自然は豊か。呼吸は困難。
「これからは自分で責任を持って生きていくんだぞ。いいな、秋雄?」
そう言って父は家を出て行った。僕と母を残して去って行った。それから、もう二度と僕らのもとへ帰って来なかった。
いわゆる協議離婚だった。子供の親権、つまり僕の育成、教育は母に委ねられた。
当時、僕は子供なりに気を回し、父の出て行く理由を聞かなかった。聞いてはいけないことだと感じた。
いや、理由や経緯を聞けば、何かが、決定的になってしまうことが怖かったんだと、今では思う。
父がいなくなってから僕と母は、母の祖父の暮らす実家へ移り住むことになった。
父と暮らしていたところは、大都会と言える程栄えてはいなかったが、特に不自由を感じることがない程度には物も人も揃っていた。
そこから県境の小さな町に移り住んだのだから、生活に慣れるまでは不自由さを多く感じた。
携帯の電波は弱く、家の敷地に入った途端に圏外になる。町全体がご近所みたいなもので、噂の広がりは早い。買い物する場所は総合スーパーただ1つ。アスファルトの道と同じくらい砂利道があり、そこら中に虫がいる。
何より困ったのが、放課後の暇つぶしで、自然は豊かだが娯楽の少ないこの町では、子供はほぼ例外なく学校で遊ぶ。
同世代の子供、立地、遊具、安全管理。それらが揃っている場所は学校か町の外にしかない。そもそも選択肢がないのだ。
だから小学生は小学校で遊び、中学生は中学校で遊ぶ。高校生もまた然り。その小中高の校舎が半径一キロ内に建ち並ぶのだ。
息が、詰まりそうだった。