不動の赤壁
貴重なアドバイスをいただき、今回から一話あたりの文字数を減らすことにしました。
急な変更になり申し訳ございません。少しでも読み易くなれば嬉しいです。
幾多の想いを剣戟に乗せて。
「うわあああっ!」
堰を切ったように、あらゆる感情が一斉に溢れ出た。それは白銀の女剣士から一切の容赦を奪う。
永遠の純雪がその銘に反して深い闇色に染まり、既に片方の目と腕を失った敵上に幾多の軌跡を描いた。
だが暴走ではない。身を呈してクレイグたちが作ってくれた道──決して無駄にはすまいと、ルシアは愛剣を強く握り直す。
「10年前の悪夢も今日で半分は片がつく。終わりだ、ゲイルノート!」
彼女はさらに間合いを詰めると、有無を言わせぬまま剣を一閃させた。
それまで、確かな戦闘技術で悉く致命傷を免れていたゲイルノート。しかし、もはや何処に傷を負っているのかさえ分からない程の流血に溺れ、遂には残された左手を地面につく。
「……美しい剣技ですね。独学でここまで──正直感服しました。まあ本来なら、お父上からあの力強い技の数々を伝授されるはずだったのでしょうが」
「く……貴様ッ!」
ルシアは黒衣の騎士を蹴り飛ばした。圧倒的に優位な状況ながら、それを黙って聞き逃せるだけの余裕は無い。
どれだけ追い込んでも、この男から悔恨の言葉を引き出すのは不可能だろう。その命を断つ以外に、過去に囚われた自分を解放する術は無いのだ。
「やはり、想いの分だけ人は強くなれるということなのでしょう」
「黙れ!貴様などに何が分かる」
「分かりますよ。事実、私を強くしたのは想いの力なのですから」
戦意を無くしたかのように、満身創痍の男は仰向けに横たわり、薄く雲のかかった空を仰ぐ。
彼が戦場で死を意識したのはこれで二度目だ。その脳裏に若かりし頃の日々が蘇る。
18で初陣を迎えたゲイルノート。
士官学校の生徒と言えど、戦時において徴兵の対象となるのは15歳から。しかし貴族階級はそれを免除され、卒業と同時にそれなりの官職を約束されていた。
彼もそのひとり。安全な後方支援部隊に配置され、簡単な任務で何事もなく終わるはずだった。が──。
気が付けば左目を失っていた。
英雄譚などというものは、政策としての吹聴か、戦場に居合わせなかった者が無責任に紡いだ創作に過ぎない。そう断ずるに些少の躊躇いもない程に、それは彼を絶望させた。
「無くした左目を寧ろ武器に変えるがいい。いずれその隻眼を見るだけで敵が震え、戦く程にな」
ゲイルノートを救ったのはルーファウスの言葉。それが心酔とも言える忠義のきっかけだ。
生涯を捧げるに相応しい主と出会いが、大陸屈指の猛者として名を馳せるまでに彼を成長させた。
主の望みは我が望み。そこに強い信念が生まれる。
それを叶えるべく、彼はますます腕を磨いた。
やがて戦争が終わり、主に与えられた領土はイーリス南部に位置するティバルディア。当時、戦犯たちで埋め尽くされていた帝国最大の収容所がある。
そしてあの日──忌むべき事件は起きた。
「集団脱獄事件か」
まだ子どもだったルシアにもその記憶はあった。隣接するイーリスでも、平和に浮かれた民衆を畏怖させるには充分な騒動だったからだ。
「ええ。輝かしい覇業の影とも言うべき、陰惨な任務ばかりを担った陛下が最後に迎えた結末──それは最大にして最凶の悲劇でした」
2代目皇帝ヒーゼルの戴冠式にルーファウスらが出払った隙を突かれ、それは起こった。
病によって随行できなかったサラが奮起、それを鎮めるべく陣頭指揮を取る。
すぐさま踵を返したルーファウスによって脱獄犯たちは一掃されたが──それは最愛の妻が命を散らしたその後だった。
「あまりに酷い運命だとは思いませんか。平和を手に入れるべく人の心まで殺した陛下が、何かひとつでも報われるどころか、サラ様を喪うなど」
「だからと言って──」
言いかけた言葉をルシアは呑み込む。今さら問答で歩み寄るには、両者の間にある溝はあまりに深い。
「貴女が我々を憎むのは当然、しかし私にも、何を犠牲にしてでも譲れぬ目的があります。どちらの想いが上かなど、一体誰に裁定できましょうか。
そして戦とは非情なもの。決して想いの強さだけで勝敗は決まらないのです。例えばそう──このように」
〈身代わりの盾〉!
「ぐはあっ!」
ゲイルノートはルシアに触れてもいない。しかしその魔法が発動された瞬間、白銀の女剣士は弾けたように朱に染まり、鬼眼の男には肌の色が戻る。
純粋な魔法士ではないゲイルノートは、禁忌の邪法に特化した黒魔法ばかりを好んで使う。
それは指定した者に、受けたダメージを跳ね返す効果を持っていた。
「馬鹿な──身代わりの魔法は初撃で……それと分かるはず。すべてをまとめて返すなど」
「溜め、そして遅延効果。既存の戦法には創意工夫を加えるのが常識です。士官学校で教わった知識だけでは、実戦で生き残れませんよ」
ゲイルノートは隻眼、そして隻腕のままだ。つまりフィンレイ、クレイグらに負わされた傷までも跳ね返せたわけではない。
しかしルシアが遮二無二、斬り付けさせられた数は十数ヵ所に及び、それだけでも命を脅かすには充分である。
「魔力消費が激しい故に、一回の戦闘で一度きり。これを使うことになるとはさすがに予想外でした」
敵には〈繰り返される悪夢〉がある。今のダメージを再現されたら、とても耐えきれないだろう。
いまだ荒ぶる気力によってルシアは膝こそつかなかったが、形勢は完全に逆転した。
「あと一撃……お別れです、ルシア様」
「ぐ……」
先手を取らねばやられる。だが本来、一度で浴びる手傷ではなかった上に、確信的な優位を崩された動揺によって身体が動かない。
ゲイルノートが魔力を高めたその時──両者にとって理解し難い出来事が訪れた。
突如として暗転する世界。しかし視界が奪われたのは一瞬で、ルシアのいる場所を起点として激しい火柱が上がったのだ。
自覚してのことではない。それが天を衝くと、今度は空から大地に向けて、景色を正常なそれに塗り替えるように光が降り注ぐ。
その中心で、美しい白銀の女剣士は、紅の戦士へと変貌していた。
ジュリアのような──否、父のような緋色の髪。
「な──んだ、それは」
ゲイルノートは残された右目を見開き驚愕する。しかし見た目の変化にではない。
エナジーそのものがまったくの別人へ──そしてそれが、彼のよく知る人物だったからだ。
不動の赤壁、ラインホルト・セノール。
「想いの力が同じだと言うなら──貴様にはどんな奇跡が起こるというのだ」
その声も、容姿も確かにルシアのもの。だがラインホルト以外の何者でもない矛盾した存在が、再び剣を構えた。
10年の時を隔てて、決着の時が迫る。




