女剣士ルシア
ルシア・セノール。
〈夢〉の中で語られた突然の反乱──10年前に起きたそれは首謀者たるルーファウスの異名から〈狂黒の乱〉と呼ばれる──によって父を喪い、帝都を追われた悲劇の少女。彼女は凛々しい剣士に成長していた。
恐らくただ生きるにも困難な道のりを歩んできたはずだ。しかしその佇まいは威風堂々としていて、貴族の子女たる気品を些かも失っていない。
彼女の登場を予想していたハルトでさえ、その雰囲気には思わず息を呑んだ。
(無事だったのはまあ当然として……姿を見るのは初めてだな)
ハルトは人差し指を口許に当てた。何かを考え込む際の癖である。
(当時確か15歳だったから、今は25か。僕たちより9つも年上……のはずなんだけど)
そもそも欧州がモデルの舞台である。彼女はそこの生まれであるから、日本人である彼らには実年齢よりさらに上に見えてもおかしくない。
彼女から受けるその落ち着いた感じは、まさしく大人のそれには違いないのだが、それでもルシアは歳より少し幼く見えた。
(童顔なのかな)
可愛さを残した美人。それが彼の持った印象だった。
「なんか……いいな」
「うむ。異論はない」
ソーマとダイキも思いは同じだったらしく、ぼそっとそう呟く。
ハルトによってその素性を知らされた彼らだが、それに対する驚きはあっさりと掻き消されていた。
彼女がゲームの中のキャラクターであることは、頭では理解出来ている。しかしそこから感じる存在感は、もはや〈よくできたゲーム〉などという範疇から完全に逸脱していた。
自分たちがすべき状況確認のすべてに優先して、彼らは、ただ見とれていたのだ。
「どうかされたか」
「あ、いや……」
慌ててソーマが首を振る。明らかに挙動のおかしな彼に小さく「任せろ」と伝えると、ハルトが一歩前に出て、女剣士に深々と頭を下げた。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございました。僕はハルト、彼がソーマ、その隣がダイキと言います」
ルシアは穏やかな笑みで応える。
「いや、こちらこそ──万が一を考えてのこととはいえ、差し出がましいことをした。そこの彼の行動が気になってな」
その視線がソーマに向けられる。彼は柄にもなく赤くなった。
「相手は武器を持っていた。それなのに何故、剣を抜かずに応戦したのかな」
ルシアの問いに、ソーマは意外そうな顔をする。
「え? ……だってほら、抜き身なんかで斬ったら怪我じゃ済まねえだろ」
ソーマの答えに、ルシアも意外そうな顔をする。
「しかし相手がウルバノの手下──山賊だということは貴方も知っていたはず。下手をすれば貴方が殺されていた可能性もあると思うが」
「そう言われれば……そうだな」
つい先程、自らの命が危険に晒されていたことを今初めて知ったかのように──いや、実際に初めて知ったソーマは、思案顔になった。
暫く考え込んでから続ける。
「でもやっぱり剣は抜けねえわ。殺されないために相手を殺すなんて」
一瞬、呆気に取られたようにルシアは言った。
「何も殺さずとも、それなりに応戦すればいい。そう捌くだけの腕はあるだろう。納剣したままでは、それこそ思うように剣は振れまい」
彼が山賊のひとりを倒すところをルシアは見ていた。それはお世辞ではない。
「無理無理、それは絶対無理。抜き身を振り回したりして、それでもし死んじまったら……たとえ山賊でも、そんなの嫌だよ」
決して謙遜ではなく、その心配は本物である。彼はぶんぶんと、首と手を振って否定した。
「ぷっ……あははは」
余りにも必死なその様子に、ルシアは声を上げて笑った。屈託の無い笑顔だった。
ソーマは──ダイキとハルトもだ──それに完璧に魅了された。
「いや、失礼。……変わった少年だな。自分が殺されるかもしれない時に、その相手を心配するとは。
そのような発想の持ち主に逢ったのは初めてかもしれない。恐らく、戦など無い平和な国から来られたのだろう」
ルシアの声には、穏やかさの中にも何処と無く悲しい響きが感じられた。
「汚いぞソーマ」
「純情少年を装ってポイント稼ぎかよ。やれやれ、ソーマも結構策士だね」
ダイキがソーマを小突き、ハルトも小声で訴える。
「な、何だよ。俺は別に……」
「ソーマが剣を抜かなかったのは、慣れないことをして、殺さずに切り抜ける自信がなかっただけだろ」
事情を知るハルトは容赦ない。そこへさらにダイキのヘッドロック。彼ら3人の中で、抜け駆けは禁止なのだった。
「ところで、何故このような所に?」
自分をきっかけに少年たちが争い始めたことを知ってか知らずか──ルシアは尋ねた。
このような人気の無い森の中に、3人だけでいた少年たち。本来なら多少なりとも警戒する相手のはずだ。しかしルシアは、彼女にしては珍しく印象だけでそれを解いていた。
とはいえ──。
「おい、何て言えばいいんだ?」
