を行う。
槍術師達は現在一層に拠点を設け、一〜二層間を蘇芳棟、二層〜三層間を白夜棟と担当を分け活動している。
蘇芳棟の管理者を任されて幾年にもなるが、未だ堅苦しい会議には慣れない。
状勢の把握は重要な仕事の一つだが、書類整理等の細かい作業はどうにも不得手だ。
「報告会議お疲れさん!」
よく通る声と共に、背後から勢いよく腰を叩かれ少しよろける。
「いてて、加減ないなユラは」
じんじんと響く腰を押さえつつ、高笑いしている旧友へと振り返る。
「馬鹿言え緋焔、お前が鈍ったんじゃねーのか? たまにはうちでトレーニングして行け!」
そのうちねとはぐらかすと、不満気そうな顔をして見せる。
白金の髪に吊り目がちな紅の瞳、熱血で自信家の彼女は、先程の会議の中心人物、ここ“ビエント”の女王でもある。
ビエントはエル・ドラードを囲うように位置する小国で、獣人族という特殊な種族で構成されている。
色素の薄い髪と瞳が特徴で、獣と語り使役する不思議な能力を持つ。
彼等は代々神樹として世界樹を崇め守護して来た民族だ。
その成り立ちから小国ながらも軍事力を重視しており国民は訓練を重ねた精鋭ばかりだ。
ユラは女王でありながら有事の際は自ら先頭に立ち指揮を行い、国民からの人気も熱い。
頼れる親友である一方、彼女の指導力と統率力には頭が上がらない。
「聞いたぜ緋焔、また兄貴と喧嘩したんだって?」
「別に」
あんな口から嫌味しか出ない奴の事なんて思い出したくもない。
大方お喋りなカストルから聞いたんだろうが、話を掘り起こされるのは勘弁願いたい。
「拗ねんなって! 兄貴が原因で蘇芳棟に移動になったんだっけ? 悩みなら聞くからさっ 飲み行こーぜ飲み!」
「移動理由は三層のロゼと気が合わなかったからだ」
そうだったなとゲラゲラ笑う彼女を放って帰ろうとすると、強い力で腕を引かれる。
「近頃全然羽目外せなかったから付き合えよぉ」
「お前なぁ」
しつこく食い下がる彼女に、半ば諦めつつ後ろを振り返る。
次の瞬間、突如表情を変えた彼女の様子に俺は言い掛けた言葉を呑み込んだ。
只ならぬ雰囲気で、警戒するように辺りを窺う。
「ユラ?」
「血の匂いがする」
そう言って走り出した彼女を慌てて追う。
不可解な気配は感じなかったが、獣人族の嗅覚はヒトより優れている。
加えて経験を積んだ彼女の勘は並大抵ではない。
そして追い着いた先に、転移門の扉へ凭れ掛かるように倒れている少年を発見した。
「おい! しっかりしろ!」
少年は顔面蒼白でぐったりとした様子で、ユラが大声で呼び掛けてもピクリともしない。
朱髪にダボっとした黒い服。
腹部辺りからの出血が酷く、傷を受けて然程経っていないように見える。
脈はか細く、辛うじて息をしている状態で、手元には転移クリスタルが転がっていた。
「出血は多いがまだ息はある。フエンテまで運ぶぞ」
「わかった」
フエンテはエル・ドラードの樹液が溜まる泉で魔力を豊富に含んでおり、急速に治癒を促す効果がある。
エル・ドラードの南側に位置し、幸いにもここから近い。
出血を抑えるため服の裾を破って腹部をキツく縛り抱え上げると、体格が良いのか見た目よりも幾分か重かった。
傷口を刺激しないようにそっと運ぶ。
その間ユラは鳥を使い付近を調べさせていた。
恐らく少年は転移門を通し来たのだろうが、決して一人とは限らない。
少年を見つける前に移動した可能性も考えられる以上、念には念を入れた方がいい。
この場の処理はユラに任せ、俺は先にフエンテへと向かった。
フエンテはエル・ドラードの南側、葉が覆い被さるようにしてひっそりと存在している。
葉の色を反射した水面は緑色に揺れ、時たま静かに波紋を描く。
水深は深い所で五メートルを超えるため、沈み込まないよう端の浅い付近に少年を抱えたまま浸かる。
自らの背を岩場に預け、少年の服の前部分を破くと水面越しに傷口が露わになった。
身体の中心、丁度鳩尾辺りにぽっかりと空いた穴。
背部に貫通はしておらず、まるで腹に手を入れて中を掻き回したかのような歪な傷。
樹液の魔力によってじわじわと塞がっていく様を見守りながら唇を噛む。
