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雪中花

 可能性はひとつしかなかった。


 〈血族支援(クライヴエイド)〉。血縁に連なる者の力を一時的に借りるスキルである。

 ルシアはそれを発動させ、父であるラインホルトを呼んだのだ。


 だが、クレイグたちに対してそうであったように、ゲイルノートは敵の能力を調べあげた上で作戦に臨んでいた。ルシアがそれを所持していなかったことは明確である。

 しかも死して尚、力が供与される前例を歴戦の騎士は知らない。


 それは彼女(・・)の言うとおり、セノール家の親子が招いた奇跡なのか。


「この場面で環境習得とは──そんな都合のいい話が」


 違う。この場面だからこそだ。


 環境習得とは、強くそれを望んだ時に起こる現象である。ルシアは敵を討つために、そして何よりセリムを守るために必要な力を心の底から欲した。

 偶然ではなく必然。それを引き出したのは、そこまでルシアを追い込んだゲイルノートの方だとも言える。


「貴女は今、どちら(・・・)なのです。ルシア様なのか、或いは──」

「お前を殺す者だ」


 ルシアは身に起きた変化を自然と受け入れていた。

 敬愛する父と文字通り一体となった今──透き通るような美しさを持つ瞳に、一切の畏怖は無い。


 一足飛びに間合いを詰めると、永遠の純雪(エターナルウィッシュ)を軽やかに振り下ろす。


 縦に、横に、斜めに──ベクトルを転じ、さらに斬る。

 ルシアのスピードにラインホルトのパワー。紅い軌跡が瞬く間に戦場を染め上げ、隻眼、隻腕の男は深い(うみ)へと沈みゆく。


 ──殺される!


 ゲイルノートは呻き声すら上げることができなかった。死を予感することはあっても、確信したのは初めてのことである。


 〈不可侵なる忠誠セイクリッドロイヤルティ〉──守るべきセリムを背に戦うことで、ルシアの能力は全般的に強化されていた。それはセノール家の代名詞とも言えるスキルで、ラインホルトも所持していたから、単に2人分の能力が加算されるだけでは済まない。

 加えて、やや遠くオレンジ色にぼやける結界の中から、セリムが〈鼓舞(インスパイア)〉でその背中を押す。


 絆の堅さを象徴するように互いを守り合う主君と家臣、そして父と子。深紅の剣士は今、まさに四神にさえ比肩するレベルであると言えよう。


 ──左腕が……いや、せめて剣さえあれば。


 ゲイルノートは唇を噛んだ。彼は魔法剣士である。剣が無ければ戦闘力は半減するが、それはクレイグに腕ごと吹き飛ばされた。

 ならば魔法で何とかするしかないが、ルシアのエナジーに変化が訪れてから、彼は一度も手傷を負わせていなかった。彼の得意とする、ダメージ再現の黒魔法は恐らく効果を(あらわ)さないであろう。


 迫り来る死の剣戟を前に、ゲイルノートは反射的に魔法を放った。ラルスを()いた爆炎魔法──だがすぐに彼はそれを悔やむ。


「魔鏡の剣」

「……っく!」


 ラインホルトは反撃(カウンター)の達人である。物理攻撃は言うに及ばず、それは魔法でさえ容易く()ね返す。

 (きびす)を返した炎が術者に牙を向き、そのまま(かわ)しきれぬ半身を喰らった。


「く、くそっ!」


 防御も傷の回復にも長けたゲイルノート。だが蓄積されたダメージは、決して楽観できぬ段階にまで及んでいる。

 応急処置に使っている力はもとより、命を削ってでも魔力を絞り出さねば本当に殺されてしまう。


 ここは敵地の真っ只中であり、味方を呼び寄せる〈集気変換装置(パワーグラス)〉も、自ら他所へ転移する魔石も既に無い。魔力と闘気が底を尽き、且つ満身創痍、さらには武器も持たぬ状態では生還できる可能性は限りなく低いだろう。

