♯1 日常が消え去った日
リーリーリー、虫の鳴き声がベランダまで届いてくる。
僕、こと光坂 純は、寝付けない時、
いつも決まったようにベランダに出て、空を見上げたり、ぼんやりと遠くを見つめるのが習慣となっている。
晴れの日は星がみえ、今日は特に良く見えた。
手すりに手を掛け、そろそろ寝床に戻るか、などと考えていると、ガラッ、という音と共に、
「あれ、お兄ちゃんまだ起きてるの?」と妹の凛が顔を見せた。
「ああ、寝付つけなくてな、凛もか?」
「うん、まぁね」
凛は頷く。
ちなみに凛とは僕の3つ離れている妹だ。
身長は僕の肩より少し上くらい。僕が170cm位だから、150cmそこそこといったところだろうか。
さらさらとした肩辺りまでの黒髪が風にたなびく。
そして今はお気に入りのウサギのパジャマを着ている。フード付きだ。
窓ガラス越しに見える時計は、午前一時半を間もなく示そうとしていた。
星、きれいだね、といいながら、隣に来た凛は、僕と同じように手すりに手を掛け空を見上げた。
本当に見事な星空である。
ああ、と僕は答えた後、しばらくの沈黙が二人を包んだ。
相変わらずの虫の鳴き声が、のどかな静けさを強調して止まない。
「ねぇ、あの星はなに?」
凛が沈黙を破って指し示す。
指し示す先には青白い星。
「ああ、あれは乙女座のスピカだな」と、間髪入れず、頭の図鑑の割と初めのページにある知識を、僕はさらっと答えて見せる。へへん、星の知識には自信があるんだ、とひそかに胸の中で鼻を高くする僕に、
「じゃあ、あの星は?」と続けて質問してくる凛。
そこには一際輝く光が存在感を放っていた。
ーー んっ……!? わからないぞ?
数秒前の自信を見事に打ち砕かれた僕は、何度も頭の中をかき回すも、やはり該当する星は検索されない。
おかしいなぁ、 と思いつつ、
「ん、わからないや。明日調べとくかな」と言い、
なんだか決まりが悪かったので、同時に
「もう遅いからそろそろ寝なさい」などと言って不自然に話題をそらすことにした。
そんな僕の反応を見て、凛は数秒こちらを、じとっ、と眺めた後、
「はぁーい」と意味ありげな微笑を浮かべながら、
おやすみお兄ちゃん、という言葉を残し、部屋に戻っていった。
ベランダには僕一人取り残される。
くっ…!あの笑みはなんだっ、“してやったり”の顔じゃないかっ!と心のなかで地団駄を踏みつつも、
そののち数分間、特になにか考えることもなく過ごし、そろそろ僕も寝るか、とベランダを後にすることにした。
気がつけば虫の声がとまっている。
しかし、
何気なくさっきの正体不明の光を振り返ったそこに、違和感を感じ、部屋に入る足が止まった。
ーーあれ?さっきと位置ずれてないか?
僕の視覚がそう告げていた。
疑問を感じ数秒眺める。
しかし、もう眠かった事もあり、
まぁ、気のせいか、と思い直して星から目をそらし、今度こそ寝床につくことにした。
そうして二段ベットの下段に入った僕は、間もなく寝息をたてた。
ー翌朝ー
ジリリリリリ!
けたたましい目覚まし時計の音で、僕は睡眠をとりあげられる。
まだ寝ぼけた状態で、時計の頭を乱暴に叩いた僕の目に飛び込んできた数字は…
ーー8、8時だと!?なんでこんな時間にセットされてんだよ!学校に遅刻するじゃあないか!
がばぁっ! とベットの布団をめくり、バタバタと行動を開始する僕。
すると、頭上から
「あれぇ、お兄ちゃんどうしたの?」という凛の声が降ってきた。
もうお兄ちゃん中学校卒業したんでしょ、
と意地悪く笑って続ける凛(ちなみに凛は小学校を卒業)の言葉を聞いて、
あ、そうだった、と僕は顔の表情が固まる。
くっ!、昨晩に引き続き、また凛に一本取られたじゃあないかっ!
と思いつつも、
「わ、悪い、起こしちまったか?」
と尋ねる。もっとも、二段ベットの下段でけたたましく目覚ましを鳴らしてるのだから、起こすもなにもあったものでは無いのだが。
一応休日もほぼ一緒の時刻に起きてるので、問題はないはずである。
「ぜーんぜん、それにもうおはようの時間だよ」と凛は答え、
とうっ、という掛け声とともにベット上段から飛び降りた。
ーーもう、いつもあぶねぇっていってんのに。
髪の毛を、わさっ、とさせながら綺麗に着地した凛はこちらを向き、改めて、
「おはよう、お兄ちゃん!」と笑顔を向けてきた。
その姿は、その辺りの同世代の男の子なら一発でノックアウト出来るほどの破壊力がある気がした。
ーーってなに考えてんだよ!