もう少しでも遅れていたらきっと助からなかっただろう。
二十歳にも満たないであろう少年がどうしてこんな傷を追ったのか、どうして希少な転移クリスタルを所持していたのか。
痛ましい姿に胸が締め付けられる思いだった。
不意にフエンテの入口付近からガサッと葉を掻き分ける音がしてユラが入って来た。
「傷はまだ塞がらないか」
「あと少し」
出血は止まり傷口も塞がりかけているが、急激な失血で呼吸が浅く速い。
「そっちはどうだった?」
「広範囲を調べさせたが不審者はなし、門稼働時の目撃者もなしだ」
「本人に聞くしかない、か」
傷を負った子供相手は正直気が引ける。
だが転移門近辺での事件、恐らく二層絡みだとすれば放って置く訳には行かない。
経緯が判明するまでは蘇芳棟で保護する事になるだろう。
「あとカストルを呼んでおいた。一応治癒魔法の講師様だからな」
「ありがとう、助かるよ」
カストルは俺が槍術師になる以前からの友人で、隣国のセメンテリオ王国で講師として働いている。
彼は治癒魔法の一貫で医術も修得しているため、こういった案件では非常に心強い。
「そろそろ王宮に着く頃合いだ」
行くぞと促され泉から上がると、ユラ羽織っていた上着を脱ぎ少年の身体を包むように掛けた。
ないよりましだろと言う彼女にありがとうと返しつつ、王宮へと急いだ。
濡れたままの服をズルズルと引き摺りつつ戻ると、怒り顔のカストルに出迎えられる。
「遅い‼︎ 急に呼び付けるもんだから心配してすっ飛んで来たわよ!」
「そんなに待ってないだろ。緋焔、先に着替えて来い。そいつは医務室に運ぶ」
「ごめん。すぐ戻るから」
「その子もびしょ濡れじゃない! 冷えちゃうから早く中に入って!」
「わかってるっつーの! かーちゃんかお前は」
金髪碧眼で黙っていれば超美形で有名なこの友人は、所謂オカマとしても知られている。
ユラとカストルの問答を背に、早足で西棟へと向かった。
会議続きで半ば私物化している控えの間で着替えを済ませる。
医務室の扉を開けると中央のベッドに少年が横向きに寝ており、カストルが熱魔法で室内を温めていた。
「緋焔、これを見ろ」
ユラが少年に掛かっていたタオルを腰の下まで下げる。
促され背部へと回った俺は、思わず絶句した。
「全身診るために服を脱がせたのよ」
肩甲骨辺りから臀部の上まで、赤黒い陣が刻まれていた。
傷ではない。これは“術の痕跡”だ。
「私も初めて見る陣よ。ただ、良いものでは無さそうね」
この少年は一体何をされたのか。
正直ぞっとした。
もう一つ、とカストルが続ける。
「門から来たみたいだけど多分この子、相当魔力が強いみたいね」
「あ? なんでわかんだよ」
「憶測に過ぎないのだけど、魔力を封じる時に使う陣に似てるのよ。私も魔封術には詳しくないから調べてみないことには何とも言えないわ」
「よくわかんねぇけど、それってヤバい奴なんじゃねぇか?」
「封印される程の何かがあった、って可能性はあるでしょうね」
封じられた理由が何にせよ、魔封術とはあんな傷を負わせてでも行使するようなものなのだろうか。
いや、それだけのリスクを侵さないと施せない封印だったのか。
死んでいてもおかしくなかった。
殺される間際に必死の思いで逃げて来たのだとしたら。
あまりにも酷な話だ。
「・・・えん・・・緋焔!」
「な、なに?」
急に呼ばれた事に驚き顔を上げる。
「話聞いてたか?」
「うん。俺のとこで保護するから」
「危険かもって話だ! 甘いんだよお前はいつも!」
そんなのわかってる。
甘かろうが放っては置けない。
先ずはこの子が安心出来る場所を用意して、落ち着いたら話を聞こう。
陣の事はカストルに任せて、俺の方でも二層で情報を当たってみないと。
「正義感の塊に何言っても一緒よユラ」
「心配してんだよ、万が一にでも何か起きたらどうすんだよ」
「俺は大丈夫だよ。それに体も丈夫だ」
「そういう問題じゃ・・・
コンコンとノックの音にユラが言葉を止める。
「兄様? 緋焔兄様いる?」
「金糸雀?」
見知った高い声に扉を開ける。
金糸雀響同じ蘇芳棟の槍術師で、俺を兄と慕う義妹だ。
身体は低く、金髪のツインテールが特徴の愛らしい見た目をしている。