 だが目の前のルシアを止めないことには、明日昇る陽の光を浴びることは確実に叶わない。


 そのルシアとて致命傷に近いダメージを負っているのだ。あと一回、魔法を決めることさえできれば勝負はつく。


 ゲイルノートは持てる力のすべてを魔力に変換した。本来は一度きりだが、後事より今である。

 受けたダメージのすべてを返し、敵に身代わりを強いる黒魔法を編む。が──。


「な──何故だ」


 不発。否、枯渇(・・)。発動に充分なレベルにまで高めたはずの魔力が、いつの間にか下限を下回っている。

 〈身代わりの盾(サクリファイス)〉どころか、初歩的な魔法でさえ放てない程に。


 ルシアが──ラインホルトが何かしたのか。その故を問うように顔を上げた〈鬼眼〉の前に、紅の剣戟が目映く煌めく!


 〈五弁の雪中花レイ・ディフュージョン〉!


「がっ……」


 中心から5方向に拡散する剣撃が花弁のように開き、僅かに遅れて赤い飛沫(しぶき)がそれを染め上げた。

 壮絶な戦いの終焉を告げる、戦場に咲いた一輪の花。


「貴様には過ぎた(はなむけ)だ。もう充分だろう。──落ちろ」


 不動の赤壁は何者も背後に通さない。

 その伝説は死してさえ変わらず、また最期の言葉すら(ゆる)さぬまでに徹頭徹尾、容赦が無かった。


 ──シュトラー閣下……。


 陛下ではなく呼び慣れた敬称で主君、ルーファウスの名を口に上らせようとし、それが成せぬままゆっくりと大地に伏す。数々の敵を震え上がらせた左目は潰され、残る右目も虚ろに開き──。

 黒葬騎士団団長、ゲイルノート・シュネーベルは赤く、黒くもある道の半ばで、その志と共に遂に朽ち果てた。


「父上──」


 骸と化した怨敵を一瞥した後、右手の剣をだらりと下げ直立したまま天を仰ぐルシア。次第に紅から本来の白銀へと輝きが戻る。

 その頬から一筋の滴が伝い、整った顔を静かに濡らした。


「ありがとう……ございます……」


 沸き起こるのは父への感謝のみ。

 強敵からセリムを守ることができた、その安堵はあったが達成感など微塵もない。

 失うものは多くあっても、得られるものなど何ひとつありはしないのだ。虚しいだけの風がルシアの胸中に吹いた。


 ──これが戦争か。


 誰かの護衛に就くということは、その脅威を払うことと同義。もっとはっきり言えば、特定の生を繋ぐために他者を殺すということに他ならない。

 父が見て、感じたもの。それをこれからは、他でもない自分が背負う。


 ルシアは向ける相手の居なくなった剣を握り締めた。

 自分だけでなく、後に続く者たちをきっとこの悪夢のような連鎖から解放してみせる。その背に守るセリムが健在である限り、それは理想に終わらないはずだ。そして必ず──。


 ぶしゅ、という音。


「……え……?」


 何かがルシアを貫いていた。


 臓腑(ぞうふ)に鈍い痛みが広がり、かなり遅れて頭がそれと理解する。疑問符と共に口から血が溢れた。


 ルシアは反射的に倒れたゲイルノートに剣を向ける。しかし敵であった男はもはやピクリとも動かない。

 目の端には4人の誇れる仲間たち。やはり動かない。そしてフィンレイは何処かへ飛ばされた。

 彼女の背後(・・)にいる人物はあと一人しかいない──はずだ。


 しかし疑いなどあろうはずがなかった。ルシアはすぐさま主の危機を察し、振り返る。そして一瞬目を凝らした後、今度はそれを見開く。


「マ……ティア……ス?」


 堪えきれないようにククッと(わら)う男が、愛しい主君を守る結界の傍でこちらを見ていた。

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