まさか「ゲームをしに来ました」などと言うわけにもいかない。ソーマがハルトの顔を見ると、彼はにこりと微笑み、姿勢を改めてすっと歩み出た。
そして大袈裟な身振りを加え、強調するように、用意していた台詞を述べる。
「……コホン。僕たちは遥か東の果て、日出ずる国より参りました。他国を流れて見聞を広め、それによりいずれ祖国に貢献するためです」
「な──」
絶句するルシア。そして時が止まったかのように、そのまま硬直する。
「むう、そうだったのか」
「そんな訳ねえだろ」
釣られたダイキをソーマが一言で黙らせた。そんな高尚な目的であるはずがない。
ハルトの言葉は明らかに何かを狙ったようだが、そこまで驚かせる内容ではなかったはずだ。不思議に思ったソーマはルシアの表情を窺う。
「日、出ずる国……? 3人の……」
ようやくそれだけを言うと、はっと突然何かを思い出したように、ルシアは数歩下がる。そして、自らの目の辺りに右手の指をそっと翳した。
「失礼だが、お許しを」
いったい何を意味するのか分からぬその仕草。
数瞬の間を置いて、彼女の目は大きく見開かれた。口をパクパクさせているが、それは声にならない。そして──。
彼女はその場に膝を着いた。跪拝である。
「これは……とんだご無礼を! 存じ上げなかったとはいえ、何たる失態」
訳が分からず、ぽかんと口を開けたまま固まるソーマとダイキ。ハルトは相変わらずニコニコしている。
「あ、あのさ……よく分かんないんだけど、それやめてくんねえかな。せめて顔を──」
ソーマは最後まで言えなかった。少しだけ顔を上げた彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちるのを見たからだ。
激しい動揺が彼を襲う。しかしルシアはそれを隠そうともせず、嘆願するように、そのまま彼らの足元へとすり寄った。
「まさか、こんなことが……。本当に、あの、〈予言の勇者様〉が……我らが前に。──どうか、どうかお願いします。何卒、我が主のもとへ……」
途切れ途切れになりながらも、ルシアの必死なその言葉。
「お前……何を」
ソーマがハルトの腕を掴んだ。
しかしハルトはそれを軽く振り払うと、そっと手を上げ、彼を制する。
「僕たちはまだ来たばかりで、この地の事情をよく知りません。ご案内いただけるなら願ってもないこと。それに助けていただいた恩もあります。是非、お供させて下さい。貴女の主のもとへ」
それを聞いたルシアの瞳に、はっきりと喜色が浮かぶ。そして謳うように彼女は言った。
「ああ……何ということ。感謝致します。遥か東国からの旅人よ」
彼女のそれは感涙だった。
──────────
道中、ルシアは実に多くのことを語った。
先程までの涙が嘘のように、嬉しそうに身振り手振りを加えながら、〈予想外の待ち人〉たちに、今いる国について説明したのである。
この地がアースガルドという名の大陸であること。そしてここはその東端に位置するラナリア大公国であること。
時々、戦乱の真っ只中たる事情を知ってか知らずか、東方からの旅人が国境を越えてこの地へやって来ること。そして先刻のように、ウルバノ一味のような輩に狙われることがあるということ。
彼女によれば、この辺りは警備兵のいる国境からは既に離れ、かといって城や街まではさらに遠い。治安など行き届いているはずがない辺境の地だった。
尤もその為に、時々こうして付近を見回ったりしていたという。そこで、まさか〈予言の勇者様〉に出逢えるとは──ということを、彼女は何度も口にした。
「レイス村はこの先です。私は先に行って、皆にこのことをお伝えして参りますね」
ルシアは興奮を抑えきれないようだった。少し早口になってそう言い残すと、村があると思われる方向へ駆け出す。途中、彼女は一度だけ彼らの方を振り返った。
そしてルシアの姿が見えなくなると──。
「「ハルトっ!」」
右からソーマ、左からダイキ。耳鳴りがする程大きな声が両側からハルトを貫いた。
「ちゃんと説明しろよ。意味が分かんねえよ」
畳み掛けるソーマに、耳を押さえながらハルトは鋭く言った。
「僕が渡した説明書、読まなかったろ」
「う……」
やれやれと呆れながらも、いつもの微笑を崩さず、彼は説明役を始める。
「ルシアが言っていた〈予言〉ってのは、アースガルドに広く伝わるものでね。もともとは〈約束の書〉といって──約400年前に、ある大魔導師が、後世に起こる出来事を予知して書いたとされる予言書から来てるんだ」
戦乱を繰り返す暗い時代にはありがちなことだが、この世界には予言なるものがたくさん存在した。
しかし〈約束の書〉は、2つの点で他とは一線を画す。ひとつは発生する事象を特定できる程の具体性。そしてもうひとつは、100%とも言われる驚異の的中率だ。
「中でも特に有名、且つ時事的なのが〈日出ずる国より来たる勇者〉の節。それによると、3人の勇者が戦乱の世に現れ、その与する勢力がアースガルドを統一して、真の平和を取り戻すとされてる」