「会議に行ったきり帰らないって柚葉が怒ってたわよ。様子を見に来たんだけど・・・」
部屋の奥を覗いた彼女の、明るい緑色の瞳が大きく見開かれる。
「?」
「・・・エ、ト?」
「え、金糸雀ちゃん知り合い⁉︎」
奥にいたカストルが詰め寄る。
「嘘、なんで」
金糸雀は未だ意識の戻らない少年に駆け寄り、顔を確認する。
槍術師は門を守護するにあたり、他層を知る目的で短期間留学する者が多い。
金糸雀も二年程前に、自身の希望で二層へ留学していた。
行き先は確か、アストゥリア王国だったと記憶している。
「エト、エト!」
少年の肩を揺さぶり、起こそうとする手をカストルが止める。
「酷い怪我をして門の側で倒れていたらしいのよ。ユラと緋焔が見つけて、フエンテで治癒した後ここに運んでもらったの」
「エトは、大丈夫なの?」
「外傷に関しては一先ず安心、といった状況ね」
「金糸雀、この子とは二層で?」
「ええ・・・二層のアストゥリア王国の王宮に居た子よ。私のお友達になってくれた大事な子なの」
俯いて話す彼女の肩が小さく震える。
金糸雀は一七の時に槍術師として選ばれた。
一番遊びたい盛りの年頃だった筈なのに、彼女は潔く受け入れる事を決めた。
当時魔法学校に通っていた彼女は特例として、卒業まで蘇芳棟には入らなかった。
卒業後は槍術師の仕事に専念するため蘇芳棟で暮らすようになったが、同年代の友人と話す機会が減り寂しそうにしていた。
二層への留学を勧めた時は不安がっていたが、帰って来た時とても楽しげに報告してくれた。
友達が出来たと嬉しそうに話す彼女に安堵したんだ。
信じられないような偶然だが、金糸雀が知り合いだったのは幸運だ。
少年も目を覚ました時に見知った顔が居れば少しは安心できるだろう。
「ちょっと待てよ」
話を聞いていたユラが口を開いた。
「そいつが王宮に居たって事は、アストゥリアで何かあったって事じゃないか?」
カストルが頷く。
「その可能性は高いでしょうね」
「私、様子見に行くわ」
門へ向かおうと走り出した金糸雀の腕を掴んで止める。
「ダメだ」
二層で何か起きたなら、調べるのは俺たち槍術師の仕事だ。
だが危険度が判断出来ない現状で、戦闘経験の少ない金糸雀が行く事は管理者としても義兄としても許容は出来ない。
かといって俺も離れるわけにもいかない。
「二層は翠弦に頼む。この子は蘇芳棟で保護するから、金糸雀はこの子に付いていてくれるかな?」
「兄様・・・わかったわ」
こういうところが甘いんだろうな。
自覚はあるが治せそうにない。
「緋焔がその子連れて帰るなら、私も学校に戻るわ。陣の情報集めはやっとくから、起きたら連絡ちょうだい」
「うん。頼むよ」
「もし目を覚まして暴れでもしたら呼べよ」
「迷惑かけてごめん。ありがとうユラ」
「行こっか金糸雀」
少年の身体をタオルを掛けた状態で抱き抱える。
ビエント国の領地を抜けるとすぐ目の前に蘇芳棟がある。
別棟に空きはあるが、なるべく目の届きやすいところが望ましい。
俺の部屋の隣でいいかと考えつつも帰路に着いた。
蘇芳棟に着いた頃にはフルート(注:世界樹の実、光源を指す)は陰り、屋内もしんと静まり返っていた。
別棟を含め中々広い敷地を有してはいるが、此処に住んでいるのは槍術師十名の内半分。
俺と金糸雀を含めても五名だけで、残りは転移門を挟んで反対側に位置する白夜棟で暮らしている。
禁じられているわけではないのだが、槍術師でない者が敷地内に立ち寄る事は殆ど無い。
金糸雀と共に自室の隣、空き部屋の床に少年を降ろす。
こじんまりとした部屋だが、休ませるには十分な広さだ。
余りの布団を引っ張り出して敷き、そこへ少年を移動させてほっと一息吐く。
心配そうに少年の様子を伺う金糸雀には休むよう言い聞かせて部屋に返した。
静かになった部屋で少年の規則的な寝息が聞こえてきて安堵する。
こういった件に遭遇するというのは初めてで、本部である白夜棟に報告を入れるべきか少し悩みはしたが結局まだ伝えていない。
以前は白夜棟に所属していたが、正直言うと実兄を含めあそこの面子は少し苦手だ。
