影 VS 影
混乱が場を支配する中、ひとり、フィンレイは冷静に状況を分析していた。
待ち伏せではない。突然発生した影の正体こそがゲイルノート本人だ。
〈空間転移〉で1つ目の〈集気変換装置〉近くに現れた敵は、続けざまにそれを発動させて、3つ目になるはずだったここへフィンレイらと共に飛んだ──それが気配を追って得られた事実。
しかし、その魔法は転移先のことを予め知ることはできないはずだ。敵はどうやって、彼らがそこに来たことを知ったのか。
──あの密偵か。
少し前に感じた妙な気配。やはりそれは、新生帝国の手による者だったと考えるのが自然だろう。つまり彼らは見張られていた。
だがそうなると、敵の行動に疑問が生じる。
彼らの動きを知りながら、敵は〈集気変換装置〉を回収しなかった。
それを奪われ、さらに破壊までされた前回の失敗から、彼らをそこに近付けることさえ許されないはずの状況でだ。
新生帝国はルーファウスの独裁状態にあり、故に彼の意向は絶対。その目的は戦争の勝利ではなく、サラの蘇生にある。
従って〈集気変換装置〉の回収こそが最優先事項であるのは間違いない。確かにフィンレイらは邪魔な存在であろうが、だからと言って目的と手段を履き違えることなど考えられなかった。
セリムを作戦に加えたのも、フィンレイが密偵を泳がせたのも、それを理由にバトルには発展しないと睨んでのこと。
優先順位を違えたのではないとすれば、目標物を回収しつつ、邪魔な彼らを確実に消す──それだけの策と自信が敵にあるということになる。
──面白え。
フィンレイは素直に、最初のラウンドを敵に譲ることを認めた。しかし些かも余裕を失わず、ここからの逆転も疑ってはいない。
それを察したゲイルノートは笑みを浮かべ、穏やかに口を開く。
「説明の必要は無いようですな」
「そんなことねえよ。いくつか聞く」
フィンレイが進み出て、逆にセリムを背にしたルシアたちはジリジリと下がる。
敵はルーファウスの腹心で、大陸レベルで見ても屈指の実力者だ。一瞬でも気を抜くことは許されない。
「何でわざわざ場所を変えた? さっきの場所に何か不都合でもあったのか」
「南へ向かったお仲間と離すため。とでも言っておきましょうか」
あからさまな嘘。が、問答でその真意を引き出す気もなかった。
フィンレイはあっさりと質問を変える。
「イーリスまで飛ばなかった理由は? そうすりゃ、大勢で囲んで一網打尽にできたはずだ」
「私の本拠はティバルディアですがね。どちらにしろ、貴方を招いて見境なく暴れられたら困るでしょう」
敵はフィンレイがそこにいることを知っていた。彼を敵に回して、得られる戦果と被害を秤にかけた時、それが懸念事項となるのは確実である。
こちらはあながち嘘ではないかもしれない。
「女軍師だけ置き去りにしたのも分からねえな」
「女軍師──? はて、そのような輩がいたのですか」
惚けているようにも見えるが、そこに深い意味はないだろう。
ルディを〈空間転移〉の被転送者とするのに何か不都合があったか、若しくは単純に、ゲイルノート自ら始末すべき対象とはならなかったか。
少しだけ間を置いて、フィンレイは挑むような視線を黒衣の騎士に送る。
「最後だ。お前──何でひとりで来た。舐めてんのか」
沈黙するゲイルノート。彼に対してそんな口が聞ける者などそう何人もいない。
かつては味方として、同じ戦場で戦ったこともある両者。記憶から実感へ──十数年の時が少しずつ埋められていく。
「……〈空間転移〉にかかる魔力は膨大でして。人数をかけ過ぎると、せっかく溜めたエネルギーがすぐに枯渇してしまいますから」
「答えになってねえぞ。『殺されに来ました』ってことでいいんだな?」
「恐い恐い……さすが四神の影、戦争終結の黒幕とまで言われた男。迫力が違いますな」
ゲイルノートはゆらりと動き、剣に手をかけた。
それに対し、フィンレイは素手のまま身構える。
戦争に干渉しない立場は変えていないが、不戦を貫けるとは彼も考えていない。
ダイキを助けた時のように、その通り道に火の粉として降りかかるなら、彼は容赦なくそれを払うつもりである。
「ラルス、結界を張れ。持ってる分全部だ」
「分かりました」
端的な指示にラルスが即応した。それに慌てたのはルシアだ。
「何をする気だ。まさか、ひとりで戦うつもりか」
憎き仇が目の前に──〈空間転移〉による動揺は収まったが、代わりに彼女の心臓は激しく脈を打つ。
しかしクレイグがその肩に手を置いた。
「俺らがいると却って邪魔になる。気持ちは分かるが、ここは隊長に任せろ。今はセリムの安全が第一だ」
「くっ……」
彼らは対峙する2人の戦士から大きく距離を取り、魔石によって幾重にも結界を張る。
それを確認したフィンレイは、静かに、しかし鋭く闘気を解放した。
「ところで、その不細工な眼帯は何の真似だ」
眼帯に隠されたゲイルノートの左目。彼はそこに魔煌石を埋め込んでいる。それにより未習得の魔法までを自在に操り、彼が〈鬼眼〉と恐れられる所以となっていた。
だがそれは周知の事実であり、今さら隠す意味など何も考えられない。
「質問は終わりだったのでは?」
「質問じゃねえ、警告だ。俺にヒントを与えるなんて、老けるどころか腑抜けたんじゃねえのか」
〈零距離射程〉!