〈約束の書〉の予言は必ず当たる──この世界の人々はそう信じている。それを前提にこの節を言い換えれば、「アースガルドに覇を唱える為には、その3人を必ず仲間に迎えておかなければならない」ということになる。
〈狂黒の乱〉をきっかけに、今この大陸には様々な国家、勢力が乱立していた。積極的に天下統一を志す勢力は勿論、それ以外の勢力にとっても、滅亡の回避という意味では、同じくこの予言は非常に重要な意味を持つのだ。
「──という〈設定〉なわけ。勿論、プレイヤーの人数とかで若干変わるけど、基本的な内容は同じ。
で、これがあるおかげで、どんな勢力にも僕らはすんなり迎えてもらえるって寸法さ。そうじゃなきゃ、いきなり現れた部外者がその中枢に潜り込むなんて、普通は不可能だからね」
つまり、この都合のよい予言によって、そのあたりの手順を省くことができるのである。
「ふむ、ではルシアは……」
ダイキが少し顔を赤らめて言った。
「俺たちを欲していたということか」
「……何か言い方がやらしいけど、まあそういうこと。僕が選んだ勢力の人だから、こうなるのは当たり前だけど」
苦笑しながらハルトは答えた。あらゆる資料に目を通した彼とて、実際にルシアの姿を見たのは初めてである。
彼女のいる勢力を選んだことは、それだけでファインプレーだったと自分でも思えた。
「ゲームの手順は大きく2段階に分けられる。まずはどこかの勢力に迎えられ、それを自在に動かすまでになること。それは信頼を得てそれなりのポストに就くことでもいいし、自らが王にまで成り上がってもいい。クリアの条件は「初めに所属した勢力でアースガルドを統一すること」だけだから、その立場までは不問なんだ。極端に言えば一兵卒のままでも問題ないけど、それじゃクリアするのは難しいだろうね。
そして、その勢力で他勢力を滅ぼすか併呑し、最終的にアースガルド大陸を自らの勢力ひとつだけに纏め上げること。それが叶ってようやくクリアとなる」
「成程な」
ソーマは理解した。いつもこうやって解説付きで教えてくれるから、説明書なんて読む気がしないのだ──ということを悟られぬよう、気になっていたことを重ねて訊く。
「それは分かったけど、じゃあ、こうやってたのは何だ?」
彼は先程のルシアの仕草を真似た。
「ああ、あれね。さすがにただの推測になっちゃうけど、多分僕らの〈エナジー〉を見たのさ」
「エナジー?」
エナジーとは、この世界だけで使うことができる、ある特別な力のことだ。言うなればそれは生命力の源のようなものであり、生ある者ならば誰にでも存在する。
それを活用することによって、この世界の人々は、様々な局面で恩恵を得ることができるのである。特に戦う者にとっては欠かすことができない、重要な要素だった。
エナジーには〈闘〉と〈魔〉、2種類の性質があり、その比率は人によって異なる。それは先天的にほぼ決まっているのだが、ある程度は訓練で変えられるらしい。
〈闘〉が強いとその者は物理的な力で戦う戦士となり、〈魔〉が強いと魔法使いとなる。両者のバランスがよい場合は、万能型になるといった具合だ。
尤も、それを実戦レベルで使いこなすには相当な訓練が必要であり、この世界で実際にそれが可能なのは、100人にひとりという割合である。
つまりエナジーを実際に活用できるかどうかが、メインキャラとモブキャラの境界線になると言ってもいい。
「〈約束の書〉の予言は、どこまでもよく出来ててね。時代が荒れれば、僕らの〈ニセモノ〉もたくさん現れるけど、それを見破る方法まで書かれてるらしいんだ」
「ニセモノを……見破る?」
「そう。それが〈エナジーの色を見る〉だったのさ。確か──〈蒼〉だったかな。
エナジーを使いこなす者なら相手のエナジーを〈見る〉ことも出来る。大陸中を探しても、他に蒼色のエナジーを持つ者なんていない。だから僕らがホンモノだと分かった。──こんなところだろうね」
「……本当に都合よく出来てるな」
それもプレイヤーがすんなりゲームに入り込むための仕掛けなのだが、ソーマは思わず頭を掻いた。
「ところで、俺たちが統一を目指すその〈勢力〉って、どんな国なんだ?」
彼らが話しながら歩いているうちに、目指す村らしきものが見えてきた。
「てっきり俺は、どっかの城から始まると思ってたんだけど」
「うむ、俺もだ」
ソーマの疑問にダイキが賛同する。しかしハルトはさらっと言ってのけた。
「国なんかじゃない。だって10年間も身を隠し続けた皇子様の一行だよ?天下取りに名を上げる勢力としては、まだ世間に認知すらされてない」
「──何だって?」
思わず足を止めてソーマが叫ぶ。ダイキはその細い目を目一杯に開く。
「王道にして〈最高難易度〉のシナリオ。一度は野に下った皇子が、奪われた実権を回復して、再び天下に覇を唱える。──実にやりがいがあると思わない?」
スタート時点ではダントツの最弱──それが、彼らが大陸統一に導くべき〈勢力〉だった。