仕事関係に私情を挟むものではないと分かってはいるが、どうにも感情的になりがちな自分には向いていない。
カストルからの情報が整理出来てからでも遅くは無いだろうと自分に言い聞かせ、少年の傍らに腰掛ける。
壁にもたれているうちにじわりと睡魔が押し寄せて来るのを感じた。
そういえば朝から会議詰めだったなと思い出しているうちに、いつのまにか眠ってしまっていた。
乱暴に扉が開く音がして、ズカズカと足音が近づいてくる。
「おい」
聞き慣れた低い声にうーんと唸っていると乱暴に肩を揺すられた。
重い瞼をこじ開けると目の前には緑色のロングヘアを無造作に垂らした中年、柚葉が立っていた。
「あれ? 柚葉おはよう」
「会議から帰って来ないと思ったら変な奴連れ込んで、厄介事に首突っ込むのが趣味なのか?」
そんなつもりは無いのだがと思いつつ寝起きのぼんやりとした思考の中、昨日の出来事を思い出しガバッと起き上がる。
そして柚葉の背後に寝ている少年を認め、ほっと胸を撫で下ろした。
開け放たれた扉に差し込む光を見るに、まだ早朝といったところだろう。
「顔洗って来い。後で話はちゃんと聞かせて貰うからな」
そう言って立ち去る柚葉に苦笑いしつつ洗面所へ向かう。
柚葉は俺より大分前に槍術師として選ばれていて、少々荒いところもあるが当時妻子持ちだった事もあり昔から面倒見がいい。
何の連絡も入れなかった俺が悪いなと反省し、軽くシャワーを浴びる。
シャワーを終え服を着終わるところで、正門の呼び鈴が鳴った。
柚葉が出てくれたのだろう、向こうで柚葉とカストルが話す声がした。
「随分早かったね」
「気になっちゃって、学校に戻って直ぐに陣専門の講師に見せたのよ。そしたらね」
話し始めたカストルを柚葉が遮る。
「長くなるんなら上がって行け、此処で話す話でも無いんだろ」
「あら、じゃ遠慮なく」
柚葉から許可するなんて珍しい。
なんだかんだ言って少年の事が気になるんだろう。
カストルが確認したい事があると言うので、話は少年の寝ている部屋で聞く事にした。
部屋の扉を静かに開ける。
少年は先程と変わらず仰向けのまま静かに眠っている。
「まだ目は覚めないの?」
「うん」
俺は頷く。
「大丈夫だとは思うんだけど少し心配ね」
早く目覚めてくれるに越した事はないが、少年の精神状態も心配だ。
カストルは少年の側にしゃがみ唇に触れて歯を、手を取って爪を、瞼を上げて瞳を確認し始めた。
俺と柚葉はその行動の意図が分からず暫し黙って見ていた。
そして少しの後カストルは息を吐いて立ち上がった。
「この子ね、竜族の可能性が高いわ」
背を向けたままカストルが言う。
「竜族? 嘘だろ?」
隣で聞いていた柚葉が引き攣った顔をして言った。
二人の反応を見て俺は必死に記憶を辿る。
竜族という名前に聞き覚えはあるが、恥ずかしい話どういった存在なのかは全く記憶にない。
槍術師の仕事で長年各層を回っているが、竜族という種族に出会った事はないと思う。
話について行けないのは困るので素直に聞いてみることにした。
「ごめん、竜族って何だっけ?」
柚葉が横に居る俺を凝視し溜息を吐く。
「はぁ お前が脳筋なの忘れてたわ」
「はは 返す言葉も無いです」
柚葉は呆れながらも説明してくれた。
「竜族ってのは唯一の戦闘種族で七体しか確認されていない希少種だ」
「魔術師界隈では力の象徴ともされてるんだけど、実際に見る事はほぼ皆無の伝説級の存在ね」
カストルが補足する。
そう言われると聞いたことがあるような気がしてきた。
昔から頭を使うことが苦手で、座学も結構サボってたっけ。
「話戻すが、竜族っていう証拠はあるのか? 見たところそれらしい特徴も無いが」
柚葉がカストルに尋ねる。
確かに外見はヒトと同じに見えた。
「あくまで可能性の話よ。背中の陣、魔人が使う魔力封印の陣にそっくりらしいのよ。しかもその陣、普通ヒトには行使されないものだって聞いて文献を漁ってみたんだけど」
カストルは持っていた鞄から古びた分厚い本を取り出し、部屋の一角の低いテーブルで開いた。
座ったカストルの左横に腰掛けて本を覗く。
柚葉も後ろから覗き込む。
「見てちょうだい。ここに竜族の特徴が書いてあるでしょ」