僕らは自分たちの部屋を後にした。
こうして、忘れもしない一日は始まりを告げる。
「おっはよー!」
僕たちが寝たり勉強したりしている部屋(マンションだから部屋数がないんだな、これが。)の隣の部屋の扉を開けて、妹がそこにいるであろう母に挨拶をした。
「…おはよう、凛、それに純」
答える母の声にいつものような力がこもっていない。
しかも、母の隣には、会社に行っているはずの父の姿もあった。その額にはシワが刻みこまれている。
状況が全く飲み込めていない僕らに、父が黙ってテレビを指差した。
僕らは一様に視線をテレビに向ける。
「えー、何度もお聞きしますが、この突如として現れた小惑星は、地球に直撃コースをとっていて、今のところ防ぐ手立てはないのでしょうか」
“緊急特番”と銘うった番組内で、顔に余裕が無いアナウンサーが、専門家達に話を振っていた。
答えるものはいない。
専門家を含め、テレビ出演者は皆目線を落としている。
中には、ハンカチを取り出して目頭をおさえ、どうして…、と泣き出す時々テレビで見かける女性タレントもいた。
ーーえっ…、なんだって??
僕は余りにも突然の出来事に、思考がついていかなくなる。
頭の中が真っ白になる、とはこの事なんだろうか。
隣にいる凛も、目がテンになっていた。
“地球滅亡級小惑星、衝突まであと3日か”
テレビ右端のテロップを見ても全く実感が湧かない。ただただ呆然と立ち尽くすしかできなかった。
その活字は、僕らに現実味を持たせるには、余りにも無表情過ぎるのだ。
場は完全に沈黙が支配した。
しかし、そんな空気をよそに、ニュースは続く。
「では、どこからともなく出現した隕石の映像をどうぞ」
画面が切り替わる。
その映像に僕はぴんときた。見覚えがある。
ーー そう、昨日名前を答えられなかったあの星だ。
「お兄ちゃん、あれって」
凛も同じ事を考えたらしい。
僕は黙って頷いた。
画面は、その光が突然空に現れた様子を何度も繰り返し流している。
画面下には、今日午前0時30分頃、とあった。
まるでスイッチで電球に灯りをともすかのように現れたその光は、その後少しずつ位置をずらしていた。
次の早送りの映像がそれが明らかに星でないことを語っている。
とにかく、テレビはそのような内容をただ繰り返しているだけだった。
ーーそんな事を知らせて、僕らにどうしろというのだろうか。
今から逃げなさい、とでも言いたいのか。
逃げる場所も用意していないくせに。
やり場のない感情の矛先をテレビに向けつつ、
僕はただただ顔をしかめることしかできなかった。
そんな僕を見かねてか、
今日幾度目かの沈黙の後、
「ま、ま、朝ごはんを食べなさい。」
と不自然に笑顔を作って母がトーストを勧めてくる。
“母さんって強いんだな”
まだ実感が全く湧かない僕は、ぼんやりとそんなことを考えていたりした。
……地球滅亡まであと三日?
僕たちあと三日で死んじゃうの…?
そんな事実を受け止めるように僕らの脳はできてなどいなかった。
それと同時刻。
国連において、各国の首脳や防衛大臣が中継を通して緊急会議を開いていた。
時は2100年、
ある程度科学技術が発達していて、月に向かっての軌道エレベーターは完成間近だし、それに伴い、増えすぎた人類の移住も計画中である。
従って、各国が映像を通して顔を写し出し、まるで実際に顔を付き合わせて会議をしているような感覚を作り出すことなど造作も無いことだった。
しかし、その科学力も、まだまだ小惑星の激突を回避するには遠いらしく、
「では、小惑星の近くで核を爆発させ、軌道をずらすのはどうだろうか」
「3日では無理だろう。それにそんな核どこも持っとらん」
「いや、貴国なら所持しているのではないかな?」
「何を!核は2050年の全世界核完全撤廃条約により、兵器化などしとらん!」
「いや、貴国はこちらの調査によると…」
当然有効策などでるはずがなかった。
「我が国は、あのような大きな小惑星をもっと事前に発見出来なかったNASAをはじめとする国際宇宙機関に責任があることを主張する!」
挙げ句の果てには責任のなすりつけが起こり、この期に及んで人類に一致団結しようという志を見ることは出来なかった。
人間の底が知れているというものだ。
そんな彼らの姿を見て、
「フッ」
誰かが鼻で笑った。