真正面からでも不意打ちとなる攻撃。ダイキにも伝授したそのスキルは、視認する敵との間合いをゼロにする。
隠しているのではない。恐らく「見る」だけで発動するためであろう、覆われた左目の魔法を使わせる前に勝負を決める──しかしフィンレイに懐深くを抉られながらも眼帯に手を掛け、ゲイルノートはむしり取るようにそれを外した。
〈占有引力〉!
晒された〈鬼眼〉が怪しく光る。それは果たして相手に焦点を合わせるだけで発動し、然しものフィンレイにさえ回避を許さない。
「ち──くそっ!」
彼は動きを封された。身体中の骨が、まるで内側に折り畳まれるかのように軋む。
そして周囲の砂が、石が、岩が、みるみる彼に引き寄せられ、すぐにその姿を覆い尽くした。
「重力魔法です!」
結界で視界はぼやけているが、魔力の質からラルスはそう断言する。扱いの難しさから、それは使い手の少ない上級魔法であった。
「うおおっ」
「何て力だ……」
彼らを包む結界までも、それを維持しながらズルズルと動き始める。流れは次第に渦を巻き、すべてを呑み込まんとする竜巻と化した。
「……野放しにするには、貴方は危険すぎる」
〈鬼眼〉とは逆の、右目を赤く染めるゲイルノート。そこから発する魔法の力が彼を重力から守る。
魔石として所持すれば奪われるかもしれない──その可能性を潰すためだけに、彼は残る目をも捨てたのだ。
「16年前の私なら……さっきの攻撃で終わっていたかもしれませんね」
初撃にして肋骨が2本に内蔵の損傷。やはりそれだけの準備をするに値する相手だった。
「しかし今は違う。ずっと貴方の後塵を拝してきた私だが、どうやらそれも逆転したようだ。まさか、『事前策を実力とは認めない』などとは言わないでしょうな」
その魔法は回避不能、防御不能、且つ脱出不能。加えて瞬間的な破壊力ではなく、加速度的にそれを増す。
百を超える中から選択した一手──ゲイルノートは闘気を胸の辺りに集中させて、傷を癒しながら勝利を確信した。
しかし──重力に逆らう一筋の閃光が、一瞬でその喜悦を打ち砕く。狙い澄ましたように、左目の魔煌石を捕らえる闘気の一撃。
「ぐっ──!」
停止する魔法、そしてガラガラと音を立て崩れる岩山。その中から、掠り傷をいくつか作っただけのフィンレイが姿を現した。
「……がっかりだぜ」
口に溜まった血を吐き捨てると共に、彼は落胆の声を漏らす。
「そんな小細工で俺と戦り合えると、本気で思ってたのか? 単純に能力強化に使われる方が俺は嫌だった」
魔石に変えても視力は失っていない。ゲイルノートは残る右目でそれを認め、唖然とする。
彼の知るフィンレイは確かに強かった。しかし今の魔法でほぼノーダメージ、さらに反撃まで許すなど完全に想定外である。
「ふふ……はははっ」
流血する左目を押さえながら、天を仰ぐ黒衣の騎士。
「まさかここまでとは。力の差は埋まるどころか、広がっていたということか。まったく──何という自惚れだ」
冷静沈着なゲイルノートが、ここまで感情を露にするのは初めて見る。隙だらけのその姿が、却ってフィンレイに追撃の手を止めさせた。
「四神が味方であるが故の、幸にして不幸だと思っていた。フィンレイ、ラインホルト、そして私──十聖と互角に戦える我々でさえ、時代の影であることを強いられたのは。戦乱の世に生まれながら──それだけの力を持ちながら」
不意にフィンレイを襲う嫌な予感。それが外れたことはない。
彼は警戒を最大限まで引き上げる。だが──。
「一体何処まで強くなれたのか。神に近付けたのか。それを知りたいがために……つい予定に無いことを。
だがそれもここまで。やはり私は、忠実な影でいるべき器のようだ」
──あのゲイルノートが規律違反だと?
軍務上、作戦からの逸脱は重大な違反行為である。
規律などお構い無しだった傭兵たちと違い、鉄の忠誠心で自己主張を殺し続けた正規兵──その模範とも言えるゲイルノートが覗かせた心の奥底。それが何物にも勝るフェイントとなった。
「さて。常識が通じない貴方でも、さすがに目は2つだと信じている──そう考えて宜しいかな」
籠手を外したゲイルノートの右腕、そこに埋め込まれた第3の魔石が発動する。いや、既に終えていた。
「しまっ──」
「遅い」
後手を踏んだフィンレイ。〈空間転移〉だ。
それを次に見るとすれば、逃亡の手段としてだと彼は思い込んでいた。使うべきタイミングのズレが謀略では無かったからこそ、読み違えたのである。
影を呑み込む光は、もう誰にも払えない。
「ディオニア教国の牢獄が貴方を待っていますよ。勿論、充分な備えをした上でね。さようなら、砂漠の炎輪花のボロンゴさん」
「てめえ──マジか」
活動家としてのもうひとつの顔、それさえも敵には知られていた。初めからフィンレイはそこへ飛ばす算段だったのだ。
彼は振り返り、大声で叫ぶ。
「クレイグ、腹を括れ! こいつは強い。半端な覚悟じゃ全滅も──」
その言葉が途切れるのと同時に、四神の影は戦場から消えた。