カストルが指差したページを目で追う。
そこには竜族についてが細かに記されていた。
◆◆◆
“竜族は遠い昔、竜がヒトを模して進化し生まれたもの”と伝えられている。
通常はヒトと変わらない姿をしているが、鋭い尖頭歯、細い瞳孔、硬い爪は特徴的。
皮膚は頑強で衝撃に強く刃物も通さない。
強い魔力と優れた身体能力を持ち、極めて好戦的であることから戦闘種族と呼ばれる。
竜の姿とヒトの姿が混ざった半竜化状態が本来の姿。
半竜化状態では大きな翼、鱗に覆われた尾、頭部には二本の硬い角を持つ。
身体全体にも鱗に覆われた部分があり、爪は硬く鋭い。
一度に一体のみ眷属を持つことが可能で、眷属化すると竜族の特異能力の一部を授かる。親の竜族が死ねば共に命を落とす。眷属は種族を問わず、竜族の傍に長く居る事で眷属化する事がある。相性による影響が強く望んで眷属化する事は難しい。
竜族は水分や果実以外は口にしない。食物を摂取しないため排泄機能がない。
成人前後まで成長すると身体の成長は止まり老いる事はない。
自己治癒力に優れているが、体力を消耗するため限度はある。
不老であるが不死ではなく、著しい脱水や出欠多量、魔力を一度に限界まで使う等で死に至る。
死の間際に自身の分身体を産み出すため、七体という個体数が維持されている。
排泄以外の生理的欲求に素直である。
生殖器はあるが、生殖機能は不完全である。その為性差の概念に疎い。竜の名残か発情期があり、性欲を満たすため形だけの交配をする。
◆◆◆
「随分詳しく書かれてんな」
粗方目を通し終えた辺りで柚葉が言う。
「ヒトの姿の特徴は当てはまってたわ。治癒力が優れてるってのがどの程度なのかは分からないけど、この子が倒れてた時出血も止まってなかったことが引っかかるわね。ただ、魔族でもヒトでもない事は確かよ」
「体力を消耗するみたいだし条件があるのかな」
「陣の影響って線もあるし・・・金糸雀ちゃんは何か知ってるんじゃない? お友達だったのよね」
確かに、二層で共に過ごした金糸雀なら知っているかもしれない。
突然だったから詳しくは聞けてなかった。
起きたら少年の様子を見に来るだろうし、まだ眠っているのかな。
二人に様子を見てくると伝え、金糸雀の自室へ向かうべく立ち上がる。
部屋を出て右、廊下を真っ直ぐ進んだ突き当たりの扉をコンコンと軽く叩くが返事はない。
声を掛けようか悩んでいるとパタパタと軽い足音が中からきこえ、ガチャリと扉が開いた。
部屋から出てきた金糸雀はボサッとした髪にパジャマ姿で、目が合うと困ったように笑って見せた。
「おはよう金糸雀。起こしちゃった?」
「おはよう兄様。実はね、あの後眠れなくて夜更かしをしてしまったの。そしたらつい寝過ごしちゃったわ」
「夜更かし? 仕事残ってたっけ?」
そう聞くと金糸雀は「いいえ」とはにかむ。
「二層の頃書いた日記を読み返してたの」
「懐かしいね」
「ええ、辛い事もあったけど、楽しい記憶の方が多かったわ」
送り出した俺は気が気じゃなくて覗きに行っては柚葉に怒られたんだっけ。
今となっては懐かしい思い出だ。
金糸雀はあの頃に比べ精神的にも能力的にも随分成長した。
「エトは目を覚ました?」
首を振ると、金糸雀は心配そうに眉を寄せる。
「カストルと話してたんだけど、彼のことで知ってる事があれば教えて欲しい。後で大丈夫そう?」
「詳しくは私も知らないけど、わかる範囲でなら話せるわ」
「ありがとう。昨日の空き部屋で待ってるから準備出来たら声掛けて」
金糸雀を待つ間に俺は一旦自室へと戻った。
門の周辺国視察で二層に滞在中の翠弦にアストゥリア王国の様子見を頼むためだ。
時間帯的にも丁度いい頃合いだろう。
部屋の壁に掛けている通信機を手に取る。
これは一種の魔法道具で、離れている小型通信機と連絡を取る事が可能だ。
小型通信機側から発信する場合は発信者の魔力を微量に消費するが、管理者は司令塔の役割を担うため、魔力タンクを備えた大型通信機を使用する。
本体は壁に固定されているため、有線で繋がっているイヤホンを耳に掛ける。
本体のダイヤルを八に合わせ、発信ボタンを押した。
少しの後、カチリと応答の音が鳴る。
「お疲れ様です、翠弦」
「あら焔ちゃん。どうかしたの?」
「急遽確認して貰いたい事があるんですが、予定的に大丈夫ですか?」
「ひと段落ついたところだから問題ないわ。場所と要件を教えて頂戴」
「昨日門付近で倒れていた子供を保護したんですが、酷い重症で治癒を施してもまだ意識が戻らないんです。しかも金糸雀の友人だったようでアストゥリアの王宮に住んでいた子だと聞きました」
「あらあら、それじゃあ怪我の原因と内部の情報集めってわけね。アストゥリアなら近いし良いわよ」
翠弦はふんわりとした雰囲気を纏う淑やかな女性で、槍術師としては俺より遥かにベテランだ。
冷静な判断力と洞察力を持っており管理者の経験もあるため、陰ながらサポートもしてくれる頼もしい姉貴分だ。
「助かります、無理の無い程度でお願いします」
「了解よ焔ちゃん、こっちから連絡入れるわね」
通信を終えたイヤホンを本体に引っ掛ける。
仕事効率が良い翠弦の事だ。
明日にでも連絡をくれるかもしれない。
自室を出て再び隣の空部屋へ入る。
先程と変わらず分厚い古書を読む柚葉の隣で、頬杖をついていたカストルが振り返る。
「あらおかえり、金糸雀ちゃんは?」
「もうすぐ来ると思うけど」
「来たみたいだぞ」
戸が開き、着替えて来た金糸雀がひょっこり顔を覗かせる。
「結構急いだのだけれど、待たせてしまってごめんなさい」
「いいのよ金糸雀ちゃん。私が早かっただけだもの」
金糸雀はしゃがみ込んで少年の顔を覗き込む。
「顔色、だいぶ良くなってる」
「金糸雀ちゃん。その、聞きたい事なんだけど」
「ええ。大丈夫よカストルさん。ただ、正直わからない事の方が多いと思う。本人に尋ねてもはぐらかされてばかりだったし。実際に見たことしか言えないわ」
「構わないわ、聞かせて頂戴」
金糸雀は遠くを見つめ思い出すように話し始めた。
「アストゥリアの王宮で歴史を習い始めた頃、同い年くらいのルカって子と座学で一緒になったの。取っ付きにくい雰囲気で黙々と勉強してた。座学の後中庭で一人魔法の訓練をしているのを見かけて、つい声を掛けてしまったの『いつも一人で練習してるの?』って。彼女振り返って『強くなりたいだけ』って言ったわ。一生懸命練習してる姿に目が離せなくて、それから何度も話し掛けるようになった。私自身慣れない土地で寂しくて、お友達が欲しかったのよね。話してみたら案外気の強い普通の女の子でちょっと拍子抜けしちゃった。私が魔法学校に通ってたと言ったら興味津々で、魔法の練習に何度も付き合ったわ。そんなある日いつもの中庭に誰かが立っているのが見えて、ルカだと思って挨拶したの。そしたら彼女に瓜二つの男の子でびっくりしたわ。外見も雰囲気もそっくりだったもの。それがエトとの出会いだった。聞いてみたらルカとは双子で、座学は嫌いだから受けてないって言ってた。それからは三人でよく遊んだわ。二人ともとっても仲良しで、やんちゃで、いろんな場所を探検して怒られたりもした。エトは勉強は嫌いだけど、音楽の授業だけは進んで受けてたみたい。ピアノが凄く上手で一緒に演奏したり歌ったり、とっても楽しかったわ」
金糸雀は眠っている少年をじっと見つめ、懐かしむように目を細めた。
「王宮にいる理由を聞いたら、拾われたからって言ってたわね。二人とも戦闘センスがずば抜けて高くて、兵士じゃないってのに戦争に参加してた。二人の側にはよく大きな男の人がいて、ルカに聞いたらお世話係兼保護者だって。はじめは怖かったけど、意外と温厚で優しい人だった。ルカは将来魔法学校に通いたいんだって言ってて、王宮を出るつもりだったみたいだけど、エトはファイサル国王に凄く懐いてて、会議にも付いて行ってた。私一層に帰る時、最後の別れみたいに寂しくなって、エトに予備で持ってた転移クリスタルをあげたの。一層にも遊びに来てねって」
「ちょ、ちょっと待って⁉︎」
「兄様?」
「そのクリスタルってもしかして」
俺は部屋の隅に置いておいた少年の服のポケットから、転移クリスタルを取り出して見せた。
「ローダンセの花のクリスタル、確かに私が渡したものよ。そっか、エト、これを使って・・・」
どうして希少な筈の転移クリスタルを所持していたのか、金糸雀が友達だと言った時点で気付いても良かったくらい簡単な話だった。
もう一つ、と金糸雀が付け加える。
「当時一番気になってた事があって、エトもルカもお食事に誘っても全然付いて来てくれなかったのよ。理由はわからなかったんだけど」
確かさっきの本には“食物を摂取しない”と記されていた。
ただひとつだけ引っかかる。
子孫を残さず分身体を産む竜族という種で、双子の誕生はあり得るのだろうか。
瓜二つと言っていたし義兄弟の線も薄い。
事実であれば、双子の側にいた大きな男は眷属だろうか。
「カストル」
柚葉がカストルを促す。
「ええ、わかってる。ほぼ確定、で間違いないでしょうね」
「何の話?」
金糸雀が首をかしげる。
カストルが俺の顔を窺う。
彼女に話すべきか、という確認だろう。
少し悩んだが、カストルなら上手く話すだろう。
俺は頷いた。
カストルは竜族という種についてを簡単に話し、彼がそうであるという結論に至った経緯をやんわりと話した。
そして未だ憶測の域を出ない可能性の話だとも付け加えた。
金糸雀は戸惑いつつも最後まで聞いていた。
「エト・・・どうして一人だけなの?」
「二層の様子は翠弦に調べて貰ってる。今はそれを待つしかないよ」
「ありがとう兄様、私エトの側にいる」
リン、と時を知らせる音がカストルの鞄から鳴った。
「私としては早く目を覚まして欲しかったんだけど、そろそろ講義に行かなくっちゃ」
カストルが立ち上がって荷物を纏める。
気づけばもう日はだいぶ高くなっていた。
「目を覚ましたら連絡、頼んだわね緋焔」
「ああ。任せて」
足早に出て行ったカストルを見送って部屋に戻る。
柚葉も書類整理が残っているらしく、自室へと戻って行った。
結局、日中にも少年は目を覚まさずその日の夜を迎えた。
深夜に目を覚ましてパニックにならないよう、念のため今晩は布団を敷き少年の傍らで休むことにした。
夜も更け意識がうつらうつらし始めた頃、何やら小さな呻き声が聞こえた。
気のせいかとも思ったが、途切れ途切れ聞こえるそれに薄れかけた意識が現実に引き戻され、反射的に起き上がる。
薄闇でよく見えない。
枕元のランプへと手を伸ばし灯りを点ける。
声の主は横たわる少年からだった。
瞼を固く閉じたまま苦しそうに顔を歪め歯を噛み締めている。
魘されているのかと思ったが、何かを訴えるような掠れ声に注意深く耳を傾けると、僅かに聞き取る事ができた。
「み、ず・・・」
「みず、」
復唱しハッとする。
竜族の生態、確か食物は摂取しないが、生命維持にはヒトと同じく水分が必要不可欠だと書かれていた。
いや、未だ確定じゃないかと思いつつ、直ぐに部屋を飛び出し調理場へと急ぐ。
コップいっぱいにぬるい水を注ぎ部屋に戻って、少年の上体を起こす。
「水だ、飲めるか」
背を支えつつ、薄く開いた唇にコップを当てる。
反応は無い。
けれど慎重にコップを傾けるとゴクリと喉が上下した。
その様子に思わずほっと胸を撫で下ろす。
コップの水が空になる頃合いには強張った表情は和らぎ、再び静かな寝息をたて始めた。
結局、心配でロクに眠れないまま朝を迎えてしまった。
眠り目を擦りながらシャワー浴びる。
そろそろ翠弦から連絡が入るだろうか。
そんなことを考えつつ、ボトルの水を一気に飲み干した。
タオルを首に引っ掛けたまま空き部屋へと戻り、扉を開けた俺はその瞬間ピタリと静止した。
俺がシャワーを浴びている間に目を覚ましたのだろう、布団に座っている少年と目が合った。
黄金に朱色を散りばめたガラス玉のような大きな瞳。
ヒトのそれとは異なる縦に細長い瞳孔。
見開かれた双眸は俺の姿を捉えて離さず、映るのは濃い怯えの色。
おおよそ予想通りの反応ではあったが、予想外のタイミングに少し焦ってしまった。
一先ず敵意がない事を伝えて安心させなければ。
「驚かせてごめんね。俺は緋焔。怪我をして倒れていた君を見つけて俺の家に運んだんだ」
ゆっくりと、優しい声音で話しかける。
「痛い所は?」
そう尋ねると、目線は外さないまま少年は僅かに首を横に振った。
「そっか、良かった。名前はなんて呼べば良いかな」
名前は金糸雀に聞いて知っているが、少しでも警戒を解ければと話しかける。
「・・・・・エト」
少年らしい少し高い声。
距離を詰めると余計怖がられるかもしれない。
一歩部屋に入り、扉の横に座る。
「エトで良いかな? 俺のことは緋焔で構わないから」
あれだけの怪我だ。
余程の事があった筈だと推測するのは容易だが、焦って詮索すべきでは無い。
「“槍術師”って聞いた事はある?」
エトは少し首を傾げた後、小さく頷いた。
「ここは一層、槍術師の拠点の一つで『蘇芳棟』って建物の中だ。この部屋は自由に使ってくれて構わないよ」
金糸雀を呼んでおくかと考えていた矢先、チリンチリンと隣の自室から通信を知らせる呼鈴が鳴った。
「おっと、ごめんね。俺は隣の部屋に居るから何かあったら声掛けて」
急いで自室に戻りイヤホンを耳にかける。
「翠弦?」
「おはよう焔ちゃん。朝早くに悪いわね。もしかして寝起きだったかしら?」
「違いますよ。それで例の件、如何でした?」
「王宮内外とも特に変わった様子は無かったわね」
「事件の形跡や怪しい素ぶりは?」
「一切感じられなかったわ」
王宮にいたからといって、王宮で何かあったと決めつけるのは早いだろうか。
だがもし別の件であの重症を追ったとして、わざわざ王宮ではなく一層へ逃げようなどとは思わないだろう。
「わかりました。こちらは先程例の子供が目を覚ましたところです」
「あら、怖がられなかった?」
「それはもう随分と」
受話器の向こうでクスクス笑う声が聞こえる。
「焔ちゃんの事だから心配いらないとは思うけど、頑張ってね」
「・・・善処します」
「あぁ、それとね」と少し言いにくそうに翠弦が言う。
「どうかしましたか?」
「ファイサル王御本人に謁見することができたのよ」
「それはまた、流石の仕事ぶりだとしか言えないな」
翠弦は以前から二層の情勢把握に関わっていて、ファイサル王とも面識があった。
しかし槍術師の名も使わず謁見までこぎつけるとは。
彼女の穏やかで優しい人柄あってのことだろうか。
「運が良かったのよ。少しの間城外へ出ていたらしくて、戻ってきたところに鉢合わせたってわけ」
「城外へ出ていた目的は?」
「ただの散歩らしいわ。相変わらず胡散臭い男よ、かわすのがとっても上手」
皮肉交じりの言い方に思わず苦笑が出る。
「彼の様子は?」
ファイサル王はカリスマ性に溢れ、明るい人柄で多くの部下に慕われており、国民からの人望も厚い。
まさに人の鑑といった存在だが、彼は元々王族ではない。
更に言えば普通の人間ですらない。
ファイサル王は人間の父と魔族の母の間に生まれたハーフであり、高い魔力を持ちながらも人間として生きてきた。
魔族との混血は人間界では珍しく、寿命も風貌も異なるため受け入れられること自体稀だ。
実力でのし上がって来た生い立ち上、なかなかの切れ者で食えない男だ。
「王とは何度も話した事はあるけれど、今回は何だか感じが違ったわ」
「というと?」
「確かにいつも通りだったのよ。けど、王の笑顔が何だか仮面のように見えて・・・上手く言葉に出来ないのだけれど、直感的に違和感を覚えた、そんな感じね」
違和感、か。
「翠弦の直感は侮れないな。一旦戻ります?」
「いいえ。滞在期間はまだ残ってるし、もう少しだけ探ってみるわ」
「わかりました。翠弦、どうか気をつけて」
通信が切れた事を確認し、イヤホンを戻す。
翠弦があんな言い方をするのは珍しい。
覚悟はしていたが、暫くかかるかもしれないな。
金糸雀にエトの意識が戻った事を伝えよう。
エトにとっては見たことのない場所に知らない人間、怯えるのは当然だ。
無理に信頼してもらおうというわけではない。
今はただ少しでも安心させてやりたい。
そう胸に決め、廊下の突き当たり、金糸雀の部屋の扉をノックした。
続編は少年視点の話で進んで行きます。
三部は主に少年視点の物語構成で、今回の小説は所謂プロローグ的なものとして執筆しました。
ずっと大事にしているストーリーだったので、少しでも形にする事が出来て嬉しい気持ちでいっぱいです。